続き・「「勝手に!」カクヨム短歌賞選考会結果発表」への意見
先日、〈「「勝手に!」カクヨム短歌賞選考会結果発表」への意見〉という記事を書きました。
これは、カクヨム短歌賞の外部で読者が「勝手に!」選考した、以下の文章に対する意見です。
記事内では私以外の意見もまとめましたが、私の主張したのは次の二点です。
・事前評価が出回ることの選考への影響の懸念
・なぜ、「勝手に!」選考会は、選考経過を有料のnoteに隠すのか、ただで見せい
ところが、記事の反応を眺めていると、話が実際の出来事とは無関係な方向に逸れていき、何が起きていたのかを各自が連想で作りだす、よくない状態になってしまったと感じます。
おおむね、以下のような反応が多かったのではないでしょうか:
・まあ、ネットに公表した作品なのだから、批評なり感想なり、反応があるのは当然でしょう。そんなことぐらい納得していただかないと。
・特にカクヨムのような投稿サイトってそういうものだよね。
・そういう盛り上がりをみんな楽しみにしていたんじゃないの?
・しかし、勝手に選考されると嫌に思う人もいるのは当然かもしれない。
・投稿サイトのコミュニティに、互いに批評をぶつけあう歌会的な作法をいきなり持ち出すと、びっくりする人たちもいるんじゃないかな。そういう常識って世間では珍しいものだから。
・これは、別個の集団の異なる常識がぶつかったせいで生まれた悲劇かもしれないね、うーん……
違う違う。ぜんぜん違う。おい。気持ちよくなるな。
想像で気持ちよくなるな。
こういう、「何か知らないところで炎上騒ぎが起きたらしい」「短歌の批評で誰かが傷ついたらしい」という想像から、各自が原因を想像し、実際の前提とは違う懸念・連想で話が進む状態になったようにみえます。
さしあたり、以下の三点を述べておきたいと思います。
◇今回の「勝手に!」の選考について、特に炎上騒ぎは起きていない
◇カクヨム短歌賞が「読者がオープンに読みに参加する賞」だというのは、事後的に作られたイメージである
◇ずっと逃げ回っているのは「勝手に!」選考をした批評の側である
◇今回の「勝手に!」の選考について、特に炎上騒ぎは起きていない
特に炎上騒ぎは起きていないです。
上述のツイートまとめは、私の観測した範囲での今回の出来事をおおむね過不足なくまとめていると思いますが、
今回の「勝手に!」選考に対する批判的な意見・懸念は、おおむね「ケム(ニ)マキ(コ)」「アレノアザミ」氏の2名が述べたことで、その途中には阿波野巧也氏の懸念がありました。
・ケム(ニ)マキ(コ)
・阿波野巧也、途中で懸念を示す
・アレノアザミ
発言者には洩れがあるかもしれませんが、そもそもの発端はこの二、三名の言及ぐらいでした。
このサイズの出来事だというのが伝わらないまま、影響力のある人の懸念のほうが徐々に大きく膨らんでいったように思います。
◇カクヨム短歌賞が「読者がオープンに読みに参加する賞」だというのは、事後的に作られたイメージである
おそらくこの点にもっとも誤解とすれ違いがあって、私がなにを危惧しているのかが伝わっていないと思います。
たとえば、代表的なのは、以下のような反応でしょうか。
「カクヨム短歌賞は応募作品全公開だから、結果前から読者が感想や予想を語ったりランキングしたりという盛り上がりを運営側が狙っているはず」
実際に、選考委員のインタビューでも、
・「リアルタイム性」に期待したり、
・「選考委員はそんなに評価していなかったけど、ユーザーが特に褒めてる作品があると、それも選考委員が取り上げざるを得なくなった、みたいなことがあったはずなんですけど。今回も、そういうことが発生するとうれしいですね」と述べたり、
・読者がリアクションを返せる点を評価
したりしています。
――選考委員をお受けいただいたカクヨム短歌賞について、どのような印象をお持ちですか。
