いちばん分かりやすい、トヨタ・ハイブリッド・システム(THS)の謎解き
この文章は、トヨタ・ハイブリッド・システム(THS)について理解したくて、いろんな資料を読んでみたけど、やっぱりよく分からない、という人に向けて書いています。最後には次の図のような理解に向かって進んでいきます。それではスタートです。
はじめに
パワーエレクトロニクス(電力をコントロールする電子回路)を中心に優れた解説動画を投稿しているイチケンさんが、技術者としての私が関わっていたトヨタ・ハイブリッド・システム(THS)についての動画を投稿してくださいました。退職後は田舎に移住して隠居している身ですが、ちょっと心が動きました。
この動画にコメントし、質問に答えるうちに、イチケンさんの説明をもってしても一般の人には理解が難しいのだと分かりました。トヨタの電動車の世界累計販売台数は2022年2月末で2000万台を超えるまでになりました。これほど普及してもなおTHSがユーザーにとって不可解なものであり続けるのは、好ましいことではないだろうと思います。
私は大学で機械工学を学びましたが、卒業研究のため所属した研究室は「機械要素」、つまりリンクや歯車を使った機構の応用を研究する講座でした。そこで遊星歯車とか不思議歯車といった機構のことを見聞きしていました。2000年代の初め、私の会社勤めの後半で、ハイブリッド車の部品開発を担当することになったとき、THSの遊星歯車を見て心がときめきました。さっそくタミヤの遊星ギアボックスセットを買ってきて同じような模型を作ったのを思い出します。でも模型をいくらグルグル回してみても、制御を含めたシステム全体がどうやって動いているのかイメージはつかめませんでした。
私はパワー・コントロール・ユニットの冷却という狭い領域を担当することになりましたが、業務とは別に一人の機械技術者としてシステム全体の働きを理解したくて書物を読みあさっていました。
1997年に初代プリウスとして世に出たTHSは、その中心となる動力分割機構を変えずに守り30年近くが経過しようとしています。それはこの基本コンセプトが優れていたという証でもあります。ハイブリッド自動車技術については既に多くの解説や分析を書籍、論文、ネット上に見つけることができます。ガソリンエンジンの苦手な低速・軽負荷の状況でエンジンを使わずに電気駆動することや、高膨張比のアトキンソンサイクル・エンジン、ポンピング(スロットル)損失の低減、ブレーキエネルギーを回収する回生協調ブレーキなど、ハイブリッド車を構成する個別の技術については読めば何とか理解できます。しかしTHSパワートレインは機械と電気が一体となって構成されたシステムで、その働きをどちらか一方からだけで理解できるものではありません。特に、THSの機構的な説明、動力分割機構とその働きについては、複雑怪奇で摩訶不思議なもの、という諦めを乗り越えた理解を与えてくれる説明が、残念ながらほとんどありません。
これは、トヨタが出している論文や整備士のための新型車解説書を見ても同じで、正統派の技術者なら数式で記述して理解するのでしょうけれど、それを一般人が理解できる形に翻訳することができていないというか、的確なメタファー(比喩)を持っていないからではないかと思うようになりました。THSは魔法のようなトランスミッションなどではなく、もっとキッチリした理解が可能な仕掛けです。私は数式がめっぽう苦手な(珍しい)技術屋でしたので、私なりに到達していた図示的な理解を書き残しておこうと思います。
THSトランスミッションの構成
プリウスの駆動系はこんな感じになっています。トランスミッションの中には遊星歯車を使った動力分割機構と2つのMG(モーター・ジェネレーター)が収められていて、パワー・コントロール・ユニットと高電圧バッテリー(主機バッテリー)に繋がっています。
モーター・ジェネレーターとは、電動機・兼・発電機という意味です。モーターと発電機が実は同じものだということは、1873年のウィーン万博のときに「発見」されていました。要は、押すか押されるかの違いだけです。力と同じ向きに動くのが「押す」、力と反対向きに動くのが「押される」です。電力が注入されるから押し(駆動)、押されれば電力が出てきます(発電)。
「力行」「回生」というのは鉄道技術から移入された言葉です。電車という文脈の中では、架線からの電流がプラスなら力行、マイナスなら回生です。力行は力を出しながら車両が進行することです。回生は捨てられていたはずのエネルギーを回収・活用する、リサイクルするという意味であって、発電や制動そのものを言っているわけではありません。しかし技術者の間でも用語の混乱があって、力行は駆動と同じ、回生は発電と同じ意味で、しばしば使われます。
注目すべきなのは、THSに機械的クラッチが無いことです。マニュアル・トランスミッションでも、多段オートマチック・トランスミッションでも、CVTでも、必ずクラッチが使われていて、様々なモードを「切り替える」ということが行われます。しかし、プリウス用などの基本的なTHSにはこのような切り替えのためのクラッチがありません。(エンジンとトランスミッションの間にマニュアル車のクラッチのようなものがありますが、これはインプット・ダンパーといって、エンジンのトルク変動を吸収するスプリングとトルクリミッターからなっています。エンジンから過剰なトルクが伝わって電気系に無理がかかることを防ぐのが目的です。トルクリミッターはスプリングで永久締結されたクラッチで、滑るのは何か異常が起こったときだけです。)このため摩耗する部分が無く、クラッチの加圧力を発生する油圧ポンプも必要ありません。THSの故障が非常に少ない理由はここにあります。エンジンに付き物のスターターモーターとオルタネータもなく、これらの役割はMGが兼用しています。
この極めてシンプルなメカニズムで、自動車の多様な走行条件の全てにどうやって対応しているのでしょうか? 理解の鍵は遊星歯車にあります。
共線図とは何か?
