タタールのくにびき -蝦夷前鉄道趣味日誌-

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2017-09-17 (Sun) 21:02

根室本線音別駅 大塚製薬の貨物と幻の「音陸線」



釧路管内は釧路市音別町(旧・白糠郡音別町)本町1丁目にある、JR北海道・JR貨物の音別(おんべつ)駅。
当駅は2017年9月現在の道内では数少なくなった、旅客と貨物を共に扱う一般駅として機能しています。
所在地である音別町は2005年10月に釧路市と合併しているのですが、間に白糠町があるため市域の繋がらない飛び地となっています。
駅名が示すとおり旧音別町の中心街に位置し、小売店や民宿・旅館、飲食店などが集まるそこそこ便利な立地。
駅前には音別町農業振興公社、大地みらい信用金庫音別支店、音別郵便局が建ち、500m北方には釧路市役所音別町行政センター(旧・音別町役場)があるなど施設が充実しています。
国道38号線(釧路国道)を東に570m進むと、大塚製薬の関連企業である大塚製薬工場・大塚食品の釧路工場があり、隣接して繊維ロープ製造の老舗であるカネヤ製綱の道東工場(同社で唯一、愛知県外に設けている工場)も操業しています。

JR北海道 国鉄 JR貨物 一般駅 有人駅 直営駅 コンテナ貨物
JR北海道 国鉄 JR貨物 貨物列車 大正製薬工場釧路工場 カネヤ製鋼道東工場


音別駅は1903年3月、北海道官設鉄道釧路線音別~白糠間の延伸開業に伴い、一般駅として設置されました。
同年12月には釧路線浦幌~音別間が延伸し、1905年4月を以って国鉄に移管されています。
釧路線は1913年11月に釧路本線、1921年8月に根室本線と改称を重ねました。

めぼしい観光名所が無いせいもあって鉄道ファンにもほとんど知られていませんが、1908~1931年の音別駅では蒸気機関車の給水・給炭を行うため停車時間を長く設定していた事から、駅弁が販売されていました。
音別町役場が合併前に編纂した『音別町史』(2005年)に、伊藤家による駅弁立売営業および待合所の経営について書かれているので、下記に引用しましょう。

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 音別駅での立売り
 明治四十一年音別駅において、伊藤久太郎が駅弁立売営業の許可を受け、弁当、お茶、饅頭を売り出した。音別駅では機関車の給水給炭のための停車時間が長かったことから駅弁等の売行きもよく、特に寿まんじゅうと名付けた饅頭は名物として人気があったということである。
 昭和四年に久太郎が死亡した後は弥八が継続して営業していたが、給水、給炭設備の廃止後は、停車時間が短縮されたこともあり、昭和六年頃に駅での立ち売りは廃業している。立売り当時から待合所と撞球場も経営していたが、撞球場の方は当時そんなに普及していない時代で、列車待ちの客の利用がなかったようであるし、街の愛好家も三、四人位のものであったから、殆ど商売にはならなかったようである。この待合所は昭和九年に廃業している。

出典:『音別町史 上巻』p.819
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待合所とは道内各地の駅前に存在した、列車待ちの客に屋内空間を提供し飲食物を出す業態を指しており、花咲線の厚岸駅前に「氏家待合所」が現存しています。
音別駅の待合所も経営者の名前に因み、「伊藤待合所」とでも名乗っていたのでしょうか。

驚きなのは待合所に併設して撞球場、すなわちビリヤード場を営業していたという事。
同町史には写真が掲載されておらず、一体どのような規模の施設であったのか判然としないのが惜しまれますが、割と大きめの建物だったのかも知れません。
それでも当時の日本でビリヤードに興じる人は少なく、地元でも3~4人くらいしか愛好家がいなかったとあれば、はなっから利益を求めない道楽商売だったのでしょうね。
ところが給水・給炭設備の廃止によって停車時間が縮まると、一旦下車して食事や買い物をするような客もいなくなった事から待合所の経営が傾き、ビリヤード場も閉めざるを得なくなったと・・・。
仮に給水・給炭設備が存続されたとしても、ディーゼル機関車・気動車が普及すれば結局は立ち行かなくなったでしょうね。

