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「石破政権誕生とその終焉 ~歴史は繰り返さないが韻を踏む~」 その1

小泉政権とその前後の保守運動

現在の政治を語るのには、小泉政権まで遡らなくてはなりません。
また、小泉政権前後の空気・雰囲気への理解が必要です。

では、小泉政権で行われた政策の内で、現在にも強い影響を持つモノを並べます。
1.行政改革と財政再建
2.「劇場型政治」「小泉旋風」などの映える政治活動
3.組閣は派閥順送り型の人事を排し、慣例となっていた派閥の推薦を一切受け付けず、閣僚・党人事を全て自分で決め、「官邸主導」と呼ばれる流れを作る。
4.不良債権処理の開始
5.日米同盟の重視
6.拉致被害者奪還
7.靖国神社参拝を巡って中国・韓国との関係悪化
8.外交の世界的広がり
9.自衛隊海外派遣
10.ビジット・ジャパン・キャンペーン(「YŌKOSO! JAPAN」キャンペーン)

では、解説です。
小泉政権とは「劇場型政治」「小泉旋風」などにより、とにかく、政治を映えさせていた政権です。
イメージ戦略を巧みに行い、都市部の大衆に受け、政治に関心がない層を投票へと導きました。
最高支持率85%という高支持率に支えられた政権です。
ここまでの支持率がある政権はマスコミが叩いても効果がなく、容姿が優れていたことから写真集まで発売され、他国の首脳の娘がファンですと写真を求められるほどでした。
退任時ですら40%以上の支持率でした。

「官邸主導」による組閣を実施したことや、自身の政治運営に敵対する議員への「抵抗勢力」と称した攻撃(公認取消・刺客候補擁立)、「自民党をぶっ壊す」などの派手な選挙戦で、自民党の「派閥」は小泉政権時には形骸化して行きました。
また、安倍晋三氏を幹事長に抜擢したのが小泉純一郎氏であり、石破茂氏を防衛庁長官に任命したのも小泉純一郎氏です。
安倍晋三氏と石破茂氏は小泉純一郎氏の下で、研鑽を積んだのです。

外交では「日米同盟を主軸に置きつつ、他国との積極的な交流・交渉」などを行い、従来の事務協議の積み重ねの延長である外交から、首相が自らの意見を積極的に主張し首脳間の信頼関係の下で国家間の合意を取り付ける首脳外交に転換しました。
小泉純一郎氏自身がアジアやアフリカなどの国々にも積極的に訪問し、サミットをはじめ、ASEAN、APEC、ASEM、日・EU定期協議、アジア・アフリカ首脳会議などの多国間協議へも25回参加しました。
この外交方針は自民党政権では、後の第一次安倍内閣の「価値観外交」「主張する外交」、麻生太郎氏による「自由と繁栄の弧」へと受け継がれていきます。

また、ビジット・ジャパン・キャンペーン(「YŌKOSO! JAPAN」キャンペーン)では、観光立国としての基礎を作り、観光産業の発展を作りました。

自衛隊の海外派遣は1991年の海上自衛隊によるペルシャ湾の掃海部隊派遣が初ですが、2001年の同時多発テロを受けたテロ対策特別措置法に基づき、海上自衛隊がインド洋で後方支援活動(補給支援)を行い、2003年のイラク復興支援特別措置法に基づき、航空自衛隊はクウェートを拠点にイラクへ人道復興関連物資を輸送し、陸上自衛隊はイラクのサマワで医療や給水支援、学校や道路などの復旧・整備工事を行ったことにより、自衛隊は様々な国際平和協力活動や人道支援活動に積極的に取り組むようになりました。

海外交流を盛んにする一方で、隣国である中国・韓国との間では、靖国神社参拝を巡り関係が悪化、反日デモなどが行われました。

北朝鮮に拉致を認めさせて、一部の拉致被害者を奪還しました。

バブルの後始末である不良債権処理に取り組み、財政としては「小さな政府」指向であり、緊縮傾向であった。

特に肥大化した行政の改革を行い、「郵政民営化」はその象徴と言えるでしょう。
「郵政選挙」とも言われるほど小泉純一郎氏がこだわった「郵政民営化」とは何だったのでしょうか??

全国の郵便局には、北海道拓殖銀行や日本長期信用銀行の経営破綻により、合計350兆円もの資金が集まっていた。郵便局からこの資金が日本国政府(旧大蔵省資金運用部)に貸し出され、日本国政府はこれらを日本国際の購入、旧日本道路公団や住宅金融公庫などの特殊法人へ貸し出す「財政投融資の原資」にした。

貸し出された側では、郵便局に集まる郵便貯金を当てにできたため、費用対効果をまり顧みないで活動ができたため、赤字の高速道路が漫然と作られるような状況となっていた。そこで、

