第六幕 酔剣

 六年前、京洛。

 斬った、斬った、斬った──。

 六人。若い侍だ。酒に酔う、肉塊に過ぎぬ──愚昧な、平和惚けした連中である。


 己は何だ。人斬りだ。そう、人斬りである。

 だが、なんだ。この物足りなさは。


 もっと、もっと──ただ血を浴びるだけではない。弱者をいたぶるだけでは足りぬ。

 強いものを、己の武を試されるような相手を斬りたい。斬られ、斬り、斬り合うのだ。

 ひたすらに己の身が奮い立ち、丹田が熱くなるようなイクサはどこだ!


 緋色の凶手は現場から逃れる時、己と鏡写しのような、赤い人影を見る。

 そのはこちらに駆け出す。己はそいつが敵だと察するなり凛と刀を抜き、

 気づけば刀は相手に取られ、打ち据えられ、転がされていた。


 何が起きたかわからない。

 ──確実に奪るために、まずは首を狙う刺突を打った。だが、それは手甲で逸らされて空を切り、上方に逸らされた勢いで手首に痛烈な掌打を加えられ、太刀取りを許した。

 そう、認識としてはわかる。だが、そんなことを可能とするのか。相手は、抜刀さえしていない。


 ──恐ろしい胆力である。


「攘祓派は瓦解する」

「なに」


 男は奪った刀を丁寧に懐紙で拭い、「血は丁寧に拭え。目釘が腐る」と言った。「弾いた時、わずかに軋んだ。手入れを怠るな」とも。

 女は悔しさに歯噛みする。なんなのだ、こいつは──。


「俺は暁星嶺慈。影法師という集団の頭領だ」

「……名乗ると思うか」

闇咲円禍やみさきまどか。……フン、和深系エルドランド二世、ってとこか? 出身は海の上ってとこだろう。経歴不明ってのは大方密航者か、居場所を得られなかった二世だ」


 全て当たっている。なんだ、この男は。


「俺と来い。お前が望むものをもたらしてやろう」


 そう言ったのは、──邪悪な妖狐だった。暁星嶺慈は尾を顕現。その数、九本。

 続けて、こう言った。


「攘祓派は優秀な〈頭〉を亡くしてな。……混乱する配下には俺が腹を割って話す。そして手下につけ、俺は俺のなすべきことを、なす」


「何を……なさるのです」気づけば敬語だった。この男からは、匂い立つような邪悪の黒と、血潮と戦火の赤色を感じていた。


「俺たち妖怪が、真に妖怪らしく生きられる世界を作る。取り戻すのさ、あの動乱を」


 邪悪な笑みを、だが、どこか儚い、何かを求め足掻く少年のような笑みを浮かべた。

 ──抱きしめたい。

 場違いにもそう思ってしまった。そうせねば、自らの炎で燃え落ちる危うさがそこにあった。


 嶺慈は言う。


「俺は、俺たちは【永遠なる闘争世界】を、この手で掴み取る」


 円禍は、視た。

 玉兎を喰らう狼神オオカミを、それを包む闇夜をも、この世全てを喰らい尽くす闇色をした……狂乱怒濤に生きる傾城の悪狐を──。


「俺と来い。教えてやる、喧嘩の花道ってのを」


     〓


 館の上に立つ女が香炉を蹴り砕いた。秋唯は怪訝に思い眉を寄せる。自棄になったわけではないだろう。そのような短気者ならば、このような策を思いついたり、任されたりはしない。


