第三幕 出立
英気を養うという名目、それから旅にかけての調整ということも兼ねて数日ほどを鍛錬と休息に充てた。
何もせずに休んでいると体が鈍りそうだったため、山をひたすらに駆け上がり、頂上で椿姫と組み手をするいつもの稽古は行うとしても、それ以外の時間は天海郷の近々の歴史や情勢を学ぶため、神社に足を運び、神職の下授業を受けた。
そうして火の暦八七八年二月十八日月曜日。
時は卯の上刻(午前五時)。空はまだ白み切っておらず、稜線さえ赤くなっていない。しかし、旅立ちが早いことなどは、いつだって常である。
燈真と椿姫は充分に備えた。あとは、ひたすらに己の足で進み、手で切り拓くのみである。
村の東門には、噂を聞きつけた村民がすでに集まっていた。彼らは雪の民として常日頃山を歩き、薪を取って、木の実やらを採取し、あるいは
早朝とはいわばそのための身支度という大切な時である。けれど、旅という非日常に向かう燈真たちを見送りたいと、呼びかけるでもなく、集まっていた。
農村の民とは中央に搾取される弱者──というのは実に都人的な考えである。実際は、苛烈な肉体労働で鍛え上げた肉体を持つ、超人の集まりだ。
皆筋骨逞しく、中には、燈真より大柄な鬼の若者もいる。
「椿姫ちゃん、帰りを待ってるからね!」「燈真、しかと守れよ!」「おみやげいっぱい!」
名門妖怪に武士とはいえ、村では家族ぐるみで育った故に、皆砕けた態度だ。燈真も椿姫もやはり、それこそ親兄弟に接するように「じゃあ油揚いっぱい作っといて」とか「しっかり守って、沢山美味いもん持ってくるよ」と笑っている。
稲尾家も燈真たちの後ろをついてきていた。
やがて、門が開いていく。
「行ってくるね」「行ってきます」
椿姫、燈真の順で言うと、稲尾の面々が頷き、村人らが口々に「風邪なんか引くなよ」と告げた。
菘なんぞは大層肝が据わっており、「にいさんつれてきて。あと、エビフライね!」なんて言っている。椿姫は笑いながら、「ライスカレーの作り方も学んできてあげる!」なんて返した。
その時、柊が寝ぼけ眼で出てきた。長襦袢だけの装いというだらしのない格好である。寒くないのだろうか。
「
「わかってるっての。でも麦酒は忘れたらごめーんね」
「親父に会えたら、手に入りそうな店を聞いてみる」
柊はそのまま菘を抱き抱えて、柔らかい尻尾に顔を埋めるなり「湯たんぽいらずだ。ったく誰に似た、可愛いやつめ」「おねえちゃんとにいさん」などと言い合いながら、立ったまま寝ていた。村人が笑っている。
「ふ……里心がつく前に出るぞ」
「うん」
燈真が前に立つ。腰に差した大小は、柊秘蔵の刀と脇差である。着物に隠れているが、左の上腕には腕輪守りが結ばれていた。
時に、商人や農民も、旅に出る際は刀を差す。道中差しという一尺八寸(およそ五十四センチ)以下の刀だ。
これは御信用であると同時に、身だしなみとしての装身具としての用途の方が強い。西洋人が商談に際してネクタイというものを締めるのと、意味合いは同じである。
燈真にとっての大小もそうである。武士の階級だから差すだけだ。振るう気はない。彼はむしろ刀の扱いはあまり上手い方ではないのだ。
石火流しを始め、硬化術など、素手で充分に刃物とやりあえる技量があるために、余計な装備を減らし身軽に戦う方が性に合っていた。
が、先述の通り、
よもや郷士(武士としては下級の身分)とはいえ、刀を差さねば、主人に申し訳が立たぬ──というわけである。この数日、神社でもそれを言われた。田舎ならいざ知らず、都会はそうはいかないと。
「
「澄鉄
十年前に起きた討幕戦争の最後の舞台となったのが、澄鉄郷である。
燈真たちは、「そもそもそこまで組織的な反抗ができる状況にはない」と見ていた。
徒党と言ってもせいぜいが盗賊団といったところ。
とはいえ強盗殺人、強姦などが日常茶飯事と聞くから、旅人はまずここを通らない。
「西へと大回りすれば時を食う。西の無郷地帯を抜けて花山郷の旅程となると……どれだけかかるか」燈真は顎を撫でつつ歩く。雪が、ぎゅっぎゅっと鳴る。
「魅雲大連山を越えるなんて無理だから、北へ上がってから西へ──ってことになるしね」と椿姫。
「澄鉄旅程なら直に南東へ抜けられる。稲尾狐閃流皆伝の実力者でやっと可能な段取りだ」
魅雲村の東門から出る。
人通りはまだない。遠く、朝を渡るカラスの声がしている。雪の降る気配はなく、積もった雪が盛り上がっていた。
空には雲がなく、ひたすらに天高い。
道端には雪が残るが、通りは術法護符によって雪解けを加速しているために、幸い普通に歩ける。それでもわずかに、二寸ほど積もった雪がある。
けれど、それも村を出ればおしまいだ。あとはひたすらに、野生の獣道を行くことになる。
魅雲村はこれでも積雪はマシな方。裡辺郷北部は、超豪雪地帯。彼らはソリで移動し、獣に乗り、渡り歩いて暮らす。
朝焼けが、南から西へと巡る魅雲大連山を赤く縁取る。自分たちは山がない──まっすぐに行けば、いずれ海に出るであろう東、日が昇る方へ進む。
「船が運行していれば、沿岸から一気に京洛まで行けたんだがな」