しかし「寿まんじゅう」なるものが凄く気になりますね。
何れ期間限定とかで復刻されないだろうかと淡い期待を寄せてしまいますが、当時のレシピも残っていないでしょうし可能性は極めて低いでしょう・・・。

音別駅長 輸送係駅員 営業主任 助役 寝台列車 輸送主任
音別駅長 輸送係駅員 営業主任 助役 夜行列車 釧路貨物駅




駅舎は開業当初の木造平屋をベースに幾度も増改築を施しており、1945年7月には米軍機の空襲により多大な被害を受けました。
現在の姿は白いサイディング張りで、おそらくは1990年代にリフォームを施したものと思われます。

終戦後の1950年頃から、根室本線の沿線地域では鉄道新路線の敷設に向けた動きが活発化し、音別でも池北線沿線の陸別と組んで「音陸線」なる新線の建設を求めていました。
これも前掲の『音別町史』(2005年/音別町史編さん委員会)で解説されていますので、下記に引用しましょう。

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 音陸線新設の陳情
 昭和二十五、六年頃から鉄道新設の気運が台頭した。釧路市は釧路と美幌を結ぶ釧美線、白糠町では白糠と十勝の足寄を結ぶ釧勝線(のちに白糠線となる)、そして音別と十勝の陸別がタイアップして「音陸線」の敷設を請願するなど活発な誘致合戦を展開した。これらは昭和二十八年の暮頃に釧勝線(白糠線)が決定線として取り上げられたことから、音陸線と名付けた音別と陸別とを結ぶ鉄道の構想は夢と消えたのであった。
 いっぽう決定線として昭和三十三年に着工された白糠線は、昭和三十九年に白糠・上茶路間の鉄道が開通し、後、北進駅まで延長されたが、ここまで延長した段階で国鉄合理化問題が論じられる時代となり、当初計画の足寄と結ぶ工事は北進駅で打ち切られてしまった。既成線さえ赤字ローカル線として廃止計画の中に組み込まれ昭和五十八年三月二十八日に全国鉄赤字ローカル線廃止のトップを切って廃止協議が成立し、同年十月二十二日に廃止している。
 このように当時華々しい出発を見た白糠線の運命を考えるとき、当町が企画した音陸線が幸い実現していたとしても、白糠線のように途中で工事が打ち切られた場合には、あるいは白糠線と同じ運命を辿ったかもしれないが、それはそれとしてもまた別な道が開かれていたかもしれない。

出典:『音別町史 上巻』p.821
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音別~陸別間を結ぶとなると、音別川に並行して音別原野を北上し、ウコタキヌプリが聳える白糠丘陵を越えて陸別市街まで線路を敷くつもりだったのでしょうか?
あの界隈は集落と呼べるものが極端に少なく、当時でも大半が無人地帯だったと思うのですがどうだったんでしょうね?
正直な話、白糠線の廃線区間と見比べても、音陸線の計画区間は大変な僻地だと感じる訳で、敷設したとしても白糠線よりも短命に終わっただろうと思えてなりません。





さて、音別駅の話に戻りましょう。
1970年、構内東側に駅前と海光団地を結ぶ跨線橋が完成。
国鉄釧路鉄道管理局が設置したものですが、竣工と共に音別町へ引き渡されています。
1970年12月には根室本線厚内~東釧路間が自動閉塞化され、当駅におけるタブレット閉塞の取扱いが終了しました。







1976年4月、駅前の音別工業団地に大塚製薬工場釧路工場が完成し、操業を開始するとオロナミンCやポカリスエット等の清涼飲料水に加え、各種医薬品の貨物取扱いを音別駅が担うようになりました。
次いで1980年7月に大塚食品工業(現・大塚食品)釧路工場が操業を開始しており、ボンカレー等レトルト食品の貨物取扱いも受け持っているようです。