遊星歯車機構を定量的に理解するために「共線図」が使われます。次の図表は初代プリウスについてのものです。でも、これを見ただけで動作をイメージできる人は少ないでしょう。
実際の歯車と共線図のグラフがなぜ対応するのかを丁寧に説明した図がネット上に見つかりません。なのでここから説明を始めます。共線図が分かっている人は、次の見出しまで読み飛ばしてください。
遊星歯車機構は、中心にあるサンギアと、外周の内歯車であるリングギアが、中間歯車であるピニオン(あるいはプラネットギア)を介して噛み合い、ピニオンを保持しているキャリアもまた同軸上で回転できるようになっています。
従来のオートマチック・トランスミッションには遊星歯車機構が複数組み合わせて使われていますが、THSの動力分割機構はたった1組の遊星歯車機構でできています。THS動力分割機構の歯数は1997年の登場から一貫して変わっておらず、サンギアが30歯、リングギアが78歯です。図はこれに合わせて描いています。ピニオンは単なる仲立ちなので、ここでの理解のために歯数は重要ではありません。作図の都合で24になっていますが、実際は23です。
ピニオンが複数あるのは、トルク(回転力)分担や、動的なバランス(回転中心に重心を一致させて振動を抑える)のためです。多数のピニオンでトルクを分担すると大きな力を扱える特長を活かして、建設機械に使われたりもします。初代プリウスではピニオン4個でしたが4代目プリウスでは3個になっています。多ければ良いというものでもなく、噛み合い箇所が少なければ摩擦もそれだけ少なくなるからです。
動作を理解するためには1個のピニオンだけに着目すれば良いので単純化すると、このようになります。
いま噛み合っている歯のところに目印の白点が打ってあります。
遊星歯車機構の動きで着目するのはピニオンそのものではなく、保持しているキャリアの方です。サンギア、キャリア、リングギアという3つの回転軸のうち、どれかを固定して使うのが普通です。(そうすると2自由度の機構が1自由度になるからです。これは後述。)まずキャリアを固定してみましょう。
サンギアとリングギアがピニオンを介して噛み合っているのが分かります。このとき歯車の周速(歯が進む速度)はどこを取っても同じなので、回転角はリングギアより歯数の少ないサンギアの方が大きくなり、その比率は歯数の逆比になっています。この場合は、サンギアの回転角:リングギアの回転角=78:30 です。そしてキャリアは停止しています。
この角度の比例関係をグラフに表すのが共線図です。横軸に歯数比を取り、縦軸を左回りプラスの角度とすると、S(サンギア)、C(キャリア)、R(リングギア)が常に一直線上に乗ります。キャリアは動かないので高さゼロにあります。
次にサンギアを固定してみます。
キャリアの上に立ってみれば歯車の噛み合いの姿は同じで、基準が移動しただけなのが分かります。これを共線図に表せば次のようになります。サンギアは静止しているので高さゼロにあります。全体が上方向に平行移動されました。
次にリングギアを固定してみます。
キャリアから見た回転方向は逆になりますが、比例関係は同じです。リングギアは静止しているので高さゼロにあります。
いま、リングギアの固定を外して回転を許してみます。軸がどれ一つ固定されていない場合でも、キャリアという基準が移動しているだけで、比例関係は同じです。
サンギアが逆転すれば、リングギアは増速されます。
どの軸も固定されていない遊星歯車機構は、このようにキャリアの動きとサンギアの動きを別々に指定することができます。これは共線図を見れば明らかです。平面内で2点を決めると、その間を結ぶ直線が1つに決まります。このように2点を選べるということを「自由度が2ある」といいます。どれか1軸を固定すると自由度は1に減り、共線図は傾きしか選べなくなって、残る2軸の比例関係が確定します。動力分割機構が分かりにくいのは、どの軸も固定されていない自由度2の機構だから、というのも理由の一つでしょう。
ここまでの説明で、アニメーションは行ったり来たり揺れ動いていますが、実際の機械だと歯車は回転を続けます。回り続ける歯車を考える時、目印が一直線になったタイミングを基準とし、目印が開ききったタイミングを一定時間が経過した後の姿と見るなら、共線図は角速度(つまり回転数 rpm)を表していることになります。ふつう共線図という場合、角度ではなく角速度の関係図です。