  • 郵便局が扱う資金を日本国政府が利用する仕組みはやめ、特殊法人はできるだけ民間会社として、自ら市場から資金調達し収益を上げる。

  • 郵便局の仕事自体も民間の仕事とし、郵便局が銀行業務や保険業務として扱う資金は、自らの創意工夫で収益を上げるとした。

  • 日本郵政はいままで払っていなかった法人税など日本の租税の徴収対象となり、かつての「護送船団方式」と称される行政保護政策の適用対象から外れ、経営面においても政府による特別の支援措置や保護の枠外となった。これにより、金融市場や物流業界における他の民間企業と同様に市場競争にさらされる経営環境へと転換されることでした。

  • また、「旧特定郵便局の世襲」と腐敗問題がありました。
    「旧特定郵便局」とは、明治期に地域の名士が私有地や建物を提供して設置された郵便局がルーツとされ、2007年の郵政民営化前まで「特定郵便局」と呼ばれていた。旧特定郵便局の局長の採用は一般局員とは別枠の公募で行われ、世襲で選ばれたり、「地域密着」を理由に定年まで他局に異動しないことが多い。旧特定郵便局長に誰かなるかは、旧特定郵便局の局長で構成される全国特定郵便局長会(全特)の意向が反映されていました。

組織の肥大化と世襲による腐敗・資金繰りの不透明性・外部監視が働きにくく、地域の信頼を悪用した長期的不正を産む温床となっていたのです。

小泉政権の国鉄、電電公社、専売公社の民営化を上回る戦後最大規模の改革とも謳われ、その目的の一つに財政投融資の廃止がありました。これにより、約340兆円という潤沢な郵貯資金を特殊法人などに代表される政府機関ではなく、個人や民間企業に融資できるようにすることで、日本経済の活性化が図れるとされていました。
そして、税金を徴収し、その収益によって財政再建が図れるという目論みでした。
しかし、民主党政権への政権交代により完全民営化は廃されました。

この行政のスリム化や透明化、無駄の排除・健全な財政再建などの方針が決定づけられたのが小泉政権であり、以後の自公政権はその方針を受け継いでゆくことになります。
また、地方では大阪維新による改革なども、また、小泉政権時の行政改革を受け継いでいるといえるでしょう。

と、現在の自公の政治は小泉政権時に雛形が作られていることが分かります。

そして、本題に入ります。
では、何故、ここまで高い支持率があった小泉政権の後継が1年で交代する短期政権となり、挙句の果てに民主党への政権交代へとなったのでしょうか?

では、当時の雰囲気・空気・言論などを語ります。

太平洋戦争から50年も過ぎた1996年から、一つの運動が始まります。
それは「自由主義史観」運動です。
社会科教育学者の藤岡勝信氏(当時東京大学教授)の唱えた歴史検証法および史観。
湾岸戦争以前までは日本共産党員であった藤岡勝信氏は、冷戦終結後の新しい日本近代史観確立の必要性を感じ、保守論客に転身しました。

著書『自由主義史観とは何か』によると、ここでの自由主義は「個人主義ないし個人の自律性にそれぞれ志向するイデオロギー」ということで、左翼的な史観が支配的だった戦後の歴史学や教育学から、「自由」ということであり、具体的には、東京裁判や南京事件など自虐史観とされる特定の論点について、疑問を投げかけて再考を促し、批判する。そのため、一方で反対論者からは「歴史修正主義」や「新皇国史観」と呼ばれて批判されるため、立場によって呼び方が異なることがある。
1996年から1998年にかけて、産経新聞で、藤岡勝信氏の「教科書が教えない歴史」が連載されました(後に書籍化する)

1996年6月27日に文化省が翌年度用中学校社会科教科書の検定結果を公表。従軍慰安婦について記述した7冊すべてが合格した。翌28日から、「従軍」慰安婦や南京大虐殺などを教科書に載せるのは「反日的・自虐的・暗黒的」だとして、削除を求める抗議活動が行われました。
ついで、漫画家の小林よしのり氏が「新・ゴーマニズム宣言」で元従軍慰安婦の証言やメディアの報道内容に疑問を提起しました。
1996年12月2日「新しい教科書をつくる会」の結成記者会見が行われました。会見時賛同者は78人であった。
1997年1月21日結成総会をもって正式に発足しました。
発足から約1か月後の2月27日、自民党の国会議員を中心に「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の貝」が設立された。会長には中川昭一氏、事務局長には安倍晋三氏、幹事長には衛藤 晟一氏が就いた。衆参あわせて62人が参加し、運動を大きく後押しすることとなりました。
また、つくる会には多くの著名人が賛意を表し、同年6月6日時点の賛同者は204人を数えた。1999年9月には会員が1万人を超え、全都道府県に48の支部組織(東京都は2つ)をつくり、その当時、年間1億3千万円以上の予算で活動していました。
今の保守思想に繋がる運動が始まりました。

この運動の前後からインターネットが一般に広がっていきます。
1990年代後半から個人サイトの流行
1999年「2ちゃんねる」開設
2000年FLASH動画の流行
2002年「enjoy korea」開設
2006年「ニコニコ動画」開設
とインターネット老人会なら記憶にあるでしょう。

では、第一次安倍政権から民主党への政権交代までのネット言論と保守運動、保守論客などについては次で語ります。



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