作:綾小路君をTSヒロイン化した作品がみたい
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無人島での特別試験が始まる少し前。1学期終業式の日だった。
平穏というものを享受し、夏休みというものを初めて経験できるのかと思っていたころ。
―――もしかしたら、創と遊ぶということもできるのだろうかと思考に耽っていたころ。
茶柱佐枝が現れた。
「綾小路。帰る前に少し話がある、指導室に顔を出すように」
ホームルーム終了直前、茶柱佐枝がそう言い残し教室を後にする。
「あなた、何をしたの? 地道で地味な生活を送っていると思っていたけど」
「特に思い当たることはない」
「そういうときに限って何かをしているものよ」
そう堀北鈴音はどこか嬉しそうな雰囲気を醸し出す。人の不幸は蜜の味というものを味わっているのだろうか。
堀北鈴音に見送られながら出発する。
指導室前に着くと、茶柱佐枝は扉にもたれかかり俯いて待っていた。
「入れ」
「なぜ呼ばれたのですか?」
「中で話す」
「指導室と聞くと嫌なイメージがあると思うが、ここは存外に悪くない場所だ。何故なら監視の目がない。個人のプライバシーに多くかかわる話をすることが多い故の配慮だ」
「それで話とは」
「そう焦るな、綾小路に予定があるとは思っていないからこそ、この時間を選んだ」
「…私を怒らせたいのですか?」
やけに饒舌だ、茶柱佐枝はこんな人間だったか?
「ふむ、お前が怒る姿も興味深いが、今日は少し、私の身の上話を聞いてもらいたいと思ってお前を呼んだんだ」
「…長い話になりますか。ならば、お茶を用意します。」
「…そうだな、頼む」
そういって、私は給湯室でお茶とスマホの録音機能を準備した。
お茶を茶柱佐枝に提供し、席に着く。
そして、茶柱佐枝の身の上話を本当に聞かされた。
どうやら、昔はこの学校の生徒であり、あるミスを後悔しているらしい。
―――後悔、私はこの学校でそれを経験することはあるのだろうか。
すでに、もう後悔しているからここで苦しむイメージは湧かない。
「おまえの存在は、Aクラスに上がるために必要不可欠だと私は感じている」
思考がそれた。改めて話を聞く。
「数日前、ある男が学校に接触してきた。綾小路清華を退学にさせろ、とな」
茶柱佐枝から放たれる気配が一気に豹変した。本題に入る。
「退学ですか。誰がいったのかは知りませんが、本人の同意なく退学なんてさせられないはず」
「もちろんだ。第三者が何を言っても退学になど出来ない。この学校の生徒である限り、おまえはルールによって守られている。しかし……問題行動を起こしたら話は別だ。喫煙、苛め、盗み、カンニング。何らかの不祥事を繰り返せば退学は避けられない」
「……」
「おまえの意思は関係ない。私がそうだと判断すれば全てが現実になるということだ」
「脅迫ですか」
「これは取引だ、綾小路。おまえは私のためにAクラスを目指す。そして私はおまえを守るために全面的にフォローする。良い話だとは思わないか?」
…さて、どう、この茶番を終わらせようか。
「…帰ります」
「残念だ綾小路。おまえは退学になり、DクラスはまたもAクラスには辿り着けない」
話し方、素振りに余裕はない。茶柱佐枝は本気で私を切るつもりのようだ。
自分の成し得なかった夢のために私を利用しようとしている。
「もう一度だけ聞こう。Aクラスを目指すか退学するか。好きな方を選べ」
私は改めて席に着き、茶柱佐枝に向き直る。
「一つ聞きたいのですが、ある男とは誰ですか」
その言葉に茶柱佐枝は慎重に言葉を選ぶ。
「想像はついているんじゃないか、綾小路」
「…私の父親ですね」
「そうだ。ずいぶんな箱入り娘のようだな、綾小路」
どうやら、茶柱佐枝はこちらの事情を知っているようだ。
だが、あの部屋の関係者ではないことも、これらのやりとりで確認できた。
「…確かに、あの男は私を手元に置いておきたい。それは事実」