 翻る外套、あらわになる赤い和装、赤い髪。

 狼の耳、八本の尾。雷獣──いや、あれは、


「送り狼──」

「ああ。あの世へ送ってやる」


 顔面、拳が迫る。

 槍の柄で受け止めるが、悍ましさすら感じる威力。咄嗟に相手の拳を右上に逸らしつつ柄を手放し、左へ跳んだ。

 それでも拳が掠めた右肩が脱臼、秋唯は宙を四回転して石壁に激突し、それを粉砕して埋まった。


「おもちゃに頼るな。その手足は飾りか?」


 ごき、と首を鳴らし、送り狼は言う。


「おいおい、新妻を殴られちゃたまらんよ」

「なんだ糸目」


 そこへ、狐春が打撃。例のもふもふ棒を握り、打ちかかる。送り狼は左腕で受けた。ぼふっ、と容易く止められる。

「ふざけたものを」

「そう思うかい?」


 はっとして、送り狼が二撃目は

 三、四、送り狼は避け、いなす。

 そうして五。送り狼は素手で、ようやく受けた。


「術法の回りが遅いね。弱点じゃないか」

「難儀な術でな。お前こそ、それでよくやる……思いつきは愉快だ」

「ふふ……盲点だろ」


 獣系妖怪には、「毛針硬化の術」がある。文字通り、体毛を針のごとく硬化する術だ。

 狐春のもふもふ棒は、狐春自身の体毛でできている。つまり、彼の妖力に呼応し、硬化する術法を帯びていると言うわけだ。

 毛針硬化で固まった棒──もはや、鉄塊といっていい強度。

 重心を保つために錘を仕込んでいるため、重量は一般的な刀と同じ。となれば、その打撃は平然と、骨を砕く。


「怒りか? 剣筋が荒いぞ」

「俺にも感情くらいあるさ」


 拳打で鉄塊もふもふ棒を防ぐ。互いに術を使う故、凄まじい轟音が響く。

 相手の術は、効果は、制限は──。

 ──秋唯。


 いや、いや……秋唯は無事だろう。鼓動音、呼吸音がする。多少の手傷はあるだろうが、それで死ぬよう女じゃない。


「お前──目が見えないのか?」

 耳と鼻が動いているのをさったのだろう。送り狼はそういった。

「うん。それ以上に、耳と鼻がいいんだ。どうぞ遠慮なく」

「そうしよう」


 狐春は目が見えない。その光を奪ったのは、秋唯である。だが恨んでいない。己が弱かっただけだ。

 それに、見えなくなったからこそあれこれがより匂うようになったし、耳も遥かに良くなった。

 尾を軽く振って、毛針を飛ばす。送り狼が宙に舞い、そこへ、


 雷撃。


「ちぃ」


 送り狼は反射的に妖力が最も集中する部位──尾で、防ぐ。けれども悪手だ。

 尾で防ぐと言う発想自体はいい。妖力が濃いということは、それだけ妖術耐性も高いと言うこと。硬化術を使えば、物理的な防御もできる。

 しかし同時に、妖力が剥き出しになった弱点でもある。そこを乱された場合、一気に術法が解ける可能性があるのだ。


 秋唯は技に特化した雷撃術使い。相手の妖力を乱すことは、容易である。


「糞……術が」

「疾ッ」

 狐春はもふもふ棒(硬化)を投擲。送り狼は身を丸めて防ぐ。

 着地、そこへ、


「共闘?」

「頼めるかな」

「いいよ」


 仙龍の武人が到来。掬い上げるような掌打を送り狼に加える。

