大河ドラマの誕生
1963年4月、のちに“大河ドラマ”と呼ばれる大型時代劇の第1作『花の生涯』の放送が始まる。総合テレビの日曜午後8時45分からの45分番組だった。原作は舟橋聖一の新聞連載小説。激動の幕末を舞台に、開国を主張し、桜田門外で水戸浪士の襲撃を受けて果てた大老、井伊直弼の生涯を描いた。
この年は1953年にテレビ放送を開始して10周年。テレビの普及率はほぼ9割、受信契約件数は前年の3月に1000万を突破していた。当時の娯楽の主流は、1950年代に黄金期を迎えていた映画。その「映画に負けない日本一の大型娯楽時代劇を作れ」という当時のNHK芸能局長・長澤泰治の大号令で『花の生涯』の制作がスタートする。
長澤は制作担当の合川明に、佐田啓二、長谷川一夫、京マチ子、淡島千景といった当時、人気絶頂だった映画スターの名前を列挙し、キャスティングするように求めた。芸能界には疎い報道出身の新任局長の無謀な要求に、「できっこないよ」と思いながらも、合川は出演交渉に映画会社を回った。京マチ子の出演交渉で京橋の大映本社を訪れた際は、「うちの重役スターを“電気紙芝居”に出すわけにはいかない」と、門前払いをくう。急成長するテレビ業界に危機感を抱いていた松竹、東宝、東映、大映、日活の各映画会社は、「専属俳優をテレビに出演させない」という項目を含む「五社協定」を結んでいたのだ。途方に暮れた合川ら制作担当者は、歌舞伎の世界に活路を求めた。松竹の中でも歌舞伎は映画部とは別組織の演劇部の所属だったのである。その結果、「歌舞伎を一切休ませない」という条件で、尾上松緑(二代目)の出演許諾を得ることに成功する。
次のターゲットは佐田啓二。当時佐田は、1953年に公開された「君の名は」の春樹役で絶大な人気を誇り、松竹のトップスターに君臨していた。合川ら制作担当者は東京・田園調布にある佐田の自宅に足繁く通った。まだ幼かった中井貴惠、中井貴一の姉弟とトランプやボール遊びをしながら、佐田の帰りを待ったという。しかし何度足を運んでも色よい返事はもらえず、「もうあきらめます」と最後の挨拶に行ったその日に、「作品について詳しく聞かせてほしい」と切り出される。佐田はロサンゼルスの友人にアメリカのテレビ事情を聞き、「将来、娯楽の王様はテレビに変わる」と知らされたのだった。
佐田の出演が決まり「五社協定」の一角が崩れると、その後、雪崩を打つように映画スターの出演が決まった。主役の井伊直弼に尾上松緑、その懐刀の長野主膳に佐田啓二、そのほか淡島千景、香川京子、八千草薫、西村晃、中村芝鶴、北村和夫らが出演。映画に負けない豪華キャストをそろえ、世間を驚かせた。
初回の世帯視聴率は25.6%、放送が進むにつれ40%を超える視聴率を記録する人気となった。
こうして『花の生涯』が大成功を収めたことで、その後NHKのフラッグシップとなるドラマシリーズが、その第一歩を踏み出した。
大河ドラマの確立
『花の生涯』の翌年、1964年1月5日、第2作となる『赤穂浪士』がスタートする。
原作は、大佛次郎が四十七士のあだ討ち物語を新しい史観で描いた時代小説。赤穂藩の筆頭家老・大石内蔵助を中心に、主君の恨みを晴らそうとする四十七士の忍耐と苦渋の人間模様を、1年間をかけて丹念に描いた。
主役の大石内蔵助を演じたのは、テレビドラマ初出演の映画界の大御所長谷川一夫、その妻りくに山田五十鈴。そのほか淡島千景、尾上梅幸(七代目)、坂東三津五郎(八代目)、滝沢修、宇野重吉、林与一ら、映画、歌舞伎、新劇の各界から、人気、実力ともにトップクラスが顔をそろえた。さらに前年、「高校三年生」が大ヒットした新人アイドル歌手舟木一夫を矢頭右衛門七役に抜擢。女性や若年層も取り込み、前作『花の生涯』をしのぐ夢のキャスティングを実現させた。
