第9回断種で許された婚姻、傷が痛んだ結婚式 口を閉ざした70年前の手術
田辺拓也
91歳の語り部には唯一、話せないことがあった。
その男性は自身のつらい経験を語り伝えてきた。孤島での隔離された生活、家族との離別、世間からの差別など、壮絶な半生を隠すことはなかった。
しかし、約70年前についた体の傷については、ずっと口を閉ざしてきた。
中尾伸治さんは岡山県瀬戸内市の「長島愛生園」に1人で暮らしている。1930年、孤島につくられた国立ハンセン病療養所だ。
奈良で生まれ、母と4歳上の兄と暮らしていた。14歳になるころハンセン病と診断され、園に強制収容された。
56年、園で出会った同い年の女性と結婚した。21歳だった。
入所者どうしの結婚は、自治体ではなく園に届け出る独自のルールがあった。
決まりに従って、妻となる女性と2人で園に「結婚届」を提出した。
「手術はどうしますか」
1人になったとき、園福祉課の職員に聞かれた。
「どうしますか」とは、自分と妻のどちらが優生手術を受けるか問われた言葉だった。
子ども出来たらおろされる、そのほうがつらい
優生手術とは不妊手術のこと…