あなたに幸せでいてほしい


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作:綾小路君をTSヒロイン化した作品がみたい
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16話


 試験も折り返しを過ぎ、Bクラスは安定した生活を続けていた。

 ポイント管理は慎重に行われ、最低限の消費で日々を乗り切っている。

 

 「うーん……みんな疲れが出てきているね」

 

 昼過ぎ、簡単な昼食を済ませた後、一之瀬が伸びをしながら呟く。

 試験開始直後の活気は少しずつ薄れ、クラスの皆もどことなく倦怠感を覚え始めていた。

 

 「確かに、体力的にもそろそろ厳しいかもな……」

 

 俺は周囲を見渡しながら言った。

 日差しの下で動き回る日々が続き、徐々に疲れが蓄積してきているのが分かる。

 とはいえ、士気はまだ十分に保たれている。大きなトラブルもなく、今のところは順調だ。

 

 「神楽坂くん、どう? まだ元気?」

 

 一之瀬が軽く笑いながら尋ねる。

 

 「まあな。みんなに助けられているし、まだ余裕ある方だよ」

 

 実際、俺はそこまで体力を消耗していない。

 クラスメイトの手伝いや偵察で多少は動いているが、常に動き続けているわけではない。

 

 「でも、油断は禁物だね。あと数日、気を引き締めていこう」

 

 一之瀬はポジティブに言葉を締めくくる。

 クラスの皆もそれに頷き、それぞれの仕事へ戻っていった。

 

 試験はまだ続く。

 このまま、Bクラスが平穏を保ちつつ進めればいいのだが——。

 

 俺はそんなことを考えながら、炎天下の空を見上げた。

 

 

 

 

 

 

 

 疲れはあるものの、Bクラスは持ち前のチームワークで山場を乗り越え、六日目を迎えた。

 

 空には雲が見えはじめ、もしかしたら雨が降るかもしれない。

 

 Bクラスのキャンプ地では、試験も終盤に差し掛かり、どこか穏やかな雰囲気が流れていた。

 

 そんな中、金田が焚き火の前でゆっくりと立ち上がる。

 

 「……みなさん」

 

 彼の呼びかけに、クラスメイトたちの視線が集まる。

 

 「どうしたの?」

 

 一之瀬が首をかしげると、金田は少し照れくさそうに笑った。

 

 「今まで、お世話になりました。リタイアをしようと思います」

 

 その言葉に、一瞬、場の空気が固まる。

 

 「えっ!? なんで?」

 

 驚いたように、周りから声が上がった。

 

 「試験はあと1日残ってるし、みんなで最後まで頑張ろうよ!」

 

 「そうだよ、もう少しなんだから!」

 

 クラスメイトたちが口々に引き止める。

 一之瀬も困ったように苦笑した。

 

 「せっかくみんなで頑張ってきたんだから、最後まで一緒にいたらいいんじゃない?」

 

 金田は、そんな皆の反応に苦笑しながら、少しだけ視線を落とす。

 

 「……私は、クラスのみなさんに助けてもらいました。正直、多くの迷惑をかけたと思います……」

 

 「そんなことないよ!」

 

 一之瀬がすぐに否定する。

 

 「金田くんがいてくれたから、みんな安心して試験に挑めたんだよ?」

 

 「うんうん、サポートめっちゃ助かったよ!」

 

 クラスメイトたちも次々に声を上げる。

 

 金田は少しだけ目を細めた。

 

 「……ありがとうございます。でも、だからこそ、私はみなさんに最後まで頑張ってほしいのです」

 

 焚き火の光が、彼の緊張した表情を照らす。

 

 そう言うと、金田は背負っていた荷物を軽く持ち上げた。

 

 「だから、ここでお別れさせていただきます。……お世話になりました」

 

 しん、とした静寂が流れる。

 

 やがて——

 

 「……もう、わかったよ」

 

 一之瀬が苦笑しながら肩をすくめた。

 

 「お疲れ様金田くん。誰か、リタイアを申し込む場所まで一緒に付き添ってもらったほうがいい?」

 

 金田は少し驚いたような顔をしたが、すぐに笑みを浮かべた。

 

 「……ありがとうございます。でも、ひとりで大丈夫です。 では…」

 