イメージをふくらますために別の見方をしてみましょう。角度目盛りの上に遊星歯車を移し替えてみます。下の図の補助線を見て下さい。同じピニオンに噛み合っているので、サンギアが3歯進めば、リングギアは3歯遅れます。同じ3歯でもサンギアとリングギアでは角度が違い、歯数の逆比になっています。すると、もともと長方形だったものが台形に変形され、対角線の交点がピニオンの中心となります。つまり、共線図とは台形補正されたピニオンの姿なのです。
ピニオンは、梃子(てこ)で例えるなら、支点・力点・作用点のどれでもない、梃子そのものです。だから共線図でピニオンを議論しないのです。
共線図と動力分割
共線図によって遊星歯車機構が天秤のような1本の直線に描かれるとき、この天秤は単なる見かけ以上の比喩的な意味を持っていて、トルク(回転力)の配分を天秤の例えで理解できます。
共線図の天秤にぶら下がった錘のように、トルクは腕の長さの逆比で配分されます。回転速度が歯数の逆比だったので、逆の逆で、トルクは歯数に比例します。
ここで、トルクの大きさを幅で表すことにしましょう。
共線図の縦軸は角速度なので、トルクを掛け算した「面積」がパワーを表します。
キャリアを押すトルク(赤の矢印)は、歯数比である30:78によって、サンギアが押すトルク28%(緑の矢印)と、リングギアが押すトルク72%(青の矢印)に配分されます。トルクの大きさを横幅とし、角速度を高さとする長方形の面積(Ps, Pc, Pr)が、各軸のパワー(仕事率)を表します。トルクは変化しませんが、角速度の関係によってパワーの分割比が変化します。
ここまで理解できたら、サンギアにMG1、キャリアにエンジン、リングギアにMG2と出力軸を繋いでみましょう。
これが私のイメージするTHSのシステム図です。エンジンのパワーは遊星歯車によって分割され、リングギアから出力軸に行く機械系の経路と、MG1からPCUとMG2を経由して出力軸に至る電気系の経路に振り分けられますが、そのパワー分割比は速度関係によって決まります。MG1で発電された電力は、基本的にはPCU(パワーコントロールユニット)を素通りしてMG2を駆動し、出力軸にトルクで合成されます。これは「アシスト」ではなくエンジンを動力源とするパワートレインの本流であり、シリーズ・パラレル・ハイブリッドの「シリーズ」の部分です。エネルギーモニター画面が「ガソリンのエネルギーだけで走っている」と表示しているときでも、必ず電気系は働いています。アシストはバッテリーから来るもので、回生ブレーキや、エンジンの力が余っている(出力を絞ると効率が悪化する)状況で余分に発電して貯めておいたエネルギーを、EV走行でも加速アシストでも、後で必要なときに使うのです。エネルギーモニター画面が「電気のエネルギー」というのはこの部分です。
THSのさまざまな動き
共線図がトルクとパワーの流れを伴って動くようすをアニメ化してみました。動力分割機構が何をやっているか、イメージをつかんでいただけたらと思います。R(リングギア)の高さが出力軸の回転数、そして車のスピードを表します。(力の向きを表す矢印は、直感的に省略した描き方をしています。)では、「動く共線図」をご覧ください。
リングギアには出力軸を介して重い車体が繋がっているので回転数は徐々にしか変化しないのに対し、MG1はエンジンの始動停止や変速で目まぐるしく動き回っているのが分かると思います。
エンジンが動いていない時、車の動きを司るのはMG2で、EV走行は前進でも後退でもMG2が出すトルクで行います。MG1は逆転しますが、空転ですから動力は必要ありません。
エンジン始動はMG1とMG2が二人で天秤棒を担ぐような共同作業です。MG1がエンジン始動するとき、リングギアに現れる反動を打ち消すトルクをMG2が追加で発生します。エンジンは0〜1000 rpmの間は不安定なので使えません。この間を素早く通り抜けるのがエンジンの始動停止制御です。これをスムーズに行うことが初代プリウスの開発段階から困難な挑戦だったことは、当時開発に関わった方々が語っています。これを乗り越える決め手となったのが可変バルブタイミングVVT-iによるデコンプ(圧縮解除)でした。2代目、3代目と代を重ねるごとに制御が改良され、全く気付かないほど滑らかな始動停止ができるようになり、多くの技術者のご苦労がうかがえます。
