作:綾小路君をTSヒロイン化した作品がみたい
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櫛田桔梗からのメッセージが届いたのは、夏休み最終日の3日前だった。
『夏休みの最後の日、池くんたちでプールに行こうって話になってるんだけど……綾小路さんも来ない?』
軽やかで社交的な文面。櫛田桔梗の誘いは決して嫌なものではなかったが──正直、乗り気ではなかった。
一度は既読だけつけて、返信を保留する。
夏休みの最終日まで、私は特に予定はないが創はどうなのだろうか。 ふと、興味が湧いてきた私は何をしているのかメッセージを送る。
そして──。
『今日友達に誘われて、明日プール行くことになったから準備をしているよ』
しばらくして、創から届いた一通のメッセージ。
(……創は、プールに行く予定があるのね)
心が、静かに揺れる。
占いでのあの日の創とのやりとりで満たされた心が渇きを覚える。
会いたい。 そう思ってしまうのを止められず考えを巡らせる。
…櫛田桔梗の誘いに乗じれば、自然と会えるだろうか。
数分後、清華は櫛田に返信を送る。
『私も参加する。詳しい時間と集合場所を教えて』
メッセージを送信してから数十秒もしないうちに、櫛田からの返信が届いた。
『わあ、綾小路さん来てくれるんだ!嬉しい!時間とかはまたメッセージ送るね〜!』
ただ──。
(櫛田桔梗が誘っているのは池寛治とおそらく須藤健と山内春樹、櫛田桔梗と2人で相手するのは……面倒)
ふと、思案する。
──ならば。
『堀北鈴音と佐倉愛理も誘っていいかしら』
今度は数秒もしないで返信が来る。
『もちろんだよ! 綾小路さんに連絡は任せていい?』
『ええ』
やり取りを終え、早速行動に移す。
スマートフォンの連絡先を開き、堀北鈴音の名前をタップする。
『堀北鈴音。明日プールに行かない?』
数分たつと時間をおいて返信が来た。
『今度はどんな厄介ごとを引き受けたのかしら。 占いでのこと忘れてないでしょうね』
『櫛田桔梗に誘われた。 須藤健たちも来るから対応を任せたい』
『あなた、それで私が了承するとでも?』
『これを引き受けてくれたら、水筒の件は忘れてあげる』
『あなた、いつか地獄に落ちるわよ』
『別にそれでもかまわないから引き受けてほしい、お願い』
時間が経過する、ダメだろうか。 佐倉愛理だけでは心もとないと考える。
こうなったら、最悪使えるかもしれないと思って撮った、水筒を腕にはめた堀北鈴音の写真を使うしかないだろうか。
……いや、こんなのどこで役に立つのだろう。 堀北学にでも突きつければ高く売れるかもしれないが、そんなものは求めていない。
どうやら、夏の暑さとやらに脳がやられているようだ。 私もずいぶんと人間じみたものだ。
そもそも、一緒に行かなくても私一人で創を尾行すればいいはずなのに、こう回りくどい手段をとるのもおかしな話だ。
そんなことを考えていると、堀北鈴音の返事が返ってくる。
『…わかったわ。 あなたには助けられた借りがあるし、これで清算してあげる』
どうやら、了承してくれるようだ。
『ところで、なぜ行くの? あなたが櫛田さんとそう仲がいいとは思わないけど』
ずいぶんな物言いだ。 間違ってはいないが、コミュニケーションとして褒められたものではないものだと私でも理解できる。
『別に、夏休み最後だから思い出でも作ろうかと思って』
『…信じられないわね』
ひどい言い草だ。 堀北鈴音は私を何だと思っているのだろうか。
そうして、次は佐倉愛理にメッセージを送る。
堀北鈴音とのやり取りを終えた私は、最後にもう一人、佐倉愛理にメッセージを送る。
『佐倉愛理。明日、櫛田桔梗と他何人かでプールに行く予定があるの。あなたも来る?』
しばらく既読はつかず、数分後に返信が届いた。
『えっ、私が……?』
困惑が滲む短いメッセージ。だが、その文面の裏に戸惑いと同時に、どこか期待するような気配も感じ取れる。