「軍艦の残骸が浜に打ち上げられてるだけでしょうね」
しばらくは平坦な道だ。雪道ゆえに、体重がある燈真が先行して道を踏み固めた。椿姫は妖狐ゆえ、雪道を平地のように駆けられるが体力を使うことに違いない。
であれば、鬼として優れた体躯と、見た目以上に重たい五十貫(一八七・五キロ)という体重を持つ己が道を固めて進んだ方が、消耗を抑えられる。
決して椿姫に体力がないと思っているのではない。むしろ、彼女をいざという時に頼りにしているからこそ、なるべく要らぬ疲労を抑えてもらっている。
「天海の整備された街道も旅してみたいわね……っていうか、坂東府の中心街って石畳って聞いたけど」
「馬の蹄鉄とか馬車の車輪がガラガラうるさいらしいけど……どうなんだろうな? 岩場を歩くような音と変わらん気もするが」
燈真は言った。雪を踏むとぎゅっと鳴る。裡辺の雪は細かく、繊細だ。綿菓子のように柔らかいが、一度踏み固めればすぐに足場に変わる。
とはいえ、溶けた雪が次第に凍って、滑りやすくなるという問題点もあるにはある──。
「東海道五十三次ってのも、気になるし」
「ああ。俺もすごく気になる。どうやら道中宿に困らんというぞ。文字通り五十三の宿場と、それには数えられない
スギやマツなどの針葉樹が並び、文字通り林立という様相を呈している。
美しく荘厳な雪国の景色は、次第に、岩がちな土地へと変わっていく。
やや南に降っていくと、雪は少しずつだが減っていく。
一日目は洞穴で休むことにした。二人は道中で狩ったユキウサギを焼いて食べ、毛布に包まって眠った。
翌る日、二人はやはり暗いうちから目覚めて歩き出した。早朝というには半刻は早い時刻である。
魅雲村と澄鉄郷西端部は近い。その境目には頑丈な、鉄で補強した石壁が築かれている。
関所だ。
壁上からはどこぞの医者・ガトリングなる人物が作った、砲身を束ねて把手を回し、銃弾をぶっ放すガトリングガンが下を睨み、野砲まで設置されている。
郷で生産された裡辺式長銃を抱えた義勇兵らが詰め、有志の術師妖怪が詰所にいるのが気配でわかる。
「いつ来ても物々しいわね」
「戦が済んだとはいえ澄鉄からの狼藉者を通すわけにはいかないからな。正月にもらった親父の電報によると、『
「愚息……孝之らしいわね」
「もう二十七だぜ。家督も継いで、漆宮を背負って立つってるってのに」
愚痴を漏らしつつ、燈真は椿姫と窓口へ行った。
詰めている身元改方が、怪訝な顔をする。歳は七十を過ぎたくらいか。しわがれた老婆だが、手元の杖はおそらく仕込み刀。座る姿勢も背筋に鉄が通っているかのように真っ直ぐ。
──強い、と知れた。
妖気の感覚から、純粋な人間だとわかる。だが、剣も術も、かなり遣う。
「なんじゃ。子供の来るところじゃないぞ」
またしても子供扱いだが、この歳の世代にとっては、三十近いくらいの己や、妖怪としての実年齢を考慮しても椿姫などは子供も同然である。
「
二人は手形を差し出した。老婆は妖力を込めた手で読み取り、
「神闇道の発行か。武者修行かい」
と聞いてきた。
「そんなところだ」
「澄鉄の状況は悪いまま?」
椿姫が聞くと、老婆は「関を出て一刻もしたら、逃げ帰ってくる。その時にまた同じ質問をしてみなされ」と返した。
つまり、「当たり前のことを聞くな」だ。
どうやら治安はすこぶる悪いようで、燈真らは手形を返してもらうなり関の勝手口から澄鉄郷へと入っていく。
澄鉄は優れた鉄鋼資源に恵まれた郷であり、天海郷とは戦国以来の友好郷であった。
しかし討幕戦争の最終局面である匣館戦争の舞台になり、郷の土地が焼かれ、略奪され、荒らされると、彼らは幕府も討幕もなく天海を憎むようになった。
だからと言って、天海の民ではない自分たち──裡辺の民だからと手を抜くとは思えない。こちらに食い物や酒、何かしらの備えがあると見れば襲ってくると考えていい。
「ひどいわね」
関を抜けて半刻。空は明るく、朝を迎えていた。
陽に照らされるのは焼け落ち朽ち果て、あとはただただ野に帰っていくのみの家屋の残骸が十軒程度見えた。
村というには小さいが、きっと、往時には牧歌的な光景が広がっていたことは想像に難くない。
村民は皆ひどくやつれ、痩せ細り、寝そべってうつろな目で虚空を睨んでいる。
施しをしてやりたいが、そんなことをしていてはキリがない。それに、一人に金や食い物を与えれば、全員からたかられるか、与えられた貧民を殺してでも奪おうとし始めるだろう。
非情になれ。
燈真は、そして椿姫は己に念じた。
十軒程度の村落を抜けると、いよいよ雪は積もっているというよりは残っているという具合になり、泥色のジャリジャリした氷の粒になっていった。
澄鉄を抜けるのに、一ヶ月は見ていい。それだけ広いというのはもちろん、途中、何かしらの妨害が入るのは明らかである。
燈真たちはいつでも体を動かせるように軽く肩を回したり手のひらを開閉したりして、進んだ。
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