従来のガソリンエンジン車ではスロットル弁を開くからエンジン回転数が上昇するというイメージを持たれると思います。ガソリンエンジンにはスロットルを絞って使うと部分負荷効率が著しく悪化するポンピングロスという特性があります。燃費最適なエンジンの使い方をするには、アクセルペダルの指示にかかわらず基本的にスロットル全開で回します。(スロットルが無いわけではなくて、電子制御されています。)では出力を絞るにはどうするかというと、エンジンの全開トルクでアクセル指令の駆動力と一致するポイントに変速してエンジン回転数を抑え付けるのです。(低燃費CVT車もこのような制御をします。)THSではエンジンがかかった後、その出力制御を司るのはMG1です。スロットル全開のエンジントルクはキャリアにかかり、これが約3:7の比率でサンギアとリングギアに振り分けられます。MG1はエンジントルクの約3割を受けていますが、これよりも発電トルクを大きくするとエンジンが負けて回転数が低下していきます。目標のエンジン回転数に下がったら再びエンジントルクと釣り合う発電トルクに戻してエンジン回転数を維持します。この操作をする間、リングギアに振り分けられるトルクも変動しますが、それが駆動力に影響しないようMG2のトルクを増減して補正します。
機械系の伝達効率は99%と言われています。これに対し電気系は、機械・電気変換1回で約90%で、これを2回通るので伝達効率は約80%になります。アイドリング発電状態から出発して、エンジン回転数一定のまま加速していくと、車速ゼロでは100%のパワーが電気系を通る配分で始まり、だんだんMG1の回転数が下がって電気系が減っていき、やがてMG1が停止し全てのパワーは機械系経由になりますが、ここが「機械点」と呼ばれる最高効率点です。(このときMG2は楽になりますが、MG1は踏ん張って支えています。これは電気系にとってスクワットをするようにキツいことなので、実際にはMG1を完全に停止させず僅かに機械点を外して使います。)機械点を超えるとMG1は逆転を始め再び電気系へのパワー配分が増えていきます。ですから、機械点付近でMG1の回転数が低いほど効率が良いということになります。初代プリウスでは加速するにつれてピッチが下がっていくMG1の音が聞こえましたが、これを「幽霊音」と呼び不快に感じた人もいました。じつはこれが電気式CVTの変速する音であり、だんだん損失が減って効率の良い領域に移行していく音だったのです。
機械点を越えてMG1が逆転する状態は動力循環と呼ばれます。MG1の逆回転によってリングギア、つまり出力軸はオーバードライブされますが、このときのMG1はトルク方向が同じまま回転方向が逆になるので駆動状態にあります。そのエネルギー源はMG2から取ってきます。単にMG1を逆転駆動しただけだと、リングギアから出ていく機械的トルク(直達トルク)がオーバードライブにしては大きすぎて、パワーの収支が合わなくなります。MG2で出力軸から吸収したトルクを電気に変えてMG1を逆転駆動することで、出力軸の回転速度を高めます。すると、高速・低トルクの変速機として辻褄が合うのです。MG2から出た電力がMG1から遊星歯車に戻されるので「動力循環」と呼ばれますが、エネルギー収支的には何ら不思議ではなく、効率的に著しく不利なわけでもありません。(電気系の損失が消費税率みたいなものだとすると、内税と外税で税額が違うような差があります。)動力循環という現象は歯車機構の一種であるバックラッシュエリミネータ(シザーズギア)でも起こっていることです。
後退はEV走行することが基本ですが、バッテリー残量が不足すればエンジンをかけます。するとリングギアが車を前に進める直達トルクを出してしまうので、MG2はこれに逆らってバックするため追加の仕事をしなければなりません。この追加分はどこへ行くかというと、遊星歯車を介してMG1を増速し、発電量を増やします。つまりこれは、MG1からMG2へ向かう電気経路を順方向、遊星歯車による機械経路を逆方向とする動力循環なのです。走行動力より大きなパワーが電気系を流れ、損失の大きい不利な使い方といえますが、この目的はバッテリー充電回復なので仕方ありません。
エンジンブレーキはエンジン始動に似た状態で、燃料を燃やしていないエンジンを強制的に「連れ回し」します。これもMG1とMG2の協調動作で可能になります。初代プリウスではBレンジに入れたとき回生ブレーキを強め、満充電になるとエンジンブレーキに移行していましたが、強め回生はエンジンブレーキほど効きませんでした。特に速度が高いとき、バッテリー受け入れ能力の制約からエンジンブレーキ相当の制動力が出せません。2代目以降ではBレンジで積極的にエンジンブレーキを使うようになりました。