初谷:まずは選考の過程がすごくおもしろいな、と思いました。SNSでも話題になっていましたが、10首提出して勝ち上がったファイナリストは20首というのは斬新でワクワクします。また、ほかのコンテストや新人賞だと応募作を読めるのは選考委員だけでしたが、応募にあたって「カクヨム」上に公開されるということで、そこにリアルタイム性が芽生えることも期待しています。もしかしたら、選考以前に話題になる作品が出てくるかもしれない。こういう新しさのある賞が、どんなふうに盛り上がっていくか。そのことが、短歌という文芸が今後エンタメとして発展していくために、大きなヒントになるんじゃないかと思っています。
――若年の歌人やはじめて短歌に触れた層にとっても、参加しやすいコンテストになってくれればと思っています。
青松:短歌だと過去に「歌葉新人賞」という、荻原裕幸さん・加藤治郎さん・穂村弘さんが選考して、笹井宏之さんなどの歌人を輩出した賞があるんですけど、これも応募受付や選考が「カクヨム短歌賞」と同じくWEB上で行われていました。そのときに、選考委員はそんなに評価していなかったけど、ユーザーが特に褒めてる作品があると、それも選考委員が取り上げざるを得なくなった、みたいなことがあったはずなんですけど。今回も、そういうことが発生するとうれしいですね。
――選考委員をお受けいただいた「カクヨム短歌賞」について、どのような印象をお持ちですか。
郡司:最初に仕組みを見たときは驚かされました。最初にファイナリストを短いネタで確定させて、その後それなりの尺で王者を決めるというのは「M-1グランプリ」のような他ジャンルの賞レースを思わせる立て付けですよね。選考段階が分かれていることで、選考過程の一つひとつに読者がリアクションを返していける点が、非常にいいと思います。応募者みんなの10首もファイナリストの20首もどちらもカクヨム上で公開されるので、選考に先立って「この人の作品が好き」「自分はこの人が好き」と応募者や短歌好きの間で盛り上がってくれるとうれしいですね。
そういう背景があること自体は事実です。
そして、これらのインタビューは応募期間の最中に、徐々に出てきたものです。読者の反応があること自体はともかく、それが選考に反映されうる可能性を示唆しているのは青松輝だけで、他の選考委員ふたりはそこまでは述べていません。
ところで、カクヨム短歌賞・10首連作部門の応募要項の文面は以下です。
私はこれを見て応募しています。応募者の大半もそうしたのではないでしょうか。
選考方法
10首連作部門
①中間選考
応募された作品の中から、選考委員によって選考を行い、中間選考を通過するファイナリスト10名を選定いたします(読者選考はありません)。
②最終選考
中間選考を突破したファイナリスト10名には、指定された期間内に新たに20首連作を公開いただきます。選考委員によって、中間選考の際に応募された10首連作と、新たに公開された20首連作を合わせて評価し、受賞者を選定いたします。
「(読者選考はありません)」ですね。率直にいって、おお、新しいじゃん、と思いました。
投稿サイトにいる人間は、大量の読者によるランキング・人気投票的な序列化に、多かれ少なかれ疲弊している面があるのではないかと思います。
ところが、カクヨム短歌賞の10首連作部門は、歌人の選考委員が選ぶ。読者の人気投票のような、数の多寡の理屈は持ち込まれず、ネットの無名の人でも一から実力で評価される、そういう賞を狙っているみたいだな。へえ、いいじゃないですか。気概がある。うんうん。やったろうじゃないですか。さしあたりそう解しました。
すると、応募受付の締切終了後に、選考委員の青松氏が以下の発言をしました。「みんな、カクヨム短歌賞の作品について、俺らに関係ないとこでかってにいっぱい喋ってくれたらうれしい!勝手に選考しちゃってもいいよ。」
すると、この発言をうけて、石井僚一氏が「選考委員の心理に影響を及ぼす可能性」について述べつつ、自分なりに歌を選びはじめました。
(なんか私の歌も入っています……ゲーーーーーーーーーーーーッッ……! キッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッショ!!!!!!!!!!!!!!!!!!)
