約700人が行列 数々の伝説を生んだ“野音” 建て替え前のクロージングイベント開催
“ロックの聖地”野音に約700人行列
“ロックの聖地”として親しまれてきた日比谷公園大音楽堂、通称『野音』。10月から建て替え工事のため休館することが決定しており、現在の姿を記憶してもらおうと、23日にイベントが開催されました。訪れた多くの音楽ファンが『野音』との思い出を語りました。
この日行われたのは、館内を開放し、一般の人が自由に見学することができる『日比谷野音 The Final 日比谷野音オープンデー』。イベント開始前の午前10時頃には、約700人が行列を作りました。(主催者発表)
会場内は、ステージの上や楽屋など、普段入ることができない場所に、南こうせつさんをはじめ、これまで野音でライブを行ってきたアーティストの写真や衣装、楽器が展示され、訪れた音楽ファンが休館前の野音との思い出を作りました。
野音は1923年に、日本初の本格的な野外音楽堂として開設され、太平洋戦争中は一時休館していましたが、戦後の1954年に2代目として再開。1983年に現在の建物である3代目音楽堂が完成しました。
京都から母親と来たという20代の来場者は「私初めて見たんですけど。(母の)テンションが上がってるのも横で見られて、来てよかったなと思います」とコメント。さらに、50代の来場者は「ライブで10回くらい来ているんですけど。(ステージに)立ってみたいと、思ってましたけどいいですね」と、普段は立つことができないステージに立てたことを喜んでいました。
日比谷公園大音楽堂の館長を務める菊本誠二さんに話を聞くと「(有名なのは)矢沢永吉さん率いるCAROLの解散コンサート(1975年)でステージが炎上したとか、あとはキャンディーズがここで解散宣言(1977年)をしたとか。語り継がれる伝説ですね」と、今も語り継がれる“ロックの聖地”の思い出を語りました。
音楽ファンの記憶に残る思い出を生み出してきた“ロックの聖地”。新しい野音は、2029年度に完成する予定だということです。
この日行われたのは、館内を開放し、一般の人が自由に見学することができる『日比谷野音 The Final 日比谷野音オープンデー』。イベント開始前の午前10時頃には、約700人が行列を作りました。(主催者発表)
会場内は、ステージの上や楽屋など、普段入ることができない場所に、南こうせつさんをはじめ、これまで野音でライブを行ってきたアーティストの写真や衣装、楽器が展示され、訪れた音楽ファンが休館前の野音との思い出を作りました。
野音は1923年に、日本初の本格的な野外音楽堂として開設され、太平洋戦争中は一時休館していましたが、戦後の1954年に2代目として再開。1983年に現在の建物である3代目音楽堂が完成しました。
京都から母親と来たという20代の来場者は「私初めて見たんですけど。(母の)テンションが上がってるのも横で見られて、来てよかったなと思います」とコメント。さらに、50代の来場者は「ライブで10回くらい来ているんですけど。(ステージに)立ってみたいと、思ってましたけどいいですね」と、普段は立つことができないステージに立てたことを喜んでいました。
日比谷公園大音楽堂の館長を務める菊本誠二さんに話を聞くと「(有名なのは)矢沢永吉さん率いるCAROLの解散コンサート(1975年)でステージが炎上したとか、あとはキャンディーズがここで解散宣言(1977年)をしたとか。語り継がれる伝説ですね」と、今も語り継がれる“ロックの聖地”の思い出を語りました。
音楽ファンの記憶に残る思い出を生み出してきた“ロックの聖地”。新しい野音は、2029年度に完成する予定だということです。
(9月23日放送『news every.』より)
最終更新日:2025年9月23日 22:05