これら全ての挙動をコントロールしているのが、ハイブリッドビークルECUというコンピュータです。アクセルペダルの指令に基づいて駆動力や必要パワーを求め、パワーマネジメントのアルゴリズムがバッテリー残量からEV走行かエンジン走行かを決定し、バッテリーへ充放電する電力を決定し、必要なエンジン出力を決定し、エンジン回転数が決定し、その時点の車速によってMG1の目標回転数が決定します。エンジンの出力トルクはMG1トルクから計算できるので、それに比例するリングギアの直達トルクが求まり、目標駆動力までMG2トルクをどれだけ足せば良いかが決定されます。
もう一つの解釈、無損失半クラッチ
遊星歯車の働きを別の観点から考えてみましょう。まずMGを取り払ってみます。
サンギアに何も負荷が掛かっていないとき、いくらエンジンを回してもサンギアが空転するだけで、出力軸に力は伝わりません。
サンギアにブレーキを掛けて止めると、出力軸にトルクが伝わって回転します。つまり、クラッチを繋いだのと同じことが起きるのです。
ブレーキを緩めるとサンギアは回転を始め、出力軸の回転は下がります。これはクラッチが滑って半クラッチになっているのと同じことで、出力に伝わらなかったパワーは熱として捨てられます。このように、遊星歯車によってブレーキでクラッチの働きができるようになります。
摩擦ブレーキの代わりにMG1を付ければ、発電することがクラッチミートに相当し、半クラッチで滑った分の、熱として失われていたはずのパワーが電気となって出てきます。強いトルクで滑れば滑るほどたくさん発電します。つまり、遊星歯車と発電機を組み合わせると「無損失半クラッチ」が実現できるのです。あるいは、捨てられていたはずのエネルギーを回収するので「回生クラッチ」と呼んでも良いでしょう。
では、複雑な遊星歯車など使わなくても、クラッチを素直に発電機で置き換えれば良くないですか?
このような差動発電機、つまり「丸ごと回る発電機」を考えることはできます。でも発電した電気を取り出すために「スリップリング」という摺動部品が必要になってしまいます。大電流に耐えるスリップリングは大きなものですし、ブラシ摩耗の問題もあります。
遊星歯車は一種の「差動歯車」でもあって、エンジン回転数がどこにあっても、サンギア(MG1)に出てくるのは、クラッチが完全に繋がった速度(機械点)からの「差」に歯数比を掛けたものです。つまり、回転差を静止系に取り出す「機械的スリップリング」のような役割をしているのです。
どちらにしても、これはトップギアしかないMT車が半クラッチで走っているようなもので、半クラッチで速度は落とせますがトルクは増えません。リングギアからの「直達トルク」に加えて、MG1から出てきた電力をMG2でトルクにして出力軸に戻すことで、回転速度が減った分のトルクが増強され、CVTとして完結します。かなり理想的なトルクコンバーターとも言えます。
つまり、THSとは「半クラッチの余剰パワーで発電し、その電力を使ったシリーズ駆動でトルク増幅する」という仕掛けなのです。シリーズ駆動パワーは機械経路と並行して(パラレルに)駆動軸へ加算されるので、シリーズ・パラレル・ハイブリッドと呼ばれるのも納得できます。シリーズとパラレルを使い分けているのではなくて、両者の性質が同時に働いているのです。
THSの速度線図
公開されている情報から、もう少し定量的な理解に近付いてみたいと思います。歯車の歯数やタイヤの大きさなどから、各軸の回転数を計算することができます。共線図の理解をもとに、THSの動作をグラフ化してみました。計算過程は文末に添えておきます。
この図は4代目プリウスの数値をもとに作成しました(エンジン出力特性は同一形式ですが3代目のもの。)横軸に車速、縦軸にエンジン回転数を取ります。MG2の回転数はリダクションギアの減速比によって車速に対応しています。MG1の回転数は斜めの平行線で決まっています。どんなときでも動作点は黄色で示した領域の中にあります。停止状態から発進して高速道路に乗るようなシナリオを考えてみると、たとえばこのようなものになるでしょう。