 クラスメイトたちが次々に「元気でな!」「また学校で!」と声をかける。

 金田は、一人ひとりに視線を向けて頷いていた。

 

 

 そして、俺もそんな金田を見送る一人として手を振っていた。

 しかし、そんなときふと、金田が使っていたであろうペットボトルが目に入る。

 最初は、試験終盤で帰るわけだからいらないかなと思ったが、それでも少し歩くわけだし、それに、俺が金田を見つけた手前、見送るのも悪くないはずだと思い集団を抜け出す。

 

 

 

 このとき、俺はなぜか焦って追いかけてしまう。 今思えば、クラスの誰か、神崎あたりに言っておけばよかったのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 雲が日差しを隠し森が少し陰ってきた、見失ったが足跡などを頼りに金田を追う。

 

 ただ、このとき俺は少し違和感を覚えていた。金田はリタイアをするはずだから、豪華客船がある教職員が待機している場所へ向かうはずだ。なのに、足跡はなぜかその方向と違う場所へと向かっている気がする。

 これは、どこかAクラスのキャンプのある方向にも近づいているのは気のせいだろうか。

 俺は、大声で金田を呼んで確認すればいいはずなのに、考えに耽り静かに後を追ってしまっていた。

 

(なんで、こんなに焦ってるんだ……?)

 

 自分でも分からない焦りが生まれる。

 ただ、追いかけなきゃいけない。

 ——そうしないと、何か取り返しのつかないことが起きる気がしてならなかった。

 

 

 

 

 

 薄暗い森の中を駆け抜ける。

 

 その先で、金田が立ち止まっていた。

 

 しかし、彼は一人ではなかった。

 

 目の前にはなんと———龍園 翔。

 

 リタイアしたと思っていた龍園がそこにはいた。

 

 風貌はやつれているが眼光は鋭い。その姿もあいまって思わず息をとめ、気配を消し行方を見守ってしまう。

 

 「……ご苦労だったな、金田」

 

 龍園の低い声が響く。

 

 金田は肩を揺らしながら、その場に立ち尽くしていた。

 

 (……これは)

 

 「……龍園氏、これを」

 

 金田の声には、微かな震えが混じっていた。

 

 金田はバックから荷物を取り出す。それは、無人島試験に似つかわしくはないアイテム、デジカメであった。

 

(デジカメ? なぜ、そんなものを?)

 

 龍園はニヤリと笑い、画面を確認する。

 

 「良し、いいぞ。上手く撮れている。さっさと船に乗るんだな」

 

 金田はその言葉を聞き、安心する。

 

 (金田、まさか……)

 

 俺は、今すぐ飛び出して金田と龍園を問い詰めるべきなのか、迷った。

 いや、その前にこれは一之瀬たちに報告すべき案件だと確信した。

 だが——その確信は、一瞬で無意味なものになった。

 

 思わず体を動かしてしまい、俺の足元で枝葉が乾いた音を立てて折れた。

 

 「……誰だ?」

 

 龍園の鋭い声。

 

 このとき、俺は全力で逃げればよかったのだろう。

 

 無意識に俺は功を焦っていたのだろう、クラスのみんなが喜んでくれるはずだと龍園から情報を抜き出すべきだという考えが浮かんでしまった。

 

 この選択がみんなに迷惑をかけてしまうと知らずに、選んでしまったのだ。

 

 そして、天気が悪化し雨が降り始める。

 

 

 

 

 

 

 

 

 「……なんだお前は」

 

 龍園がゆっくりと俺を見据える。

 その目には、わずかな驚きと、すぐに消え去る嘲笑が浮かんでいた。

 

 「こんな時間に散歩というわけではなさそうだな、…もしかして金田を追いかけてきたのか」

 

 俺と龍園は、じっと金田を見た。

 

 金田は主に龍園に鋭い視線を向けられ、恐縮している。

 

 「ひっ、も、申し訳ありません龍園氏! これは…」

 

 金田には悪いが、気になることを容赦なく聞いていく。

 

 「……だましてたのか?」

 

 静かな問いかけ。

 だが、答えは帰ってこない。

 

 「はっ、甘えたこと言ってんなよ」

 

 龍園が鼻で笑う。

 

 「この世は弱肉強食だ。生き残るためにゃ、手段なんざ選んでられねぇんだよ」

 