『ええ。私と一緒に来てほしい』
『うん……そうだね。行ってみようかな』
ひと呼吸置いて、さらにメッセージが届く。
『でも……その、私、こういうの初めてだから。水着、どうしようかなって……』
佐倉愛理の控えめなメッセージを読み、私はあることに気づく。
『水着……。私、そういえば持っていないわ』
(競泳水着でいいだろうとも思ったけど……)
もし創に見せるとなったら、それはないだろうと考える。
……なぜ、そこで創が思い浮かぶのだろうか。
『水着どこで買えるかわかる?』
すぐに既読がつく。
『えっと、ケヤキモールにあるはずだよ。前に、撮影用に買ったときはそんなに高くなかったし、すごく助かったんだ』
『買いに行ってみる』
数秒ののち、佐倉からのメッセージ。
『そうだ綾小路さん……! 実は、私ラッシュガードが欲しいなと思ってて。よかったら一緒に行かない? その……私、綾小路さんと一緒なら、心強いし』
少し気恥ずかしそうな言葉。だが、それは彼女なりの優しさだとすぐにわかる。
『ええ、助かるわ。詳しい場所と時間を教えてくれる?』
『うんっ、ケヤキモールの1階の水着売り場で、このあと午後2時とかどうかな?』
『了解。ありがとう』
スマートフォンを閉じる。
(まったく……私らしくもない)
けれど、そんな“らしくなさ”が、今は少しだけどこか心地いいと思ってしまうのだった。
午後二時、私は佐倉愛理と共にケヤキモールの水着売り場を訪れた。
目的は単純、必要な水着を選び購入するはずだった。
けれど──。
『綾小路さん、こっちも似合うと思う!こっちはシンプルだけど色がすごく映えるし……!』
『……私はどちらでも構わない』
『でも!せっかくだし、ちゃんと似合うやつにしようよっ』
そう言って次々に水着を手に取る佐倉愛理の目は、いつになく生き生きとしていた。
その熱意の矛先が自分に向いていることを理解するのに、時間はかからなかった。
(……どうやら、私は着せ替え人形にでもなっているらしい)
だが、彼女がこちらを見上げるときの、どこか嬉しそうな、照れたような笑顔を見てしまうと──
文句を言う気も、なぜか起きなかった。
結果、私は想定の倍以上の時間、佐倉愛理に付き合うことになったのだった。
そして、私は彼女が選んでくれた白いビキニと全身を覆える水色のラッシュガードを買ったのだった。
帰宅後、買ったものを整理していた私は、ふと手に取った白いビキニを見つめていた。
ラッシュガードを羽織るのだから、これが他人の目に晒されることはない。
そう思っていたし、そもそも必要性は限りなく薄いはずだった。
(……それでも、私はこれを選んだ)
無意識のうちに、鏡の前で試着していた。
白を基調としたシンプルなデザイン。
佐倉愛理が「清楚で綾小路さんらしい」と言っていた言葉が脳裏によみがえる。
もし、創がこれをみたらどう思うだろうか。
(そういえば、創とのやりとり途中までだった……)
私もプールに行くことになったことを伝えておこうか。
そうして、メッセージを送ろうとして、ある考えが浮かぶ。
この姿を写真に撮って送ってみようか。
思考より先に、手が動いていた。
スマートフォンを手に取り、鏡越しに自撮りする。
ラッシュガードを脱ぎ、ビキニ姿のまま1枚撮る。
(何をしてるの……私は)
そう自問しながらも、メッセージアプリを開き、宛先に「神楽坂創」の名を選択する。
『そう、楽しそうね。
もしかしたら、私もプールに行くかもしれない。
おそらく会えるかも』
そして、写真を添付する。
『変かな?』
とメッセージを添えて。 創はどう思うだろうか。
そもそも、私はどう思ってほしいのか、よくわからないまま送ってしまった。
…返事がこない。
珍しい、創は返信が普段は早い方だ。
どうかしたのだろうか。
…もしかして写真のせいだろうか。 私の水着姿が創に不快感を与えてしまった?
