東野圭吾さんの直木賞「大問題だった」 北方謙三さんが明かす舞台裏
北方謙三、直木賞を語る(上)
作家の北方謙三さんが直木賞の選考委員を退任しました。第123回(2000年上半期)から今年1月の第168回まで、23年46回に及んだ選考のなかから、印象に残った受賞作や、名だたる選考委員たちとの思い出などを、2時間にわたって語ってもらいました。
きたかた・けんぞう 1947年、佐賀・唐津生まれ。中央大卒。81年の単行本デビュー作「弔鐘はるかなり」でハードボイルド小説の旗手に。歴史小説「破軍の星」で柴田錬三郎賞など文学賞多数。17年にわたって書き続けた大河小説「大水滸伝」シリーズ(全51巻+読本)の累計発行部数は1千万部を超えている。「小説すばる」誌に「チンギス紀」を連載中。
退任の理由は
――選考委員おつかれさまでした。ずいぶん突然の発表だった印象です。
退任を発表してから、いろんな人から「どこか悪いんですか?」と聞かれまして。ぜんぜん悪くないです。4年前に膀胱(ぼうこう)がんが見つかりましたが、内視鏡で取って、転移もなくて、健康面は問題ありません。たばこも、その時にすっぱりやめました。
――ではなぜ、このタイミングだったのでしょう。
10年くらい前から直木賞の選考委員であることに違和感を抱いていまして。私、一番多いときには14の文学賞の選考をしてました。いまも吉川英治文学賞と二つの新人賞をやってます。他の賞はね、人に言ってもどうってことないですよ。「ああ、そうですか」みたいなもので。ところが直木賞と言うと「ほう、そうですか」と反応が違う。賞そのものに社会的な波及性があるんです。みんな注目しているし、直木賞で食べていける作家がいっぱいいる。ただ選考委員はね、選考しているだけでチョコッと社会的な権威をくっつけられるんです。ことあるごとにプロフィルに書かれたり。
作家は社会的権威と相反するところにいなければという思いと、でも社会的な賞は誰かがきちんと選ばなきゃいけないといった思いがずっと交錯してました。で、75歳になったんでもういいかなと思って。あえていえば、私の年齢のタイミングですよ。
――後期高齢者になったからということですか。
保険証を見ると「後期高齢者なんとかかんとか」って書いてありますからね(笑)。
――それこそ嫌なんじゃないですか。
しかたないですよ、昭和22年生まれは全員そうだもん。直木賞選考委員の場合は、書かれることで社会的な権威があると思われるから重荷だったですね。それと、後期高齢者になりましたけど、これから5、6年かかるような長編をもう1本書きたいんです。
――退任コメントにあった長編の話ですよね。きょうはその話をうかがいに……。
いや、その話はしません。
――えーっ!
しませんよ。企業秘密だもん。要は5、6年かけて書くんです。まだ1枚も書いてないし、いざ書くときに書けなくなるかもしれません。年をとりすぎたとか、いろんな事情で。そのときに直木賞選考委員という肩書だけが残っているのは嫌ですよ。小説も書いてないのに。書けなくなった作家はひっそり消えていくものでしょう。
――次世代の才能を選ぶことに飽いたわけではないんですね。
飽いたというよりね、新しい才能と向き合うことがつらくなってきた。毎年毎年、新しい才能から10発くらいパンチをくらうわけです。23年間打たれ続けて、パンチドランカーになったかもしれない。作家として負けるとは思わなかったけれど、やっぱり新しい才能ってあるんだなぁ、いいなぁ、認めなきゃいけないなぁ、そんな思いがどんどん迫ってくる。かなりつらかったんですよ。
