頭の上にミカンをのせる

もうマンガの感想だけでいい気がしてきた

吉田恵里香さん脚本の「前橋ウィッチーズ」における男性の描き方はノイズじゃなかったんだろうか、という話

大前提として、私は「前橋ウィッチーズ」というアニメがかなり好きであるという点をご理解ください。1話ずつ感想を書くくらいには毎話楽しんでたしライブまで見にいったからね・・

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なので、今からする話は正直全体の中では些細な話であり、それほど気になったわけではないです。

とはいえ、講演で脚本の吉田恵里香さんが「ノイズ」を排除することのこだわりを口にされたのはやっぱりちょっと気になっていて、

どうも吉田恵里香さんのノイズの考え方が私にはあんまりしっくり来てないというか、

私の中では前橋ウィッチーズの描写の中には「明確に結構でかいノイズがあった」んですよ




さらにいうと、今回の吉田さんの講演は本当にノイズになってしまったなと感じます。




お陰で今までは些細なことだから、と気にしないようにしていた前橋ウィッチーズのひっかかりポイントとかまで気になっちゃうの本当に良くない。

「逆ジークアクス現象」というか、過去の作品の評価にデバフかけるような発言が多かったので、本当に彼女には表で喋らないでほしいまである・・・。 今後は彼女の情報はあまりインプットしないようにしたいと思います・・・。私は悲しいよ・・・






大事なことなので二回言いますが、前橋ウィッチーズ、少なくとも私は大好きな作品なんですよね

登場人物の女の子たちみんな応援したいなって思ったし、リアルでのライブまで見に行って、そこで感じた熱量とか、あの感動とか、今でも鮮明に思い出せるくらいなんです。

女の子たちがそれぞれのコンプレックスや悩みを抱えながらも、お互いを理解しようとして


時には意見が食い違ったり、ぶつかり合ったりしながらも最後には互いを応援し合い、一人ずつ自分の足で前に進んでいこうとする。


そう言う姿は、本当に尊いなと思って。



あの繊細な心の動きとか、関係性の変化とか、全てがリアルですごく温かくて、私にとって本当に愛すべき物語なんです。



群馬という、あの独特のローカルな舞台設定も、リアリティとファンタジーが絶妙に融合していて、作品全体の世界観にどっぷり浸ることができました。ライブの曲も好きだし、好きな曲はときどき聞き返したりしてます。



そんなわけで、吉田恵里香さんにも「女の子がメインの話については」かなり強い信頼を持っています。

特に、女の子たちの心情描写に関しては丁寧に描いているし、少し難しい問題にも積極的に取り組もうとしてると感じるので好意を持っているまである。



複雑な感情とか些細なコンプレックスとか誰もが一度は感じたことがあるようなモヤモヤした気持ちを丁寧に、そして美しく描き出すことができるなんて本当にすごい才能だなと思う。



作品に対するこだわりとか、伝えたいメッセージを純粋に、そして最も効果的な形で届けようとする姿勢が感じられて、信頼できるし、彼女が講演で語っていた物語のノイズを排除してメッセージの強度と高めるという哲学も、説得力はちゃんとある。



でも、男の扱いはかなり雑だなって思うんだよな・・・

彼女の作品の「光」が強ければ強いほど、その「影」の部分、特に一部の男性キャラクターの描写に関してどうしても拭いきれない違和感と、そして正直なところ、少しの悲しみが残ってしまうところがある。



前橋ウィッチーズって、物語の基盤として、徹底して「女の子たちの世界」が中心に描かれていましたよね。



家族の描写だって、父親なんてほとんど出てこないじゃないですか。



それは、ある意味で「意図的な選択」だと思っていました。物語の焦点を徹底して「女の子たちの内面と関係性」に絞るための手法だと解釈していたんですよ。

余計な要素を入れず、少女たちの繊細な心の機微に集中する。その潔さが、この作品の魅力の一つだと思っていたのでそれはむしろ良いことだと思ってます。



ところが。



あのメンバーの中で一番大人で、みんなをまとめる立場にいるような、本当にしっかりした女の子のシナリオで
急になんかノイズが入ってくる。



特に必然性はなかった思うんだけど「女を傷つける性犯罪者」とか、「娘の気持ちを全然理解しないステレオタイプな父親」みたいな形をとって突然男の要素を入れてくる。



それまでの物語って、まるで性の匂いみたいなものがしなかったんですよね。というか男の匂いもなかった。



女の子たちの友情とか、それぞれの夢とか、内面的な葛藤がメインで、ある種ピュアで、守られた「女の子だけの世界」として描かれていたように感じていました。



それが、何の脈絡もなく、とまでは言わないまでも、非常に唐突に「男」という存在が登場してきて、しかもそれが「性的な加害性」を伴う存在として描かれるっていうのがすごく違和感ありました。