佐倉愛理は似合っていると本心で言っていたから、創もそう言ってくれるんじゃないかと、そう期待してしまった私の欲望であったことに気づく。
傷つけてしまっただろうか、謝るべきかと思いスマホに向き合うと返事が来た。
『似合ってる。すごく可愛いと思う。』
シンプルな言葉が返ってきた。
けれど、それだけで、胸の奥に渦巻いていた不安や焦りがすっと引いていくのを感じた。
(やっぱり、創は優しい)
つい、彼に甘えてしまう。 私が彼を守らないといけないのに。
頭がぼうっとしながらも、返事をしていく。
『ありがとう。
明日、もし会えたら嬉しい。』
そう返した。
……そして明日の到来を、ほんの少しだけ待ち遠しく思わせるのだった。
翌日、クラスの面々と合流した私は須藤健、池寛治、山内春樹の様子が普段よりおかしいことと、不審な荷物を所持していることから違和感をおぼえる。
普段から、突飛な行動をとってもおかしくない人間といえば否定できないが、嫌な予感を覚えた私はどうしようかと考える。
こういうとき、平田洋介あたりに探らせたいものだが都合よく連絡をとる手段も関係性もない。
…よくよく考えれば男性の連絡先は創しかもっていない。
改めたほうがいいのだろうが進んで他の人間と関係をもちたいとは思わず、女性合わせても数は両手どころか片手で足りてしまう。
……思考がそれた。
こんなことに創を付き合わせるのは良くないだろうと思うが、致命的なことにつながりかねないという理性的な思考が行動を選択させる。
『おはよう、創。
突然でごめんなさい。
お願いしたいことがあるの。』
『今朝、須藤健、池寛治、山内春樹の様子が少し変だった。
落ち着きがなく、挙動不審で不審な荷物も気になる。
もしできればでいいから、更衣室で彼らの様子を観察して報告してほしい』
そして、前に櫛田桔梗に送られた、カラオケで撮った集合写真を送っておく。
『──了解。任せて』
すぐに返事がきた。
こんな、ふざけた依頼を何の疑問もなく受けてくれる創を逆に心配してしまう。
そして、もう一人ある人物にも連絡を入れておく。
こうして私はプールへと向かっていった。
『須藤たちだけど、更衣室の奥に池と山内がいたけど、池は何かコントローラー?みたいなものを持っていたと思う。ただ、何をしてたかは見えなくてわからなかった。役に立てなくてごめん。須藤は通路を塞ぐように立ってて、声をかけたら3人は引き上げた。』
更衣室につくときスマホに、返信が届いた。
『そんなことない、ありがとう。
その場所に、不審なものはなかった?』
『特に異常はないかな。
強いて言えば、壁の下の方に小さな通風孔があったくらい』
『わかった。助かった、創』
…コントローラー、通風孔というワードから、私はあるひとつの馬鹿馬鹿しい仮説が浮かんだ。
私は、早速駒にした彼女に連絡を入れる。
『軽井沢恵。 ケヤキモールのホームセンターの売り場に行ってほしい』
送信してすぐに既読がついた。数秒後には返事もくる。
『……は? なんで?』
『理由はいる? あなたならこういうの慣れてるのでは』
『…うざ。 私、やっぱあんたのこと嫌いよ』
そして、私は彼女に2つの物を頼んだ。
更衣室に入った私は、まず件の通風孔を確認する。
ここからではよく見えないが、おそらく盗撮されていると考えていいだろう。
とりあえず私はその通風孔の死角となる場所と人混みを盾に素早く着替え、ラッシュガードを着込んだ。
一応、記録されているであろうメモリは抜き取るつもりだが体を晒す趣味はない。
……創に送った写真? なんのことだろう。
そんなくだらない自問自答をしながら、堀北鈴音たちの集団に自然と紛れる。
彼女たちはどうやら、お互いのスタイルについて話しているようだ。
自然と輪に入り込んだ私は、周囲の視線が集まるのを感じながらも、表情を変えずに立ち位置を取る。
「あっ、綾小路さん。もう着替えたんだね、早い!」
声をかけてきたのは一之瀬帆波だった。まっすぐで、やわらかな視線が向けられる。
「ええ。混み合う前にすませたくて」
「なるほど、なんというか綾小路さんらしいね。……あ、それにしても、綾小路さんってさ、肌すごくきれいだよね。髪もツヤツヤしてるし。ちょっと憧れちゃうなあ」
そう言って、笑う一之瀬帆波の隣で、櫛田桔梗も楽しげに頷いた。
「ほんとほんと。何か特別なケアとかしてるの? それとも、やっぱり体質?」
「別に何も。……しいて言えば、睡眠は多めかしら」
何気ないやり取りを行う。
そして、一之瀬が小さく笑う。
「綾小路さんって、見た目クールだけど、こうやって話すと優しいよね」
「……優しい?」
「うん。ちゃんと、話を聞いてくれるし」
その言葉に、私は心の中で否定する。
もし私が優しい人なら、着替えをやめさせるくらいはしないといけないだろう。
「そう言えば帆波ちゃん、神楽坂くんと神崎くんのことで相談があってね。そのことで少し聞いてもいいかな?」
「にゃ? その2人がどうかしたの?」
「クラスの女の子に神楽坂くんと神崎くんが気になってる子がいてさ。その辺り事情はどうなのかなって」
……創を好きな人がいる?
