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作:綾小路君をTSヒロイン化した作品がみたい
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5章(裏)


 澄み渡る空の下、校庭には開会式の号令が響き、赤と白のはちまきを巻いた生徒たちが整列する。Dクラスも、須藤健といった運動に自信のある者たちを中心に、どこか非日常な熱気に包まれ始めていた。

 

そんな中、綾小路清華は静かに整列しフィールドに視線を向ける。視線の先――神楽坂創は、仲間と談笑しながら整列していた。

 

この体育祭で、創は何を得るのだろうか。

 

友情、努力、勝利――そういったものは、私にはよくわからない。

けれど、青春を彩る何かを、彼が手に入れて楽しんでくれるのなら。

それだけで、私は……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

創は、午前中の競技で1位を取り続ける好成績を収めていた。

 

……といっても、それはホワイトルーム時代の、あの頃の実力ではない。

この学校での限られた時間の中、彼が努力して掴み取った結果だった。

 

創のすべてを奪ってしまった私だけど――

この学校で、彼が新たな力を獲得し、成長していく姿を見て……思わず、嬉しくなってしまう。

 

……けれど同時に、そんな姿を見る資格など自分にはないとも思う。胸の奥が冷たくなるのを感じた。

 

創に、私を罰してほしいとさえ思う。

けれど創は、その罪を知らない。

 

そもそも、罰してほしいと思うこと自体――おこがましいことだ。

そう自嘲して、そっと目を伏せる。

 

……これ以上は、やめよう。

私も、これから競技に集中しなければ。

 

堀北鈴音からは「1位を取りなさい」と言われている。

正直、それは無茶ではない。だが、わざわざ本気を出す必要もない。

適度にこなすつもりだったが……このままでは、少し危うくなりそうだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

午前の競技が始まって間もない頃。

Dクラスの混乱は、もはや修復不能な段階に突入していた。

 

須藤健はCクラスの挑発により空気を読まず暴走し、堀北鈴音は焦りから判断力を喪失している。

 

Dクラスが沈もうが潰れようが、それ自体は私にとって瑣末な事象に過ぎない。

 

けれど。

 

「これでAクラスを目指すなんて──」

 

無意識に口元が緩んだ。その滑稽さに、思わず嘲笑が漏れそうになる。

だが、その言葉と同時に、ふと彼女の瞳が脳裏をよぎった。

 

あの、誰よりも不器用で、誰よりも必死な目。

 

……馬鹿みたいに真っ直ぐな意志を持つ、あの目をみるとどこか胸がざわつく。 

 

「……」

 

私は立ち上がり、ゆっくりと競技を終えた堀北鈴音へと向かう。

 

 

彼女は私の顔を見るなり、警戒を隠さなかった。苛立ちと焦燥、そして微かな諦念がその目に宿っていた。

須藤の暴走に心当たりがあるのか、彼女はその理由を口にし、予防線を張るように私の意図を探ってくる。

 

 

そして私は、今の彼女の立ち位置──己が無力であるという現実を、静かに、しかし容赦なく突きつけた。

 

当然、彼女は反発する。状況分析を交えながら、自分なりにベストを尽くしたと訴える。

だが、その弁明は“理解”を求めるものであって、“変化”を起こす力はなかった。

 

私は彼女に選択を示す。

順位や自己評価を捨て、今のDクラスにとって最も必要な“戦力”を呼び戻すこと。

それこそが、彼女自身の初めての「リーダーとしての仕事」になると。

 

一瞬だけ、彼女の目が揺れた。

心のどこかで、その言葉が正しいと分かっている証拠だった。

 

私は最後に、彼女だけが持つ可能性について触れた。

この選択を逃せば、彼女は何も得られない──そう静かに告げ、背を向けた。

 

 

 

 

……私は、何をしているのだろう。 

 

堀北鈴音がDクラスを引っ張れば都合がいいから?