今までが丁寧だっただけに、ここの展開だけ異常に安易な気がしてギャップを感じました



・「ぬいペニ問題」を描きたかったから男を出してきたの?ってなったし


・この物語で、そこまで踏み込んだ性的な加害描写が必要だったのか?というのがどうしても違和感。



あの瞬間、物語の焦点が、それまでの「女の子の抱える内面の悩み」という非常にパーソナルでそして普遍的なテーマのフィールドから


一気に「男女の問題」、それもかなり「女性が男性から被害を受ける」という特定のジェンダー間の対立構造へとシフトしてしまったように感じたんですよ。



しかも、そこで描かれる男性キャラクターの描写がめちゃくちゃ安易なステロタイプで、ネガティブな要素しか背負わされていないように見えた。

このあたりは私、やっぱり男性だからなのかもしれないけれどちょっと悲しかったな。こんな出し方するくらいなら、男は全面排除してくれたほうが良かった。




すごい安易な形で有害な男を出してきたから



この作品はちょっと気を抜いて女の子の輪から飛び出したらいきなり捕食される「約束のネバーランド」なん?


みたいな気持ちになっちゃったというか。

せっかくいい話だったのに、物語に「すごい狭い箱庭感」が出てきてしまったというかね。



「女の子たちの成長のためには、社会の厳しさも描くべきだ」とか「リアルな世界を描くためには、加害性のある男性も必要だ」って言われると、確かにそうなのかもしれないとは思うんです。


吉田さんが「リアルで地に足がついた物語」を描こうとした結果だと解釈することもできると思いますし、それが彼女の作家性の一つだと言われれば、頭では理解できるんですよ。


でも、それにしては描写が安易すぎるし、私にはすごく恣意的に感じてしまうんです。

だって、それまでは女の子たちの複雑な感情とか、些細なコンプレックスさえもあんなに丁寧に多角的に描いていた作品なのに、なんで男性だけはあんなに一面的で単純な悪役としてしか登場できないんだろうって。その温度差が納得できなかったんです。




まるで、男っていうのは「女の子を停滞させる道具」とか、「女の子が前に進むためのダシ」としてしか描かれなかったのかなってそう思ってしまうと、ちょっと白けてしまう。



ちゃんと描けない、とか描く気がないなら出すなよといいたい。それこそがお前の嫌いなノイズとちゃうんかと。



せっかく素晴らしい物語なのに男はただの踏み台でしかないっていうのは、なんだかすごく寂しいな、って。




吉田さんは「不必要なものはノイズとして省く」ことを、あれほどまでに自分のウリにしていて、作品を構成する上で最も重要な哲学だと語っていますよね。

それなのに、この「男の扱われ方」は、彼女自身が言うところの「ノイズ」になるとは考えなかったんだろうか?って疑問に思っているんですよ。



あの描写が、本当に「物語として必要だった。必然性があった」って言われても、私の中では、どうしても「うーん…」と首を傾げてしまう部分があるんです。



例えば、あの物語で、もし男性キャラクターが悪役として描かれるにしてももう少しだけ、彼らがなぜそういう行動に至るのか、その背後にある葛藤や弱さの「断片」だけでも見せることはできなかったのかな。



たとえ登場時間が短くても、彼らが単なる「悪」ではない、「人間」としての奥行きが少しでも感じられたら
単純な善悪二元論ではなく、より深い「人間の葛藤」として物語を捉えることができたんじゃないかな、と。
そうすれば、あの描写が持つ負のインパクトを、もっとポジティブな形で昇華させることができたんじゃないかって。







あるいは、男性キャラクターを悪役として登場させる必然性がどうしてもあったのだとしても、その描写がもう少し物語の文脈に溶け込むような、唐突さを感じさせない形であれば、違和感はもう少し少なかったのかもしれませんね。



