第二幕 狐の家

 翌日から、二人はまず周到な準備を行うことにした。

 ここから天海郷・京洛までは相当な長旅となる。

 まず初めの旅程として東に出て澄鉄郷ちょうてつきょうを行く。ここには街道がないため、防寒はもちろん、野宿の備えは必須。

 鬼は筋肉の密度が高く代謝能力に優れる性質上体温が極めて高く、寒さにも強いが、寒いものは寒いと感じる。

 一方妖狐には充分な毛皮(大きなもふもふ尻尾)があるとはいえ、矢張り寒いものは寒い。

 

「おねえちゃん、もうふ」

 可愛らしい声を発して、居間にやってきた子供が、毛布を持ってきた。鬼兵熊キヘイユウという大熊の化獣ばけものの毛皮で作った、温かい毛布だ。

 狩猟が困難な化獣ばけものの一体であり、これを持つ家は少ない。


 もちもちしたほっぺたの子供──椿姫の妹である菘は、大きな目で姉をじっと見る。

 彼女の癖だ。菘には邪気や穢れ、嘘、真を見極める瞳術が備わっている。


「なにか憑いてる?」

「ほこり」


 菘がひょいと椿姫の尻尾から、ふわふわしたものを取った。


「ケサランパサランだった」

 菘はそれを床に置くと、ふわふわの毛玉はどうやっているのか、ぴょんぴょん跳んで去っていく。


「吉兆ね。あーりがと。今のうちに菘吸っとこ」

 椿姫は準備の手を止め、ちんまい少女──人間で言えば十歳ほどの三尾の妖狐、可愛い盛りの妹・稲尾菘をぎゅっと抱きしめ、尻尾に顔を埋めてすぅう、と息を吸う。

「おねえちゃん、くすぐったい」

「んー、砂糖菓子のようなおひさまみたいな匂いがする」

「んぅ……くすぐったい」


 燈真は呆れ笑いを浮かべながら、準備を進めた。

 とはいえまさか大荷物をえっちらおっちら背負っていくはずもない。行商人ではないのだ。いざという時、咄嗟の時、素早く戦えるくらいの軽装が好ましい。


 飯と水は緊急時に食べる乾物──干飯ほしいいやら芋がら縄、味噌玉、兵糧丸。水は化獣ばけものの胃袋をなめしてつくった皮の水袋を用意。

 どんなゲテモノでも食えるようにするための調味料、塩と砂糖は必須。味噌の類は、芋がら縄を切って使うか(註※)、味噌玉で代用できる。

 旅程中汗をかくから、練って固めた塩玉も持つ。


 和深の水は綺麗なので、最悪そこら辺の川──上流だったり源泉であれば、直に飲めるほど。無論万難を排するため、煮沸はするつもりである。


 食い物のは狩れば良いし、少々金子も用意するから、途中で買ってもいい。──とはいえ、売ってくれる商人がいれば、だが。

 燈真はこれまでの給金を財布に突っ込むと、袂に突っ込む。着物の袂を縫い付けている男物なら、財布などを入れても落としたりする心配がない。

 その他火打ち箱、旅装を整えていく。


「椿姫、菘が嫌そうな顔してるぞ」

「くるしい。おねえちゃんいいにおいだけどくるしい」

「あっ、ごめん」


 菘が拘束から逃れると、ちょこんと座った。

 それから持っている巾着袋をごそごそやって、護符を取り出した。腕輪守りという、腕につける簡素な護符である。


「じんじゃでもらった。つけてたらいいことあるかもよ」

「ありがたい」「さっすがぁ! 私の妹は気遣いができるいい女なんだよねえ」

「まあわっちはせかいいちの、おいろけもふもふなので……」


 お色気もふもふという単語(?)は菘の常套句で造語である。実際はかまぼこのように平坦な体なのだが(子供だから当然である)、将来的には出るところの出た絶世の美女──傾城の妖狐になりたいと鼻息を荒くしている。


「椿姫、燈真。おっとっと、菘もいたか」


 居間にやってきたのは稲尾靖雄。藩主、吉川家の次男である男だ。彼は稲尾筋とは異なるが純血の妖狐であり、白狐の稲尾と違い稲穂色の、狐と言って想像する色合いの種族であった。