なぜかというと、いいなと思う部分はね、全部自分が失ってるんですよ。みずみずしさとか、愚直さとかですね。そういう才能に出くわしたとき、「このみずみずしさはないけど、俺はうまさで勝負するんだ」と思うようになってしまった。自覚することで自分を少しでも研ぎ澄まそうとしてはいましたけれども。
――選考を務められている新人の公募賞(小説すばる新人賞、角川春樹小説賞)とは全く違いますか。
公募の新人賞は、完成した作品は欲しくないんです。むしろ可能性をいっぱい示してほしい。可能性を探るのは楽しいから、そんなに圧迫してはこない。直木賞の候補は気鋭の作家だし、たまにベテランまで入ってきちゃう。一発一発のパンチ力が違います。
――これからプロになる人と、プロとして書いている人とは違うんですね。
全く違う。しかも、プロになって何冊も書いてる人はいっぱいいるけど、そこから選ばれた候補ですからね。
印象に残った候補作
――印象に残った受賞作や選考会についてお聞かせください。
選考会で、ものすごく説得力を持つ言葉がときどき出てきて、みんながワーッと引きずられちゃうときがあるんですよ。いまでも忘れられないのが、山本一力さんの「あかね空」と唯川恵さん「肩ごしの恋人」が受賞した回(第126回)。
私は乙川優三郎さんの時代小説「かずら野」に○をつけていたんですけれど、平岩弓枝さんが「あかね空」をほめるんです。主婦が洗濯ものにほこりがついてパタパタパタパタはたく場面が出てくる。はたいた後に、こっちにもついているとパタパタパタパタ、それだけなんです。でも、そのときに物語の史実では浅間山が爆発している。そんなことは一文字も書かないで、ほこりをたたいているだけ。で、平岩さんが言うわけです。「でも、それが小説の中に歴史を取り込むことですよ」と。要はふだんよりほこりが多いということなんです。そしたらみんな「わー、そうなんだー」となってね。それで同じ時代小説の「かずら野」は落ちちゃった。
最近、読み返したんですが、やっぱりいいんです。あのときに○をつけたのは間違いじゃなかった。なぜ変えたんだろうと思うにつけ、平岩マジックにやられたわけです。やはり、選考委員のみなさんはひとかどの人たちですよ。
――初回(第123回)は緊張しましたか。
選考委員は「コの字」に座るんですが、いわゆるお誕生日席にあたる中央に黒岩重吾さん、両隣が井上ひさしさんと五木寛之さん、そのそれぞれ隣が渡辺淳一さんと平岩弓枝さんで、私はもちろん末席です。緊張は全くしませんでしたが、座るとご飯が出てきた。食べてから選考するんだろうなと思ってたら、食事中に始まって。そうか、食いながらやるのかとびっくりしました。
コロナ禍になってからは弁当が出て、持ち帰るようになりまして、食べながらというのはなくなりました。やっぱりね、食事とは別に選考する方が正しいと思います。大昔の大先生で、ゆっくりゆっくり召し上がっていた方がいたそうで、何を聞かれても「みなさんのおっしゃるとおり」とおっしゃって、悠然と食べていたそうですからね。それでいいと言われてたそうです。よくないですよね(苦笑)。
ほかにも最初のころに、私がものすごく怒ったことがありました。ある先生が、「これだけは×だ」という。理由は「読んでないから」と。「こんなぶ厚い本読んでない」と。「ちょっと待ってください」と怒鳴りましたよ。「読んでないのはしょうがない。でも×はだめでしょ、棄権してくださいよ」と。×だって点数に入るんですからね、マイナス点が。すごい目でにらまれましたけど、その場は棄権してくれて。それ以降、読んでこない人はいないですね。
――最後の選考会(第168回)の受賞作、小川哲さんの「地図と拳」もかなり分厚かったですね。ああした作品って、最初に読むのでしょうか、それとも最後に?
