「イスラエル建国の父」のヨセフ・トランペルドールをご存じだろうか。
帝政ロシア出身のユダヤ人で、日露戦争の旅順攻囲戦では左腕を失いながらも右手の刀とピストルで日本軍と戦い、隻腕の英雄として勇名をはせた。だが敗戦で捕虜となり、大阪の収容所で過ごすことになった。
トランペルドールにとって収容所暮らしは大きな転機だったのだろう。予想外に「自由」が認められ、収容所に学校や図書館などを作ることに奔走した。明治天皇に拝謁し、義手を賜る栄誉も受けた。ロシアではユダヤ人だからと差別を受けていた。日本で受けた厚遇は、さぞ彼我の差を感じさせたに違いない。
日本という小さな国が大国ロシアに勝てたのはなぜか。トランペルドールが考えたのは日本人の精神世界だったという。勤勉で規律を重んじる国民性、さらには愛国心や尚武の心、公に尽くす精神などである。
トランペルドールはその後、パレスチナに渡ってユダヤ人民兵組織の結成に力を尽くした。それがイスラエル建国の原動力になったとされる。
志半ばにトランペルドールはレバノン国境近くでアラブ武装集団の銃弾に倒れた。最期に言い残した「国のために死ぬほどの名誉はない」との言葉は、かつて日本兵から学んだものだったと伝わる。遺品には「新生ユダヤ国家は日本的な国家とすべきだ」との趣旨の書き込みもあったという。
古来の武士道精神や明治人の気骨、魂がユダヤに伝わり、イスラエル建国につながったことは両国で語り継ぐべき大切な歴史だ。
ユダヤ研究の碩学(せきがく)、明治学院大学の丸山直起名誉教授によると、トランペルドールと日本精神について日本に最初に伝えたのは、イスラエルにおける日本研究の開祖とされる重鎮、ヘブライ大学のメロン・メッツィーニ名誉教授である。
6月17日付当欄で紹介したメッツィーニ教授に聞くと、1972年に京都の学会で、トランペルドールが捕虜として日本に滞在したことを論文で発表したそうだ。会場では、ヘブライ語が堪能でユダヤの歴史に詳しい三笠宮寬仁親王ともお会いしたと述懐していた。
そのメッツィーニ教授らを招いた国際シンポジウムを11月に開催する方向で、東京財団が準備を進めている。テーマは「日本とユダヤ人」だ。江戸末期に始まった日本人とユダヤ人の交流史を振り返り、1948年のイスラエル建国から現在へとつながる両国の関係を考察する。
核心となるのは、欧州でホロコーストの嵐が吹き荒れた時代の日本とユダヤの関係だ。日本は、ユダヤ人を迫害した同盟国ナチス・ドイツの要請に反し、ユダヤ人を公平かつ人道的に扱った。その結果、4万人のユダヤ人が生き延びた。
メッツィーニ教授はリトアニアでユダヤ人に「命のビザ」を発給した杉原千畝カウナス副領事や、満州のユダヤ人社会を支えた樋口季一郎中将らを例に、日本人が人道的だったことをイスラエルに向けて発信している。その点で多くのユダヤ人が日本を評価していることを知っておきたい。
戦後80年である。いつまでも自虐史観にとらわれて反省や謝罪を繰り返すのではなく、世界から称賛され胸を張れる史実があったことを、日本の誇りとして子供たちに伝えたい。(客員論説委員)