 時に彼はリヘンギツネという、この地域特有の大柄な狐が妖怪化した一族らしい。と言っても、稲尾家も白狐なだけで、リヘンギツネには違いないが。


「お父さんどうしたの」

「どうもなにも、手形を取りに行ってって頼んだことを忘れたのかい」

「えっもうできてんの、早っ」

「常闇様に知らぬことなし、さ。僕が行った時にはもう「ご用意できております」とね」


 常闇様とは、宵纏常闇之毘売よいのまといとこやみのびめ様に敬意と親愛を込めた呼び名である。


 手形──通行手形をはじめとするこれらは、檀家になっている寺や、氏子になっている神社、あるいは武士であれば藩の担当役所、それ以外であれば名主やら庄屋が出すこともある。

 いささか、寺や神社に手形をもらうというのはいかにも庶民的だが、さりとて稲尾家とて別段、なにか越権を許されているわけではない。

 単に、優れた術師や剣士を出し、道場を開いていて、末子が常闇様に気に入られただけ。あとは、血筋云々がどう──という程度。


 色々な幸運こそあれ、現代においては、「庶民平民」にすぎない。むしろ、曲がりなりにも「武士」の家系である燈真の方が、実は家格としては上であった。


「天下の藩主様のご子息をあごで使うとは」燈真が呆れた。燈真にとって、藩主とはつまりお殿様。本来の主人である。

「親子なんてこんなもんだって。お母さんだって、そりゃ、当主として接する時は畏まるけどさあ」


 そう、実際の稲尾家とは格式高いわけではない。単に、そのような場では、ふさわしい振る舞いをして心を整えるに過ぎないのである。

 ひとの心は、正式な手順を踏むことで、構えられる。心構えというやつは、上部だけで作れる物ではない。

 古くは舞、楽、唄、祝詞など──多くの手順を踏み、心を整えて臨んだ。戦の前に大声鬨の声をあげ鼓舞するのもそれだ。


 代々培ってきた稲尾家当主としての楓と、母としての楓はやはり別人である。血に刻まれた「当主」の振る舞いは、それ自体決して冷たい意味ではない。一族を思えばこそ、当主は冷たい判断を下す。

 そしてきっと母親としての楓は、誰よりも竜胆の顔を見たいのだろう。当たり前だ、我が子なのだ。それこそ飛び出していきたいのは楓の方であろうことは、想像に難くない。


「燈真の手形はこっちね。一応確認しておいて」靖雄が手形札を手渡してきた。

「わかった」


 今は、守護防人しゅごさきもりの稲尾燈真ではなく、居候の燈真である。

 受け取った木札は鉄で補強されている。そっと妖力を込めて読み取ると、


 裡辺郷りへんきょう 吉川藩きっかわはん魅雲村みくもむら雪狩六軒通ゆきがりろっけんどおり 石高七十石こくだかななじっこく 郷士ごうし 漆宮燈真しのみやとうま 火之暦八五一戌寅つちのえとら

