あなたに幸せでいてほしい


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作:綾小路君をTSヒロイン化した作品がみたい
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17話


 意識が浮上する。

 どこか遠くで、静かな波の音が聞こえる。

 目を開くと、視界に入ったのは白い天井だった。

 豪華客船の客室。その事実を認識するまで、少し時間がかかった。

 

(……俺、どうなったんだ?)

 

 頭がぼんやりする。体が重い。

 喉がひどく乾いていて、口を開くだけで痛みを感じる。

 朦朧とする意識のまま、横を向くと——

 

「目が覚めたか」

 

 低く落ち着いた声が耳に届いた。

 ベッドの横には、一冊の本を閉じる神崎の姿があった。

 無表情ながらも、僅かに安堵の色を浮かべているように見える。

 

「……ここは、…試験は?」

 

 声が掠れる。

 神崎は少しの間、創の様子を見つめてから答えた。

 

「お前は試験をリタイアした。無人島から運ばれて、丸一日寝ていたようだ」

 

「……丸一日……?」

 

 思わず反復する。

 無人島での出来事が断片的に蘇る。

 龍園との戦い。暴力。意識を失う瞬間——

 そして……最後に聞いた、あの泣きそうな声。

 

(あれはいったい……?)

 

 ゆっくりと身体を起こそうとした瞬間、

 神崎が手を伸ばして制止する。

 

「無理はするな。お前、相当高熱だったんだからな」

 

「……そうか……」

 

 確かに、まだ体が熱い。

 それでも、動けないほどではない。

 

 ひとまず深呼吸する。

 全身の倦怠感はあるものの、意識ははっきりしていた。

 だが、頭の中には違和感が残る。

 

(……俺は、どうしてこんな状態に?)

 

 金田の裏切り。

 龍園にやられたこと。

 

 そして——その後の記憶が、おぼろげだった。

 

(俺は……何をしていたんだ……)

 

 

 神崎は腕を組みながら、淡々と語り始めた。

 

「お前が行方不明になって、Bクラスは混乱した」

 

「……」

 

「そして夜の点呼の時、星之宮先生が告げた。高熱による体調不良により神楽坂創がリタイアすることになった、と」

 

 心臓が跳ねた。

 胸の奥が軋むような感覚がする。

 

「お前は高熱で意識を失っていたそうだ。そのままでは危険だったから、リタイアが決まった」

 

「……そう、か……」

 

 創は唇を噛んだ。

 この試験で、自分は何もできなかった。

 Bクラスに貢献するどころか、迷惑ばかりかけてしまった。

 

(俺は……結局……)

 

 無意識に、拳を握りしめる。

 そんな創の様子を見て、神崎は静かに言葉を返した。

 

「……お前が、無事に戻ってきただけで十分だ」

 

「……っ」

 

 その言葉に、胸が苦しくなる。

 

(本当に、それでいいのか……?)

 

 そんな創の様子を見て、神崎はしばらく沈黙した後——ふっと目を細めた。

 

「……で、何があった?」

 

「……っ」

 

 その問いに、息を詰まらせる。

 

(……何が、って……)

 

 言葉に詰まる。

 神崎の目は、普段と変わらず冷静だったが、どこか鋭さを帯びていた。

 

「神楽坂お前は、6日目の夜から行方不明になった。俺たちが気づいたときには、お前はいなかった。  ……何があった?」

 

 創は口を開こうとしたが——そこで止まった。

 

(俺が……俺のせいで……)

 

 龍園に立ち向かって、負けた。

 金田に騙され、無駄な抵抗をして、何もできずに終わった。

 こんなこと——言えない。

 

「……これは、その……」

 

 短く答える。

 すると、神崎は少しだけ眉をひそめた。

 

「……そうか」

 

 静かに、呟くように返す。

 

「……お前にとっては、友達にも言えないことなのか?」

 

 その言葉に、心臓が跳ねた。

 

(……友達)

 

 その単語が、今の創には少し重く響いた。

 

「……そういうんじゃ、ない……」

 

 思わず視線を逸らしながら、言葉を濁す。

 

「じゃあ、話せ」

 

 神崎は、一歩も引かない。

 

「別に、お前が何をしていたか詮索したいわけじゃない。ただ、お前が急にそんな状態になってしまった理由を知りたいだけだ」

 

「……」

 