だが、私の行動原理は創の幸せを守ること。 クラス運営など些事にすぎないというのに。

 

しかし、胸の蟠りは軽減されたように感じた。

 

 

 

 

 

堀北鈴音との会話を終え、私は踵を返してDクラスの控え場所へと歩を進めようとした──その瞬間だった。

 

「綾小路ガールがそのような行動をとるとは、実に、興味深いねえ」

 

不意に背後から声が降ってきた。

思わず振り向くと、そこには高円寺六助が、まるで最初からそこにいたかのように立っていた。

 

「……盗み聞きの趣味でもあったのかしら?」

 

問いかけた私の声は、自然と警戒を孕んでいた。

彼がいた方向は、私が通ってきた道。だが、その気配は直前まで一切なかった。

 

「フフ、確かにこれは紳士としてはあるまじきことだねえ。 非礼を詫びよう。だがまぁ、君がそのような行動をとるのが面白いと思ってね。 つい“見かけてしまった”だけさ」

 

「……何が言いたいの?」

 

無駄口に付き合っている暇はない。だが、彼の視線には戯れだけではない何かが含まれている気がして、私は立ち去るタイミングを逸していた。

 

「そうだねえ、ただ……君のような自己完結した者が、このクラスを立て直そうと行動するとはね。何か良い出会いでもあったのかねぇ」

 

その言葉に、私は小さく息を吐いた。

 

「Dクラスが崩壊すれば、合同リレーにすら出場できなくなる。必要最低限の火消しよ。それだけ。……高円寺六助、あなたが推薦競技に出れば、クラスは大きく変わるわ」

 

「ほう。この私の力を借りたいとは、ずいぶん傲慢だねえ」

 

「クラスが追い込まれているこの状況で、貢献すれば恩を売れるはず」

 

私の言葉に、高円寺六助は「ふむ」と顎に指を当てて首を傾げた。

その仕草は演技がかっていて、まるで芝居でもしているようだった。

 

「なるほど、なるほど。まったく理にかなっている。……だが、私は君たちと違って、恩や感謝などというものに執着しないのだよ」

 

「予想通りの反応ね」

 

私は淡々と返し、踵を返そうとする。

 

「ただ──」

 

その一言が、私の動きを止めた。

 

「この私が、久々に“本気”を出してみるというのも……悪くない」

 

振り返ると、高円寺六助の口元には愉悦の笑みが浮かんでいた。

それは自信とも傲慢とも取れる、実に彼らしい笑みだった。

 

「…本気、というのは?」

 

「フフ、言葉どおりさ綾小路ガール。まあ、楽しみにしているといい。……合同リレーの、そうだねぇ… アンカー、引き受けてあげようじゃないか」

 

私は一瞬だけ言葉に詰まり、微かに眉をひそめる。

 

「……どういうつもり?」

 

「ふむ、そうだねえ。私の実力をここらで示すのも悪くないと思ってね」

 

私はその不遜な態度に困惑しつつも、状況を考えれば、選択肢は他になかった。

 

「分かった。……あなたにアンカーを任せる」

 

「当然だねえ」

 

言い終えると、私は話を終わらせるべく再び背を向けた。

このやり取りだけで、充分すぎる進展だった。

 

だが──

 

「そうだねえ。ウォーミングアップがてら、ひとつ走っておこうか。……そう、例えば“二人三脚”などはどうかね?」

 

「……?」

 

思わず立ち止まり、振り向く。

高円寺は涼しい顔で、まるで当たり前のように続けた。

 

「せっかくの体育祭だ。綾小路ガールと共に、軽やかにステップを踏むのも悪くない。君ならきっと、美しいフォームで走れるだろう?」

 

「…そんなことに付き合う理由は──」

 

「じゃあ、グラウンドで待っているとしよう。 アデュー、綾小路ガール」

 

高円寺六助は勝手に会話を終え、一礼すらせずにその場を去っていく。

まるで、予定された舞台から去る役者のように。

 

「……」

 