 一 此者、生国は裡辺にて、たしか成る者に御座候、此度和深かずみ行脚の為罷出まかりいで候、郷々御関所相違無く御通しくださるく候。


 ──と、概ねそのようなことが書かれている。

 文言がいささかばかり古風なのは、寺社があえてそうしているだけだ。この土地の文化を保全し、伝える役目を担っているという自負だろう。


「とうま、ぶきは?」

「手足がついてるだろう」

「けんは? ぶしの、みたま」

「形だけでもさしておいた方がいいんじゃないかい? あるとないとじゃ、だいぶ変わるだろう」靖雄が呆れ顔で言った。


 燈真は片眉をあげて、「そうだな」と言った。己の何気ない返事には言外に、主君である椿姫の顔に泥を塗るかもしれない、という自覚も含まれている。

 彼女はその程度で泥に塗れるような狐じゃない、と思っているだろうが、渡る世間には意外と、“鬼”が多いことを、燈真は知っている。

 己が馬鹿にされるのは慣れているが、椿姫がその巻き添えを食うのは耐え難かった。


「あ。刀って言ってもな……俺使わないからほとんど柊や神社に寄贈してたんだった」

「えっ、なんで! 柊に渡したら二度と帰ってこないわよ!?」

「ひいらぎ、しゅうしゅうかだから……」


 刀をはじめとする武具は美術品としての側面、歴史的資料としての側面も大きいため、実は報奨金も出る。あるいは、税収を軽減するよう藩主に掛け合える。東条和深では寺社仏閣が国の事実上の頂点である「神仏統治」が普通だから、一応の頂点である藩主も、そして郷長とて神社の嘆願は無視できない。

 ただ、燈真は本当にいらないから寄贈しているだけで、報奨金は二つ返事で断る無欲ぶりなのだ。

 そこがまた、なぜか「武士の鏡」と言われており、正直困ってしまう。いらないものを持っていても仕方がないから、欲しがる者に渡しているだけなのだ。


「どうしよう、木剣じゃあだめだよな」

「だ、だめだよ。なんてやつ……」菘が呆れてポカンと口を開けていた。

 これには靖雄と椿姫も苦笑い。


 そこへ、十二単を身に纏う、この上ない美女……妖狐が現れる。

 鉄扇をたたみ、すっと居間に入る。尻尾は、九本。白狐だ。

 皆、気付かぬふり。


「む……らしく入ってきたつもりであったが」

「ひいらぎ、とうまのかたな……ちょっとかしてほしいかな」

「またぐらに立派なのがあるだろう」


 下品なことを言い放つのは、稲尾家当主で、千年以上を生きた宿老、稲尾柊。

和深かずみ大陸最強の妖怪は?」という問いがあるとしたら、「お前、世間知らずもいいところだ。野人かなにかか?」という蔑みの枕詞とともに「稲尾柊」と返されるほどの存在。

 最強という言葉の意味とはすなわち稲尾柊であり、稲尾柊という名に天下無双の意味を内包するとすら言う武芸者・妖術師までいる。


 今でこそ平々凡々、凡百の妖狐のような雰囲気だが、一度全開の妖気を発すれば、楓さえ圧倒される。まして椿姫や燈真など、気を失いかねない。


「柊、子供がいるんだけど」椿姫が低い声で言った。

「ええい、だからこそだ! 幼いうちからそういうことに触れさせねば大人になっておかしな遊びに傾倒するようになるのだ! 時になんでも潔白身綺麗にすれば良いというわけではなく、あえて臭いものの蓋を外して──」


 柊の子育ての理屈は、まあ、間違ってはいないのだろう。だが、今はそれを聞いている場合ではない。

 実際そのおかげで椿姫も燈真も色狂いにならずに済んだのかも知れない──と、お互いに思っている。


「柊、大小差しておきたい。……いや、俺から渡しておいて貸してくれっていうのも格好がつかないのはわかっているが」

「ああよい、ならば、お主の物ではなく、妾の秘蔵品から贈答すれば体裁は保てるだろう。よしよしそうすればいいのだ、ワハハ」


 このようにさっさと機転を利かすのは、狐の賢さと言えた。

「ちょっくら、蔵に行ってくる。蔵だけにな。ガハハ!」


 しん、と空気が凍りついた。

 柊は肩を落とし、「……そんな、そんなつまらなさそうにせんでもいいだろう」と言いながら居間をでていった。

 その尻尾は、威厳ある九尾とは思えぬほどに力無く垂れ下がっていた。



 註※:芋がら縄

 これは芋茎を濃縮した味噌の汁で煮しめ、乾燥させたものであるから、切って湯に入れれば味噌汁になる。今でいうインスタント味噌汁。戦国時代に食べられていたもので、当時の陣中食。

 かぶっていた兜や鉄笠に湯を入れて戻し、干飯、鯉の陣中漬けなどを入れて雑炊にして食べていた。

 ちなみに干飯とは今でいうアルファ化米であり、炊いた米の滑りを水で落とし、天日に干して乾燥させたもの。

 古事記にはヤマトタケルもこれを糧食として持ち歩いたという記述がある。

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