第四幕 ほら穴の朝

 三月十日の日曜日。

 燈真たちはねぐらにしていたほら穴で目を覚ました。


「異常なし、か」

 見張に出していた簡易的な簡易式神の、霊体の目玉は異常を検知しておらず、ひとまず安心した。


「……もう二十日か」

 旅に出て二十日。燈真と椿姫には明確な疲労が出ている。


 旅立って間もない頃ならば眠気が尾を引くこともなかったのに、ここ三日、寝覚めには必ず眠気が付き纏っていた。

 だがそうも言っていられない。遊山ならばまだしも、己と椿姫には目的がある。──稲尾の、稲尾椿姫の実弟・稲尾竜胆と再会を果たすという目的が。

 そう強く己に言い聞かせるように、燈真はごつ、と拳でこめかみを打った。気合いが入る。泥臭いと自覚しているが、燈真はそのように泥臭い方法でしか生きる術を知らない。


「晴れたのは何よりだな。……雨も嫌いじゃないが、今日ばかりはな」

 昨日の夕方から降っていた雨は夜中には雷を伴い始め、いっときは空が抜けたかのような有様であったが、夜明けの半刻前であろう現在、別の意味で抜けるような快晴が広がっている。

 夜空といって相違ない空には金銀を散らしたような星が散り、燈真は穴に戻ると眠っている椿姫を揺すった。


「椿姫、朝だ。おはよう」燈真は式神に対しても「お前もおはよう。……おつかれだろうが、もう少し頑張ってくれ」と声をかけた。

「ん……ふう……起きなきゃ」

「あと半刻寝させて、っていう常套句は言わないのか?」燈真は茶化すように言った。

「そしたら寝させてくれるの?」


 椿姫がゆっくりと身を持ち上げる。彼女もやはり眠気が付き纏っているようだ。

 この二十日、満足に行水もできていない。湯に浸かるなど夢のまた夢。難く絞った布で体を拭うのがせいぜいであったから、二人とも垢と埃で汚れている。

 汗だとかの臭いもする。

 痩せ我慢をしてでも、己をどうにか身綺麗に見せようなんていう見栄などない。

 それだけ、お互い長年“相棒”をやっている。汚いものも、弱音も、意気地のなさだって、知っているのだ。一千年の恋も醒める──なんて言葉もあるそうだが、いかにも、都会的な言葉だと感じる。


「昨日すれ違った商人を覚えてるか」

 燈真は椿姫に言った。

 手元には水を吸わせて膨らませた麦飯を入れた飯盒はんごう


「いい具合に膨れてるな……」独り言を漏らした燈真。

 これは楠公飯なんこうめしだ。玄米を炒って水に一晩つけ、普通の三倍の水で炊き上げて嵩増しする、非常時の節米手段である。旅には欠かせない、先人の知恵だった。


「うん。まさにその玄米を売ってくれた人でしょ」

「そう。盗賊に狙われて、追っ払ったら融通してくれた」

「人柄が良さそうだったけど、大変じゃないかしらね、ここでやっていくの」

「だからこそ必要なんだよ、厳しい土地だから、ああいう優しい人がいた方がいい」

「……そうね」


 椿姫が火打ち箱を開き、火打ち石と火打ち金を打つ。散った火花が火口で赤く燃え、それを付木に燃え移す。


「……正直助かった、来る日も来る日も獣やら虫やら蛙じゃあな」

 燈真が愚痴った。椿姫は乾いた木を重ねてあるところへ火を入れた。

「私は平気だけどね。妖狐だし」

「俺はァ鬼なんだよ。飯粒食いたくなるんだ」

「まあ私だって、食べたいけどさ」


 飯盒炊爨はんごうすいさんでこの楠公飯を炊く。ひとまず、形だけでも腹を膨らませる算段だ。

 この方法なら少量の玄米を持ち歩くだけで済むので荷物が嵩張らないし、実質水で膨らんでいるとはいえ、腹持ちも……悪くはない。

 今の燈真たちにとっては、体裁なんぞどうでもよく、実際的で実用性なことの方が重要だった。


「本当は白飯が良かったんだけどねえ。ま、仕方ないわよね」

「玄米つっても、田舎生まれの俺らにゃむしろ口に合うだろ。ひえだのあわだのを食う方が圧倒的に多いしさ」

「まあね」


 故郷の魅雲村では、雪稲を育てこそすれ、少数である。稗、粟も育てており、雑穀を食べる方が、彼らには馴染み深い。


「天海郷まで行けば、白い飯なんざいくらでも食えるさ」

「そうね。菘にも食べさせてあげたいわ」

 白飯を、である。

 故郷で待っている妹は、今頃、姫巫女のお役目をこなしている。燈真は兄貴分として、椿姫は実の姉として、負けていられない。

「ライスカレーの調理法をしかと学ばないとな」

「そうね。なんだっけ……すぱいす? っての、買っていかないと」


 二人は少しだけ和んだ。

 しばらく火を眺めていた。沈黙を、風鳴りが包む。


「それでだ。あの商人が言ってた宿場だが」

仙谷宿せんごくじゅくっていう宿場?」

「うん」

 椿姫はパシパシと頬を叩くと、雨水を溜め布でし、革袋にためた水を一口飲んだ。

 燈真は玄米を焚き火で炊いている間に、狩ためておいたテツヤツメの干し肉を炙る。


「もし事実なら、色々物資を揃える機会だと思う。着の身気のまま旅できるのは、安定した治安あってこそだろ。やっぱ、十二分ってくらいの備えはしておきたい。医療道具も減ってきたしな」


