VRChatが閉じたコミュニティだらけになることは避けられない
閉じたコミュニティへの問題を指摘した2つの記事
最近読んだnoteの記事の中で、抜群に面白かったものが2つありました。
完全匿名捨て垢さんとまゆにゃあさんが書いた記事です(まゆにゃあさんの記事は前編、中編、後編に分かれている)。
どちらも訴えることは似ている。
現状のままではVRChatあるいはメタバースの新規流入は望めない。その大きな原因となっているのは、「閉じたコミュニティ」にあるというものです。
2025/09/12追記:まゆにゃあさんのからの補足記事について
本記事は「閉じたコミュニティ」に対しての考察にだけ目を向けたものであるため、まゆにゃあさんの記事からは閉じたコミュニティに関する部分だけを意図的に切り出し取り上げています。
読者の皆さんにはその点だけは誤解なきようよろしくお願いいたします。
まゆにゃあさんが本来主張していることは、閉じたコミュニティへの批判ではなく、“開かれた設計”(VR機材がなくても楽しめる設計、閉じたコミュニティと公共の間に緩衝地帯を置くなど)や“中立的な橋渡し”(コミュニティによる支援や有識者によるサポートの充実、中立な交渉人の配置)を行うというように、より広範な視点からメタバースへの改善点を提示しています。
これはまゆにゃあさんの前・中・後編のほうの記事でもはっきりと示されていることです。
詳細は下記記事を御覧ください。
(まゆにゃあさん、ご指摘いただき、ありがとうございました。)
加えて少し前に、VRChatでストリートスナップを行おうとした際、衣装制作者と権利関係でひと悶着があったという記事が話題になっていました。
メタバース内の閉じたコミュニティとの直接の関係はありませんが、制作者側の「VRChatアバター用の製作アイテムはVRChat内での使用しか想定していない」という立場は、VRChatないしメタバース自体が閉じたコミュニティとなっているという見解を露呈させたとも言えます。
閉じたコミュニティの問題に他するアプローチは両者で異なっています。
完全匿名捨て垢さんは、Discordへのユーザー流入が問題だと想定したうえで、VRChatでの住み分け機能をさらに日本人向けに充実させ、閉じたコミュニティの形成をより促進するような方向に進むべきだと主張しています。
対してまゆにゃあさんは、VRChatが流行しないのは日本人プレイヤーが閉じたコミュニティばかりで過ごすため、身内ノリが主流となったことから、VRC未経験の人から見ると何が楽しいのか、どう楽しめばいいのかが可視化されていないことを問題点として挙げている。
そのうえで、身内ノリや仲間からの勧誘に頼らない開かれたメタバース像の構築が課題のひとつだとしています(このあたりの詳しい主張は中編で取り扱われている)(他にもビジネス分野等の実用的利活用事例の拡大や、利用機器の差による遊びの幅の制限撤廃などを主張している)。
ここにひとつの問題提起を見てとることができます。
新規のユーザーをより流入させ継続的に利用してもらうためには、VRChat・メタバースにおける閉じたコミュニティの形成をより促進していくべきか、それとも歯止めをかけるべきか?
人はコミュニティの外には出たがらない
両者の記事を読んだ所感としては、現在のVRChatterたちは完全匿名捨て垢さんの意見に同調する可能性が高く(完全匿名捨て垢さんの心情部分にまで同意するかはともかく、インスタンス内に入れる人を細かくカスタマイズできるような機能が追加されることに賛同する人なら多いだろうという想定です)、まゆにゃあさんの意見は聞き入れないだろうということです。
どちらも指摘していることですが、VRChatterの大半は閉じたコミュニティに所属しています。
閉じたコミュニティはその人にとって何よりも快適な空間であるため、特別な理由がなければわざわざそれ以外の楽しみを見出そうとはしません。
コミュニティの外=パブリックや初見のイベントなどに行き、新たな交流や楽しみを見出す際は、労力や勇気などを必要とします。負荷がかかることなのです。
人間は楽をする生き物なので、外に新たな楽しみを見出そうと思い立つことは少ない。
多くの閉じたコミュニティ内にいるVRChatterを動かすには、何らかの理由でそのコミュニティが利用できなくなるくらいの大きな出来事がないといけないでしょう。
閉じたコミュニティで過ごすことが大半の人がまゆにゃあさんの記事を読んだとしても、
「なんか大層なことが書かれているけど、これって現状のメタバースに文句がある人がやるべきことだよね? 自分たちは今いるコミュニティで満足してるし、どうでもいいや」と思って終わりではないでしょうか。
人は大きな変化を望まない
私自身の立場はタイトルにも書いた通り、VRChat含めメタバースはどう
仕組みを整えたとしても、閉じたコミュニティの集積所にしかならざるを得ないだろうということです(もちろん日本人コミュニティを想定しています。海外ユーザーのコミュニティ事情は考慮外とします)。
その根拠は、今までのテクノロジー普及の様相に基づいています。
