【解説】 トランプ政権、高度な技術者就労ビザの取得費用を10万ドルに引き上げ インドとカナダに異なる影響
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アメリカのドナルド・トランプ大統領は先週、外国人技術労働者向けの就労ビザ(査証)「H-1B」について、取得費用を最大で10万ドルに引き上げる方針を発表し、テクノロジー業界を驚かせた。シリコンヴァレーの企業は従業員に国外への渡航を控えるよう呼びかけ、外国の労働者らは航空券の確保に奔走、移民専門の弁護士らは命令の内容を解読するために時間外労働を強いられるなど、混乱が広がっている。
ホワイトハウスはその後、事態の沈静化を図っている。20日には、今回の料金改定は新規申請者のみに適用される一度限りの措置だと説明。23日には、H-1Bの選考法を変え、所得と技能が高い人ほど有利な仕組みにする案を発表した。
専門家らは、トランプ氏による新たな10万ドルの料金設定は実効性を欠くとしており、理由として給与データを挙げている。2023年におけるH-1Bの従業員の給与の中央値は、新規採用者が9万4000ドルだったのに対し、既存の従業員は12万9000ドルだった。今回設定された料金は新規採用者を対象としているため、大半の人がそれを賄うだけの収入さえ得られないことになると、専門家らは指摘している。
長年にわたり運用されてきたH-1Bプログラムの先行きは、依然として不透明なままだ。このプログラムは、アメリカ人労働者の賃金を押し下げているとの批判を受ける一方で、世界中から優秀な人材を呼び込んでいるとして評価されてきた。
今回の方針転換で最も大きな影響を受けるとされているのはインドだ。H-1Bの制度は、過去30年間にわたり数百万人のインド人に「アメリカンドリーム」をもたらし、アメリカの産業にとって不可欠な人材を供給してきた。今回の新たな政策は、その流れを事実上、遮断するものだ。
一方で、世界中の高度人材を呼び込む好機だと捉えているのがカナダだ。移民専門家や経済界の関係者は、カナダ政府に対し「今こそ門戸を開くべきだ」と強く促している。
<インド> より多くを失うのは米印のどちらか
ソウティク・ビスワス記者、ニキル・イナムダル記者(デリー)
H-1Bプログラムは、インドとアメリカ、両国の姿を変えてきた。
インドにとって、H-1Bは希望の象徴だった。地方都市のプログラマーが米ドルを稼ぐようになり、多くの家庭が中流層へ飛躍し、航空業界から不動産業界まで、世界を飛び回る新たなインド人層に対応する産業が生まれた。
一方アメリカにとっては、研究所や教室、病院、スタートアップ企業を満たす人材の流入を意味した。現在、グーグル、マイクロソフト(MS)、IBMを率いているのはインド系の幹部だ。また、インド出身の医師はアメリカの医師全体の約6%を占めている。
インド人は、近年のH-1Bプログラムでビザを発給された人の70%以上という圧倒的多数を占めている。これに続くのが中国人(約12%)だ。
テクノロジー分野では、その存在感はさらに際立っている。2015年に情報公開法に基づいて提出された請求によれば、「コンピューター」関連のH-1Bの80%以上がインド国籍者に割り当てられていた。業界関係者によると、この割合は現在も大きく変わっていないという。
医療分野でも、H-1Bプログラムはその重要性を浮き彫りにしている。2023年には、一般内科および外科病院での勤務を目的とした申請が、8200件以上承認された。
インドは、世界で最も多く国際的な医科大学卒業者を送り出しており、そうした医師は典型的に、H-1Bでアメリカに滞在している。また、国際医師全体の約22%を占めている。国際医師がアメリカの医師の最大4分の1を構成していることを踏まえると、インド出身のH-1B保持者が、全体の約5〜6%を占めている可能性が高い。
今回の新たな方針で、最初に衝撃を受けるのはインドかもしれない。だが、その波紋はアメリカ国内でより深刻な影響を及ぼす可能性がある。
タタ・コンサルタンシー・サービシズ(TCS)やインフォシスなど、インドのアウトソーシング大手は、現地人材の育成や業務の海外移転によって、こうした事態に長年備えてきた。
数字がその実態を物語っている。インド人は依然としてH-1Bプログラムの70%を占めているが、2023年におけるH-1B上位雇用主10社のうち、インドに関連する企業は3社のみだった。これは、2016年の6社から減少していると、ピュー研究所は報告している。
確かに、2830億ドル規模のインドIT業界は、技能労働者をアメリカに送り込むことに依存してきた構造と向き合わざるを得なくなっている。アメリカ市場は、この業界の収益の半分以上を占めている。
インドのIT業界団体ナスコム(Nasscom)は、今回の料金引き上げが「一部の現地プロジェクトにおいて、事業継続性を損なう可能性がある」との見解を示している。顧客は、法的な不確実性が解消されるまで、価格の再交渉やプロジェクトの延期を求める可能性が高いため、企業側は人員配置のモデルを見直すことになる。具体的には、業務のオフショア化、現地人材の削減、そして外国人労働者の雇用において、より慎重な姿勢を取るようになるとみられる。