時速40キロまでEV走行で徐々に加速し、エンジンがかかってさらに60キロまで加速し、ここでアクセルを踏んで合流加速し、100キロちょっとまで加速してアクセルを緩め、巡航に移ります。図中の赤い線が、車速とエンジン回転数、MG1回転数の辿った軌跡を示しています。
エンジンは逆回転できませんから動作領域はプラス側だけです。エンジン回転数ゼロの横軸上がEV走行(キャリア停止)で、車速ゼロの縦軸上がアイドリング(リングギア停止)です。 1000rpm以下の暗い黄色で示した領域を動力として使うことはなく、エンジン始動・停止で通過するだけです。エンジンはスロットル損失をなくして熱効率を最大化するため、基本的にいつもスロットル全開の最大トルクで使うので、エンジン出力は回転数と対応します。MG1回転数ゼロ(サンギア停止)の線上が、電気経路を通る動力がなくなって最高の伝達効率となる「機械点」です。
両MGとも最高回転数は、4代目プリウスでは17,000rpmという驚くほどの高回転です。(初代プリウスの6500rpmから、2代目10,000rpm、3代目13,500rpmと高回転化し、その分だけMGは小型化されてきました。)MG1回転数上限で左上に欠けた領域ができますが、ごく低速や後退走行で60kWなどという大出力は必要ないでしょう。
機械点から下のMG1回転数がマイナスになる領域は、動力循環によるオーバードライブです。
速度線図の動作領域に「モード」の境目は存在せず、全てシームレスに繋がっています。THSは「電気式CVT」と呼ばれますが、技術的にはCVT(連続可変トランスミッション)よりも高機能なIVT(無限可変トランスミッション)です。ベルトCVTは有限幅の変速比しか無いので発進デバイスとしてトルコンが必要になりますが、IVTなら入力(エンジン)が止まっていても、出力(車軸)が止まっていても(バックでさえ)、歯車を噛み合わせたまま、切り替え無しで対応できます。
THSの源流について
機械技術は永遠の繰り返しで、純粋に新しいアイデアなどというものは滅多に無く、昔のアイデアを現代の素材で復活させ、要請に合わせて解決策を提案するのが技術屋の仕事です。なので未来を考えるためには過去を知ること、技術史を知ることが重要です。
1960年代に大気汚染が深刻化したアメリカで、自動車の排ガス浄化を義務付けるマスキー法ができました。一酸化炭素と窒素酸化物を10分の1にするという厳しい規制をクリアするため、世界中の自動車メーカーがさまざまな手段を研究し始めました。その中に電気自動車があり、ハイブリッド車の萌芽がありました。
60年代の技術的流行として、第二次大戦後に一般化したジェットエンジン(ガスタービン)を自動車に応用しようという気運がありました。ガスタービンは燃料を選ばず排ガスがクリーンというふれ込みでした。クライスラー・タービンカーが有名ですが、トヨタでも日産でも研究していました。トヨタはこれをシリーズハイブリッド車として70年代以降に何度か試作しましたが、石油ショックで燃料価格が高騰し、各社とも80年代までにガスタービン開発はほぼストップしました。
動力分割式EMT(電気機械トランスミッション)のアイデアは石油ショック直前の1970年頃にアメリカで発案されていました。自動車部品メーカーTRW社のバーマン、ゲルブ、リチャードソンの3人が、EPA(米国環境保護庁)の予算で排ガス浄化のための技術としてEMTの研究をしていました。台上に組み立てられた装置としての動作はEPAへの報告書『Analysis and advanced design study of an electromechanical transmission(電気機械トランスミッションの解析と先行設計研究)』にまとめられています。また特許が出願され、米国特許US3566717Aとして成立しました。ところが石油ショックの結果として予算が打ち切られたので、この研究はそこでストップしました。
EPA報告書によれば、遊星歯車を動力分割機構として使い、サンギアにはエンジン、キャリアにMG1、リングギアが出力軸で、ここに固定ギア比でMG2が合流していました。(バーマンらの命名ではMG1を「スピーダー」、MG2を「トルカー」と呼びます。私はこの方が物の性質をよく表していると思います。MG1はエンジン速度を調整するのが役目で、MG2は駆動輪トルクを調整することが役目です。)また、MG1をロックする高速巡航モードを持っていました。MG1は三相オルタネータを整流後にサイリスタチョッパ制御し、MG2は直流直巻電動機をサイリスタチョッパ制御で駆動回生双方に対応できるような回路、バッテリーは200Vの鉛蓄電池でした。技術的な制約からMG1を駆動に使うことはできませんでした。発想は時代の遥か先を行っていましたが、パワーエレクトロニクス、バッテリー技術、モーター技術がどれもまだ成熟していませんでした。