 …どうやら金田はスパイだったようだ、龍園の指示を受けてのことだろう。だとしても、上手くやっていたあの時間を思うと、怒りよりも悲しみが勝った。

 

 「……」

 

 俺は、ただ金田の顔を見ていた。

 

 「金田……本当にそれでいいのか?」

 

 金田は、微かに体を震わせた。

 

 ——だが、何も言わなかった。

 

 その沈黙が、全てを物語っていた。

 

 俺は、小さく息を吐いた。

 

 「……俺たちは仲間じゃなかったのか?」

 

 その言葉に、金田の肩がわずかに揺れる。

 

 「仲間、ねぇ」

 

 龍園が呆れたように呟いた。

 

 「くだらねぇな」

 

 ——次の瞬間、いつのまにか接近していた龍園の拳が俺の腹にめり込んだ。

 

 「は……っ!!」

 

 内臓がえぐられるような衝撃に、息が震える。

 

 「ったく、しょうもねぇ正義感持ちやがってよ」

 

 龍園は笑いながら、もう一度拳を振りかぶる。

 

「おかげで、俺としては助かったがなあ」

 

 龍園の拳が腹にめり込む衝撃が体の芯を揺さぶる。

 

 「ぐっ……!」

 

 膝が崩れそうになるが、なんとか踏みとどまる。しかし——

 

 「甘ぇんだよ」

 

 龍園の膝蹴りが脇腹に突き刺さる。肺が圧迫され、息が詰まる。

 

 「がっ……!」

 

 たまらず膝をついた俺を、龍園は見下ろして笑う。

 

 「くくっ、お前らはこの試験‘友情ごっこ’でもしてたらよかったと思っているのか?」

 

 足元に転がる俺を嘲笑うように言いながら、龍園はゆっくりと肩を回した。

 

 「俺はなぁ、ただ勝てばいいと思ってんだよ」

 

 次の瞬間、強烈な蹴りが側頭部を襲った。

 

 「———ッ!!」

 

 視界が揺れる。頭が割れるように痛む。耳鳴りがして、立ち上がることすら難しい。

 

 (……やばい……)

 

 逃げなきゃ、立たなきゃ——。

 

 そう思うのに、体が言うことを聞かない。

 

「なんだよ、もう終わりか?」

 

 龍園の声がどこか遠くに聞こえる。意識が飛びそうだ。

 

 雨が強く降り始めた。

 

 ポツ、ポツ——と冷たい滴が頬を打つ。身体の全身が痛み熱を帯びる。

 

 その瞬間——

 

 脳裏に、なぜか‘過去の記憶’ であろうものがフラッシュバックし脳の痛みとともに意識が飛んだ。

 

 

 

 

 

 土砂降りの雨。

 

 荒れ果てた地面に立っている俺の身体。

 

 泥と血が混じり、肌にべったりと張り付く。

 

 手足は擦り傷と打撲だらけ。全身が痛む。

 

 だが、それ以上に——

 

 寒い。痛い。息が苦しい。体が動かない。

 

 それでも、俺は立ち上がらなければならなかった。

 

 「……っ、は……ぁ……」

 

 息を吸うたびに肋骨の軋む音がする。

 

 前方には、影が数人。

 

 その誰もが、無言で連携し俺と対峙している。

 

 ——奴らの冷徹な視線が、雨の帳の向こうから突き刺さる。

 

 息を整える暇もない。

 

 体はすでに限界に近い。

 だが、ここで倒れたら終わりだ。

 

 (戦うしかない——)

 

 雷鳴が鳴ると同時に、奴らの動きが一斉に変化した。

 

 間合いを詰めてくる。だが——遅い。

 

 反射的に、俺の体が動いた。

 

 迫る拳を顔を傾けてかわす。

 同時に右足を踏み込み、カウンターで肘を相手の顎に打ち込む。

 

 バキッ!

