40年前の母校のカツ弁にいざなわれた話②
続き
「俺もS高だったんだよ、あの味が忘れられなくて久々に食いたいんだ」
河合奈保子親衛隊の隊長はそういって顔をくしゃくしゃにして笑った。
そうだったんですね、わかりました。来週買ってここに持ってきます。
そう返事をして、そこまで、卒業してからも食べたくなるものかね?
と思いながら帰宅した。
そして約束通り、翌週に隊長の分のカツ弁を購入して持って行った。
「おお!これこれ!変わってないな!ありがとう!」
隊長はそう言って美味そうにむしゃむしゃと食べ始めた。
その次の週に、自分は早見優親衛隊の副支部長に昇格した。
もちろんボスの力だ。まったくそんなつもりもお願いもしていないが、そういう人事が決まってしまった。ハチマキの色が赤から黄色になった。
中世のヨーロッパでは胡椒が金銀と同様の価値を持つスパイスとして高値で取引され権力と財力の証とされていたそうだが、S高のカツ弁もOBたちには
同等の価値を持つ品目としてかなりの需要があったのだ。
時はたち、高校を卒業した自分は上京。フリーターとして社会の波にもまれる日々へと突入する。東京での一人暮らしの中で、時々、ああ、あのカツ弁が食べたいな、と思うことが何度かあった。似たような味を求めていろいろなお弁当屋さんを巡ったりもしてみたが、どれもこれも似て非なるものだった。
ああ、だからこそOBたちが求めていたのだ、母校の味、それはすなわち我々全員が共通して体験したおふくろの味ということだったのだ。
その事に気がついてはみたが、もうどうしようもない。
世間に山ほどある、自分の力ではどうしようもない事のひとつとしてこのカツ弁のことは、長い間、胸の中におさめられていた。
それから40年、Xのツイートでこのような写真を見つけた。
二度見いや三度見した。OBがやってくれた。
今までカツ弁への郷愁と憧れについて誰とも想いを共有することができず過ごしてきたが、同じように熱い思いを持っている同輩がいたのだ、と感動した。ツイートによるとわざわざ学校の許可も頂いたらしい。
作っちゃいました、のあとの ♪ マークにグッときた。
この方がいつ頃の卒業生の方なのかは分からないが、とにかくこれは来店して購入するしかない。
着いた。9月の頭とはいえ34℃の気温の中を原付ですっ飛ばして来た。夏のバイクは顔一面にドライヤーで熱風をかけてるようなもので、瞳孔をカピカピに乾燥させながらどうにか到着した。
ちょうどお昼時で店内は混み合っている。つぼやきカレーは過去に別の店で食べたことがあるが、カレー界隈では人気店なのだ。お目当てのカツ弁はテイクアウトのみ、とのことなので注文してからおとなしくお店の外で待つことにした。
待っている間、いろんな事を考えた。
こういうのって思い出補正のバイアスがかかってかなり美味しくないと満足できない感じになりがちだよな、ハードル上げちゃ駄目だよな、と言い聞かせた。
お待たせしましたー!
20分くらい待っただろうか、お店の方から声をかけて頂いた。ありがとうございます、とお礼を言い早速カツ弁とご対面をした。
おお〜!のあとに、お?となった。ご飯黄色いのは⋯サフランライスか!そうか、カレー屋さんだしな、そういうことか!サプライズか!サフランライスって早口で言うとサプライズって聞こえるもんな!
カツは美味しそうだ、うんうん、これは楽しみだ!いいじゃないか、早速帰って頂こう!
S高のOBの方が、カツ弁を再現、販売してくれた。その事にあらためて感謝をしながら両手を合わせ、頂いた。うん、チキンカツは肉汁がたっぷりで美味しい。ご飯の固さもちょうどいい。驚いたのはソースの味だった。かなり高い再現度ではないか!
このチキンカツは当時のカツ弁の肉よりいいお肉なので全く同じ味という訳には行かないが、食べ終わって口の中に残る後味が、まさに当時のカツ弁を食べ終わった後の余韻だった。
しみじみとしながら、40年前の夏に思いを馳せた。
あの頃ハガキを書いて応援していた早見優さんは
これを書いている9月2日の今日が誕生日。59歳になられた。河合奈保子親衛隊の隊長は今どこで何をされているだろうか。もしまだ広島にいるのであればぜひとも井口のキートンさんでこのカツ弁を味わって頂きたい⋯
また食べに行きます。キートンさんありがとうございました。


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