1984年2月、荷物および車扱貨物の取扱いを廃止し、コンテナ貨物に移行。
1987年4月の分割民営化に伴い、音別駅の業務をJR北海道とJR貨物が継承しています。
国鉄末期に全国各地で多くの一般駅が貨物取扱いを廃止し旅客駅となりましたが、音別駅は大塚製薬グループのお膝元という事もあって民営化後も貨物は快調。
JR発足10年目の1996年には何と、貨物発送量が開業以来最高を記録しました。

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 平成八年度に至って、貨物の荷役が最高を記録した。
 ・貨物発送 五六,五九九トン
 ・同 金額 三七六,四四八千円 である。
 この草案を記録している平成十五年度が貨物発送二九,九八九トンであることを考えても、この記録は特筆すべきと考える。

出典:『音別町史 上巻』p.816
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その一方で2008年8月には夜行の特急まりもが廃止され、当駅に停車する優等列車が消滅。
以来、全ての特急列車が通過するようになっています。







待合室の様子。
さほど広くはありませんが、木製ベンチがズラリと並べられた様子は壮観です。
関脇やストーブの脇には旅行商品のパンフレットが沢山並べられています。


直営駅 社員配置駅 準運転取扱駅


改札口と出札窓口(みどりの窓口)。
自動券売機は設置されておらず、近距離の乗車券でも窓口で購入する事になります。
音別駅の窓口営業時間は1999年4月を以って短縮されており、駅員の勤務も終日ではなくなりましたが、大塚製薬・大塚薬品の製品を輸送する貨物列車の受け入れに対応するため準運転取扱駅に設定されています。
故に今日に至るまで業務委託化されておらず、駅員はJR北海道の社員。
駅長の配下は中堅の営業主任1人(特命により駅輸送も担当)だけとなっており、基本的に駅営業業務(出改札業務)はワンオペとなっていますが訪問当日は2人とも勤務していました。
それに加えて操車を担当するJR貨物の輸送係駅員(輸送係・輸送指導係・輸送主任)が勤務しており、そちらはどうやら釧路貨物駅から派遣されて来るようで配置人数も日によってまちまち。
『音別町史』にも配置人員に関する記述が為されています。

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 尚、音別駅は、平成十一年四月一日より、営業時間が六時四十分より十七時までとなり、駅員数も七名体制から四名体制となり、夜間無人駅となった。さらに平成十五年四月一日からは、営業時間七時より十五時までとなり、駅員数も二名体制となった。
 国鉄がJRとなってからの駅長名は次の通りである。
  昭和六二年一月 佐藤 敏一
  平成一年四月 山崎 由智
  平成三月一二月 田村 英明
  平成五年三月 南部 義明
  平成六年三月 福地 忠夫
  平成一〇年三月 岡島 利忠
  平成十二年三月 小野寺 正悦
  平成一五年三月 老松 貫一
  平成一七年三月 坂本 直也

出典:『音別町史 上巻』p.816
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1999年4月に6:40~17:00、2003年4月に7:00~15:00と段階的に窓口営業時間を短縮した事が分かりますね。
なお、本文中に「二名体制となった」とありますが先述した通り駅長・営業主任で2名なので、これは明らかにJR貨物の輸送係駅員を頭数に入れていないですね。





更に2014年4月には朝の始業時間を繰り下げ、窓口営業時間が8:10~15:00に短縮されています。





営業時間の繰り下げにより、平日朝の通学時間帯に定期券を販売できない事態になってしまい、多くの高校生が不便を強いられているようです。
そのため、音別駅は「継続販売を利用した余裕を持った購入」を提案している状況です。
それにしても定期券に関する貼り紙が個性的ですね。
「定期券の購入はどこでするの?音別駅でしょっ!」とか、「通学生とかけて銀行預金と、ときます どうして? 定期がお得でしょう」とかw
右から2番目のイラストのアスペクト比がドエライ事になっていますが、これは気にしない。