 

 硬い音とともに、男が吹き飛ぶ。

 倒れ込む彼の喉を、一瞬で蹴り上げる。

 

 その間にも、別の影が襲いかかる。

 

 横からの蹴り。鋭い。だが、甘い。

 

 後ろへ飛んで衝撃を逃がしつつ、雨でぬかるんだ地面を蹴る。

 低い姿勢から一気に踏み込み、相手の軸足を刈る。

 

 相手のバランスが崩れた瞬間——

 躊躇なく、拳を鳩尾へ叩き込んだ。

 

 「……っ!」

 

 男は苦悶の表情を浮かべ、泥の中へ崩れ落ちる。

 

 (——二人目)

 

 すぐさま反転。

 

 背後に回り込もうとしていたもう一人の気配を感じ——

 咄嗟に体を沈め、低姿勢のまま相手の懐に潜り込む。

 

 肘打ちで脇腹を砕き、そのまま相手の腕を逆関節で極める。

 

 「っ……!!」

 

 相手の顔が歪んだ瞬間、肘をへし折る。

 

 嫌な音が響く。

 

 そのまま背後に放り投げ、気絶させて次の敵を睨む。

 

 (——三人目)

 

 雷がまた光る。

 

 目の前にいる敵の表情が、わずかに怯えを滲ませているのが見えた。

 

 (——あと何人だろう)

 

 荒れる息を整えながら、視線を走らせる。

 

 泥に沈んだ影、動けなくなった影、怯えながらも対峙する影。

 

(どうしてこうなったのだろうな… 俺は、ただ……)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 雨が強くなる。

 

 轟々と風が強く吹き森が揺れる。

 

 目の前には倒れ伏す、金田を追いかけてきた男。金田によるとこいつは神楽坂 創。

 最初は生意気そうに反抗していたが、所詮は凡人。

 

 「クク……やっぱり大したことはねぇな」

 

 つまらなそうに鼻を鳴らし、軽く足で転がしてみる。

 反応はない。どうやら意識を失ったようだ。

 

 「金田、こいつを運べ。こいつは船に乗せてリタイアさせればいい」

 

 「は、はい!」

 

 金田が慌てて駆け寄る。

 だが、その瞬間——

 

 「……っ、ぁぁぁ……」

 

 微かに、うめき声が聞こえた。

 

 「……あ?」

 

 雨に混じってかすかに聞こえたその声に、俺は思わず足を止める。

 

 地面に伏せていた神楽坂 創が——

 

 震えるように、ゆっくりと立ち上がろうとしていた。

 

 「は……ァ……ぁァ……」

 

 その様子は異様だった。

 

 膝がガクガクと震え、身体はボロボロ。

 まともに立てるはずもない。

 

 だが——

 

 まるで「別の何か」に操られるように、

 創の身体は、徐々に起き上がる。

 

 「……おいおい、まさか立つ気か?」

 

 龍園は眉をひそめる。

 

 普通の人間なら、もう動ける状態じゃない。

 だが、こいつは——

 

 「……ッ……クっ……ァ……」

 

 その目から、完全に理性が消えていた。

 

 雨が打ちつける中、微かに口を開く。

 

 「……カノジョに……シアワせで……イてホシかった……だけナノニ……」

 

 「は?」

 

 思わず、眉をひそめる。

 

 次の瞬間——

 

 ドンッ!!

 

 神楽坂が、無意識のまま 俺に突っ込んできた。

 

 (——ッ!? 速い!?)

 

 咄嗟に身を引くが、避けきれずに腹部に衝撃が走る。

 

 腹に重い衝撃が走る。

 

 「ぐっ……!」

 

 避けたつもりだったが、完全には捌ききれずに腹を抉られ、押し倒される。

 こいつ——この状態でまだこんな力を……!?

 

 「……ッ、ハァ……ァ……」

 

 神楽坂は、ふらつきながらも 俺の胸倉を掴み、マウントポジションをとる。

 

 (……は?)

 

 ガクガクと震えながらも、 こいつはまだ戦う気らしい…!

 まるで、意識の奥底に埋もれていた 獣が目を覚ました みてぇに——。

 

 「……ァァァァ……!!」

 

 低く、掠れたうめき声を漏らしながら、神楽坂の拳が俺の顔面へ振り下ろされる。

 

 (チッ、ヤベェなこいつ——!)

 

 反射的にガードしようとするが———間に合わねえ……!