また、インド企業は増加したビザ費用をアメリカの顧客に転嫁する可能性が高いと、インドの人材派遣大手シエルHRのアディティヤ・ナラヤン・ミシュラ氏は述べている。
「雇用主が外国人労働者のビザ取得にかかる高額な費用の負担をためらうようになれば、リモート契約、オフショア業務、ギグワーカー(単発の仕事を請け負う労働者)への依存が高まる可能性がある」
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アメリカ国内への影響は、より広範かつ深刻になる可能性がある。医師不足に直面する病院や、科学・技術・工学・数学(STEM)分野の学生を呼び込むのに苦戦する大学、そしてグーグルやアマゾンと違って強力なロビー活動力を持たないスタートアップ企業が、最も大きな打撃を受けるとみられる。
米ケイトー研究所移民研究部門のデイヴィッド・ビア代表は、「ビザ取得費用の引き上げは、アメリカ企業に採用方針を根本的に見直させるとともに、大量の業務を海外に移転させることになるだろう。また、アメリカに拠点を置く企業を経営する創業者や幹部の入国を禁止することにもなる。これは、アメリカのイノベーションと競争力に壊滅的な打撃を与えることになる」とBBCに語った。
こうした不安は、他の専門家の間でも共有されている。
「(アメリカにおける)テクノロジーや医療といった分野における新たな労働者の需要は、分野によってばらつきはあるものの、今後増加すると予測されている。そして、これらの分野がいかに専門性が高く、重要であるかを考えると、数年にわたる人材不足は、米経済と国民の福祉に深刻な影響を及ぼす可能性がある」と、ニスカネン・センターの移民政策アナリスト、ギル・グエラ氏は述べた。
「この政策は、より多くの技能を持つインド人労働者に対し、国際的な留学先として他国を検討するきっかけとなる可能性があり、アメリカの大学制度にも連鎖的な影響を及ぼすだろう」
実際に、最も大きな影響を受けるのはインド人留学生だ。彼らは、アメリカに留学する学生の4人に1人を占めている。
北米インド人学生協会の創設者で、120の大学にまたがる2万5000人の会員を代表するスダンシュ・カウシク氏は、今回の発表のタイミングが9月の入学直後だったことに言及し、多くの新入生が衝撃を受けたと語った。
「直接的な攻撃のように感じられた。すでに学費の支払いは終わっているので、学生1人あたり5万ドルから10万ドルの大きな埋没費用が発生している。それなのに、アメリカの労働市場に参入する最も有望なルートが、今や完全に消滅してしまった」と、カウシク氏はBBCに語った。
同氏は、今回の決定が来年のアメリカの大学への入学者数に影響を与えると予測しており、大半のインド人学生が「永住の基盤を築ける国」を選ぶようになると見ている。
<カナダ>このチャンスをつかめるのか?
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ナディーン・ユーセフ・カナダ上級記者
トランプ政権によるH-1Bビザ制度の変更によって取り残された優秀な労働者を呼び込み、定着させようとする呼びかけに、カナダのマーク・カーニー首相が関心を示している。
米ニューヨークで22日開かれた外交問題評議会での演説でカーニー首相は、カナダ国内で育成された研究者や人工知能(AI)分野の人材を強調した上で、「残念ながら、彼らの多くはアメリカに行ってしまう」と述べた。
さらに、「アメリカはビザ政策を変えようとしていると聞いている」と付け加えた上で、「もしかしたら、彼らのうち1人か2人くらいは、我々が引き留められるかもしれない」と語った。
ただし、アメリカからさらに北を目指す人々にとっては、カナダの移民制度も課題となっていると警鐘を鳴らす声もある。
21日に施行された今回の変更は、アメリカでの就労を希望する高学歴の外国人にとって、その機会を狭めるとみられている。専門家によれば、最も大きな打撃を受けるのは、アメリカの大学を卒業したばかりの留学生たちで、長期的な就労を希望していた層だという。
こうした労働者が他国への移動を検討する中で、カナダを拠点とする移民専門弁護士エヴァン・グリーン氏は、「これはカナダ政府にとって、非常に好機だ」と述べた。
こうした呼びかけをしているのは、グリーン氏だけではない。
カナダの生産性向上を目的とするNPO「ビルド・カナダ」は、22日に発表した声明の中で、カナダ政府に「迅速に動く」よう求めた。同団体は、H-1Bの変更によって取り残された労働者の受け入れ先として、カナダが有力な候補になる主張している。
「現在、数十万人規模の高度技能を持ち、高収入を得ているH-1B専門職が、新たな居住先を探している」と声明で指摘し、こう続けた。