以上のような経過から、外野が自分なりの基準で評価した歌を述べるムーブメントが始まっていきました。
(つまり、後付けのムーブメント発生後に見た人の想像するイメージとは違って、別にカクヨム短歌賞って読者がオープンに読みに参加して盛り上がるような建付けの賞だと最初から決まっていたわけではなかったし、応募要項にはむしろ真逆の内容を期待させることが書いてあったわけです)
この点に、私は憤っているわけです。
私は一応まじめに公募やっとるつもりで、基本的には出した作品以外で勝負したくないわけで、こういう盤外でガチャガチャやられると激萎えなのです。今のこんなnoteもなるべくなら書きたくない。
別に自分なりの歌の評は勝手にすればいい。選考委員以外の「勝手に!」選考やら批評やら自体がいい悪いの問題ではない。私はそんなところは最初から問題にしていません。
そういうことでは全然なく、選考に影響を与えようというきしょい下心を隠しもしない石井僚一、あんたは何なの? 何をやってるの? こっちは歌だけで取り組んでるつもりなんですが。なに勝手に盤外戦やっとんじゃ。自分の選好を明かすのはそりゃ勝手だが、締切が終わってから賞を外部からガチャガチャ操作しようとする性根が気に食わねえ。それは公募の枠の外でやれよ。帰れや。まじで。
こういうことをされると、どうしても公募というある種の勝負事の純粋さが毀損されるわけです。「(読者選考はありません)」の公募であるからには、やはり人気投票の理屈ではなしに、自分の実力で選ばれたいわけです。そこを納得することによって、落選しても前に進めるわけです。だから、外野の野次馬などが介入する余地は完全になくしてほしい。
ところが、選考委員・青松氏は締切終了後に、読者の「勝手に選考」をあおり、インタビューでは、
ユーザーが特に褒めてる作品があると、それも選考委員が取り上げざるを得なくなった、みたいなことがあったはずなんですけど。今回も、そういうことが発生するとうれしいですね。
と述べている。どういうことなんですか?
結局、カクヨム短歌賞ってどういう賞なのか。そこが実はちゃんと決まってなかったんじゃないでしょうか。
読者選考なし、選考委員の審査で決めますという建前を守る気が本当にあるのか(あるんだったら読者の評価を考慮する余地のようなバックドアを作ったら絶対に駄目でしょう)。そこをきちんと決めてくれ。外野がやいやい言うても、選考はいっさい影響せずにやりますって当然のことを決め打ちすれば野次馬だって評をやりやすいはずです。
そこを、青松氏が勝手にグズグズにしたせいで話がこじれていると思います。何をやってるの? 後出しで勝手にグチャグチャにしやがって。あんた一人の賞じゃないだろ。ちゃんとやれよ。選考委員が応募者たちとXで馴れ合ったら駄目だろ。
馴れ合っている様子①:
馴れ合っている様子②:
馴れ合っている様子③:
今回の一件で、もっとも知るかよと思った意見:信じてほしい
確かに、事前評価が公式選考に影響を与える可能性はゼロじゃないし、俺もできる限り公平で中立であってほしいとは思う。また、カクヨムの他の賞(短歌以外もね)で見ると評価数等も選考の基準になる場合もあるから、公平性よりも話題性のほうが重要だったりすることも面白さになると思う。賞に出る前から賞レースは始まっているというやつだ。
でも今回の形式においては公平で中立な選考だとは思っている。例えば青松輝、郡司和斗、初谷むいの三人が、誰かの意見を参考にして、いうなれば、下馬評を参考にしている、みたいなことはないと思う。
思うというか、俺はそんなことは絶対しないと信じているから、みんなも信じていてほしいし、信じられるような楽しい祭りだったらいいなあと祈っている。おれは青松輝の「みんなも勝手に選考していいよ」という意見は、逆に言えば「みんながどんな意見だろうが俺は俺の選考をするよ」ということでもあると思うから。違うならすみません。
知らんがな。
◇ずっと逃げ回っているのは「勝手に!」選考をした批評の側である
これがいちばん心底ムカついてるかも。
今回の出来事の反応を眺めて思ったんですが、なんかインターネットの論調を見るにつけ、今回の出来事を、
・短歌の作法に慣れてない繊細でナイーブな初心者さんたちが、
・歌会的なきびしい批評の理屈をいきなり持ち込まれて戸惑っているみたいなので、
・われわれ短歌プロパー集団も、親身になって優しく諭してあげましょう、
みたいな構図で理解してるんじゃないですか?