急に性的な加害性を持つ男性が出てくることで、それまでの物語のトーンが大きく変わってしまい、そこから物語が持つ普遍的なテーマ性が、特定の性差による対立へと矮小化されてしまったように感じてしまったんです。

それは、吉田さんが本来目指していたであろう「多様な生き方や価値観を肯定する」というメッセージを大きく阻害しますよね。





吉田さんは『生理のおじさん』のような作品も手掛けていて、男性の複雑な心情も描ける人らしいので、前橋ウィッチーズのように男性を安易な舞台装置としてしか扱わない描き方には少しだけ「もったいなさ」を感じてしまうんです。



彼女の才能をもってすれば、もっと違うアプローチもできたはずなのに、なぜこの形を選んだんだろう、って。その選択の裏側に、彼女なりの強いメッセージがあったのかもしれないけれど少なくとも私という視聴者には、純粋な「ノイズ」として残ってしまったんですよね。



まあ脚本が全ての展開をコントロールできるわけじゃなく、そう言うの含めて監督たちと話をした上で「これで行く」って決めたんだろうから別にいいんですけどライブイベントでも該当のキャラのストーリーにはキャストの人やりにくそうだったなー。

私が行ったイベントはちょうどこの加害男性が登場する回が中心だったけど、声優さんたちは加害男性の話一切しなかったからね、、、




というわけで、全体としては本当に素晴らしいものを作られてるんですが、「男」を登場させようとするといきなり暴走しそうでちょっと危なっかしいなって感じる

まじめにこのあたり描きたかったんならもっと丁寧に描くでしょ。

でもあまりに安易だったので、多分あんまり考えてないのに物語の感情移入を阻害してでも「有害な男らしさ」を物語に出したかったとしか思えないんですよね・・・。



そもそも本当に男性の目線を真面目に入れたかったら、2話のあずの話のときから男性目線とかいれるでしょ。そっちでは男の存在を無にしてたのに、8話のところだけいれるか? 


それは世界観のことを真面目に考えてないって感じるよ・・・。


まぁその後また完璧に閉じた世界に戻って男も消してくれたからなんとかなったけど、この辺りはどうしても吉田さんのクセの強さと言うか危うさを感じるよね。



冒頭でも言ったけど、今回の講演さえなければそこまで気にしてなかったような些細な話なんですけどね!

メインはあくまでも女の子たちの友情とライブパフォーマンスだからね!


なので、この作品を好きな男性のファンもたくさんいるのは知っています。


私がこんなことを思っているのも、もしかしたら私の考えすぎなのかもしれない。私だけが、こんな風にネガティブに捉えているだけなのかもしれない。



前橋ウィッチーズは、本当に全体としては心から愛している作品なんです。その素晴らしさは、何物にも代えがたいものだと思っています。



あくまでも、あの「男の扱われ方」とかももうちょっと工夫してほしかったって言ってるだけね。減点法でも100点満点じゃなくて95点だって言ってるだけだし加点法ならいいところいっぱいある作品なので、これだけで作品評価が0になったりはしませんよ。


吉田さんが講演で作品の核となるメッセージを阻害するものがノイズだとか言ってこだわりを主張されてたから気になっただけです。

あの男性描写は、私にとっては、まさに作品全体への純粋な感動を阻害する「ノイズ」になってたのにあれを放置してそれを言うのかと。結局、吉田さんが言うところの「ノイズ」判定は誰にとってのものなのか?ってところで作品作りの姿勢に疑問を感じてしまったってことですね。



結局のところ、作品の特定の描写を具体的に指して「ノイズ」扱いするのって危険だって話ですね


まじでああいう言い方したら、私みたいな厄介オタクが「じゃあこれはノイズじゃないんかい」って難癖つけてくるなんてわかるじゃないですか。


どんな作品でも作品を完成させるために不要だと思った部分を削るのは制作チームの人は当たり前にやってることで。なんかそれを特別なこととして、「これが作品をヒットさせるコツです」みたいに言いだすとどうしてもカドが立つよねってだけの話です。


どうせ完全にノイズがない作品なんてありえないし、それはそれでつまらないことになる。だからみんなで話し合って決めてるはずで、それをなんか自分だけの手柄とか、自分の思想の肯定材料として言うのはほんまやめましょうよってだけですね。







というわけで、吉田恵里香さんの話はこれ以上やっても不毛なのでやりません。

ただ、もともとちょっとひっかかってたのでこの機会にちょっと書いておきました。