たいてい、偶然に積み上げたものを順番に読みますね。最初はね、「今回は厚いのが来たなー」と思うわけです。でもね、厚いのは面白いんです。文学的に面白いかどうかはわからない。でも厚い本は、その分量をひっぱるだけのストーリーの面白さがある。
私はね、候補作の版元も見ないし、候補者の略歴も見ないし、いっさいメモもとらない。選考会では、本を持って、本から伝わってくるものを語る。それが本当の自分の感想だと思うんです。これはね、みんなびっくりしてて、なんでメモとらないんだと言われましたけどね。「ちょっとものぐさで、メモとれないんだ」と言ってます。ちょっとした自負ですね。
――略歴を読まないのはわかりますが、複数回、候補に挙がってくる方がいます。ときどき、前の候補作のほうが良かったといった選評をみます。過去の候補作は選考に影響するんでしょうか。
前の方が良かったから受賞に値しないというのはないです。私が本当に忸怩(じくじ)たる思いがあるのは、桜木紫乃さんの「ラブレス」が候補になった回(第146回)。たいへんいい小説だと思って臨んだんですが、反対する人が何人もいて激論の末、取れなかった。
くやしくて、いつもは原稿用紙3枚の選評を倍の6枚書いた。なぜこれが取れないんだということを綿々と書いた。桜木さんは次に候補になった「ホテルローヤル」で受賞するわけですが(第149回)、どっちが面白いかっていえば問題にならないです。相当落ちると思うけど、今度は誰も反対しない。直木賞受賞作として出すんだったら「ラブレス」だったと今でも思います。
――直木賞受賞作は略歴に代表作として書かれますしね。そこでおうかがいしたいのですが、「この作家の直木賞はこれでよかったのか」としばしば言われます。6度の候補の末に受賞した東野圭吾さんは、2回目の候補になった「白夜行」でさしあげればよかったんじゃないか、とか(第134回、「容疑者Xの献身」で受賞)。
東野さんはね、直木賞では大問題でしてね、ミステリーで候補になっては落ち続けるわけです。
私は直木賞に対して、少しだけキャパシティーが広いんです。ただ、狭い選考委員は狭い。狭いことに関しての立派な見識をもっている。そこにぶちあたった。渡辺淳一さんです。
彼いわく、人が1人死ぬというのは大変なことで、トリックのために死ぬというのは許せない、普通の文学のリアリティーがないと。小説そのものは面白いから、ミステリーの世界で顕彰すればいいだろう、直木賞は違うと。選考会が終わった後の打ち上げの席でも、ずっと同じことを言っていて、選評にも「優れたミステリーであるが文学ではない」と書く。受賞した「容疑者Xの献身」はトリックを使ってるけれど、人間の心理が実によく描かれている。ここで押し切れなかったら、ミステリーの受賞なんて金輪際ないと思って、私は○をつけました。
そうしたら、渡辺さんが△をつけている。「えー」って顔を見たら、こっち見てニターッと笑ってる。それまで×をつけ続けた人が、点を入れたってことですよ。すんなり受賞しました。でもひどいんだ。渡辺さんの選評を読んだらめちゃくちゃで、どう読んでも×をつけたとしか思えない。ある種のあきらめのような境地だったのかな。きちんとした見識でだめだと言い続け、最後の最後に△をつけたのはたいしたものだと思いましたね。
――あの作品はミステリー業界でも、フェアかアンフェアかと物議をかもしました。
直木賞の選考委員は、ミステリーを読み込んでいる人もいますけど、ミステリーとして出来がいいかどうかで読んでないですからね。やっぱり、文学かどうか。文学という言葉は嫌な言葉といえば嫌な言葉なんですけれども、われわれが持っている小説の概念というのは、文学とつながるものなんですよ。そのへんは、選考会をやっていても面白かったですよ。
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- 【視点】
とても面白いインタビューで、上下を一気に読みました。文芸には疎く、直木賞の候補作の中から1、2冊は手にとってみる程度の読書生活をしている身にとって、どのように賞が選考されているか、委員の生々しい言葉で語られていて刺激的でした。東野作品をめぐる渡辺淳一さんとのやりとりは、ドラマのようです。ミステリーとの境、本屋大賞との比較もされていて、これまでの疑問を溶かしてくれました。(先ほどの投稿で作家のお名前を間違えてしまいましたので、修正して再投稿しました)
…続きを読む - 【視点】
直木賞、本屋対象の受賞作はもちろん、候補作も毎回気になっている一人です。こちらのインタビューーで、東野圭吾さんの「容疑者Xの献身」をはじめ、選考過程をめぐる動きや文学に対する選考委員の思いを非常に面白く読みました。 少し話がそれるかもしれませんが、筒井康隆さんが書いた小説「大いなる助走」を思い出しました。「直廾賞」という直木賞を連想させる架空の文学賞をめぐり、受賞できなかった作家の怨念を描いた小説です。長年の筒井ファンとして、最も好きな作品の一つです。 書店の減少など、本を取り巻く環境は厳しい面がありますが、こうした文学賞をめぐる人間的な駆け引きのような一面を読むと、作品に加え、作家への興味や愛着が一段と深まるようにも思いました。
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