【堀口英利氏民亊原告事件ー被告も本人が出頭。法廷にいる「こもる声」】
令和7年9月24日 第一回 損害賠償請求事件
原告 堀口英利
被告 四十代の男性
令和7年ワ略
518 ※部
便乗から始まったであろうデジタルの揶揄が、いかにして法廷という物理的な空間における“肉体のこわばり”に変わったのか。被告席にはSNSへの投稿によって法廷に立つことになった四十代の男性がいた。
東京地裁の518号法廷は20席ほどの傍聴席が並ぶ。11時29分、女性書記官が右側のドアの錠を回した。傍聴人5、6名が、足早に傍聴席を追いかけた。
原告である堀口英利氏は、すでに出廷している。一方、被告となる男性は、まだ傍聴人と法廷を隔てる「バー」の外側、背後にいた。ノートも、ペンも、持っていない。書記官は、法廷の端に立つ男を被告本人と認め、声をかけ、手招きをした。
彼は、その招きに応じ、傍聴席に背を向けたまま、無防備な姿を晒して、出頭に関する書面におぼつかない仕草で署名を始めた。
その瞬間、SNSにいた一人の男性が被告として法廷に引きずり出された。
原告席から、堀口氏の視線がその背中に刺さる。被告席に代理人の姿はない。被告は、ただ一人で被告席にいる。
被告は、柔らかな物腰。しかし白髪の目立つ四十代後半の男性である。清潔に整えられたスーツ姿は、相応の社会的地位をうかがわせた。
だが、折り目正しい外見とは裏腹に、彼の身体は静止をしていない。傍聴席からは見えない表情、その姿が発する緊張は、振動から伝わってくる。
「(原告被告)双方ともに、本人がいらっしゃっている」
三十代後半から四十代前半とおぼしき女性裁判官が、マスクの下に笑みを浮かべてそう言っている。声は、強張りを和らげるように、明瞭である。手続きを滞りなく進める。原告は訴状、被告は答弁書及び第一準備書面をそれぞれ陳述。被告は、ただ頷くだけだ。
裁判官が、原告が提出したばかりの反論書面について「まだ中身を見ていない状況である」と断りを入れる。そして、その穏やかな表情のまま、原告に問いかけた。
「どれくらいの分量ですか?」
原告が手元のPCに視線を落とす。被告は、顔を硬直させ、真っ直ぐに原告へ視線をぶつける。5秒程の出来事である。この法廷で始めて生まれた、敵意の表明であろう。
「9ページです」
原告の声が響く。被告の視線は、陪席と被告席の隙間ー茫漠とした法廷の空間を少しずつ彷徨っている。
被告は「こもる声」で陳述する。あるいは声を出さずに頷くという行為で裁判官の問いかけに応じる。社会的地位があろうはずの人が発する声としては、あまりに不似合い。ぼやけた音である。鋭く、他者を傷つけるために最適化された言葉は失っている。
肉体を通過する音は減衰してしまった残滓のようである。不満があるようで、しかしその不満を述べるチャンスはない。
結果論として述べれば、SNS上の便乗から始まったであろう被告の投稿は、SNSの軽快なステップに便乗し、意気投合した。だが、開示請求によってリズムは狂わされた。ぎこちなく、孤立した不満が被告席に乗っかっている。
そんな想像には関心がないー裁判官は述べた。
「私が言いたいことは、被告が投稿した原告に対する呼称が一般的に原告が述べている事情に想起させるものであるかという点である」 「一般読者が被告が述べた原告に対する呼称を原告が述べるとおり受け止めると、被告がその呼称と同じ投稿をしているが、どの投稿がどんな文脈だったかは知りたいところではある」
裁判官が知りたいのは、被告の内心の「狙い」ではない。陪席が問題にするのは、「投稿が、一般読者という第三者の目にどう映るか」という効果。原告をいわゆる「呼称」で揶揄したとされる被告の投稿は、どの文脈に置かれていたのか。投稿が、社会通念上、原告の名誉をどの程度毀損する「違法性」を帯びるのか。この裁判官は、一点に争点を絞り込もうとしている。
太い黒縁の眼鏡をかけた被告は、裁判官の言葉に声を出さず、頷く。なるべく声を発したくないのだ。「こもる声」は、この法廷が請求する原因と対立の関係にある。
本件の背景には、原告がいわゆるキラキラネームの第三者から誹謗中傷を受け、刑事事件にまで発展した事情がある。被告の投稿は、巨大な渦の力で生まれた、些細な投稿の一つだったろう。だが、くそ暇つぶし程度であったろうー些細な行為は、開示請求を経て、一人の人間を法廷の被告席にまで運び込む。これが法廷である。