「わー意外とモテるねーあの2人。ウチのクラスにも好きっぽい子いるし。あ、でも今のところ誰とも何もないんじゃないかな?」
…創に誰か恋人ができているイメージを思い浮かべる。
「そっか、じゃあ声かけてみたらって話してみるね」
「うんうん。2人とも嬉しいんじゃないかな。多分だけど」
創がその誰かに笑顔を浮かべているイメージまで巡らせる。
胸が冷たく感じ痛みを覚える。
「多分なんだ」
「神崎くんって無口と言うか口数が少ないから。それがいいんだろうけど、主張がなさ過ぎてよくわかんないんだよね」
私は創の何者でもないはずだから嫉妬をするなんておかしいはず。
私は創の選択を尊ばなければならないのに。
「そして、神楽坂くんは……なんかね、気づかないんだよね、そういうの」
一之瀬帆波が笑いながら、肩をすくめた。
「気づかない?」
「うん。前にウチのクラスの子が、わかりやすく好意アピールしてたことあったんだけど、全部普通に受け流しててさ。こっちがハラハラするくらい見事にスルーしてた」
「へえ……」
「本人にその気がないっていうより、そういうのに鈍いのかもね。嬉しいとは思うんだけど、自分じゃあんまり意識してないっていうか」
「うーん、天然ってことなのかもしれないけど……ちょっと損してるかも」
笑いながら話す二人に混ざりながら、私は静かに胸の奥がざらつく感覚を覚えていた。
──気づかない。好意に鈍感。
それは、私も痛感していたことだった。あれほど近くにいた私の想いにすら、あの頃の創は……
……いや、違う。あの頃の創は気づいていて、あえて応えなかったのかもしれない。
スマホが静かに震え、通知が表示される。
軽井沢恵からの連絡だった。どうやら、到着したようだ。
私は一之瀬帆波の「プール行こうよ!」という明るい誘いに曖昧に頷きつつ、忘れ物をとってくると言い訳をして、さりげなくグループから離れる。
指定した位置──更衣室裏の物陰に立っていた軽井沢恵は、いつもの軽口を封じた表情でこちらに気づく。
「これ、例のやつ。ねじ回しと、SDカード」
渡されたビニール袋には、ドライバーと、未使用のSDカード。
「助かったわ。……見張り、お願いできる?」
「は? ……うっざ、さっさとすませてよ」
不満げに眉を寄せるが、手は素直にスマホを構えている。
「誰にも気づかれないように。誰か近づいてきたら牽制してほしい」
「はいはい……ホント、嫌い」
小声で毒づく軽井沢を背に、私は再び女子更衣室の中へ戻る。
──目当ての通風孔の下に立ち、配置されたネジを確認する。ドライバーを取り出し、慎重にそれを外していく。
カチャリと金属がずれる音。ふたを外すと、奥に何かが詰まっているのが見えた。
──やはり、あった。
小型のカメラと、その操作用と思われるラジコンユニット。
録画用SDカードが挿し込まれていた。
私は躊躇なくそれを抜き取り、空のカードとすり替える。
これでデータを入手できた。
…正直、これを学校に突きつけて、退学処分にさせるのも考えたがクラスにダメージが入ってしまう。
「……こんな方法を思いつくなんて」
バカと天才は紙一重と言うが、こんな存在と一緒くたにされたくないものだ。
嘲るような独り言を残し、通風孔の蓋を元通りに閉じた。
作業を終えた私は、待機していた軽井沢恵のもとへと戻る。
「終わったわ。問題なかった」
「ふーん。思ったより早かったわね」
「ええ、助かった。……これは、礼よ」
そう言って、私はスマホを操作し、3万ポイントを軽井沢の端末へと送金する。
「え、マジで? 本気でくれるの?」
「その程度の対価は払うわ。……今後も、必要になれば頼むことがあるかもしれない。その時も、報酬は約束する」
軽井沢恵はしばらくスマホの画面を見ていたが、やがて「ふーん」と短く鼻を鳴らす。
「ほんと、あんたって何考えてるか分かんないよね。……あの時の約束は守ってよ」
「ええ、心配する必要はない」
そうして、私は軽井沢恵と別れ、プールへと向かった。
堀北鈴音たちと合流し、施設内を歩いていると、創の姿が視界に入った。
一緒にいるのは神崎隆二と、以前彼が「友達」と話していた柴田颯。おそらく、彼らだろう。
やがて、創たちがこちらに向かってくる。
一之瀬帆波と櫛田桔梗とのやり取りを経て、自然な流れで合流することになった。
そして、創が私たちに声をかけてきた。
「やあ。綾小路さん、ここにいたんだね。佐倉さんも久しぶりだね。元気にしてた?」
表面的には当たり障りのない挨拶。けれど、その視線に一瞬の揺らぎを感じる。
どこか、私に視線を合わせることをためらっているような──そんな印象。
彼は自然体を装って、佐倉愛理に言葉を向けている。
──私をもっと、見てほしい。
そんな思いが、ほんの少しでも伝わったのだろうか。
創の視線が、ようやく私に向けられた。
──創の視線が、ようやく私に向けられた。
その一瞬で、胸の奥がかすかに熱を帯びるのを感じた。
けれど、彼の目は私の全身をすぐに見渡したあと、まるで何かを思い出しているように、わずかに動きを止めた。
……どうしたのだろう。 どこか創らしくないし、私が何か変なのだろうか?