私は呆然とその背中を見送りながら、小さくため息を漏らした。

 

二人三脚など、目立つことこの上ない。

この話は無かったことにしておこうか。

 

動けずにいる私を、微かな風だけが通り過ぎた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

午後の競技に移り、借り物競争が始まった。

私は推薦競技に出るつもりはなかったが、推薦競技の出場者を決めるじゃんけんで、運悪く勝ち残ってしまった。

 

グラウンドに出た私は、他の出場者たちと並んでお題の箱に向かう。

 

号令と同時に紙を引いた。そこに書かれていたのは──

 

『友達10人を連れてくること』

 

「……」

 

数秒間、紙を眺めたまま固まってしまった。

 

無理とは言わない。 おそらく、櫛田桔梗に声をかければ友達の友達を呼ぶことで10人は達成できるだろう。

 

……だが、面倒くさい。

 

静かにチェンジを宣言する。30秒のロスが生じる。

 

次は、人ではなく物を引ければと念じる。

 

2枚目の紙を引く。

 

そこにあった文字を見て──私は、動けなくなった。

 

『好きな人』

 

まるで、世界の音がすべて遠ざかったかのようだった。

 

私にとって、「好きな人」はただ一人。

 

このお題に対して、解は最初から決まっている。

誰かで誤魔化すことはできない。

 

 

…他の参加者が走り出している。 このままチェンジをしたら最下位は確実だ。

迷う必要はないことに時間をかけるのもバカらしく思えてきた。

私は紙を握りしめて、走り出した。

 

 

神楽坂創。

彼のところへ──

 

 

 

 

テントに向かうと、周囲が多少ざわついた。

けれど創は、少しだけ戸惑った様子を見せたものの、すぐに頷いて手を取ってくれた。

 

 

「もちろんだよ。俺が必要なら」

 

その言葉で、胸の奥がじんわりと温かくなる。

私は彼の手を引いて走り出した。

 

彼は途中で尋ねた。「ねえ綾小路さん。お題って何なの?」

 

その問いに正直に答えてしまおうかと思ったが、創を困惑させるだけだろうと口を閉ざす。

 

…いや、それは建前だ。 私は、拒絶される恐怖に怯えている臆病者なのだろう。

 

「……逆に、なんのお題だと思う?」

 

そう答えはぐらかす。

 

創は、私をどう思っているのだろうか。 おそらく...

 

「うーん……他クラスの仲の良い友人、とか?」

 

「……そうね。間違ってはいないわ」

 

予想通りの答えだった。 

 

……これでいい。私と創は、これ以上踏み込むべきではない関係なのだから。

 

 

 

二人でゴールし、3位入着。

 

「……ありがと。助かったわ」

 

「お礼を言うほどのことじゃないよ。綾小路さんの助けになって何よりだよ」

 

彼の笑顔に、少しだけ目を逸らしたくなる。

優しさが時に残酷に感じるのはなぜだろう。

 

 

そうして少しコミュニケーションを交わして、私は彼と別れた。

 

……これで、私の体育祭は終わったはずだった。

 

私はテントに戻り、水を飲みながら思案する。

 

(高円寺六助の件……もう、櫛田桔梗でも代役にしてしまおうかしら)

 

……そう思っていたのに。

 

ふと視線の先、借り物競争を見届ける。 そして、名前も知らない女子生徒がBクラスのもとへ、神楽坂創を連れていくのが見えた。

 

再び、彼が借り物として選ばれたのだ。

 

(そう……)

 

何かを話している。表情が見えるわけではないのに、楽しげな空気が伝わってくる。

 

そして、女子生徒がバランスを崩れ落ちる。

 

1位は難しそうに見えた。しかし―――

 

創は迷わず彼女を抱き上げて、走った。

 

ゴールまで一直線に駆ける彼の姿に、観客席は湧き立っていた。

 

私は──。

 

(……そんなふうに、誰にでも優しくするのね)

 

