候補重なる直木賞と本屋大賞、その違いは 北方謙三さんが語る面白さ

聞き手・野波健祐

北方謙三、直木賞を語る(下)

 直木賞選考委員の退任を発表した作家の北方謙三さん。23年46回に及んだ選考の思い出を振り返るインタビューの後半は、直木賞と本屋大賞の違いなどについて、語ってもらいました。

 きたかた・けんぞう 1947年、佐賀・唐津生まれ。中央大卒。81年の単行本デビュー作「弔鐘はるかなり」でハードボイルド小説の旗手に。歴史小説「破軍の星」で柴田錬三郎賞など文学賞多数。17年にわたって書き続けた大河小説「大水滸伝」シリーズ(全51巻+読本)の累計発行部数は1千万部を超えている。「小説すばる」誌に「チンギス紀」を連載中。

選考会の空気の変化

――東山彰良さんの「流」が満票で受賞したとき(第153回)、受賞決定の記者会見の選評で「20年に1回という素晴らしい作品」とベタぼめでした。

 いい青春小説の受賞作がずっと出ていなかったんですね。そこにあの作品がきた。台湾の歴史をつづりながら、現地の空気というか独特のにおいがきちんと書けていて、それでいて立派な青春小説になっている。

 「20年に1回」というのは、小説全般ではなくて、青春小説としての評価です。「30年に1回」と言うと、私の青春小説が入ってきますからね(笑)。だから20年。

――なかなか受賞できなかったといえば、馳星周さんが7回目の候補にして受賞に至る経過をご覧になられてきたわけですよね(第163回、「少年と犬」で受賞)。デビュー前からご存じの弟分のような存在ですね。

 馳さんが書いてきたノワールっていうのは、なかなか受け入れられないんですよ。首がバンバン飛ぶような犯罪小説ですから。彼はミステリーを書くつもりがないから、なにか重大事件を起こすわけでもなく、小さい事件の端々でリアリティーを出してしまうところがあって、候補に挙がってくるんだけど、3番手くらいにとどまるんですね。私はずっと推していて、決選投票まではなんとかもっていっても、決選投票は○×ですから、結局私の一つしか○がつかなかったりして。五木寛之さんから「きみほど、孤立無援が似合う人はいないよね」と言われて。「いえ先生、それは孤軍奮闘ですよね」と返したら、「いや、孤立無援だな」と。

 それで6回落ちて、しばらく候補にならなくて、「少年と犬」が出たんです。これは受賞だろうと思った。馳さんは「犬を使ってごめんなさい、ずるかったです」とか言ってるけど、よく読むと、あの連作短編を成り立たせている多聞という野良犬は、実は犬じゃなくて、人間の思いを凝らした象徴みたいな存在なんです。意図的な形態を持った作品に仕上がっていて、そこに犬というものが介在したからって、ずるいなんてことはない。文学としていい作品だと思いましたね。

――馳さんが犯罪とは異なる成熟した作品で受賞された一方、少し後には佐藤究さんの「テスカトリポカ」が受賞しています(第165回)。犯罪小説でありますし、残酷な描写も多い。かなりの支持を受けて受賞したということは、直木賞の選考会も変わりつつあるのでしょうか。

 変わってきているかもしれませんね。あの作品については賛否両論だったんです。私はどちらかといえば「賛」のほうだったんですよ。だけどね、「否」の部分も明確にあって、子供を犯罪に巻き込む場面ですね。あそこは全く納得できなかった。ここまで小説で表現する必然性がどこにあるんだという議論はしました。そうしたらね、ある選考委員は「男って弱いのね。私は平気よ」って。確かに、犬と子供は使うと「ずるい」って言われるんですよ。いわゆる「無垢(むく)なるもの」を使っているわけですからね。