作曲家の芥川也寸志が手がけた重厚なテーマ音楽も話題になり、初回世帯視聴率は34.3%。ドラマのクライマックスとなる吉良邸討ち入りの回では53.0%に跳ね上がった。この数字は大河ドラマ史上最高視聴率で、現在もこの記録は破られていない。
『赤穂浪士』の大ヒットで、「暦年で年1作」という放送形式と、豪華キャストによる大型時代劇という現在の大河ドラマの原型ができあがった。
“大河ドラマ”というネーミングも、『赤穂浪士』の放送開始を報じた読売新聞が、「大河小説」になぞらえて初めて記事に使った言葉だった。この呼称は、徐々に視聴者に浸透していき、1970年代に入ると日曜夜の「大型時代劇」は、「大河ドラマ」の通称で呼ばれるようになる。
第3作『太閤記』(1965)は、日曜午後8時15分からの45分番組。吉川英治の歴史小説を原作に、豊臣秀吉の生涯を一人の男の成長物語として生き生きと描いた。
第1回の冒頭は、前年に開通したばかりの東海道新幹線の実写映像から始まった。時代劇を期待していた視聴者の意表を突いたオープニングだ。番組を演出したのは、2年前まで教育局で『日本の素顔』や『現代の記録』などのドキュメンタリー番組を担当していた吉田直哉。物語の舞台を現代の風景で見せたり、城の石垣の積み方や武士の俸禄などについての解説を挿入するなど、斬新な演出が“社会科ドラマ”と話題になった。
主人公の秀吉役には新国劇から映画デビューして5年目の緒形拳、信長役には文学座の研究生だった高橋幸治、石田三成役には慶應義塾大学の学生だった石坂浩二を抜擢。前作『赤穂浪士』が各界のビッグネームをそろえたのに対し、ドラマ番組に異動したばかりの吉田は「こっちも新人だから、役者も新人で」と、フレッシュなキャスティングをおこなった。吉田の狙いは的中し、3人の人気は急上昇。高橋幸治の人気は際立ち、「信長を殺さないで」という視聴者からの投書がNHKに殺到。「本能寺の変」の回を2か月遅らせる異例の措置がとられた。3人は『太閤記』をきっかけにブレークし、テレビがスターを生み出すはしりとなった。
『太閤記』は現代的な視点から時代劇を「人間ドラマ」として描き、その後の大河ドラマの方向性を示した。平均視聴率では『赤穂浪士』と同等の31.2%を記録。『太閤記』の成功で、日曜夜の歴史ドラマ路線は確立された。
その4年後の1969年1月、第7作『天と地と』が、日曜午後8時15分からの45分番組で始まる。その後、新年度の番組改定により4月13日放送の第15回から開始時間が15分繰り上がり、午後8時のスタートとなる。以後、午後8時から8時45分までの放送時間が定着する。
『天と地と』は大河ドラマ初のカラー作品。上杉謙信と武田信玄、両名将の対比をドラマの中心に据えて、戦国時代を背景にした人間模様を描いた。
原作は海音寺潮五郎の同名小説。主役の上杉謙信を石坂浩二が、武田信玄を高橋幸治が演じた。ドラマのクライマックスとなる川中島合戦のロケは、“相馬野馬追”で知られる福島県相馬市の郊外で行われた。NHKでは初めてとなるカラーによるVTRロケを敢行。まだハンディカメラのない時代で、スタジオで使用する大型カメラを持ち込んでの撮影だった。参加した制作スタッフ150名、カラーテレビカメラ40台、中継車、VTR車各1台、クレーン車や小道具などを積んだトラック3台、さらに空撮用のヘリコプターを用意して、これまでにない規模のロケーションとなった。
マンネリを打ち破る挑戦
大佛次郎、吉川英治、司馬遼太郎、海音寺潮五郎、山本周五郎などの時代小説を原作に、日本人にはなじみの深い歴史的題材を選んでドラマ化してきた初期の大河ドラマは、1970年代も半ばとなるとそれまでの“定番”を打ち破る新たな切り口が模索された。