別に、創の行動を否定する気はない。 それが、彼のアイデンティティとも言えるのだろう。

けれど、確かに胸の奥で燻っていた。

 

(私という存在は……彼の中で、普遍的な存在として埋没するのだろうか)

 

私は、このまま……ただの“親しい友達”として、彼の高校生活の背景に溶けていくだけなのだろうか。

 

──嫌だ。

 

静かな炎が、心の奥に灯る。

 

(……何を考えているの私は)

そんなこと、私らしくもないのに。

それでも、胸の奥にある熱は冷めるどころか膨らんでいく。

 

 

――彼にもっと、私を見てほしい。

――意識してほしい。気にしてほしい。

 

そんな思いがとめどなく溢れる。

 

そのためには──

 

(二人三脚。もし私が、創に勝てたなら──)

 

彼は私を、ほんの少しでも違う目で見てくれるだろうか。

 

グラウンドに、歓声が響く。

 

私はそれを聞きながら、静かに決意し出場するため平田洋介のもとへ向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

スタートライン前。

私はグラウンドに足を踏み入れた瞬間、無数の視線がこちらに注がれているのを感じた。

 

その中には、創の視線も強く感じた。

 

(……どうして、こんなことをしているのかしら)

 

自分でも少し驚いている。

私は、目立つのが嫌いだったはずなのに。 どこか私は“熱”というものに浮かれているのだろうか。

 

それでも今、私はこの場に立っている。

 

彼に私を見てほしい。

何かを感じ取ってほしい。

そんな感情が、行き場もなく心の奥から湧き出して止まらない。

 

(だから創に勝ちたい。……ああ、そうか。あの頃もそうだったのかもしれない)

 

 

 

「おや、どうやらレディを待たせてしまうとは申し訳ないことをしたねぇ」

 

その飄々とした声に、わずかに視線を動かす。

 

高円寺六助――。

 

彼は自信に満ちた笑みを浮かべながら、私の隣に立った。

 

私は特に返さなかった。ただ、呼吸を整える。

感情は抑えて、ただ結果だけを見据える。

 

(創に、勝つために)

 

──位置について。

 

 

──パン!

 

乾いた音とともに、私たちはスタートを切った。

 

最初の数メートル、タイミングを合わせるため軽く、それでも勝つために走る。

 

高円寺六助もどうやら私に合わせてくれているように思う。 

 

…意外に思うが、今はそんなことを考えている場合ではない。 

 

勝つために声をかける。

 

 

「……問題ない。これ以上は合わせる必要もない」

 

そう告げると、高円寺はにやりと笑って頷く。

 

次の瞬間、私たちはギアを上げた。

軽やかに、しかし力強く、呼吸も足並みも問題なく噛み合っていく。

 

(追いつく)

 

創の背中が見える。

その横で走る一之瀬帆波の姿も。

 

一之瀬帆波。

天真爛漫で誰からも好かれる存在。

……そして、彼女のことを創がどんな風に見ているのか、私はよく知らない。

 

だが――

 

私は、彼の“視界”に入りたい。

 

心に残る“存在”でありたい。

 

そのために、いまこの一瞬で証明しなければならない。

 

彼がまだ見たことのない、私の本気を。

 

ぐんと加速する。

身体が軽い。地面との接地の感覚が、どこまでも鋭く研ぎ澄まされていく。

 

そして――

 

すれ違う瞬間、彼の視線がこちらに向いたのがわかった。

 

一瞬。ほんの一瞬だけ、目が合った。

 

(……創)

 

その表情に、確かに驚きがあった。

けれど、それだけじゃない。何か懐かしさのような感情が、そこに宿っていた気がした。

 

私は、応えるように前だけを見て走る。

 

 

風が頬を撫でる。息は上がっているが、意識は研ぎ澄まされていた。

 

そして――私は、ゴールラインを越えた。

 

勝った。

 

それも圧倒的に彼よりも速く。

 

私は、しばらくその場に立ち尽くした。

観客の歓声も、拍手も、遠くに感じる。

 

視線を横に向けると、創がこちらを見ていた。

 

だが、どこか呆然としているように見える。

 

(創――今の私は、どう見えている?)