直木賞と本屋大賞の違いは

――直木賞への対抗軸として生まれた本屋大賞が今年20年を迎えます。北方さんの選考期間とほぼ重なっていますね。

 本屋大賞は、作家が選んでないなという感じがします。選ばれた本は面白いし、小説を面白さで選ぶ点に賞の価値がある。ただ、文学的に深いところに手が届いていない作品が多い気がします。たとえば、昨年の本屋大賞「同志少女よ、敵を撃て」(逢坂冬馬さん)は直木賞候補にもなっていた。

 あの作品は、前半でスナイパーの非情ともいえるリアリティーを描いていたのが、最後に情緒的なリアリズムに後退している部分があった。その分だけ、深いところに手が届いていない。あのスナイパーの非情なリアリティーを全編に貫くと、本当の戦争の真実のようなものが出てきたのではないかというのが、選考会の見解です。でも小説としては面白い。面白いものを選ぶ本屋大賞としては納得の受賞です。

――北方さんにとって最後の選考会で、落選した凪良ゆうさんと一穂ミチさんの作品は今年の本屋大賞の候補になっています。いつのころからか、候補作の重なりが目立つようになっている気がします。

 何を候補にするのか、選考委員にはどうしようもないことですが、候補が重なる傾向は増しているかもしれません。直木賞に落ちた作品が本屋大賞になったとき、どこかの本屋で、書店員さんが私に言ったんです。「直木賞をとれなくても、私はいいんです。どんな瑕疵(かし)があっても、ただ面白ければいいんです」。小説の読み方は人それぞれですから、全く問題ありません。ただ、直木賞は文学として、どれだけ深いかを考えるところがあって、そうするとどこか一般性を欠くんです。

 例えば、今回受賞した千早茜さんの「しろがねの葉」、あれは本屋大賞にならないと思うんですよ。あの作品は選考会で、石見銀山という狭い場所の話だというネガティブな評価もありました。ただ、銀山の間歩(坑道)のなかには無限の闇があり、無限の怖さがあり、そこに無限の広さがある。主人公の少女が銀山を出て他に行かなきゃいけないとか何とかいっても、せいぜい日本全国だし、どんなに広がっても地球じゃないですか。でも、あの間歩の中の闇には無限の広さがある。そういうことを書くのが文学だと思うんです。

 それを千早さんは深いところに手を入れて書いた。そういう視点を忘れたらいけないのが直木賞なんです。落選作には、どこか深いところに手が届いていないという評価がされることが多いですね。

 23年間を振り返ってみると、おしなべて面白かったです。つらかったけど、面白かったし、刺激的だった。何かのときにね、黒岩(重吾)さんが推している作品と私が推しているのが全く対立しちゃったんです。なんとか説得しようとして、でかい声でわーっと話しながら、「黒岩さん、こっちみて聞いて下さい」と言ったら、おもむろに補聴器はずしてボンと置いたんです。これは役者が違うなと。やっぱり自分の小説観がある作家たちが全力で真面目にぶつかりあうわけですから。面白いですよ。

――もう何回かやりたくなってきませんか。

 ぜんぜん。あるとき選考会に早く着いたら、それより前に五木さんがいらしていて、急須があったから、お茶を入れて、どうぞと差し出したら、「君もそこそこ大家なんだから、そんなことはしなくてもいい」と。それ以来、「そこそこ大家」を自称してます。大家になったらおしまいですからね。

 こういう社会的な波及性のある賞から解放されて、小説だけを書くことを選びます。あと、これでやっと楽しみの読書ができますよ。1年に20冊、楽しみの読書をしてきたのが30冊に増えるわけですからね。

――2017年に連載が始まった「チンギス紀」も大団円が近づいています。

 「チンギス紀」は今月発売の「小説すばる」4月号で終わります。単行本の最終17巻が7月ごろに出ます。いまは長編でゆるんだ文体を引き締めるべく、「オール読物」で1編15枚の短編を連載していて、これもそのうち短編集になります。

――次作への準備は着々ですね。また中国ものですか?

 だから企業秘密ですって。歴史ものの大長編であるのは間違いない。それ以上は、いわぬが花です。

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