 

 「——っ……」

 

 神楽坂の拳は、俺の顔面を―――外れ、ぬかるんだ地面を殴る。盛大に泥が跳ね、顔にかかる。

 

 そして、次の瞬間——

 

 ガクッ、と神楽坂の身体が完全に力を失い、その場に崩れ落ちた。

 

 「…………」

 

 完全に気を失っている。

 

 殴るだけの力が、もう残っていないようだ。

 

 「……なぁんだよ、それ」

 

 俺は 苛立ち混じりの安堵 で息を吐く。

 

 もし、あのまま意識が持っていたら——

 こいつは俺の顔面を何度でも殴りつけていただろう。

 

 だが、神楽坂は殴れなかった。

 力尽きて、倒れ込んだ。

 

 俺は ゆっくりと起き上がり、崩れ落ちた神楽坂を見下ろす。

 

 雨がさらに強くなる。

 

「……なんだったんだよ、こいつは」

 

 俺は、なぜか 幼少期の記憶 を思い出していた。

 

 ——幼いころ、あの蛇を殺したときのことを。

 

 噛まれる寸前で仕留めた。

 だが、もしあの時、俺が遅れていたら?

 

 ——"恐怖" を覚えていたのか?

 

 (くだらねぇ……)

 

 そんな思考を振り払うように、拳を握りしめる。

 

 「……クク、まぁいいか」

 

 俺は 濡れた髪をかき上げ、鼻を鳴らす。

 

「勝ち負けなんざ関係ねぇ。最後に立ってる奴が、強ぇんだよ」

 

 ただ、立っている俺が強かった。

 それだけの話だ。

 

 「金田、こいつを船まで運べ」

 

 「は、はい……!」

 

 金田は震えながらも頷き、倒れたこいつを引きずるように持ち上げる。

 

 俺は最後に気絶したこいつを一瞥し、鼻で笑った。

 

 「神楽坂 創...か 脳のすみっこ程度には覚えておいてやるよ」

 

 そう言い残し、俺は暗い森の中へと足を踏み出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 雨は止む気配がなかった。

 びしょ濡れになりながら、私は泥まみれの彼を引きずる。

 

 神楽坂 創——Bクラスの中心的人物な彼。

 たぶん、クラスの中でも、よく私を気にかけてくれた人でした。

 ですが——これは試験、私は龍園氏の指示に背くわけにはいきません。

 

 「……ッ、重い……!」

 

 疲労と泥で滑る足場のせいで、まともに歩くことすら難しい。

 彼は意識を失っているのか、微動だにしない。

 

 ——こんなことして、本当に良かったのか?

 

 胸の奥が、チクリと痛んだ。

 私はBクラスの方を裏切り、彼がやられるのをただ見ていることしかできなかった。

 

(……早く船に乗せて、すべてを終わらせましょう)

 

 そう思いながら、再び歩き出したその時——

 

 「……なぜ、創を運んでいる?」

 

 ——背筋が凍りついた。

 

 振り向くと、そこには一人の少女が立っていた。

 

 誰だ彼女は。

 

 少なくともBクラスにはいなかったはずだ。なぜか、この場にいるだけで空気が張り詰める。

 雨に濡れた長い髪が、白い顔に張り付き、暗がりの中で幽霊のように見えた。

 

 「……い、いや……これは……」

 

 口の中がカラカラに乾く。

 とっさに言い訳しようとしたが、喉が詰まって声が出ない。

 

 彼女の目が、まるで不快なものを見つめるような冷たい視線 で私を射抜いていた。

 その足元には、私が運んでいた彼の身体——。

 彼の顔は泥に汚れ、ボロボロだった。

 

 彼女の瞳が、かすかに揺れた。

 

 「……ッ」

 

 次の瞬間、まるで駆け寄ることを理性で押しとどめるかのように、一歩だけ踏み出して静止した。

 彼女の指先がわずかに震えている。

 

 ——やばい。

 

 私の直感が警鐘を鳴らした。

 この女性、何かがおかしい。

 

 「……」

 

 無言の視線を受け、背筋に冷たいものが走る。

 

 「確かBクラスにいた金田悟……創に何をしたの……?」

 

 その声は、無機質なものだった。

 だが——雰囲気は明らかに、何かが爆発する直前のそれであった。

 

「……っ、そ、それは……」

 

 言い訳しようとしたが、彼女が一歩前に踏み出した。

 

 ——圧が違う。正直、これは龍園氏のときとは格が違う。

 

 龍園氏の圧は首に蛇が巻き付いている恐怖があった。

 だが、彼女の圧はまるで、心臓に爪を突き立てられているような、より原始的な恐怖を覚える。

 

 ただ立っているだけなのに、まるで殺されるかのような錯覚を覚える。

 

 (やばい……やばい……やばい……!)