 

身体を覆う熱がどこか心地よく感じられた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そうして佐倉愛理などクラスで交流のあるものに、驚かれながらも賛辞を受ける状況に辟易していたが、そんなざわめきも1200mの合同リレーが近づき、Dクラス以外のボルテージは最高潮まで上がってきた。

 

創たちBクラスも円陣を組んでいるのが見えた。

 

そして、Dクラスは離脱している須藤健、堀北鈴音を欠いた状況でリレーを迎えなければならないかに思えたが、どうやら堀北鈴音はリーダーとしての1歩を踏み出せたようで須藤健を復帰させることに成功した。

 

そして、リレーについてクラスで意見を交わす。

 

「……私は代走をお願いしてもいいかしら。この足では、満足な結果は残せないから」

 

それは、自分の限界を受け入れる言葉だった。

彼女にとっては苦渋の決断だったのだろう。須藤健も一瞬言葉を詰まらせたが、すぐに頷いた。

 

 

続いて、平田洋介が櫛田桔梗を代走に立てる提案をし、空気はやや落ち着きを見せた。

 

だが、その次の瞬間だった。

 

「待ってくれ。悪いんだけどさ……俺も棄権させてもらえないか?」

 

その声に、場が再びざわついた。

 

発言の主は三宅明人。

 

「昼前の200メートルの時に足首を捻って……まだ痛むんだ」

 

右足を引きずるようにしていた姿に、皆が無言になる。

 

 

場が重苦しい沈黙に包まれる――そのときだった。

 

 

 

「おやおや、困っているようじゃないか」

 

唐突に割り込むように、声が差し込まれた。

 

誰もが驚いてそちらを振り返ると、テントの柱の陰から現れたのは――高円寺六助。

 

「このレース、どうやら私が美しく走るには絶好の舞台のようだねえ。 私が1位で駆け抜けてあげようじゃないか」

 

唖然とする空気の中、須藤健が先に口を開いた。

 

「はあ? なんだよ、お前。今さらふざけたこと言ってんじゃねえぞ」

 

「ふざけてなどいないさ。私はただ、ふさわしい舞台が整ったと見て、出番を買ってあげただけさ」

 

須藤健がが詰め寄ろうとするより先に、堀北鈴音が割って入る。

 

「須藤くん。……落ち着いて」

 

「おい堀北、まさかこいつに任せる気か?」

 

「……客観的にみて代走をお願いする実力はあるわ。……ねえ、高円寺くん」

 

堀北鈴音は、高円寺六助をじっと見つめた。

 

「あなた、本気で走ると考えていいのね?」

 

一瞬の静寂のあと――

 

「もちろんだとも。少々、私の実力を示したくなってね。それだけの話さ」

 

その言葉に、場が再びざわつく。

 

だが堀北は、はっきりと頷いた。

 

「……分かった。勝つための出走費用は私が出す。あとは平田くん、登録をお願い」

 

クラス一同は困惑を浮かべながらも、堀北鈴音の強い意思を見て小さく頷いた。

 

「……分かった。高円寺くん、出走登録するね」

 

 

そしてDクラスは、新しくも最適な布陣で――

最後の競技、1200メートルリレーへと挑む準備を整えたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

グラウンドの熱気が、一段と濃くなっていく。

 

空にはまだ雲ひとつなく、照りつける陽光が砂を白く焼いていた。

清華はその喧騒からやや距離を取った場所に腰を下ろし、淡々と周囲を見渡していた。

 

最初に目を向けたのはBクラス。

 

(ここまでの流れを見る限り、この体育祭ではBクラスは今年の1年生で最も総合的に優秀なクラスと言える)

 

高いチームワークに身体能力に優れた男子陣、平均以上の女子陣、そして――

 