「そうだろう。だから、取引だ綾小路。私がお前を守る代わりに、お前は結果を出す。ただ、それだけのことだ…っ……!」
私は長机に左手をつき身を乗り出し、茶柱佐枝の胸倉を掴み上げる。
「…脅しには屈しないぞ、綾小路…!」
「脅しではなく、一つ忠告にすぎない茶柱佐枝」
茶柱佐枝の目を見つめる。
「私と父の関係が良くないことをどこかから知って、こんな茶番をしたのだろうけど無意味。 この学校に入学できたのは、そもそも父の力が大きいことを私は知っている」
「…っ…」
「信じられないという疑惑が見える。これだけで、あなたは私の父親と会ったことはおろか、声を聴いたことすらないのは明白」
「私は、あの男に3年間この学校にいることを許されてここにいる。その脅しは元から破綻している、茶柱佐枝」
「そんなはずは…」
「やろうと思えば、あの男は学校の中枢にまで圧力をかける。この学校の上の人間が動けば、どうなるでしょうね?」
「そのとき、しわ寄せを受けるのは誰か——わかりますよね、茶柱佐枝?」
「まさか、私か…、だが、そんなの誰が信じる」
「今のやりとりを上の人間、理事長あたりに突きつけたら歯車は動き出す」
スマホを見せて証拠であると突きつける。
茶柱は奪い取ろうとするが、腕を掴みソファに押し倒し拘束する。
「監視の目がないのは茶柱佐枝も同じ。ここで、気を失わせて上のものに掛け合うこともできる。そうしたら、あなたはAクラスを目指すことすらできなくなる。どうする、それでも私を退学させようとする? 茶柱佐枝」
「脅すつもりか…綾小路」
「これは、取引。茶柱佐枝。あなたはあなたの夢をみるために私の言葉には肯定しかしない。そして私は私の今の平穏を守るためにあなたを否定しない。良い話ではないですか?」
「………くそっ、お前が思ったより動く人間とはな。見誤ったか…」
茶柱佐枝は私の言葉を受け入れたのだろうか。
――万が一、自暴自棄になっては面倒だ。釣り糸を垂らす。
「別に私は、一言も協力しないとは言っていないですよ」
「なに…?」
「恐らく、次のバカンスにクラスポイントを大きく変動させるイベントがあるはず。だから茶柱佐枝も動いた。そこで、結果を出せばいいですよね」
茶柱佐枝に対する拘束を解く。
「これで、取引は完了。さきほどのやりとりは残すので、くれぐれも気を付けてください」
指導室の扉へ向かう。
「…後悔するぞ。大人を、私を利用しようとしたこと」
「…安心してください。私の人生は、既に後悔で満たされているので」
茶柱佐枝への視線を切り、退出した。
恐らく2年とあと8ヶ月の期間、この時間だけは後悔しないように私は生きるのだ。
「おらっ、柴田ァ! これを受け取れー!」
元気よくビーチボールを投げつける渡辺。それを間一髪でかわした柴田が、バシャバシャと水をはね上げる。
「うわっ! やめろって!」
「悪い悪い、わざとじゃねーって!」
――明らかにわざとだろ。
創はプールの縁に肘をつきながら、そのやり取りを見ていた。Bクラスの面々は、まるで夏休みのプールにでも来たかのようにはしゃいでいる。
夏休みなのは間違いではないが、いる場所はかなり特殊である。俺たちは豪華客船内でクルージングを楽しんでおり、施設内のプールを楽しんでいた。
「もう、あんまり暴れすぎちゃダメだよー」
一之瀬たち女子のグループが苦笑しながら軽く注意を促すが、彼女たちも楽しそうな表情だ。相変わらずクラスの雰囲気が良い証拠だ。
「神楽坂ー! お前ももっと動けよ!」
「いや、俺はこれくらいで……」
「そんなこと言ってっと、いくぞ!」
渡辺が勢いよく泳いできた瞬間、創は直感的に身を引いた。しかし、水しぶきを避けきれず、思い切り顔にかかる。
「……お前なぁ」
「ハハハ、悪い悪い!」
笑いながら手を振る渡辺を見て、創はため息をついた。
(まあ、悪くない……か)
クラスの空気に溶け込んでいる自分を、どこか他人事のように感じながら、創はふと体を起こした。
