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家裁の問題

そもそも家裁は、関係諸機関と連動し、適切に各種の命令等を発して、家族、ことに弱い立場に置かれやすい者(主として、妻や子)を法的に守る役割を果たすべきものであり、欧米の制度は、基本的にそのように設計されている。しかし、残念ながら、日本の家裁は、現代の家裁として本来果たすべき上のような役割をあまり果たせていない。抜本的な制度改革が求められているのである。

近代法は、どの分野でも人々の自力救済を禁止し、国家が人々に代わってその権利を実現し、これを守るという原則によっている。たとえば、貸金の違法な取立てはできず、判決を得て強制執行の方法によらなければならない。そして、欧米では、戦後、この自力救済禁止の原則が、家族法領域でも徹底してきたといえる。

しかし、日本は、全くそうではなく、国際標準の「現代」が実現できていない。典型的には、DVを受け続けている妻が子(親が受けるDVを見ている子も、みずからへの体罰・暴言同様に、脳にダメージを受ける)を連れて着の身着のまま実家や兄弟姉妹、友人知人の家に逃げる、身を隠すという事態が、現代日本における「自力救済」の典型といえよう。加害者の行動が国家によってチェックされず、被害者のほうが逃げざるをえない。つまり、被害者の人権が国家によって実現されず、被害者がみずからこれを守るほかない。そのような意味で、自力救済的なのである。

これに対し、たとえばフランスでは、裁判官がすみやかに「DV保護命令」を発し、接触禁止、被害者の医療費負担、住居裁定(原則として従来の住まいは被害者側に割り当て、その費用は加害者がもつ)、住居所の秘匿と連絡先を弁護士等とすることの許可、親権行使、面会交流、婚姻費用(生活費)分担等について定める(水野第12回)。極端な違いのあることがおわかりだろうか。

日本では、こうした制度の前提となる社会的インフラも脆弱である。裁判官だけをとってみても、現在の家裁は限られた申立てに受け身で対処しているだけのため、裁判官の執務負担も、たとえば民事事件担当裁判官に比べると軽いが、前記のような機能を果たさせることになれば、とても数が足りない。

対策としては、たとえば、弁護士等の在野法曹を一定期間以上経験した者の中から裁判官を選任する「法曹一元制度」により家族法に興味をもつ弁護士を多数採用する(法曹一元では、こうしたことも可能になる)、あるいは、現在の司法試験とは別建ての家裁裁判官任用試験を作り、法律科目の負担を多少減らす代わりに、家族法、少年法、また関連諸科学系科目も一部受験科目に含めることにして、家裁専門裁判官を多数養成する、といったことが考えられる。逆にいえば、そうした抜本的な改革でもしない限り、日本の家裁の機能不全は解消しにくい。

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政治家の横暴

共同親権に関する改正準備作業については、離婚経験のある男性側が自民党の一部に強く働きかけたのがきっかけで始まった側面がある。そして、2022年8月には、自民党の法務部会が、法制審議会の「中間試案」の取りまとめの段階で、「単独親権制維持と共同親権導入の両論併記とする案はわかりにくい。原則共同親権であるべきだ」などと文句を付け、その結果、法制審議会家族法制部会による中間試案の取りまとめが三か月遅れるという異例の事態となった。

しかし、法制審議会への諮問の結果として出てきた案についてであればともかく、中間試案の取りまとめ段階、つまり未だ審議中の段階で、政治家がその内容を気に入らないとしてくちばしを容れるのは、専門家や世論の代表者等から構成される法制審議会部会の審議の方向性を左右しようという傲慢な態度というほかなく、きわめて異例のことなのである。

さらには、中間試案についてのパブリックコメント(意見公募)のためのサイトに掲載された法務省作成の資料(本来法務省が中立の立場で作成すべきもの)についても、共同親権推進派の自民党議員が作成にかかわっていたことが判明するという、これまた異例の事態が続いた。このような関与も、手続的な公正さを欠き、不適切であろう。

国会議員は、本来、本当の意味における国民の代表者として、公正、誠実、透明に政治家としての責任を果たすべきであるにもかかわらず、こうした行動を平然と行い続けるのは、信じがたく、唖然とするほかない。特に、前者の行為は、まるで、「後進国の出来事」である。法律家、学者として、「自民党の、政治家の劣化は、ここまで進んでしまっているのか?」との危機感をもたざるをえない。なお、この危機感は、私だけのものではなく、法律家、学者たちに一般的なものである。

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