(ミュンヘン大学のエルンスト・ペッペル教授)


今日のブログのテーマは「いま聴いている音楽の現在は何秒か?」と言う哲学的な問いに対して、神経学者のペッペル教授による「意識のなかの時間 」 ドイツ語版を直訳すると「意識の限界」)と言う書籍で心理学・脳科学のアプローチで解説しています。今日のブログは同書のエッセンスを中心に、現在起こっていることは何秒なのかについて、簡潔に紐解いていきたいと思います。


言語には過去形・現在形・未来形と大まかに3つの時制がありますが(インドネシア語などの一部の言語は現在形のみ)、例えば、過去と現在の境目はとても曖昧で、定義が難しいです。「ロケットが5秒前に無事打ち上げられた」は、5秒前のことでも過去形です。同じく「ロケットは3秒後に打ち上げ予定です」は未来形になりますが、過去・現在・未来の定義付けや境界を設定するのは容易ではありません。我々がコンサートやCDの音楽の演奏がスタートし、今聴いている瞬間の音楽の「現在」は何秒なのかと言う議論について、パッパル教授は様々な実証分析(カラヤンとベルリン・フィルとの共同研究を含む)を行い、人間の意識の時間的な限界(=主観的現在)は「3秒」と結論づけています。


(パッペル教授のインタビューより)


パッペル教授によると、「人間の脳が処理できる限界=人間が認知できる主観的現在の時間的限界」が「3秒」と言うのです(この秒数は個人差はあります)。例えば、有名なベートーヴェンの「運命」の動機やワーグナーのトリスタンのモチーフは3秒が1つの時間的単位となり、この動機やモチーフが繰り返されたり、転調したりすることで、人間の意識の中に入ってきて、美しい音楽全体を理解することができるのです。確かに、クラシックの有名曲のモチーフは3秒程度の単位になっていて、現代音楽のように弦楽が15秒間ほどの同じトーンで演奏されると、人間の意識の中に入りにくいと言うことになります(ちなみに、フェルマータ部分は延長してるだけなので、3秒ルールの適用外のようです)。この結論にはかなり説得力があり、様々な示唆があります。パッペル教授は音楽だけでなく、優れた詩を読む時も3秒単位で読める物になっていると言っています。


この3秒ルールは人間の発話(会話やスピーチ)にも当てはまり、人々の心を掴むスピーチや演説は3秒単位ものが基礎的リズムとして統合して脳が処理するメカニズムになっているとのことです。パッペル教授は日本でも研究し、日本語が分からないのに、「能」を鑑賞しましたが、能の太鼓はおおよそ3秒おきに太鼓が叩かれて、これも3秒ルールが適用されるとしています。筆者の考察ですと、お笑いのコントなども3秒単位でテンポ良く構成されているかもしれません。人間に入ってくる情報の単位は3秒が1つの単位として処理され、それ以上の長さの情報は脳が処理できずに飽きてしまうことがあるようです。これは、我々が人と話す時にも3秒刻みのリズムで話すことが重要であることを意味します。アーティストはこの3秒ルールを自然と利用している方もいるでしょうし、このルールを踏まえて作曲・演奏すると、少なくとも退屈にはならないでしょう。パッペル教授は「どの人間にも同じ時間的感覚が備わっていて、アーティストもその法則に従わざるを得ない」とインタビューで語っていました。


一方で、どもりながら話す方の話が聞きづらいのは、3秒ルールから離脱しているからとしています。人の話や音楽で退屈するのは、3秒ルールを無視して、時間的な充実がないために、「時間」自体を考えてしまうことによって生まれるのです。子供が飽きっぽいのは、時間的な限界が大人より短いからと解釈されます。楽しい旅行があっと言う間に終わるのは、充実した経験をしているので、「時間」自体を意識しないからとしています。この研究のパッペル教授の本はとても興味深いので、もし宜しければ、「意識の中の時間」をご一読されると良いと思います。時間がない方は、第7章だけ読めば、今回の内容は十分理解できます。本日もお読み頂きありがとうございました。

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