「カナダは、世界的な研究機関、アメリカと同様のタイムゾーン、アメリカへの近接性、そして高い生活水準を備えており、ぴったりの移住先だ」
2020年に全米経済研究所のために実施された調査によると、技能労働者の移民を制限する政策に直面した際、アメリカを拠点とする多国籍企業はこれまで、他国に目を向けて人材を確保してきたという。対象国には、インド、中国、カナダが含まれていた。
この調査は、ペンシルヴェニア大学の研究者らが執筆したもので、2004年にH-1Bの上限を70%削減した政策を分析対象としている。
調査では、企業が当初アメリカで雇用を希望していた同じ技能移民を、代わりにカナダで雇用していたことが明らかになった。当時、カナダのより開かれた移民政策が、労働者の移動を容易にしていたと、調査は指摘している。
また、H-1B保持者がカナダを代替先として検討していたことを示す証拠も存在する。
カナダ政府は2023年、アメリカに拠点を置くH-1B保持者を対象に、カナダでの3年間の就労許可を取得できるプログラムを導入した。申請受付は、24時間もしないうちに1万人が登録し、締め切られた。
申請者のうち何人が実際にカナダへ移住したかは明らかになっていない。
しかし、カルガリーを拠点とする弁護士マーク・ホルテ氏は、H-1Bを更新できなかった一部の依頼者がカナダへと移ってきたと述べている。
「こうした人々には、他に選択肢がなかった」と、ホルテ氏はBBCに語った。ただし同氏は、現在カナダに滞在している多くの人々が永住権の取得に苦労しており、同国での将来的な在留資格が不透明になっていると指摘している。
カナダの現行制度では不十分との指摘も
経済学者のミカル・スクテルード教授は、技能労働者にとって魅力的な移住先となるためには、移民制度の抜本的な見直しを含め、さらなる対応が必要だと警鐘を鳴らしている。
「カナダには確かに可能性があるが、その可能性を過大評価すべきではないと思う」と、オンタリオ州ウォータールー大学に所属するスクテルード教授は述べた。
同教授は、カナダが近年、移民の受け入れを縮小していることに加え、同国の一時的外国人労働者プログラムをめぐって政治的な対立が起きていることを指摘した。野党・保守党はこの制度の廃止を求めており、カナダ人の雇用を優先すべきだと主張している。このプログラムは、産業界の人材不足を補うために設計されており、低技能労働者や季節労働者を主に対象としている。
「カナダは、アメリカと比べて予測可能性が高いとは言えない」と、スクテルード氏は述べた。「そして、それは人材を呼び込もうとする際に問題となる」。
同氏はまた、カナダにはアメリカと同様の給与体系が存在せず、平均的な賃金は低めに推移していると指摘した。
それでも、カナダが努力すべきでないという意味ではないと、スクテルード氏は付け加えた。H-1B制度がアメリカにおいて顕著な経済成長をもたらしてきたことは、特にハイテク分野の研究とイノベーションにおいて、証拠によって示されていると述べた。
カナダ移民・難民・市民権省のマシュー・クルポビッチ報道官は、アメリカにおけるH-1Bの変更についてのコメントを控えたが、カナダには労働者を呼び込むための複数の制度が存在すると述べた。具体的には、技能労働者向けの「エクスプレス・エントリー」制度や、「グローバル・スキル戦略」制度があり、後者では「高度技能を持つ」外国人に対する一時的な労働許可の迅速な処理が可能だという。
報道官はまた、同省が「世界で最も優秀な人材を呼び込むための新たな解決策の特定を継続している」と述べた。
アメリカでは今後何が起こる?
現時点では、今回の政策が引き起こす影響の全容は、依然として不透明だ。
移民専門の弁護士らは、トランプ氏の今回の措置が近く、法的な異議申し立てに直面する可能性があると予測している。前出のアナリストのグエラ氏はさらに、影響が一様ではない可能性があると警告した。
「新たなH-1B政策は、アメリカにとって数多くのネガティブな結果をもたらすと予想しているが、それらが具体的にどのようなものになるかを見極めるには、しばらく時間がかかるだろう」
「たとえば、大統領令が特定の企業に対して例外を認めていることを踏まえると、アマゾンやアップル、グーグル、メタのようなH-1Bを多用する企業が、H-1B料金政策の適用除外を受ける道を見つける可能性がある。しかし、これらすべての企業が免除を受けることになれば、料金制度の目的そのものが大きく損なわれることになる」
当初の混乱が落ち着きつつある中で、今回のH-1B制度の見直しは、外国人労働者への課税というよりも、アメリカ企業と経済に対するストレステストの様相を呈している。
H-1Bビザ保持者とその家族は、アメリカ経済に年間約860億ドルをもたらしている。これには、連邦給与税240億ドル、州および地方税110億ドルが含まれている。
企業の対応次第で、アメリカが今後もイノベーションと人材の分野で世界をリードし続けるか、それともより受け入れ態勢の整った他国にその地位を譲るかが決まることになる。