逆だろ。逆。逆逆。ぜんぜん逆です。さしあたり現状起こってること。
私が上述の記事を書いてから、本稿の執筆現在(2025/09/22)、「勝手に!」の選考経過は明かされていません。
私は「選考経過は後日文字起こしの上、有料noteで公開。」という部分について、こっちは短歌を表に出しているのに、批評する側が金の裏に隠れるのはどういう了見じゃい、ただで全文見せい、ということを述べました。
もちろん金など払いたくなかったからですが、批評というものは公に読まれてその内容が吟味できる状態であるのが基本いい、とも思っているからです。
その後、「勝手に!」選考者のひとりが活動停止の旨を述べました。
批評の自由と責任について
まず、今回の選考会については、「批評の自由」あるいは「表現の自由」の観点から問題ないことを行っていると認識しています。短歌作品(に限らずあらゆる創作物)はインターネット上に公開された時点で批評の対象となる可能性があり、今回の選考もその地続きで考えています。もちろん、「大賞」を決める、という外形的な言葉選びについては、思慮が足りなかった部分もあるかもしれません。そして、その「批評(選考)」に対する「批評」もまた自由です。それは批評をした者(私たち)の責任であり、批判については真摯に受け止めております。しかしながら、一部で批判を超えて「中傷」になっている(エアリプに近い形の)ポストが存在している/したことも事実です。ポストを引用することはしませんが、具体的には明らかに選考委員への「死ね」という発言、(これはそのべさんから聞いた話ですが)そのべさん個人への中傷、などがありました。はっきり言えば、私が活動停止にまで至ったのはこれらのポストが原因です。
アレノアザミ氏が「死ね」にあたる暴言をしたのは事実です。
さて、上の引用部にはこうあります。〈短歌作品(に限らずあらゆる創作物)はインターネット上に公開された時点で批評の対象となる可能性があり、今回の選考もその地続きで考えています。もちろん、「大賞」を決める、という外形的な言葉選びについては、思慮が足りなかった部分もあるかもしれません。そして、その「批評(選考)」に対する「批評」もまた自由です。それは批評をした者(私たち)の責任であり、批判については真摯に受け止めております〉。
まあ、一般論としてはその通りです。そんな自由なんか話の前提だと思いますが。
しかし、批評の責任なんてものは、一般論として物を出してからいうことであって、現状、別に批評なんか行われておりません。選考方法と、評価基準のよくわからない謎の順位が発表されただけです。選考経過は出てきていない。〈「批評(選考)」に対する「批評」もまた自由〉なんていわれましても、そもそもこっちは批評を目にしておりません。
なのに、インターネットの皆さんの論調の体たらくは、いったい何なのか。
同じこと書きますが、今回の一件を、
・短歌の作法に慣れてない繊細でナイーブな初心者さんたちが、
・歌会的なきびしい批評の理屈をいきなり持ち込まれて戸惑っているみたいなので、
・われわれ短歌プロパー集団も、親身になって優しく諭してあげましょう、
みたいな構図で理解してるんじゃないですか?
勝手に想像で気持ちよくならないでください。逆逆。……こういう道徳的いたわりっぽい形式をとった本質的に相手を舐め腐った態度って本当にムカついてしまうな。どうしてこんなに見下されないといけないんだ?
今回、ずっとビビって逃げ回っているのは「勝手に!」選考の批評の側なんですよ。歌はずっと表にツラ出しております。一方、選考経過は有料noteの影に隠れることを宣言したあと、いまはさしあたり雲隠れしている。
現状、批評なんかどこにも出てきていないです。文字起こしはあるらしいんですけど。読みたいですよそれは。私はさっさと出してくれないかなって思ってるんですが。
ただで。全文出してください。
でも、まあ、一般論としては、体調ってけっこう大事なので、無理はしないでください。


「今回、ずっとビビって逃げ回っているのは「勝手に!」選考の批評の側なんですよ。」これは本当にそうだと思います。正論として。しかし、感情論として、感情論としてですよ?「死ね」と言われたり、阿波野さんという権威(新人賞受賞者かつ歌集上梓済み)の一人に懸念を示されたり、さらにあなたの以…