「ちょっと休憩してくる」
「おー、ついでに飲み物買ってきてくれ!」
「…おしるこでいいか」
「おいおい、それはないぜー」
そんな、くだらない談笑を交わしながら、プールサイドを離れる。
タオルで体を拭きながら、涼しい船内の廊下を歩いていた。
(少し、デッキの方でも行ってみるか)
そう思って扉を開けると、潮風がふわりと吹き込んできた。
デッキには、ひとりの少女の姿があった。
柵にもたれ、静かに海を眺めている――綾小路清華。
彼女は微動だにせず、ただ目の前の景色を見つめている。
創は一瞬話しかけようかと思ったが、彼女が海に黄昏ている様子から通り過ぎようとした。 しかし、清華がわずかに視線を向けた。
「……創がここにいるとは、意外」
「やあ、綾小路さん。Bクラスのやつらとプールで遊んでたんだよ。少し休憩してるだけだよ」
創の返答に、清華は「そう」と短く返し、また海へと視線を戻した。
何となく、創もその隣に立つ。
目の前には、どこまでも広がる青い海。
(……海って、こんなに広いんだな)
ふと、何かが引っかかる。
昔、誰かと話した気がする――海とはどんなものなのかと。
誰かとは誰だろう。いまだに記憶は戻る気配はない。
「……俺さ、昔、海ってどんなもんなんだろうって思ってた気がする」
ぽつりと零した言葉に、清華の指がわずかに動いた。
一瞬だけ、風が止まるような感覚。
だが、彼女はすぐに口を開く。
「……海は、広いわ。そして、時には人を飲み込むこともある。落ちないように気を付けて創」
「…そうだね、気を付けるよ。心配してくれてありがとう綾小路さん」
風が吹く。清華の髪がなびき、その横顔が一瞬だけ月のように輝く。
創はそんな清華の姿に惹かれながらも礼を言い残し、去っていった。
創はもう一度、海を眺める。
潮風を感じながら、小さく息を吐いた。
(……なんか、不思議な時間だったな)
それだけを胸に、創は再びプールへと戻っていった。
プールで一通り遊び終え、船内のレストランで昼食をとることになった。
豪華客船といわれるだけあって、ご飯は美味しく、クラスのみんなも満足そうだ。
昼食を終え、Bクラスの生徒たちは思い思いに過ごしていた。
賑やかなレストランではまだ談笑する生徒たちがいるが、創は先に席を立ち、食器を片付けていた。
「お腹いっぱい~! ねえねえ、せっかくだからデッキに行ってみない?」
一之瀬が周囲の生徒に声をかける。
「デッキ? なんかあるのか?」
柴田が首をかしげたその時、船内にアナウンスが響いた。
『生徒の皆様にお知らせします。お時間がありましたら、是非デッキにお集まり下さい。間もなく島が見えて参ります。暫くの間、非常に意義ある景色をご覧頂けるでしょう』
「おお、島が見えるのか! そりゃ行くしかねーな!」
柴田が立ち上がり、周囲の生徒たちも興味津々といった様子で頷く。
「せっかくだし、みんなで行こうよ!」
一之瀬の言葉に、Bクラスの生徒たちは次々と席を立ち、デッキへと向かう。
創も流れに乗るように歩きながら、ふと隣を歩いていた神崎に目を向けた。
「神崎も行くのか?」
「……ああ、島か。どんなところなのか気になるな」
神崎は淡々とした口調で答えるが、その表情はどこか考え込んでいるようにも見えた。
(……まあ、確かに気になるよな)
創もデッキに出て、目前に広がる青い海を眺める。陽の光を受け、遠くにうっすらと島の影が見えてきていた。
「わぁ、すごいね!」
一之瀬が嬉しそうに声を上げる。
「あそこでバカンスできたら最高じゃね?」
渡辺が冗談めかして言うと、周囲の生徒たちも笑いながら同意する。
「……」
しかし、神崎は何かを考えるように黙っていた。
(……昼は確かその島に行くことになるんだったな)
創はふとそんな考えが頭をよぎった。
ただその島で何をするか学校が明言しないことに、妙な引っかかりを覚えながら、目の前の島をじっと見つめるのだった。