 

 彼女の目が、じわじわと狂気を孕み始める。

 

 私は反射的に後ずさる。

 

 「……っ、ち、違うのです、これは……!」

 

 「——消えなさい」

 

 瞬間、雷が光り、彼女の表情が闇に沈む。

 

 (……ッ!!!)

 

 耐えられなかった。

 私は咄嗟に彼を手放し、逃げた。

 

 がむしゃらに駆け出し、振り返ることすらできなかった。

 

 この日のことは、どこか悪い夢でも見たのだと、そう記憶した。

 

 

 

 

 

 

 

 ——Dクラスの勝利は、堀北鈴音のリタイアを持って決定的となった。

 

 嵐のような6日間だった。

 しかし、結果だけを見れば、この試験は完璧な勝利といえる。

 

 私が導いた勝利ともいえるだろう——

 

 AクラスとCクラスのリーダーを見抜き、

 堀北鈴音を計画的に追い詰め、

 リーダー交代を完遂させた。

 

 Dクラスは集団生活において多くの亀裂を生じたが、それでも戦略的勝利を収めることに成功した。

 すべては、計算通りに進んだ。

 

 けれど——

 

「……堀北鈴音は、最後まで試験を投げ出そうとはしなかった」

 

 森の奥、雨に打たれながらも最後まで諦めなかった少女。

 それを目の当たりにしながら、私はただ、冷静に次の一手を打ち続けた。

 

「立派だとそういえるのでしょう。堀北鈴音の考えも行動も、ほぼ正解だった」

 

 だからこそ、彼女は敗北したのだ。

 勝負において『正しいだけ』では、勝つことはできない。

 

 私は彼女を仲間だと思ったことはないし、クラスメイトとして心配したこともない。

 

 この世は『勝つ』ことがすべてだ。過程は関係ない。

 どんな犠牲を払おうと構わない。最後に私が『勝って』さえいれば、それでいい。

 

 堀北鈴音も、平田洋介も、いや、すべての人間がそのための道具でしかない。

 

 ——そう言い切れるはずだった。

 

 けれど、それでも。 そんな人としてまともでない私にも唯一道具でない存在がある。

 

 彼の前では、私すら彼の幸せをつくる道具にすぎない。

 

 私はあの人を―――創を大好きなんて陳腐な言葉で表せないほど愛している。

 

 私は、彼の幸せを見守る、ちっぽけな存在にすぎない。

 

 勝利の余韻も、計算された結果も、私の心を満たすことはなかった。

 だから私はこの学校に来た――——

 

 濡れた髪をかき上げ、懐中電灯を手に取る。

 

 作戦を成功させるため、このあとはDクラスのキャンプに戻り7日目を迎えるだけ。

 

 そう思っていた、その瞬間——

 

 ふと、視界の隅に動く影が映る。

 

 (誰かがリタイアしたのか)

 

 ありえないことではない。

 この試験も6日目ともなれば、脱落者の一人や二人が出るのは珍しくない。

 少し距離を取って、私は懐中電灯を消し、様子を伺う。

 

 見れば、その影は金田悟だった。

 

 (なるほど、そっちか)

 

 金田は6日間ずっと龍園に従い、スパイ活動をしていた。

 そして今、その金田が教師のもとへ向かい、リタイア処理を受けるのだろう。

 龍園翔のリーダーは確定的。

 これで、Cクラスのポイントは0になる。Dクラスの勝利は、間違いない。

 

 私は踵を返し、見つからないようその場を去ろうとした——が、そこで違和感に気づく。

 

 (……金田悟だけ?)

 

 いや、違う。

 

 金田のすぐ後ろ、暗闇の中で何かが動いた。いや、引きづっている?

 

 目を凝らす。

 

 そこにあったのは―――神楽坂創だった。

 

 

 

 

 

 ? 

 

 なぜ?

 

 どうして?

 

 創がそこにいるの?

 

 

 

 強く目を瞬き、もう一度視線を向ける。

 でも、そこにある光景は 何一つ変わっていなかった。

 

 創は、泥まみれの状態で地面を引きずられ、ぴくりとも動かない。

 

 

 何が——起きたの?