おなじみの忠臣蔵を、幕府の側用人柳沢吉保の視点から描いた第13作『元禄太平記』(1975)、「悪人」「怨霊」で語られることもあった平将門を、民衆のために立ち上がるヒーローとしてさわやかに描いた第14作『風と雲と虹と』(1976)、「経済」をキーワードに戦国時代を庶民の視点から描いた第16作『黄金の日日』(1978)、大河ドラマ初のオリジナル脚本で、初めての“明治もの”となった第18作『獅子の時代』(1980)、豊臣秀吉の正妻ねねを主人公に、女性の視点から変革の時代を見つめた第19作『おんな太閤記』(1981)など、次々に新機軸を打ち出した。
戦国時代を中心に、試行錯誤を続けてきた大河ドラマは、1984年1月スタートの第22作『山河燃ゆ』で一新。時代劇に決別し、ドラマの舞台を近代に求めた。
山崎豊子の小説「二つの祖国」を原作に、日系アメリカ人二世の兄弟の視点から、二・二六事件から東京裁判にいたる激動の昭和史を描いた。大河ドラマでは初めての「近・現代」路線だ。続く第23作『春の波涛』(1985)は、明治、大正期を舞台に、日本の女優第1号川上貞奴と、新演劇の旗手川上音二郎らの青春模様を描いた。第24作『いのち』(1986)は、橋田壽賀子のオリジナル脚本の現代劇で、第22作から第24作は「近代大河3部作」とも呼ばれている。
1984年1月に大河ドラマが「近代シリーズ」に路線変更すると、その4月から水曜夜8時に「新大型時代劇」と銘打って『宮本武蔵』がスタートする。これまで大河ドラマが担ってきた時代劇を放送する枠の新設である。翌1985年度に『真田太平記』、1986年度には『武蔵坊弁慶』を放送し、根強い時代劇ファンの渇望に応えた。
戦国時代の復活で最高視聴率獲得
1987年1月、大河ドラマに戦国時代劇が4年ぶりに復活。第25作『独眼竜政宗』が「新時代劇大河」というキャッチフレーズでスタートした。信長、秀吉、家康の三英傑と同時代を生き、仙台62万石の礎を一代で築いた“奥州の暴れん坊”伊達政宗の波乱の生涯を描いたものである。
原作は山岡荘八の小説「伊達政宗」、脚本は連続テレビ小説『澪つくし』(1985年度)のジェームス三木。主演には連続テレビ小説『はね駒』(1986年度)でヒロインの夫役を演じて注目を集め、大型俳優として期待されていた28歳の渡辺謙を起用。秀吉を演じた勝新太郎をはじめ、津川雅彦、北大路欣也、岩下志麻などそうそうたる顔ぶれが脇を固めた。
ドラマのアバンタイトル(オープニングタイトルが出る前)に「解説コーナー」を設け、ドラマの時代背景や史実をわかりやすく紹介する演出を初めて取り入れた。第4回では「政宗と秀吉、家康の年齢差」を、放送の前年にプロ野球デビューして注目されていた西武ライオンズの清原和博と、球界の大スター長嶋、王の年齢差に置き換えて説明し、本編への導入とした。幼年時代のセリフ「梵天丸もかくありたい」が流行語になり、妻・愛姫の少女時代を“国民的美少女”として人気のあった後藤久美子が演じるなど、話題も豊富だった。平均視聴率は歴代大河最高の39.7%を記録。誰もが知る武将を主人公に据えた「戦国時代劇」という“直球勝負”で大成功を収める。
中井貴一を主役に抜擢した第26作『武田信玄』(1988)も、最高視聴率42.5%を上げる大ヒット作品となった。
1990年代に入ると、衛星放送でも大河ドラマの放送が始まる。