時代は移って1990年代に入る頃、カリフォルニア州がゼロエミッション車の販売を義務付けるZEV規制を施行しました。トヨタはこれに対応するため電気自動車のRAV4 EVを開発、販売しました。この頃までに、ニッケル水素電池、IGBTインバータ、希土類永久磁石同期モーターなど、プリウスにつながる要素技術が利用できるようになっていました。その頃トヨタ社内ではG21プロジェクトという、21世紀の世界標準となるべき車を開発するプロジェクトが動き始めました。燃費効率2倍を目標に掲げ、様々なパワートレインをシミュレーションして検討した結果、電気ハイブリッドのTHSが最高の燃費性能を示すことが分かったのです。単純なパラレル式やシリーズ式では欠点が多く、動力分割式が優れていること、さらに遊星歯車を使った動力分割式の中でも、MG1と入出力軸をどの要素に配置し、MG2を入力と出力のどちらに配置するか、組み合わせ論的に可能な12通りを全て比較検討したと聞きます。
ですから、決して真似だったのではなく、技術の必然で同じ結論にたどり着いたのです。むしろ、1969年に出願され88年に期限が切れて失効し公知になっていたバーマン特許の存在は、トヨタにとって安心材料でした。これで他の会社から特許侵害で訴えられる危険が無いことがはっきりしたからです。
遊星歯車を使った動力分割式トランスミッションは、当時すでにグループ内のアイシンAWで開発されていたので、トヨタはこれを引き取る形になりました。それと引き換えに、アイシンAWはTHS類似のシステムを外販することを許されたのです。2004年のフォード・エスケープ・ハイブリッドに採用されたHD-10ハイブリッドトランスミッションはアイシンAW製で、機構的には高速回転の小径モーターを平行軸配置しており、2015年の4代目プリウス・プラグインとほぼ同じであり、10年先を行く優れた設計でした。EV走行時にMG1を駆動にも使えるようエンジン逆転防止クラッチを持ち、高速巡航用にMG1ロックアップクラッチの用意があり(フォード用では痕跡のみ)、配線長を最短化するトランスミッション直載インバータなど、可能な技術は全て盛り込んであるという感じでした。電気系には鉄道用技術で20年以上先行していた東芝と三菱の技術が投入されました。フォード向けの供給はエスケープ・ハイブリッド2代目までで終わりましたが、アイシンAWの北米向け事業拡大の足掛かりとなりました。
いろいろなハイブリッドの方式
じつは動力分割式トランスミッションは電気式以外にも油圧式が以前からありました。エンジンから油圧ポンプと油圧モーターを経由する変速機をHST(ハイドロスタティック・トランスミッション)といい、建機や農機でよく使われています。この変種として動力分割を併用するHMT(ハイドロメカニカル・トランスミッション)があって、航空機の発電ユニット(ジェットエンジンから発電機への一定速度変速機)にも使われています。油圧トランスミッションの研究はトヨタだけでなくホンダもしていましたし、油圧をアキュムレータ(高圧ガスタンク)に蓄圧してパラレル・ハイブリッド車として使うアイデアは、いすゞがバス用に実験していました。(ディーゼルはもともと部分負荷効率が良いので、ハイブリッド化の目的は回生ブレーキと、黒煙を出すような高負荷をアシストすることです。)
トヨタが最初に発売したハイブリッド車は、実はプリウスではなく、コースター・ハイブリッドEVというマイクロバスで、今でいうレンジエクステンダー付きプラグイン・シリーズ式ハイブリッド車でした。シリーズ式には日産e-POWERやホンダe:HEVがあります。シリーズ式にすれば、THSと同じシームレスな動作を遊星歯車など使わずに実現できるのに、なぜわざわざ複雑な動力分割式にするのかといえば、機械式トランスミッションより効率で劣る電気経路の通過動力を減らせるからです。さらに、MGはエンジンパワーの一部を受け持てば良いのでシリーズ式より小さなもので済みます。希土類永久磁石モーターとIGBTインバータ制御を使う現代の技術で電気・機械変換1回の効率は90%程度だと言われているので、この変換を2回通るシリーズハイブリッドの伝達効率は、全域にわたって80%ぐらいになってしまいます。