新たなサイバー空間やそれを利用するツール──インターネット、パソコン、スマホ──が誕生するたびに、該当分野の有識者やギークたちは「この技術・商品により多くの人々が別の人達と手軽につながることができ、様々な知見や意見を交換しあい、より良い社会となっていくだろう」と大いに期待を抱いてきました。
実際のところ、機能面のみを評価すればそれらは本当に革新的でありました。
しかしながら、肝心の使用者=一般の人々のほうに問題があったのです。
今ネット上で特に盛んに行われていることを思い返してみてください。
インターネットという世紀の大発明により得られた広大なサイバー空間を、24時間365日手軽に利用できる環境下に置かれたわたしたちは、もっぱらそれを知識を身につける勉強・学習・調べ物や、知らない人との積極的な交流・意見交換などに使用することはありませんでした。
もちろん全員が全員そうだとまでは言いません。ですが現実としてそのような利用を続けている人は少数派です。
わたしたちがインターネット上で精を出していることは、YoutubeやTikTokでショート動画を流しっぱなしにして、Xで大して必要でもない情報の塊をタイムライン上で逐一追いかけ、Discordのコミュニティサーバーでとりとめのないレスをし合って交流を図る……ざっくり言ってしまえば時間つぶしが大半です。
自分にとっての快適なコンテンツを利用するための時間しか取らないと言い換えてもいいでしょう。
対して、自己の改革に使用することは稀なのです。
最近技術進歩がめざましいAIにしてもそうです。
「AIによって世界の常識が変わる!」と、わたしたちは様々な有識者から耳にタコができそうなほど数多の喧伝を聞いてきました。
では一般の人々はAIをどのように利用しているのか?
日常会話や励ましなぐさめてくれる相手としてです。
こういったケースから明らかになることはひとつ。
わたしたちは自分自身が大きく変化することを望んでいない──それは面倒で、効果が出るか不確定で、今の自分や自分を取り巻く環境が変わってしまうのは不安要素でしかないからです。
メタバースにおいて閉じたコミュニティは不滅
メタバースも同じです。
メタバースも例に漏れず、それ自身に様々な可能性を専門家が読み取ってきました(書籍の例としては、バーチャル美少女ねむ、クラスターCEOの加藤直人、中央大学国際情報学部教授の岡嶋裕史、「現代思想2022年9月号」が挙げられる)。
専門家や有識者たちは、メタバースの可能性を最大限に引き出し、経済活動の活性化や新たなる社会の形成などを試みることで、新たなるフロンティアとして開拓しようと夢見ていることでしょう。
しかし、仮に上記のような壮大な計画がうまくいったとしても、わたしたちの主だったメタバースの利用方法が変わることはないでしょう──新たな利用方法がわたしたちのもとに流れわたってきたとしても、現在と同じように、いつものメンツで集まって雑談をしてという日々を繰り返すことをメインとし続けるでしょう。閉じたコミュニティが瓦解する未来は見えてきません。
なので未来のVRChatやメタバースにおいても、変わらず閉じたコミュニティで過ごすのが一番のメインとなり続けるように思います。
唯一こういった空気感を打開したのが、スタンミブームだったということです(具体的な考察はまゆにゃあさんの該当記事の中編にて詳しく述べられていますので、ここでは割愛)。
現状のVRChatは、スタンミブームのような外部からの突発的なバズに頼る以外の、有効的な集客手段を持ち合わせていません。
有識者や専門家が「メタバースはコミュニティ外の知らない人と交流したほうが楽しくなる・もっと充実する!」といくら呼びかけたとしても、VRChatterのほとんどには馬耳東風です。
もし閉じたコミュニティを一掃したいのであれば、システムの機能からコミュニティが生まれるような要素を徹底的に排除しなくてはならないでしょう。
VRChatであればフレンド機能、インスタンス機能、グループ機能を廃止するくらいのことはしないといけない。
ここまでやったとしても、人が集まるところには必ずコミュニティが生まれるので、ただサービス機能が不便なメタバースという評価を運営側が受けるだけです。実行するデメリットこそあれメリットはありません。
仮に実行してしまえば、それこそ完全匿名捨て垢さんが指摘したように、ユーザーはDiscordに移行するか、他のメタバースサービスに移行するだけです。運営もユーザーも痛み分けで終わります。
コミュニティは開けない
では逆に、閉じたコミュニティを開かせるような仕組みがあればいいのではと考える人が現れるのも自然でしょうが、わたしはこれを矛盾と捉えています。
そもそもコミュニティの本質は閉じることにあります。
開かれたコミュニティというものは存在しえません。
あるコミュニティが開いて見えるのは、そのコミュニティの一員があなたであれば仲間になったとしても受け入れるというポーズを表明しているからです(気さくに話しかけてくれる、にこやかに挨拶してくれる、また来てねと言ってくれる等)。
それを見れば「このコミュニティは開かれているな」と思うでしょうが、それはあなたであれば門を開く用意があるということにすぎない。
