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これ、掘り下げると、中学生にはかなり難しい話になります。 社会科の教員でも答えられる人はごくわずかでしょう。 なので、「瀬戸内海沿岸は船が使えるため、輸送に便利」という、一番理解し易そうな部分のみの記述になるのだと思いますよ。 古典的な工業立地のモデルでは、工場の立地には原料供給地と市場との位置関係(距離)、すなわちその間の原料と製品の輸送コストが大きな意味をもつとされます。 その意味で、瀬戸内海沿岸は、大量・低コスト輸送が可能な船舶輸送に便利で工場が立地しやすい・・・と説明できます。 でも、それだけでは実は高知や山陰側の工業化が遅れたことの説明はつきません。 瀬戸内海側が埋め立てをしやすい、高知県側は良い港を確保しにくい、というのも一面の理由とはなるでしょうけれど、それだけでもない。 工場の立地には、他にも重要な条件がいくつかあって、その一つが労働力の確保です。 工場を建ててもその中で働いてくれる人がいなければ、何も造れません。 その「労働力、人」というのは、基本的には工場の周辺から確保するものです。 つまり、瀬戸内海側はもともと労働力の供給量(人口)規模が大きかったという点。 なお、その「人」も、だれでも良いというわけではありません。 一定水準以上の教育を受けていることや技能・経験を持っていることが期待されます。 それから、既存の産業とも関係します。 工場ができ、雇用の場が生まれたところで、そこでの収入が満足いくものでなければ、労働者は集まりません。 他の産業(第一次産業など)での状況が良ければ、工業へのシフトは起きにくくなります。 その点、とくに愛媛県の場合は、従来からあった鉱山(別子銅山)の衰退が始まり、労働力が余るという現象が起きていました。 そこへ国策(全国総合開発計画に沿った新産業都市「東予」の指定)が加わり、鉱山の余剰労働力を吸収する形で工業化が進みます。 また、1960年代以降に工業化が進むまでの、地元への資本蓄積の差も大きい。 つまり、それ以前に伝統産業や商業などを通じて、工業化に振り向けられるだけのお金が地域に蓄積されていたか(そのような事業家・資本家が多くいたか)という面も重要です。 愛媛側だと、別子銅山の住友や、三島・川之江の製紙業者、今治の桜井漆器の商いなど・・・・ 高知県側も無いわけではないでしょうが、しかし江戸時代から十分な素地があったなら、もしかしたら岩崎弥太郎(三菱)のような外に出て大きな事業で成功する者はあらわれなかったかもしれないですね。
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南四国には「良い港」が無い。 瀬戸内地方には、良い港が沢山ある。 日本で工業地帯になっているところは、北九州、大阪神戸、名古屋、横浜東京などすべて良い港が沢山あるところです。 品物の輸送は「船」が一番。昔も今も。 海上交通が発達する地域は、昔から商業も工業も盛んですね。 「本州四国連絡橋」なんて全く関係ないですよ。 陸上交通での利便性は海上交通の比ではありませんよ。
ID非表示さん
2018/9/17 17:53
太平洋は波が荒く、船で運びにくい。 瀬戸内海の方が波が穏やかで運びやすい。 また、高速道路も時間かかる。 貨物列車輸送は、 JRの土讃線が山(四国山地)を超えるため めんどくさい。 以上の理由で地理的に大変。 さらに、 沿岸の埋立により工業用地が得やすいことも 瀬戸内工業地域の強みだが、 高知では埋め立てがしにくい。 (瀬戸内では、他にも昔の塩田が利用できた。) ここまで書いておきながらいいますが、 社会科の先生に聞いてみるのが 一番的確で分かりやすいですよ。 知恵袋は、 誰に聞いても分からなかった時の最終手段にしましょう。