 言うべきか、言わないべきか。

 悩みながらも、神崎の真っ直ぐな視線に押されるように、創は口を開いた。

 

「……金田が、リタイアするって言ってたよな。だから、見送りがてら、水を届けに行こうとしたんだ。でも、足跡が変な方向に向かってて——それを追っていたら、龍園と金田が一緒にいるところを見てしまった」

 

「……龍園?」

 

「ああ。龍園は、リタイアなんてしてなかったんだ。金田を利用して、俺たちの情報を探ってたんだ」

 

 神崎は黙って聞いている。

 

「……それで、バレた」

 

「……」

 

「逃げようと思った。でも……真意を聞いてみようと思ってしまった」

 

 創は、拳を握りしめる。

 

「龍園に捕まって、ボコボコにされた。それだけだよ」

 

 あまりにも惨めで、吐き気がする。

 自分が情けなくて、何も言えなくなる。

 

(……俺は、こんなことで悔しがる資格なんてない)

 

 そう思っていると——

 

「……」

 

 ふっと、神崎が目を閉じた。

 次に目を開いたとき——そこには、僅かな怒りが滲んでいた。

 

 

「なんで誰にも言わずに、一人で行った」

 

「……」

 

「…いや違うな。なんで、お前がそこまでしなきゃいけなかった」

 

「……俺のせいさ……」

 

「違う」

 

 神崎は、はっきりと否定した。

 

「お前のせいじゃない。金田が裏切ったのは、龍園が仕組んだことだ。お前はもちろん、俺もそれをどうにかできなかった」

 

「……」

 

「それに、お前が何もできなかった、なんてことはない」

 

 神崎の言葉が、心に突き刺さる。

 

「お前はこの無人島試験、尽力してクラスのみんなと協力していた。…本来なら、作戦を考える俺が対処すべき案件だった」

 

 神崎の言葉は、どこまでも冷静だった。

 だが、その声の奥には、確かに怒りの色が滲んでいた。

 

「お前が全てを背負おうとしなくても、Bクラスは問題なく動ける」

 

 「……」

 

 

 その言葉に、胸が少しざわつく。

 そうか、俺がいない間も、クラスはちゃんと試験を続けていたんだな。

 

 「……試験は、どうなったんだ?」

 

 神崎は腕を組みながら、ゆっくりと口を開いた。

 

 「Bクラスは、110ポイントを獲得した。…勘違いするなよ、そもそも神楽坂が抜けるほどでここまでポイントを落とすことはあり得ない。さっきの金田のスパイの件でリーダーの情報が漏れたことは確信できた。これは、Bクラスの落ち度だ」

 

 「……そっか」

 

 俺が抜けても、みんなは最後までやり遂げた。

 俺だけのせいじゃないと言われても、胸の奥がちくりと痛んだ。

 

(俺があのとき、逃げていれば…)

 

 そんな考えが、頭の中でぐるぐると回る。

 

 「……お前がいなくなったことで、正直、クラスは少し混乱した」

 

 神崎は淡々と言う。

 

 「だが、試験は続いていた。お前がいないなら、それでもやるしかなかった。……一之瀬は、皆の前では明るく振る舞っていたが、お前のことをずっと心配していた」

 

 「……一之瀬が?」

 

 「ああ。お前がリタイアしたと聞いたときの顔を、俺は忘れない」

 

 神崎はそこで言葉を切る。

 

 俺は何も言えなかった。

 Bクラスのみんなが、俺のことを気にかけてくれていた。

 なのに、俺は何も返せなかった。

 

(……結局、迷惑をかけただけだったな……)

 

 再び唇を噛みしめる。

 だが、今の俺にできることは何もない。

 ただ、この事実を受け止めるしかない——

 

 

 

 

 しばらく沈黙が流れた後、神崎が時計を確認し、立ち上がる。

 

「そろそろ夕食の時間だ。俺は行ってくるが、神楽坂はゆっくり休め」

 

 そう言い残し、神崎は部屋を出て行った。

 部屋に残されたのは、創一人となった。

 

 

 俺は、一人きりになった部屋の中で、天井を見つめる。

 頭はまだぼんやりしていた。

 改めて、試験のことを回想する。

 楽しかったこと、つらかったこと、いろんな感情が想起される。

 

 ただ——

 

 (……温かかった?)

