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ピッコロは最後の最後で神のわたしを越えた 『ドラゴンボール』はバトル一辺倒の漫画なのか はてなブックマーク - ピッコロは最後の最後で神のわたしを越えた 『ドラゴンボール』はバトル一辺倒の漫画なのか

2024/06/01
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 リハビリがてら雑記。鳥山明の訃報を聞いて『ドラゴンボール』についてちょろっと書く。
 私も黄金期の直撃世代からは若干遅れているが、小学生のころにアニメはZの終盤からGTまでを、原作は全巻読んでいた。しかし、多感な中学生ぐらいの時期に読み込んで圧倒的に好きだったのは『ジョジョの奇妙な冒険』や『ダイの大冒険』のような、メッセージ性やテーマが非常にわかりやすく、戦闘はロジカル・頭脳バトル寄りの漫画で、頭からっぽでパワーにパワーを被せて圧倒するイメージのドラゴンボールは大味な気がしてちょっと評価を下げていた。
 しかしながら、30代になって『DB』全巻を通して読んでみたら、いろいろ気付かされることが多く、より豊穣に楽しめた。この漫画が完全にウォーモンガーのバトル一辺倒漫画、暴力賛美漫画なのかというと、決してそんなことはないと思う。パワーインフレの嚆矢というか代表作となった漫画だが、同時に果てない闘争や侵略の虚しさも既に描いているのは認知されていてほしい。そして、成長とは単により強いパワーを身に付けることではないというのも、何よりも説得力のあるエピソードで示しているのが素晴らしい。その最もたる例が、タイトルにも引用した、ピッコロが宿敵の息子を育てて身を挺して庇ったことに対する神様の言葉だ。
 ドラゴンボールというと、ドライな作風で人間ドラマの比重は高くない印象だった。じっさい、回想シーンを挟んだりしての感動を煽る演出はほぼないのだが、ふとしたやりとりや登場人物の変化にほろりとさせられる箇所が多かった。主人公である悟空は、じいちゃん(武天老師の弟子の孫悟飯)の育てと亀仙人の薫陶の時点でほぼほぼ人格が完成されているが、ピッコロとベジータという二大巨悪が悟空たちに関わっていくうちに少しずつ変わっていく、そこが泣かせてくる。悪漢が宿敵やその家族と腹に一物あったり気まぐれで関わるうちにほだされて、自分自身が変えられてしまうというのは王道だよな、というよりドラゴンボールが王道にしたというほうが正しいのかな。ピッコロの仁王立ちやベジータとトランクスのハグ、ブウに対する自爆特攻は漫画誌に残るサブキャラの名シーンだ。
 テーマやメッセージ性については……そもそも無くてもいいじゃあないか、漫画は面白ければそれでいい、というのが三十超えたおっさんの初見だ。それはそれとして、この漫画の思想として、戦いの本筋は相手を打ち負かしたり命を取ることではない、負けないため、自分の限界を見極めるためのものだ、ただし不当な力で正しい人を脅かすものにはガツンとかませ、ということが打ち出されている。最初期の亀仙人の教育から、16号からの悟飯への訴え、ベジータの最後の述懐まで一貫しているのはまっことすばらだ。悟空は強敵を退けたことだけでなく、ピッコロやベジータを見逃し、神様を許したことでも世界を救っていると思う。
 それと、無限に続く闘争とパワーアップを虚しいものとしても描いているのは、超サイヤ人になった悟空とフリーザのやり取り(「だから滅びた」「オレが滅ぼしたんだ」「今度はこのオレがきさまを滅ぼす」や、フリーザに止めを刺さざるを得なかった時の空しい表情)、作中後半でのトリックスターであるミスター・サタンの功績とピッコロらからの評価などから明らかだ。