 入った──。いや、


「あれ……」

「妙な技だ」


 送り狼に、発勁が決まった様子がない。

 その間に狐春は腰にぶら下げていた瓢箪の栓を抜き、中身をガブガブと飲み始める。瓢箪には大きく「酒」とあった。


「おかしいな……」


 すかさず二、三。打撃が決まる。

 しかし、送り狼は直撃の瞬間に身を捻り、炸裂する勁力を逃がしているのである。

 恐らくはそのような天賦だろう。本能的に攻撃を見極めて、直撃がまずいものに対しては、あのようにして威力を殺していると見える。


「すごいな、初めてだよ。私はシア! お姉さん、名前は!?」

「……闇咲円禍」

「マドカ、円禍。覚えたよ。強いね。師匠は誰?」

「我流だ」


 狐春が二つ目の瓢箪を空にし、そこで、どうと倒れた。


「おい、その男は何してる」

「嫌なことがあったから酒飲んで忘れようとしたんじゃない?」とシア。

「ふざけた野郎……殺してくれる。お前とはその後で遊んでやる」


 送り狼──円禍が腰から馬手刺しを抜き、狐春に接近。

 シアは小声で、「やめた方がいいんじゃない?」という。「酒癖悪かったら面倒だって」

 遠くで、折れた肋の激痛に喘ぐ秋唯も同じことを思っていた。よせ、と。


「死ね、狐」


 振るわれた馬手刺し。だが、次の瞬間狐春の蹴りが馬手刺しの峰を蹴り付けて吹き飛ばす。

 狐春、蹴りの勢いで逆立ちし、両手を忙しく動かして逆立ちのまま円禍に接近する。


「な──」

 両足がぶんぶん動き回り、円禍はどうにか捌いた。足払いで崩す──円禍はすかさず足を払ったが。


「天上天下、唯我独尊! この世で最も尊いのは、唯々我一人であーる!」


 裏返った、心底人を馬鹿にした声。

 狐春は両手で地面を弾き、宙に舞い、円禍を追い抜いてもふもふ棒を拾い上げて立ち上がった。


「なんだぁ君は! 見覚えがあるぞ! さては幕府の密偵だなあ!?」


 酔っ払っている──この状況で。

 シアは「な、なんだこれは」と目を白黒させ、円禍は「馬鹿にする」と苛立つ。


 円禍は右拳を振り抜いた。狐春は前方斜めに倒れ込みつつ、肩からぶつかる。武術ではない。ただの、酔っ払いの挙動。

 そして狐春は腕を鞭のようにしならせて打擲。円禍の右脇腹を痛烈に打ち据え、しかし彼女は左の手で酔漢の顔貌を掴むが、あろうことかそのまま押してくる。


 押される──押し込まれる。そう思ったら、今度は狐春は後ろに下がり、数歩たたらを踏んでから、にやりと笑う。


「密偵じゃあないなあ……うーん……君は知っているかね、私の、この、酔剣の真髄をぉ!」

「知らん……なんだお前は」

「知らん!?」声が上擦った。この上なく癇に障る声であった。「それはいかんなあ、この酔剣、美濃狐春が編み出せし、世界最強の剣術を見ずして、なーにが和深かずみか! よろしい、見せてやろう」


 円禍は呆れた。

 隙だらけだ。

 しゃべりに夢中で、まるで、「ひとの話は、最後まで聞かんかね」

 目の前に、狐春のもふもふ棒が迫る。──さきほど押し込んだ際に拾い上げていたらしい。隙だらけ、馬鹿げた挙動も全て、拾う動作に意識を向けさせぬ策……!