今日の私は、水色のラッシュガードで体をすべて覆っている。
肌の露出はほとんどない。自分でも少しやりすぎたかと思うほどに。
でも、それでいい。
白いビキニは創以外には見せたいとは思わなかったから。
……ここで、あることに気が付く。
まさか、そうなのだろうか? あの創が照れている? 私の水着姿で?
創の内面を知りたい。 そう思い問いかける。
「……何か?」
創は一瞬たじろぎながら、気まずそうに笑った。
「え、いや。別に……その、似合ってるなって、思っただけでさ」
その言葉は、唐突すぎて。
ラッシュガード姿に対する誉め言葉だと受け取るには、どこか不自然で。
──可愛い。 そして、とても愛しい。
そんな創に私のすべてを受け入れてほしい。そう思ったが、ここは公共のプールだ。
私の理性が、茹だった感情にストップをかける。
「そう。ありがとう。でも……今日は人が多いから、見せられなくてごめんね」
私の本心を伝えたその一言に、創は一瞬、息を詰まらせたように見えた。
彼は私の真意を測りかねたように沈黙し、視線を泳がせる。
その隣で、佐倉愛理が「え……?」と小さく戸惑ったように首を傾げていた。
彼女の存在を思い出したように、創は慌てて話題を変える。
「そ、そういえば、2人はもう泳いだのかな。俺はまだでさ、一緒に泳いでみたいな、ははっ」
その笑顔が、少しぎこちなくて。
だけど──創らしい、不器用な感情がにじんでいた。
その後、上級生の話題から自然な流れでバレーの話題へと移っていった。
最初は遊び半分の軽いノリだったはずが、一之瀬帆波が乗り気になったことで、いつの間にか「Bクラス対Dクラス」の構図にまとまっていた。
最初は1人多いから抜けようかと思ったが、佐倉愛理は自信がなく、そして頑張ってと応援されてしまい参加してしまうことに。
バレー対決が始まった。
Bクラスは柴田颯、神崎隆二、一之瀬帆波を中心に、連携を意識した動きで着実に得点を重ねようとしていた。
一方のDクラスは、須藤健の高い身体能力を軸に、個の力で押し切るような展開。バレーというよりも、力勝負に近い。
そんななかで──創の姿は、少しだけ浮いて見えた。
「ご、ごめん……!」
最初のサーブをミスし、続くレシーブも弾いてしまう。
けれど──彼は、顔を歪めながらもすぐに前を向いた。
失敗を引きずるでもなく、仲間の声に耳を傾け、何かをつかもうとしていた。
(創……)
かつてすべてを持っていた彼が、今は不器用な手つきで努力している。
それが、どこか苦しくもあり、愛おしくもある。
そして次の瞬間。
柴田颯が神崎隆二のトスを受け、スパイク体勢に入った。
(ボールが……私の方へ──)
普通なら対応できないボールだろう。
何だったらここでミスをして腕を痛めたと言って抜けるのもありかもしれない。
そんな思考のなか、視界の端でふと視線を感じる。
その視線は創のものだった。 どこか心配しているような瞳が見えた気がする。
だからだろうか、私は無意識に一歩だけポジションをずらし、反射的に両腕を突き出す。
鋭いスパイクが腕に乗り、しっかりと弾かれる感触があった。
「おお! ナイスレシーブだ綾小路!」
そっと顔を上げる。
創と、目が合った。
彼は──どこか、驚いたような、それでいて目を離せないような顔をしていた。
ただの遊び。レジャーの一環。
真剣になる必要なんて、最初からなかったはずなのに。
だけど──
(そんな顔をされて、あんな視線を向けられて)
無様な姿なんて、見せられるわけがない。
気がつけば、身体は自然と動いていた。
打算も、計算もない。ただ、咄嗟に反応しただけ。
なのに──
(……こんなの、らしくない)
自分でも、驚いている。
それでも……悪くない、と思ってしまった。