(……アンカーは、創)

 

これまでの競技で、創は高い身体能力を不完全ながらも発揮し1位を取り続けた。

 

(当然、優勝候補筆頭……と、言いたいところだけれど)

 

視線を少し外す。

 

(三年Aクラス――堀北学)

 

その名を知らない生徒はいない。

全学年の中でも突出した身体能力と指導力を兼ね備えた絶対的存在。

そして彼もまた、アンカーとしてこのリレーに出場していた。

 

(さらに)

 

視線をもう一つ、別の方角へ。

 

(高円寺六助……まさか、彼が出場するとは思わなかった)

 

普段は何事にも無関心で唯我独尊な人物。今回のリレーもあくまでクラスのためでなく自分のために出場した。

だが、その潜在能力はこの学年で1番だと思われる。 

 

(この2人が本気で走るというのなら――)

 

正直なところ、予測は難しい。

 

あの頃の創なら、結果は一目瞭然だけど今の創には荷が重いと考える。

 

それでも、私は――

 

自然と目が創の方へと向く。

 

……普通なら自クラスを応援するものだろうけど、私はいつだって創の味方であり続けなければならない。

 

――だからあなたの頑張りを見届けるね、創。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 各クラスが次々にバトンを繋ぎ、1200メートルリレーはいよいよ終盤を迎えていた。

 

 Dクラスは須藤健がスターターとして独走し走り抜けたが、女子の走りで1年Bクラスなどの他のクラスに追い抜かれていた。

 

 そして今――

 

(創)

 

 アンカーとしてバトンを受け取った彼の姿が、私の視界に飛び込んできた。

 

 一瞬でギアを切り替え、地を蹴る音が響く。

 その走り出しには、迷いなどなかった。

 

 風を切る音が、歓声をすり抜けて耳に届いた気がした。

 

(速い……!)

 

 私は思わず目を開く。この体育祭で創は本気を出していなかったのかと考えてしまう。

 

 創のその姿は、まるで何かに突き動かされるかのようで。

 けれど決して焦燥ではない。

 その表情には、奇妙なほどの“静けさ”があった。

 

(……あれは)

 

……なぜだろう、どこかあの姿に懐かしさを感じる。

 

――ああ、そうだ私はあの姿から目を離せなかったんだ。

 

あの頃の創は前を走り続けていて、それに離されたくなくて。

 

そこから私の創に対する想いは大きくなったんだ。

 

 そして――

 

 視界の端で、もう二つの影が彼を追っていた。

 

 堀北学。

 そして、高円寺六助。

 

 全力で追い上げる二人を背に、それでも創はリードを許さない。 いや、むしろもっと加速しているように見えた。

 

 彼はただ前だけを向いている。

 

 無駄のない腕の振り。

 呼吸のリズム。

 足音すら規則的で、美しいほどに滑らかだった。

 

 何千回と見てきた、あの世界の中の動作。

 だけど――

 

(これは…進化している?)

 

 いまの彼は、あの頃とは違う。

 

記憶と実力を失ったはずの彼が、取り戻し、さらに進んでいく走りを見て胸がざわつく。

 

 そして――

 彼がコーナーを曲がるその一瞬、私のほうを見た。

 

 一瞬だけ目が合った気がした。

 私の存在を、彼が確かに見てくれた気がした。

 

 胸が熱くなる。

 

 それだけで、私は……。

 

(……嬉しいはずなのに)

 

 ほんの少し、また胸の奥がざわついた。

 この感覚は――なんだろう。

 

 懐かしさと、嬉しさと。

 そして、それに混じる、得体の知れない不安。

 

(創……あなたは、取り戻してしまうの?)