 ──まずい、今これは、鉄の如き、


「おっと、一本だ、ワハハ」


 もふり、と柔らかい感触が額に当たった。

「大将首、討ち取ったりぃ〜〜〜〜!! 見たかね諸君! これぞ酔剣だ!」


 ……なんなのだ、この男は。円禍は呆れて、戦意を喪失してしまった。興を削がれたと言っていい。


「もういい、おおよその目的は達している」

「そうかね! 歯を磨け、寝る前には厠へ行け! とと、おっとっとっと、それから、酒は呑んでも呑まれるな。……うっぷ」

「お前に言われたくはない」


 円禍は身を翻し、そして煙幕を叩きつけ、遁走した。

 シアも、そして秋唯も激痛を忘れて、狐春が激しく嘔吐するのを見ているしかなかった。


 ──円禍が本気を出していれば、おそらく、鏖殺だったと言っていい。

 それを、酔剣が食い止めた。そう考えれば、──なるほど確かに、最強の剣術と言っていい。


 争わずして、勝つ。

 狐春の戦術理念が、まさに勝利を掴んだのだった。


     〓


 火の暦八七八年 四月八日 月曜日 ──化獣ばけもの騒動から三日後

 天海郷 坂東府 麹町区のある集合住宅アパートメント


「長屋も偉くなったもんだなあ」狐春は洋風長屋であるアパートメントに興奮気味であった。

 酔剣の時の馬鹿らしさ(ある種の悟り?)はどこへやら。人を食ったような顔で、糸目で、部屋を眺める。

 実際は、聞き、嗅いでいるのだ。声を発し、その反響で全てを認識するという離れ業で。


「火事に強い家々を、とな。水道設備を完備、放水器具の増強を図ったのもそのためだ。これまでは破壊消防が一般的だったが、これからは放水による消化活動が主な火消しとなるだろう」

 秋唯はそう言って、水甕みずがめから柄杓で水を注ぐ。茶碗を狐春に渡し、彼はその中身を呷った。


「俺はある程度不便なくらいがいいと思うけどね。あれこれ詰め詰めにしちゃうと、余裕っていう錯覚に追い詰められて、切羽詰まっていくんじゃないかな」

「我らは見守るのみさ。……この激流の片棒を担いでいるのは、妖怪もまた然り。年寄りが喚いてもどうにもならん」

「適応、か」


 外では雨が降っている。アパートメントは和洋折衷の作りで、窓は虫籠窓である。出窓になっていて、雨が少し入り込んでいるが、布を敷いている。

 秋唯は椅子に座った。


「屋敷を建ててくれるんじゃなかったのか」

「そのつもりだけどね。ここまで忙しくなるとは思わなんだ……事が済んだらでかい家を建てようよ。俺の実家でもいいけど、ボロくさいからなあ」

「お前は生まれは……美濃郷か」

「苗字と同じでね……なんでも、郷長の家系の傍流だとか。俺みたいな不良侍が出るとは思うまいよ」


 自虐気味に笑う狐春。

 彼は戦国乱世の時代では、美濃狐と恐れられる武将の一人だった。だがあるとき目から光を失い、表舞台から姿を消す。

 奇しくも戦乱を、尾張の女武将として身を立てた秋唯との一騎打ちの時だ。


 秋唯が策を弄し、呼びつけた天雷の一撃で、彼は視力を一切失った。


 以来、各地で美濃狐らしき者を見たという噂が立つ度に秋唯はその土地へ赴き、狐春との決着を望んだ。

 だが彼は「ええ……もう俺の目を奪ったじゃないか。首から上を。実質、首級を挙げたようなものだろう」と訳のわからない文句を口走り、のらりくらりと避けていった。


「私を恨んでいないのか」

「時代がそうさせたんだよ。俺が弱かった。秋ちゃんが強かった。それが全部だろう」

「討幕の戦の時。直接斬り合うことはなかったが、やはり陣営は対立していた。今回だって、私がまだ警察にいたら、場合によっては、」


 狐春は真剣に言った。

 それからの無言を、雨音が埋め尽くしていく。


「雨はなあ……音も匂いも撹乱されるから苦手だ」

「行きたいところがあるなら、私が手を引いてやらんでもない」

「じゃあライスカレーを食いに行こう。ずっと、それを楽しみにしてたんだよね」


 秋唯は、微笑んだ。

「行こうか」

「うん」


 これから忙しくなる。

 だが、悪い気はしない。


 外に出ると、シアが傘を差していた。こちらに一本、差し出す。


「一本だけかい、シアちゃん」

「あんたらは、二人で一本でちょうどいいでしょ? 違う? なつめさんが、三人で行動しろって。それにしても、ここも大変だねえ」

「どこもかしこもさ。秋ちゃん、濡れちゃうよ」

「お前の言うカレー屋ってのはどこだ? シア、わかるか?」

「わっかんないけど……そもそも何、カレーって」


 三人は雨の中、妙に楽しい気分で歩いていた。

 偶然の再会、偶然の共同戦線、それでできた不思議な因縁。

 これから、激動を迎えることは確か。

 けれど、自分たちなら乗り越えられるという自覚が、自負が、確かにそこにあった。

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