第31作『琉球の風』(1993年1~6月)は、陳舜臣の長編小説をドラマ化。16世紀末から17世紀にかけて、琉球が薩摩藩島津氏に支配されていった時代を描いた。第32作『炎立つ』(1993年7月~1994年3月)は、平安末期に京から遠く離れた東北の都・平泉で花開いた奥州藤原氏の100年を描いた。2作とも地方からの視点で歴史を描いた作品である。また第33作『花の乱』(1994年4~12月)では、それまで取り上げていなかった室町時代に焦点を当てるなど、3作連続でこれまでにない特異な歴史ドラマとなった。またこの期間、『琉球の風』が1993年1月からの半年、『炎立つ』が同年7月から翌年3月まで、『花の乱』が1994年4月から12月までと、2年間で3作品を放送する変則のスケジュールとなった。
第34作『八代将軍 吉宗』(1995)から1~12月の1年間放送のパターンに戻る。享保の改革を断行するなど、江戸幕府中興の祖と呼ばれた徳川八代将軍吉宗の生涯を、『独眼竜政宗』のジェームス三木が描いた。
ハイビジョン時代の大河ドラマ
2000年に入って初めて放送する大河ドラマは第39作『葵 徳川三代』(2000)。徳川の礎を築いた徳川家康、秀忠、家光の三代の治世と人生を壮大に描いた。作・脚本は3回目の大河ドラマとなるジェームス三木。本作は全編ハイビジョンで制作する初の大河ドラマとなった。高精細なハイビジョン画質に伴い、画面のヨコとタテの比率が4対3から16対9に移行する大変革であった。
撮影段階での構図の変化はもちろんだが、城の風景などの実景映像や戦国大河のハイライトともいえる合戦シーンの映像など、それまでのドラマで蓄積した汎用性のある映像の再使用がすべてできなくなった。また小道具、大道具から役者のメイクにいたるまで、美術スタッフは高精細映像への対応を迫られた。江戸城や大坂城のシーンに数多く登場する障壁画は、たとえ役者の背景にすぎなくとも細部までくっきりと映し出されるため、これまでの泥絵の具による模写というわけにはいかない。専門家の指導のもとで日本画材による本格的な復元模写をおこなった。役者のメイク用にはハイビジョンに適したファンデーションなども開発された。かつらと地肌のつなぎ目をくっきり映し出してしまうのもメイク担当泣かせ。この作品では、石田三成以下五奉行が、家康に謹慎の意を表しててい髪になるシーンで、三成役の江守徹ら五奉行役の全員がかつらをやめ、実際にてい髪して本番に臨み、“役者魂”を見せた。
ジンクスを打ち破った幕末物のヒット
『葵 徳川三代』以降、戦国時代の有名武将を正面から描いた作品は影をひそめる。代わって第41作『利家とまつ 加賀百万石物語』(2002)や第45作『功名が辻』(2006)のように夫婦の姿に焦点をあてた物語や、第46作『風林火山』(2007)の山本勘助や第48作『天地人』(2009)の直江兼続のように有名武将の家臣、いわば脇役の視点から歴史を描いた作品も増えてくる。
戦国時代とともに、大河で取り上げることが多い時代が幕末だ。2000年代にも、幕末を駆け抜けたさまざまな人物が登場する。第43作『新選組!』(2004)は、幼少のころからの大河ファンを自認する三谷幸喜が満を持して初めて手がけた作品。近藤勇の1日を1話完結で描くというスタイルに挑戦した。新選組の主要メンバーのみならず隊士たちの青春の日々を活写した群像劇には、三谷のホームグラウンドだった小劇場出身の役者たちがこぞって出演。また近藤勇と坂本龍馬が同時期に江戸に滞在していたという史実からイメージをふくらませ、若き日に両者が会っていたという大胆な展開も話題となった。
江戸城無血開城に貢献した大奥最後の御台所・天璋院篤姫の数奇な運命を描いたのが第47作『篤姫』(2008)だ。薩摩島津家の分家の姫から藩主の養女となり、十三代将軍家定の御台所となった篤姫。将軍世継ぎをめぐる政争の道具としての輿入れにもかかわらず、うつけと呼ばれた家定と心を通わせ夫婦の絆を強めていく姿に深い共感が広がった。家定の死後、大奥で采配を振るい、徳川家存続のために自ら江戸城を明け渡すことを決意。その凜とした生きざまを、大河史上最年少で主演をつとめた宮﨑あおいが熱演。これまで大河ドラマの視聴習慣のなかった女性たちを呼び寄せた。