 

 冷たい雨の中、誰かに抱えられていたような気がする。

 ……優しく、そして、必死な腕。

 

 それが誰なのかは、思い出せない。

 けれど、心の奥に妙な安心感だけが残っていた。

 

(……考えても仕方ないか)

 

 もう一度、目を閉じる。

 意識がゆっくりと沈んでいく。

 

 再び、眠りに落ちる直前——

 

 ふと、心の中で、誰かの泣きそうな声が聞こえた気がした。

 

(……誰、だ……?)

 

 ——その疑問を抱いたまま、俺は静かに眠りへと落ちていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 静寂に包まれたシアターの舞台。

 暗がりの中、私はただ一人、客席に佇んでいた。

 

 照明の落ちた客席には私以外誰もいない。

 無人の舞台を見つめながら、私は考えないようにしていた。

 余計なことを、思い出さないように。

 

 ——彼のことを。

 

 「……創は、無事だった」

 

 呟いて、そっと目を閉じる。

 

 6日目の夜、あの雨の中で倒れていた彼を、私は見つけた。

 彼は熱にうなされ、泥だらけで、痛ましいほどに脆く見えた。

 その時の彼は、まるで壊れそうなガラス細工のようで——

 

 でも、私は確かに感じていた。

 彼の体温を。

 弱々しく、けれど確かに鼓動を刻む、その“温かさ”を——

 

 (……創は、生きている)

 

 それを確かめた瞬間、どうしようもない安堵が胸に広がった。

 ああ、よかった、と。

 その一方で——胸の奥が、得体の知れない感情に軋む。

 

(……これで、いいのだろうか)

 

 彼には、平穏に生きてほしい。

 普通の高校生として生活している創を、ただ見守れればそれでいい。

 それが、私が願った「創の幸せ」だったはず。

 

 ——だったはずなのに。

 

 胸の奥が、冷たい手に締め付けられるように痛む。

 

 あの時、私は確かに願った。

 創に幸せでいてほしい、と。

 

 それなのに——

 

(どうして……こんなにも苦しいの?)

 

 舞台に手を伸ばす。

 そこに誰かがいるわけでもないのに。

 

 ——私は、創のそばにいたかった。

 ——創を助けて、側にいて、彼が私を必要としてくれることを願ってしまう。

 

 それは、私のエゴだ。

 彼が幸せであるなら、私のエゴなんて気にならなかった。

 

 でも、創のあの苦しそうな顔をみると——揺らいでしまう。

 私は、こんなにも「側にいられない」ことが苦しい。

 

 もしも、もう一度彼が傷つくのなら。

 もしも、また彼が苦しむのなら——

 

 

 いっそのこと、豪華客船を乗っ取り、創を保護してしまおうか。

 誰にも邪魔されない場所で、彼がもうどこにも行かないように。

 私だけの創として——

 

 

 「……私は、人でなしね」

 

 かすかに震える声が、シアターの闇に吸い込まれていく。

 

(……会いたい)

 

 もう一度だけ、彼の姿を見てしまったら。

 もう一度だけ、彼の声を聞いてしまったら。

 もう一度だけ、彼が私の名前を呼んでしまったら——

 

 私は、すべてを打ち明けてしまうかもしれない。

 

 あなたがくれたこの感情、私の胸の内をぶつけてしまう。

 

 でも、それは、許されない。

 彼の幸せを願うなら、私は——

 

「……それでも、私は見守るしかない」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ―――本当に、それでいいの?

 

 

 

 

(……いいえ)

 

 創は、優しすぎる。

 どれだけ痛めつけられても、どれだけ踏みにじられても——

 それでも、誰かを恨むのではなく自分を恨んでしまう。

 

 

 だから、また傷つく。

 また、痛みを抱える。

 また、誰かに利用されてしまう。

 

 ——それを、私は見ているしかないの?

 

(……違う)

 

 私は、創を見守るのではなく、守るべきだろう。

 彼が傷つかない場所を。

 彼が誰からも奪われない世界を。

 私が作るの。

 

 

 

 そのために——

 

 

 

 

 

「……ふふっ」

 

 自分でも驚くほど、自然に微笑みが零れた。

 静かで、穏やかで、でも冷たい笑み。

 

 

 シアターの闇が、私を心地よく包み込む。

 ゆっくりと、静かに。

 

 その奥で、私は一つの決意を固めた——

 

「創には幸せでいてほしいから」

 

 

 そうして、私は再び舞台の暗闇へと沈んでいった。

 

 





  
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