特急停車駅ではなくなったものの、掲示板には「グリーン車に乗ってみませんか?」との貼り紙が。
「グリーン席に座ると何かが起こる」「ラブレターを出した時の様になる」と解いて「カイテ キニナル」というのもこれまた面白いw
こうした掲示物のセンスは駅長さんのものか、それとも営業主任さんのものか・・・。
どうやら“なぞかけ”がお好きなようで。

ところで音別町から最短距離で札幌行きの特急に乗り換えるなら、普通列車で浦幌駅まで移動する事になりますが、そもそも浦幌駅に停まるスーパーおおぞらは1日1往復しかないという・・・。
その反対方向、白糠駅なら全てのスーパーおおぞらが停車しますが割高になってしまいますし、実際の町民がどのように特急を利用しているのか知りたいところ。
釧路方面に行くなら普通列車しか使わないでしょうし。
音別は高速バスのスターライト釧路号も夜行の1往復しか停まりませんし、特急の停車が無くなったのが悔やまれますね。





天井から吊るされているヘリコプターの模型。
スキッドに貼られた交通安全の貼り紙が何ともシュール。





そして神棚のように祀られている狸の置物。
商売繁盛、すなわち乗客増を祈願しているのでしょうか?
音別駅の待合室は小ネタが豊富で飽きませんね。







ホーム側から駅舎を眺めた様子。





駅舎の西隣には宿直室として使われていたものと思しき、トタン板を張った木造の平屋があります。
現在は雪かき等の資材置き場として活用されているようです。







2面2線の相対式ホーム。
駅舎側が1番線、反対側が2番線です。
1番線が本線で上下線とも基本的にこちらの発着。
2番線の発着となる旅客列車は6:39発の2522D(釧路5:42始発・新得行き普通列車)だけで、後は貨物列車が特急を待避する際に使用されています。







相対式とはいっても両ホームが向かう合う距離は短く、かなり千鳥式じみています。
有効長は20m車8両分ほどでしょうか。







両ホームを繋ぐ構内踏切は改札口の手前にあり、警報機と遮断機を備えています。









2番線の外側には2本の側線が設けられており、そのうち1本には広々とした貨物ホームが併設されています。
言わずもがな、ここで大塚製薬・大塚食品の製品がコンテナに積まれ、貨物列車に載せて全国に運ばれるのです。





大塚製薬がらみで音別駅に停車する貨物列車は1日1往復。
9:49着・10:35発の下り2093レ(札幌貨物ターミナル3:37始発・釧路貨物行き)と、14:52着・15:25始発の上り2052レ(釧路貨物14:12始発・札幌貨物ターミナル行き)の2本。
2093レの停車時には貨車の解放が実施され、切り離された貨車は貨物ホームへ。
この貨車にオロナミンCやポカリスエット等の製品を積んだコンテナが載せられ、昼過ぎに停車した2052レに連結されるという訳です。
一連の入換え作業はJR貨物の輸送係駅員が担当しますが、JR北海道の駅長・営業主任も操車担当と無線で連絡しながら連動装置を扱い、駅構内の転轍機や信号機を操作します。





私も2052レの入換え作業を狙って音別駅に足を運んだ訳ですが、当日は工場が稼動していなかったらしく残念ながら見る事は叶わず!
しかし大塚側のトラブル対応(エラー品発生による製品の作り直し?)が生じる可能性を想定しているのか、そんな時でも音別駅にはJR貨物の輸送係駅員がいました。
写真右側、駅舎の手前で制帽を被った営業主任と共に立っている、紺色の半袖シャツを着ている人がJR貨物の輸送係です。





2052レの停車中、向かいの1番線には14:54発の2527D(帯広12:52始発・釧路行き普通列車)が停車したり、・・・







キハ283系の特急スーパーおおぞら5号(札幌11:53始発・釧路行き)が通過。





結局、何事も無かったかのように貨物列車は札幌貨物ターミナルに向けて去っていきました。
この時、既に出札窓口は営業を終了。
3人の駅員達は事務処理を済ませた後、16時に業務を終えて家路に着きました。


※写真は全て2017年8月15日撮影


(文・写真:叡電デナ22@札幌市在住)


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最終更新日 : 2019-07-02

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