一方、幕末の風雲児と呼ばれた坂本龍馬を等身大ヒーローとして描いたのが第49作『龍馬伝』(2010)。ミュージシャンとしてもカリスマ的人気を誇る福山雅治が龍馬を演じたことが話題となった。この作品がユニークだったのは龍馬と同時期に土佐に生まれ、極貧から三菱財閥の礎を築いた経済人・岩崎弥太郎の視点から龍馬が語られたことだった。演出の大友啓史が最もこだわったのが「幕末生中継」というコンセプトが示す徹底的なリアリティー。セットや小道具の作り込み、大量のコーンスターチで再現したもうもうと舞い上がるほこりなど、汗にまみれ、ほこりにまみれ、時代を疾走していく人々の生きざまを、大河ドラマで初めて使われた「プログレッシブカメラ」が深みのある映像で描き出す。この作品では、初めて「人物デザイン監修」も導入している。香川照之が演じた弥太郎のふん装のすさまじいまでの汚れぶりは、登場人物をビジュアルで明確に訴えるという試みだった。
共感を呼んだ女性主人公の力強い生き方
第51作『平清盛』(2012)は、第10作の『新・平家物語』(1972)以来40年ぶりに平安末期が舞台となった作品。平安京の内裏が焼け落ちた都の荒廃ぶりなど、時代の空気感を再現した画面には当初「映像が暗い」という批判もあったが、それに反論する熱狂的なファンの声もあり、一部で論争も起こった。「たくましい平安」というコンセプトのもとに、リアルな平安時代を描く。そんな制作陣の意気込みが如実に表れたのが、宋船や大型和船など8隻の船を実際に製作したことだ。瀬戸内の海に再現された平安の船団は、CGやセットでは表現できないスケールと迫力をもたらし、海賊を束ねて武士の頂点に立った清盛の生涯を描くうえで外すことのできない演出だった。この海賊船(宋船)は後の大河ドラマ『おんな城主 直虎』や大河ファンタジー『精霊の守り人』にも再登場して話題となった。
東日本大震災で深刻な被害を被った東北の復興支援を目指して作られたのが第52作『八重の桜』(2013)である。幕末に敗戦を喫した会津出身の新島八重を主人公に、賊軍のらく印を押された絶望の淵から立ち上がり、その後の日本をリードしていく存在となるまでを描いた。幕末から明治まで「ならぬことはならぬ」の信念を貫き、苦しみを乗り越えたくましく花を咲かせた八重。その強い意志を綾瀬はるかがりりしく演じた。
第50作『江 姫たちの戦国』(2011)は、三代将軍家光の生母となった浅井三姉妹の末娘・江の生涯を描いた。吉田松陰の妹として生まれ、幕末に国に殉じた志士たちの思いを新しい時代に引き継ごうと懸命に生きた女性を描いた第54作『花燃ゆ』(2015)。そして第56作『おんな城主 直虎』(2017)と、歴史の表舞台に出ることのなかった女性の生き方やその波乱万丈の人生にスポットを当てた作品も増えてきた。
『おんな城主 直虎』は、幕末の大老・井伊直弼で知られる井伊家の礎を築いた直虎を主人公に、これまでの戦国ドラマではなじみのない遠江の小国、井伊家を舞台にした作品。井伊家の姫として生まれ、非業の死を遂げた男たちに代わって自ら城主となり、“井伊の赤鬼”の異名をとる井伊直政につなぐまでの直虎のドラマチックな人生を描いた。歴史ある井伊家を守り抜いた直虎を演じたのは、NHK初出演で主演をつとめた柴咲コウ。そして直虎を支え続けた家老小野政次を高橋一生が演じた。せい絶な処刑に至るまでの政次の孤高の生き方は、高橋一生の好演によってドラマの大きな見どころとなり、多くの女性たちをひきつけた。