胸の奥が、また小さく疼いた。
気づけば、試合はマッチポイントを迎えていた。
Dクラスの須藤健は最後の一点を狙って気炎を上げ、Bクラスは淡々とそれに応じるように準備を整えていた。
そのなかで──創もまた、一歩前に出る。
神崎隆二のトスに応じて跳んだ創の姿は、先ほどまでとは別人のようだった。
いや、これはむしろ―――あの部屋で見た雰囲気を感じた。
迷いのない踏み切り。まっすぐに空を射抜くような動作。
(……跳んだ)
スパイクは、鋭く、そして綺麗だった。
ただ数センチの誤差で、ボールは外に落ちたけれど──
(悪くなかった)
試合に負けて肩を落とす彼に、仲間たちが笑いながら声をかける。
その輪の中で、創は自然と笑っていた。
──そこに須藤健が歩み寄る。
一瞬、何か揉めるのかと思い、臨戦態勢をとるべきかと考えたが次に聞こえたのは意外な言葉だった。
「バスケ部、入れよ」
困惑する創。一之瀬帆波の愉快そうな声。
須藤健が熱心に創を勧誘する。
(……ふふっ)
私は彼らのやりとりを、ただ静かに見つめていた。
創がそこにいる。自分の居場所を、少しずつ作っている。
それが、ほんの少しだけ──嬉しかった。
創の様子を見ていると、いつの間にかプールの閉館時間になった。
帰宅途中、私たちは一之瀬帆波の提案で、近くのコンビニへと立ち寄ることになった。
コンビニの冷蔵ケースの前で、佐倉愛理と私は並んでいた。
アイスを選ぶ――それだけの行為なのに、なぜかすぐには決められずにいた。
「どうしようかな……」
佐倉愛理がぽつりと呟く。
「嫌いなの? アイス」
問いかけると、彼女は首を横に振った。
「ううん、どれも好きだよ。この辺りにあるやつは全部食べたことあるかも」
その言葉に、少しだけ羨ましさを覚えた。
“全部食べたことがある”──そう言える経験が、私にはない。
そんなとき、不意に声をかけられた。
「……あの、二人とも?」
創だった。少し驚いた佐倉さんの声と、私の視線が彼に向かう。
「神楽坂くん?」
「なに買うか決まった?」
問いかけに、佐倉愛理はほんの少し口元を緩めて答える。
「…ちょっとだけ、迷ってて」
「はは、確かにこんなにあると迷うよね……」
そして、創もアイスを吟味していく。
ふと、創の目が一つの商品に留まる。
「アイスか……ああ、ひとつ思い出したよ」
「……思い出した?」
思い出す。その言葉に胸がざわつく。
…私が奪った記憶のこと。 関連するはずはないと思いながら冷静に心を保つ。
そんな中で、創がぽつりと語り出す。
兄とのアイスを分けて食べた思い出、そのアイスが父親のもので怒ったこと、それでも笑えるほど楽しい記憶だったこと。
――ズルい、なんだそれは。 あの松雄という男とその家族に嫉妬する。
私には、そんな時間なかった。
松雄は報告ではただ、記憶が戻った様子はないと端的な報告しかしていなかったが創とそんな理想の家族でいられたなんて聞いていない。
…だが、そんなことを考えても仕方がないと切り替えるしかない。
創は今ここにいる。 なら―――
その話を聞きながら、私はそのアイスをひとつ手に取った。
「……同じのにしようかしら」
同じものを選ぶ、創と共有できることに少しだけ心が軽くなった。
購入後、私たちは一緒にアイスを食べ始めた。
周囲の皆は慣れた様子だったが、私は一口ごとにゆっくりと味わう。
冷たさと甘さが舌に広がるたび、知らなかった感情が浮かんでくる。
「これは……美味しい……」
創のおかげで、私はまた新たな良いものを知れた。
創の視線が、ふと私に向けられる。
その顔は幸せそうに見える。そんな、創の表情を目に焼き付けながら、ただ静かにもう一口、アイスを口に運んだ。
穏やかな夕方の夏の時間。
こんな時間がもう少しだけ続けばいいと、そう思った。