日産e-POWERのような単純シリーズ式には電気系が邪魔になって高速燃費が悪化する問題があります。一方、かつてのホンダIMAのような単純パラレル式にはエンジンが邪魔になってEV走行できない(市街地燃費の改善効果が薄い)問題があります。これらはそれぞれ「直結できない」「分離できない」という、裏返しの関係にある問題です。したがって単純シリーズ式にはエンジン直結クラッチを、単純パラレル式にはエンジン分離クラッチを付けるのが順当な対策です。
分離クラッチ付パラレル式の例としては日産フーガ・ハイブリッドがありました。EV走行中のエンジン始動をどうするかという問題があって、セルモーターでは耐久性と音の問題があるので、半クラッチの押し掛けでエンジン始動するという方法を取りましたが、クラッチ制御は非常にデリケートだったようです。
ホンダe:HEVは直結クラッチ付シリーズ式です。発電機もモーターもエンジンパワーを全部受け止める大きなもので、THSだったら遊星歯車セットが1つ入るであろう場所に直結用の油圧クラッチがあり、それに伴う油圧ポンプも必要です。
THSは先述したように「回生クラッチ」を持っているので、エンジン直結動作(機械点)も、エンジン切り離し動作(MG1発電トルクなし)も、両方とも可能です。
THSよりもっと複雑な動力分割式も存在します。2つのMGと2組の遊星歯車を用いる複合分割ハイブリッドは日立でも研究されていました。アリソン・トランスミッションが開発し、GMとダイムラー・クライスラー(当時)が2007年に発売した「2モード・ハイブリッド」は、2つのMGと3組の遊星歯車を使い、2つの電気式CVTモードと4速の固定段をクラッチで切り替えて、幅広い変速比の範囲で効率を高める設計でした。大型ピックアップトラックによるトレーラー牽引のような高負荷でも対応できるのが売りでしたが、商業的には成功しませんでした。
最後に
私がハイブリッド技術開発の仕事を始めた頃、THSの極めてシンプルなメカニズムの説明を受け、これを量産すれば既存ガソリン車よりも安くて低燃費な車が実現できるに違いないと言われたものです。でもやはり電気系には多大なコストが掛かります。これだけ普及した後も、節約できるガソリン代がハイブリッドの追加コストを上回るのは15万キロ以上も走行した後です。CO2排出という目で見ても、車両製造を含めたトータルの排出量は、かかったコストに概ね比例しているということが経験的に知られています。しかし、燃費が良いならもっと大きい車に買い換えようとか、もっと遠くまで出かけようという、ジェボンズのパラドックスによって、結局エコなんだかどうなんだか分からなくなってしまいます。ハイブリッド車は技術的なパズルとしては非常に面白いものではありましたが、エコカー技術のSDGsが「持続」しようとしているのは現状の自動車社会だということに思い至ると、テクノロジーは環境問題に対して無力であり、技術者は謙虚であらねばならないと思います。今後の産業を担っていく若い人たちの参考になればと思います。
参考文献
なぜトヨタのハイブリッド車は燃費が良いのか?プリウスの心臓部 "遊星歯車機構"が支える低燃費技術を解説します!(イチケン)
トヨタ、電動車の世界累計販売台数 2022年2月末で2000万台突破(日刊自動車新聞電子版)
トヨタハイブリッドシステムの開発(安部眞一ほか、TOYOTA Technical Review Vol 47, No.2 Nov. 1997)
トヨタにおけるハイブリッド車開発の歴史(佐々木正一、TOYOTA Technical Review Vol 54, No.1 Aug. 2005)
歴代プリウスの電気システム(3)(名古屋大学パワーエレクトロニクス研究室)
2016 - 2022 Prius, Prius Prime Transaxle - P610 Deep Dive (P710, P810 Similar)(Weber State University)
トヨタプリウスに搭載された新開発1.8Lエンジン(MOTOWN21)
プリウス開発秘話(八重樫武久)
ハイブリッドカーの時代(碇義郎、光人社、1999年)
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