大河の常識を打ち破る意欲作も
第55作『真田丸』(2016)は、『新選組!』以来の三谷幸喜の脚本で、真田幸村の名で知られる真田信繁が大坂の陣で散るまでを描いた物語だ。信繁はいわば「敗者の代表」。時代を作った人物より取り残された人の人生により興味を抱くという三谷らしい作品である。放送初回から注目されたのは草刈正雄が演じた信繁の父・真田昌幸だった。信濃の小さな国衆である真田の生き残りを懸けて、知恵と技術を駆使する昌幸の強烈な個性を、草刈が重厚かつユーモラスに演じた。
ちなみに三谷幸喜は終盤、「大坂冬の陣」で信繁が物見やぐらから徳川勢を見おろすシーンで井伊の赤備えに言及し、ここにいたるまでの物語を聞いてみたいといったセリフを差し挟んだ。翌年に放送を控えていた『おんな城主 直虎』へのエールだと評判になった。
第57作『西郷どん』(2018)は、原作・林真理子、脚本・中園ミホの女性コンビで維新の立役者、西郷隆盛を描いた作品。歴史上、西郷が果たした偉業の数々を描くことはもとより、それ以上に注力したのは、いまだに誰もが「西郷さん」とさん付けで呼ぶ西郷の人望を表現すること。西郷を取りまく人間模様や家族の物語を情感豊かに描くことで、優しさや親しみを感じられるドラマとした。主演の鈴木亮平は制作サイドから体重の増量は必要ないと言われながらも、25キロも増やして役づくりにつとめたことも話題となった。
第58作『いだてん~東京オリムピック噺~』(2019)は、オリンピックを題材に明治から昭和までを描いた作品で、大河に昭和が登場するのは第24作『いのち』以来である。脚本は宮藤官九郎。主人公は前半がオリンピックに初参加した金栗四三、後半が日本にオリンピックを呼んだ田畑政治で、2人がリレーでドラマをつないだ。両者と交わるキーパーソンとしてオリンピックに情熱を注ぐ嘉納治五郎が登場し、知られざるオリンピックの歴史を描いた。ユニークだったのは、ストックホルムから東京までの道のりを描きながら、明治から昭和の風景、移り変わる庶民の暮らしを噺家・五代目古今亭志ん生に語らせたこと。エネルギーに満ちた時代の空気感、そこに生きた人々の熱い思いが軽快に描かれたが、これまでのイメージを覆した近代大河になじめないという旧来からの時代劇ファンの声もあった。その一方で、大胆な演出とタイムリーな話題で新たな視聴者層も掘り起こした。
2020年1月にスタートした第59作『麒麟がくる』は、「本能寺の変」で織田信長を討ったことで知られる戦国武将明智光秀が主人公。謎に満ちた光秀の前半生にスポットを当て、戦国の英傑たちの運命の行く末を描いた。脚本は池端俊策。主演に長谷川博己、織田信長を染谷将太が演じた。
2020年は新型コロナウイルスが世界的な感染の広がりを見せ、日本では4月7日に緊急事態宣言が発出された。NHKでは4月1日から感染防止の観点から『麒麟がくる』の収録を一時休止。それに伴って6月7日放送の第21回をもって新規放送を一時中断した。翌週14日からは『戦国大河ドラマ名場面スペシャル』等の代替番組に切り替えた。8月には『麒麟がくる』の前半総集編を3回にわたって放送し、再開に備えた。
放送は8月30日に第22回から再開し、最終回は2021年2月7日にずれ込んだ。『麒麟がくる』の後を受けて2021年2月14日にスタートした『青天を衝け』は、大河ドラマの記念すべき第60作。主人公は約500もの企業を育て、約600もの社会公共事業に関わった“日本資本主義の父”渋沢栄一。脚本は大森美香、主演は吉沢亮が演じた。スタート当初、埼玉県血洗島村を舞台にした栄一の青年期と、のちに栄一の主君となる徳川慶喜を取り巻く江戸の政をパラレルワールドのように展開させることで、主人公の成長と時代の鼓動を同時に描いた。慶喜を演じた草彅剛の演技力の高さや、徳川家康(北大路欣也)をナビゲーターに据え、難解な幕末をわかりやすく伝えたことなど、SNSなどを中心に話題となった。