 

 

 嬉しいはずなのに。

 私が好きになった“あの創”に、もう一度出会えるはずなのに。

 

 それでも――怖い。

 

(だって……)

 

 あの忌まわしい世界に戻ってしまいそうで。

 あの白い支配に、また創が取り込まれてしまいそうで。

 

 ―—また創を壊してしまうのが怖くてたまらなかった。

 

 だから。

 

(……今のうちに、確かめなきゃ)

 

 私が知っていた、あの頃の創がここにいるのか。

 それとも――

 

その問いに答えるように、創の脚が最後の直線を駆け抜けた。

 

 風を裂き、歓声を切り裂いて、ただ一直線に――

 

 そして、ゴールを突き破る。

 

 創の勝利にBクラスと白組を中心にグラウンドが沸き立つ。

 

 けれど私の胸の奥は、熱と不安が交錯していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 太陽が傾き始め、グラウンドの喧騒も次第に静まっていく。

 すべての競技が終わり、生徒たちは思い思いの帰路につき始めていた。

 

 私もその流れに紛れるふりをしながら、人目を避けるようにスマートフォンを取り出す。

 

 宛先は、龍園翔。

 

 用意しておいた音声ファイルを添付し、送信。

 

 ……これで、堀北鈴音の件は片付いた。

 

 それよりも――創はどこ?

 

 校内を行き交う生徒たちの中に、その姿を探して歩く。

 

 そして、見つけた。

 

 制服に着替え、夕陽を背に佇む創の姿を。

 

 (……いた)

 

 声をかけようと、歩みかけた――その瞬間。

 

 彼の前に、見知らぬ女子生徒が歩み寄った。

 

 凛とした物腰、揺るぎない表情。Aクラスの生徒……?

 

 数言、言葉を交わしたのち、創は躊躇いなくその後ろについて歩き出す。

 

 (どこへ行くの……?)

 

 私の手が、わずかに伸びかける。

 

 けれど、それは空を切るだけだった。

 

 創が、誰かに連れていかれる。

 

 それを、私は――見ていることしかできなかった。

 

 

 

 

 ――もしかして、告白……?

 

 胸がざわつく。焦燥と疑念が交錯する。

 

 ――どうすればいい?

 特別棟。あそこは人気も少ない。人目につきたくない話には適している。

 

 ……火災報知器でも鳴らそうか。

 

 そんな馬鹿げた手段さえ、頭をよぎった。

 

 

 

 

 

 

 

(結局、ついてきてしまった…)

 

 私は遠くから、2人を見ていた。

 

 夕陽の沈む校舎の影――特別棟の階段裏、人気のない陰に身を隠しながら。

 視線の先には、制服姿の創と、先ほどの女子生徒。

 

 そしてその後ろから姿を現したのは――

 

(坂柳……有栖?)

 

 予想していなかった。彼女がこの場に現れるなど。

 

 それも、“特別棟の3階”。監視カメラのない、人がこない場所。

 

 創と会ったのは偶然ではない。明確な意図を持って呼び出したのだ。

 

 胸の奥に、嫌な予感が渦を巻く。

 

 

「もう帰ってもいい?」

 

 最初に口を開いたのは、創ではなかった。

 さきほど彼をここまで導いた、Aクラスの女子――神室真澄。

 

「はい。ご苦労さまでした真澄さん。またよろしくお願いしますね」

 

「……ええ」

 

 彼女の足音が遠ざかる。

 入れ替わるように、夕日を背に受けて現れた少女が、静かに杖をついた。

 

 坂柳有栖。

 

 創に向けられるその笑みには、悪意はなかった。

 それどころか、待ち望んでいたのだろう。 高揚とした雰囲気が逆に不気味だった。

 

「最後のリレー、さすがでした。神楽坂創くん」

 

「……君は確か坂柳さんだよね。俺になんの用か聞いても?」

 

「あなたに、確かめたいことがあって」

 

 静かに寄っていく坂柳。杖の音が、薄暗い廊下に反響する。

 

「あなたのあの走りを見ていて、あることを思い出したんです。

その時の衝撃を共有したいと思って、つい呼び出してしまいました。……まるで告白の前触れみたいですよね」

 

 創は、警戒しながらも一歩も引かずに答える。

 

「……?」

 

 カツン、カツン――杖の音が、心臓の鼓動に重なる。

 不吉な予感が音となって迫ってくるようだった。

 

「お久しぶりです神楽坂くん。8年と243日ぶり、ですね」

 

(…っ?)

