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Conversation

川津さんは子供の頃から歌が上手くて移動教室のバスで『哀戦士』を熱唱していた。対称的に夫は剣道に打ち込むことしか出来ない子供だった。その頃、孤独な夫の心を支えていたのは村上もとか先生の『六三四の剣』だった。川津さんは器用で何でもそつなくこなしていたという。夫には剣道しかなかった。