新型コロナウイルスの影響で変則的な放送日程を余儀なくされた大河ドラマだが、第61作『鎌倉殿の13人』(2022)からは、1月から12月までの通常スケジュールで放送された。『鎌倉殿の13人』の主人公は、武士の世を盤石にした鎌倉幕府二代執権北条義時。源平合戦から鎌倉幕府の誕生、源頼朝の死後に繰り広げられる激しい内部抗争を経て、義時が武士の頂点に上りつめるまでを描いた。脚本は3回目の「大河ドラマ」執筆となる三谷幸喜、主演は小栗旬。源頼朝(大泉洋)、北条政子(小池栄子)、北条時政(坂東彌十郎)、りく(宮沢りえ)など、個性豊かな登場人物たちが生き生きと描かれ、非情な粛清の物語というダークな一面もありながら、三谷の持ち味であるコメディー要素を取り入れた群像劇として話題を呼んだ。
第62作『どうする家康』(2023)は、『徳川家康』(1983)、『葵 徳川三代』(2000)に次いで徳川家康を主人公に描く3作目の大河ドラマだ。タヌキ親父のイメージで語られることの多い従来の家康とは一線を画する新鮮な家康像を演じたのは嵐の松本潤。家康が直面するたび重なるピンチの連続を波乱万丈のエンターテインメントとして描いたのは脚本の古沢良太。この作品では、デジタル空間とリアル空間をさまざまな手法でつないで映像化するバーチャルプロダクションも話題となった。
第63作『光る君へ』(2024年)は、世界最古の長編小説といわれる「源氏物語」の作者・紫式部の生涯を描いた作品。平安時代中期を舞台とした大河ドラマは平将門を主人公とした第14作『風と雲と虹と』(1976)以来、48年ぶり。主演は吉高由里子。脚本は第45作『功名が辻』(2006)以来の大石静。当時の史料が少なく不明なことも多いが、その分、想像力がかきたてられるとして「全編オリジナルストーリーの気概」で臨んだという。平安貴族の優雅な日常からどろどろの権力闘争まで史実を追いつつ、藤原道長(柄本佑)との身分を超えた深い絆と、たぐいまれな想像力で「源氏物語」を紡いでいく紫式部の姿が描かれた。
大河ドラマ第64作『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』(2025)の主人公は、貧しい庶民の子に生まれ、貸本屋から始まり「江戸のメディア王」となった蔦屋重三郎。喜多川歌麿らを見いだし、なぞの絵師・東洲斎写楽を世に送り出した人物である。その笑いと涙に満ちた謎の生涯を、『おんな城主 直虎』を手がけた森下佳子の脚本で描く。主演は横浜流星。
大河ドラマは「大型娯楽時代劇」として始まり、日本の歴史に材を求めながらも、常に現代の視点から人間のドラマをダイナミックに描いてきた。それは古典的な勧善懲悪型の時代劇や、チャンバラ活劇とは一線を画する新たなドラマ領域を開拓する挑戦でもあった。
また一方で、時代劇を日本の文化として継承する役割も担ってきた。時代劇はひとたび制作をやめると、殺陣、かつら、衣装、大道具、小道具など、時代劇特有のノウハウや人的資産が失われてしまう。大河ドラマは、そうした危機感への防波堤にもなってきた。
制作担当者は「大河ドラマはあくまでフィクション」と自由にドラマを紡ぎだすが、実際の歴史をベースに描く以上「大河ドラマでウソはつけない」とも語る。徹底した時代考証や、美術セットの“ホンモノ”へのこだわりはそのためだ。大河ドラマは『NHKスペシャル』『NHK紅白歌合戦』と並ぶNHKの看板番組として、常にドラマ作りの最高峰を求められている。