常に開いたコミュニティはコミュニティではなく、パブリック(公共)です。
(大所帯のコミュニティは、性質がパブリックに近づきます。VRChatであれば、グループの所属人数が数百人から1000人以上のものが該当する印象です。グループ自体をコミュニティと捉えることもできます。ですが主催者やスタッフが参加を歓迎しても、その中でさらに細分化されたコミュニティに入れるかはまた別問題で、そのどれにも入れないならば、パブリックで一人ぼっちという状況となんら変わりません。以上のことから、厳密に言えばコミュニティとは3人から複数人で構成される小集団を指すとしたほうがより真相に近いと感じます)
閉じたコミュニティだらけの現状と、それ以外のコンテンツの弱さ
本音を言えば、多くの人が閉じたコミュニティに頼らない遊び方ができるようになれば、VRChatないしメタバースはより面白い場になるのにな、と思っています。
ですが現状のVRChatは、閉じたコミュニティ以外の遊びのバリエーションが非常に狭い。
パブリックやイベントにふらっと立ち寄っても、イツメンらしき集団が多く、結局は集団に入れてもらうこと=別の閉じたコミュニティのメンバーに受け入れてもらって過ごすことになることが多いです。
閉じたコミュニティで過ごす日々を打開しようにも、新たな利用先もまた閉じたコミュニティとならざるを得ません。
出向ける閉じたコミュニティならまだいいのですが、私自身のソーシャルは、いつでもオレンジステータスとプライベートインスタンスにいるフレンドで溢れかえっています。体感5割はいるように見受けられます。
オレンジやプラベの全員が全員閉じたコミュニティで過ごしているわけではないでしょう。
ですがそれでも大半はそのような利用をしていると思われますし、ここにフレプラでいつものメンツとしか集まらないフレンドを加えようものなら、閉じたコミュニティのヘビーユーザーは間違いなく5割を超えます。
イベントの中には、楽器演奏や演劇、コント、落語、映像鑑賞など、コミュニティが関係しないものもありますが、そういった類のものは開催される種類も頻度も少なく、メインコンテンツの一角に食い込んでいるとは到底言えない状況です。
出し物系はどうしても企画、演者選定、練習、進行確認というように、多くの下準備が必要です。連発がしづらいものだということです。
毎日がこれらのイベントで盛況だという状況をつくり出すのは、大変な要求だと思われます。
おわりに──思索にわずかな希望を見出してみる
ではやはり、完全匿名捨て垢さんの意見が正しのでしょうか?
そうとは言い切れません。
彼(彼女?)の意見の最大の問題点は、仮にVRChatterが声を上げ、運営が意を組み閉じたコミュニティの形成時にさらなるカスタマイズ性をプラスし、閉じたコミュニティが増えてVRChatユーザーの減少に歯止めがかかったとしても、冒頭で取り上げた課題(=閉じたコミュニティ以外の過ごし方の普及による新規ユーザーの流入増加)はまったく解決されないということです。
プライベートなコミュニティをより細かく作成できる仕組みが導入されれば、VRChatterがそれを使う機会は増えども、減りはしません。
よって、外部から見たVRChatの透明性の向上や、ユーザー間の流動性の促進にはつながりません。
少し想像してみれば誰でも察せることです。
完全匿名捨て垢さんの記事を読むと、結論部分ではユーザーひとりひとりが課題として取り上げ、声を上げることが重要だと締めくくっていますが、文章全体からは日本人は閉じたコミュニティで過ごすことしかしないだろうからそれで仕方がないという諦観の雰囲気が伝わってきます。
ならばあなたにはいい打開策があるのかと問われると、わたしはこの現状を変えられそうな具体的な方策を思いついていないことを白状せざるを得ません。
メタバースとコミュニティは切っても切り離せず、時間とともにその共犯関係は自然と強化されていくものです。それも生半可なスピードではなく。
それでもわたしの頭のなかにあるものをなんとか提示してみます。
これに対抗できうるコンテンツを用意しようとするのであれば、まずは人間の承認欲求、所属欲求の際限のなさを見つめ直し、それに代わる欲求を喚起させうるものはなにかを問うという根本的なところから始めないといけないのではないでしょうか。
例えば宇野常寛が『庭の話』にて、居場所を生み出すことなく、評価への比重の転換と制作の行為化に着目し、世界に手を触れることができる感覚を体験できる場としての「庭」を想定したくらいの、綿密な思索が必要になってくるように思われます。
ただ正直なところ、ここまで迂遠な取り組みをメタバース運営側が行うとも思えないので、いちユーザー目線で閉じたコミュニティだけにいる状況を打破したいのであれば、わたしが過去記事で主張した「旅人のプレイスタイル」を取ることになるでしょうか。
みなさんはどう思われるでしょうか。
なにか意見、感想等があればぜひ聞いてみたいです。



こんばんは。 補足記事の追記などお手数をおかけしてしまい申し訳ありません。 ご対応に感謝します。 こちらも記事で閉じたコミュニティ批判と受け取られる可能性について、 検討と配慮が欠けていたことをお詫びします。