 

―どういうこと? 8年前など、私と創があの世界にいるときだ。

 私はこんな女を知らない。 妄言だろうか?

 

 一方で創は愕然としていた。彼女の言葉に、確かに動揺していた。

 記憶を失っているはずの創のことだ。 彼女の一言で揺れているのだろう。

 

「ふふ。驚かれていますね。私だけが一方的に知っていることですから」

 

(……嫌な予感がする。 私はあの女を止めないといけない気がする)

 

潜めているのをやめ、創のもとへと向かう時、それは起こった。

 

―――起こってしまった

 

「ホワイトルーム」

 

 心臓が止まった気がした。

 そして創にとって、その言葉は――

 

 “扉”をこじ開ける、忌まわしい鍵だった。

 

 

「……っ、あ、が……ぁああっ……!」

 

 次の瞬間、創が頭を抱え、膝をついた。

 

 その声を聞いた瞬間、私は走り出していた。

 

 靴音が鳴る。制服の裾がはためく。

 夕陽の色が流れる中、視界のすべてが創で埋め尽くされた。

 

(創……! 創……!)

 

 膝をつき、呻きながら頭を抱える創。

 その顔が、あの夜、あのときの彼と重なる。

 

――また、私は守れなかったの?

 

(あのとき、私は……!)

 

 何もできなかった。

 そばにいたはずなのに、助けられなかった。

 創にすべてを押し付けてしまった。

 

(でも……!)

 

 今は違う。私はここにいる。

 彼が苦しんでいるなら、何度でも、何度でも手を伸ばす。

 

(今度こそ彼の苦しみをすべて排除するんだ...!)

 

 まずは、創を傷つけた女をけん制する。

 

 そして私は創の隣に膝をつき、その背に手を添え抱きしめた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 創の体温が、膝の上からじんわりと伝わってくる。

 

 こうして触れていられることが、夢のようで、少し怖かった。

 

 何度も失いかけた――いや、失ったはずのぬくもり。

 それがいま、私の腕の中にある。

 

(また壊してしまうかもしれない)

(それでも、もう……手放さない。手放したくない。)

 

 この学校を卒業するとき、創はどう成長しているのだろうか。

 

 私は創を見届けられるのだろうか、この執着の思いは日に日に増していく。

 

 ……心のどこかで私はまた創に甘えていた。 彼と過ごせば、また記憶を刺激する可能性だって、苦しめることもあり得るのに。

 

――離れられなかった。 

 

 夜の気配が廊下に満ちていく中、私はそっと彼の髪を撫でた。

 

 苦しみから解放されて安らかな表情で眠る創が、また遠くに行ってしまいそうで。

 

 胸の奥に沈んだ、恐怖と後悔の影。

 けれどそれを塗りつぶすように、彼を包む腕に力がこもる。

 

 創は今、ここにいる。

 私が守りたいと誓った、創が――。

 

(お願い……どうか、目を覚ますなら、今のままで)

 

(昔のあなたじゃなくていい。力なんて、記憶なんて戻らなくていいから)

 

(ただ、今のまま、笑っていてほしい……)

 

 そうすれば、まだ私はあなたのそばにいられるから。

 

 微かに揺れる睫毛を見つめながら、私は心の中で祈った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




追伸(2025/7/30)



この拙作にこれまで評価や感想をくださった皆さま、本当にありがとうございました。
とても励みになっていたのですが、いざ創作しようとすると少しずつ自分の中で「書くこと」が構えたものになってしまい、創作そのものを楽しめなくなっていることに気づきました。
そのため、誠に勝手ながら評価と感想欄を非公開とさせていただきました。

どうかご理解いただければ幸いです。

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