 

 心臓が、痛い。

 

 冷たい雨が肌を打つ。

 なのに、胸の奥が熱を持つような感覚に襲われる。

 

 (……誰がやったの?)

 

 いや、それ以前に——

 

 (私は何をしていたんだろう)

 

 なぜ?

 

 なぜ、創が傷ついている?

 

 私がまた傷つけたしまった?

 

 心臓が止まる幻覚を覚える。

 呼吸が乱れる。

 体の震えが止まらない。

 

 こんなはずじゃなかった。

 私は、ただ創に幸せでいてほしかった。

 

 でも、目の前の光景は、すべてを覆す。

 

 あの日のトラウマを思い出す。

 

 創が私にむかって向けたあの目。

 

 すべてに後悔し、私を映し出していないあの瞳。

 

 (創……)

 

 今、彼がどういう状態なのか。

 それを、知る必要がある。

 

 そう考えた瞬間、体は思考を置き去りにして動いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 創に寄っている虫は追い払い、創を救出する。

 

 今、私がすべきことは ただひとつ。

 

 私は創のもとへ駆け寄り、泥に沈む彼の体をそっと抱き上げる。

 

 「創……!」

 

 ——まずは、生きているかの確認。

 

 脈をとる。

 

 しっかりと、鼓動を感じる。

 

 (生きてる……!)

 

 次に、耳を彼の胸に当てる。

 雨音の中、かすかに 心臓の音が響いていた。

 

 ……よかった。

 

 深く息を吐く。

 胃の奥を締め付けていた感覚が、ほんの少しだけ和らぐ。

 

 しかし——

 

 「……熱い」

 

 創の額に手を当てた瞬間、その異常な熱に気づいた。

 

 (こんなに……?)

 

 雨に打たれ続けたせいか、それとも——

 

 創の眉がわずかに動く。

 呼吸は浅く、荒い。

 

 「創、おねがい、おいていかないで…」

 

 そっと頬をなでる。

 

 すると——

 

 「……ア……ぁ……」

 

 微かに、声が漏れた。

 

 (意識が戻る……?)

 

 「創」

 

 次の瞬間、彼は創を抱きしめた。

 

 「……綾小路さん……なんで、ここに」

 

 創の体がわずかに震えた。

 

 「……戻らないと……俺……」

 

 創が、かすれた声で呟く。

 Bクラスのもとへ帰らなければならない——そう言いたいのだろう。

 

 だけど。

 

 「ダメ、創」

 

 私は彼の肩を強く抱きしめる。

 

 「今、創が戻ったら……創が壊れちゃう」

 

 創の額は異常なほど熱く、体は冷え切っている。

 このまま放置すれば、確実に命に関わる。

 

 「……でも、俺……みんなの足を…」

 

 創は歯を食いしばり、力なく手を握りしめた。

 

 「俺……役に立てなかった……」

 

 苦しそうに、そう呟く。

 

 私は、そんな彼を見ていられなかった。

 

 「違う……!」

 

 声が震える。

 

 「創はダメじゃない、私がダメだったから…」

 

 「創……お願いだから、これ以上、自分を、苦しめないで……!」

 

 気づけば、頬を伝うのが雨だけでなかった。

 

 創の目がゆっくりと開く。

 

 「……綾小路さん……?」

 

 雨の音が、世界を覆い尽くす。

 

 「私は……私は……!」

 

 言葉を紡ぐたび、喉が痛む。

 声が震え、涙が止まらない。

 

 創は、そんな私をじっと見つめていた。

 

 ——そして、静かに目を閉じる。

 

 「……わかった、ありが、とう」

 

 そう、かすれた声で創が呟いた。

 

 ——その言葉に、私は思考が止まった。

 

(……どうして?)

 

 私は彼を守れなかったのに。

 私が、創をこの状況に追いやったも同然なのに。

 

 「———ッ」

 

 胸の奥に、得体の知れない苦しみが広がる。

 

 私は彼の手を握りしめ安心したのか意識が再び遠のく、なんとかその体を支えながらともに歩き出す。

 

 向かう先は、先ほどのリタイア地点。

 創のぬくもりを感じながら、一歩ずつ慎重にむかうのだった。

 

 

 

 

 

 

 

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