 テツヤツメは鉄分を含んだ岩石に穴を掘り、その鉄鉱質な岩を削り砕きながら食べて体を硬く強靭にし、天敵から身を守りつつ、穴に潜んで獲物を捕らえる狡猾な生物だ。

 口腔部は鉄鉱を削り取れるように適した、ヤツメウナギのような、少々おぞましい構造をしている。

 二人はそれを獲る際、「釣り」をした。

 まずは燈真が軽く、指を噛んで出血させる。血を含んだ綿を吊るして、飛び出たところを椿姫が短刀で仕留めるという、原始的なものだ。


「飯はまだいいさ。俺らなら、テツヤツメにしろイワトビウサギにしろ幾らでも獲れるから。ただ、それ以外の雑多なものや、薬はどうにもできない」

「……そうね。あと十日でここを抜けられるとはいえ、油断はできないし。天海郷に入ってからも、旅は続くから」


 テツヤツメの肉は若干鉄臭いのが難点だが、貧血に効くと、燈真は例の商人から聞いていた。実は、血で釣る方法も、その人物から聞いていた。

 過酷な旅で、燈真も椿姫も血を失う場面がいくつかあって、この情報は非常に助かっていたし……何より、「食っても危険のない肉」ということが、過酷な旅において、この上ない安堵につながる。


「これまでに五回も襲撃を受けてる。……正直、逼迫してる」


 椿姫は鞘を外して手入れしている。なかごを清めているのだ。刀身から沁みてきた血を掃除せねば茎に赤錆が浮かび、目釘が腐る。

 平時であれば錆止めの油を塗るくらいで充分だが、ひとを斬ったとあれば、やはり相応の手入れは必須であった。


 ここ、澄鉄郷の治安は思った以上に酷い。

 それもこれも、戦のせいだ。


「竜胆はそれに、戦に加担した……。一兵士として、だけど。だとしてもなんで、あの子は全部一人で抱えるのよ」


 椿姫は己の、姉としての至らなさを痛感した。見聞きするのではなく、実感として荒れた土地を渡ることで、骨身を斬られるようにそれを感じた。

「椿姫も、今一人で抱えてるじゃないか」

「ごめん。……そうね。燈真、私の罪悪感を半分背負ってくれる?」

「ああ。その代わり、いつか俺の苦労が増えた時は、頼むぞ」

「任せて」椿姫は、笑窪えくぼを浮かべた。


 二人には大小の傷ができており、包帯を巻いて、血止めをしているところもある。

 軍医の子である燈真は最低限の応急処置もできるため、常に救急箱を持ち歩き、すでに縫い傷さえ拵えていた。


「説教をするんだ。椿姫。俺とお前とで。……でも、その前に竜胆の恨み言をしかと受け止めよう。俺にだって、あいつを止められなかった責任がある」

「うん……」


 椿姫はこくりと頷いた。


 玄米が炊けて、二人はそれを食べた。

 ぷちぷちとした食感と、適度にできたお焦げは、なかなか美味い。香ばしく、量もかなり増えている。

 テツヤツメの肉も、解いた味噌玉を塗って味つけてしまえばいいおかずになった。

 食事を終え、火を消すと、二人はほら穴を出る。外はもう明るかった。


「どうやら、お天道様は味方らしい」

「最高の味方がついてくれたわね」


 仙谷宿までは六里半(二十六キロメートル)。三刻──六時間の旅程となる。

 二人は日々の鍛錬の中で山駆けというものを行なっている。これは麓から山頂までひたすらに駆け上がるというもので、それによって両者は悪路でも平地と変わらぬくらいに進めるようになっていた。


「ここまで南下すると、多少は気温もマシだな」

「普通の人はこれでも震えるんだけどね。私たちの故郷が寒すぎるだけよ」


 履いているのは靴の内底に獣の筋繊維を貼り付け、歩きやすくした雪下駄。足の前半分が鉄製の下駄先に覆われ、甲と踵を鼻緒で締める。踵部分にはおしゃれの蜻蛉玉をつけていた。


「履き心地はどうだ?」

「うーん、草履の方がいいけど、変なものを踏み抜いちゃ危ないからねえ」


 靴底は頑健な、獣骨素材を用いている。釘やら鉄の破片を踏んでも、問題ない。

 さっき、使い潰した雪駄からより実戦的なこちらへ履き替えたのである。


 二人は仙谷宿を目指し、進んだ。

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