 どんどん強敵が出てくるインフレについて。読み返してみると、単純により強い奴の雁首を並べてているかというとそうでもなかった。少年編では鶴仙流という理念や技術体系の異なる他流派、ピッコロ大魔王編からは魔族という邪悪な異種族、サイヤ人編、ナメック星編では外来する戦闘民族の異星人の登場と順当にスケールアップしていく。しかし、人造人間・セル編では狂気の科学技術というまったく別ベクトルの方向でパワーバランスが覆され、強靭な生物の細胞を掛け合わせていいとこどりの特性を備えていて、生体エキスを奪って成長いくセルにはコズミック・ホラー的な怖さがある。そして、魔人ブウ編になると、奴らの名前が示すとおりに(ビビディバビディブウ、アブラカダーブラやらチチンプイプイ)魔術の要素が混入してきて(厳密に言うと、兎人参化やアックマンのような存在の復古)、単純なパワーとは違う呪術的な薄気味悪さや不死性を示している。よく言えば手を変え品を変え、悪く言えば苦肉の策でひねり出しているという印象だった。
 登場人物について。昔読んだ時と印象がけっこう違ったのは、ヤムチャかな。もはやヘタレや噛ませ犬の代名詞みたいな扱いをされているキャラで、じっさい早いうちから戦力外ではあるんだけれど、細かいところに人柄のよさが出ている。クリリンがコミュニケーション力が高くて人格者なのは広く知られていることだが、こやつもなかなかよい。気絶した後に足をへし折る駄目押しまで食らわせた天津飯を許したり、レッドリボン軍に単身乗り込んだ悟空を助けようと気焔を上げたり、心臓病で倒れた悟空を家に届ける役を買って出たり(そういえば孫夫妻両方と昔から面識があるんだった)、未来に帰る前のトランクスに、ベジータがセルに切れていたことを教えてあげたり。天津飯も同じように戦力外仲間のイメージだったが、セルの第二形態を気功砲で足止めしたり、魔人ブウ編の最終盤で攻撃をしのいだりと思ったより活躍の場面が多かった。
 印象が変わらず悪かったのはチャオズ、後半の悟飯、界王神とかかな。チャオズは世界観と作風の変化から置いてけぼりにされたウーロンプーアル、ランチさんと同じ枠なのだろうか。悟飯はもう明らかにキャラの方向性が決まっていなくて、バビディ一味の襲来からのバトル路線への回帰で立場を失っている。「だめだめ! おまえを倒すのはボクの番なんだ!」って何なんだよ。界王神は意味深で大物ぶって登場した割には大した役割も活躍もないという失敗キャラのお手本みたいな奴だ。

 ストーリー漫画として。評価が高いのはおそらくナメック星編で、刻々と変わっていく三勢力の状況やまだ残っていた冒険感に惹きつけられた。これを週刊で読んでいたらワクワクが止められなかったろうな。サイヤ人襲来編も密度が凄い。ベジータとの総力戦での死闘が二巻に収まるくらいというのが驚愕だ。私は初期の冒険路線も好きで、バトルと機械と冒険が全部面白いレッドリボン軍編も大好きだ。
 画力や漫画力については語り尽くされているけれど、バトルのスケール感やスピード感・重量の同時表現、視線誘導による読みやすさやアクションを連想させる描写などは筆舌に尽くしがたいほど素晴らしい。われわれにとって、金髪マッチョのスーパーサイヤ人が荒野でハイスピード空中バトルをする光景は、もはや原風景として、かっこいいものだと本能に刷り込まれていてどうしようもない。代わりに、少年時代までの柔らかい線やかわいい女の子、牧歌的な世界観はバトル路線を推し進めていった結果発揮されなくなってしまった才能だよなとも思う。
 一方で、人造人間編以降の行き当たりばったりさ、ぽっと出の敵や矢継ぎ早の新形態の登場、鳴り物入りの登場からあっという間に第一線から置いていかれるインフレの負の螺旋は、人気作の引き延ばし、過酷な週刊連載に対する反面教師とされるべきだと思っている。あと、世代交代・主人公交代の失敗作であるのは間違いない。

 その他もろもろ。
 扉絵のクオリティにため息が出る。よくこれを週刊で仕上げていたなぁ。
 バトルについては、イメージよりもクレバーな駆け引きがあった。例を挙げると、後半は出力が上がり過ぎてエネルギー波を出すときに地球へのダメージも考慮する必要があって、それを逆手にとってのセルに対する瞬間移動かめはめ波の奇襲など。あれはエグい。
 悟空やセル編の悟飯といった主戦力以外は足止め程度にしかならないというパワーバランスについては、個人的にはあまり好きじゃあないかな。この点については、前述の通り、サブキャラたちにもそれぞれの戦いがあって名バトルがある『ダイ大』や『ジョジョ』の方が好きだ。
 細かいところで、悟飯がピッコロをずっと尊敬しているところとか(服を揃えたり)、未来トランクスが自分を知らないこの時空の少年悟飯にも尊敬を示しているのとか、なんか好きだ。
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toppoi
Author: toppoi.
百合ゲームレビュー他。アカイイト、咲-Saki-、Key・麻枝准、スティーヴン・キングの考察が完成しています。
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