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はじめまして。太田光海です。

はじめまして。太田光海です。映像作家・人類学者として活動しています。この記事では、僕がどんな人間なのか、これまで何をしてきて何を目指しているのか、できるだけ簡潔に伝えたいと思います。

経歴

僕は東京都杉並区の阿佐ヶ谷に1989年10月2日に生まれました。といっても幼少期は引っ越しが多く、阿佐ヶ谷の記憶はありません。8歳までに板橋区や大田区を転々とし、静岡県三島市にも2年間住んでいました。子供時代に一番長く住んだのは、10年間過ごした東京都目黒区です。

公立小中学校を出て、2005年に都立青山高校に進学しました。そして高校1年の夏から2年の夏まで、YFUというNPO団体を通してオランダに交換留学し、現地の家族にホームステイしながら現地高校に通う経験をします。青山高校では、サッカー部に入りましたが途中で退部し、軽音楽部に入ってギターボーカルをやっていました。地味な存在ではありましたが、3年生のときに外苑祭という文化祭のミュージカルでちょっと大きめの役をやらせてもらったのが良い思い出です。

帰国後、日本の大学に進学しようと決めて、神戸大学国際文化学部(現国際人間科学部)を受験し、2008年に合格します。そこで体育会フットサル部で活動しながら、カルチュラル・スタディーズという学問を専攻することになります。居酒屋やコンビニでバイトしますがどれも長く続かず、最後は日雇いの深夜バイトや引っ越し屋、倉庫内作業、弁当工場、ポスティング、デパートの売り場設営などをやっていました。

神戸大学では3回生のときにフランスのパリ第七大学に1年間交換留学をして、フランスで大学院に行きたいと決意します。帰国して卒論を書いたあと、フランス語で研究計画を書いて首都パリにある社会科学高等研究院(EHESS)という大学院の人類学修士課程に正規入学します。2012年のことです。

大学院では、高校生サッカーチームでのフィールドワークを通して、パリ郊外に住む主に移民系出自の少年たちが、様々なバックグラウンドを持つチームメイトたちとどのように関係を作っているのかを研究しました。ヒップホップなどのストリートカルチャーと深く結びつくフランスのサッカーシーンを通して、イスラム教徒やサハラ以南アフリカからの戦後移民の子孫たちを中心とする人々がフランス社会で生き抜く過程を見つめました。

パリでは2年間の修士課程に取り組む傍ら、共同通信パリ支局で現地記者として働き、記事の下書きを書いたり写真を撮ったり、局員の方の取材に同行したりしました。イスラム国の元メンバーで、グアンタナモ収容所に捕らえられていた元囚人の方へのインタビューや、フランスの原発責任者に対する取材、日本人が活躍するサロン・デュ・ショコラの取材など、貴重な経験を積みました。

修士論文をなんとか無事提出したあと、次にどうするか迷っていた僕は1年間パリに残り、国立東洋言語文化学院に1年生として入学してケチュア語を学びつつ、映画をたくさん観て過ごしました。そして、イギリスで博士課程に進学すると決意します。

博士課程で選んだのは、映像人類学という分野。世界でもわずかな大学でしか学べない分野で、人類学と映像制作を組み合わせるという新しい試みです。僕はこの分野における最も重要な拠点の一つであるイギリス北部のマンチェスター大学への進学を目指すことにしました。研究計画の作成や奨学金の応募など、必要な準備をして、2015年に無事入学することになります。

マンチェスター大学では、南米・エクアドル共和国のアマゾン熱帯雨林に住む先住民のコミュニティに滞在しながら1年間のフィールドワークを行い、イギリスに帰ったあと2年間かけて博士論文と映像作品を制作し、無事受理されて博士号を取得しました。ちょうど新型コロナウイルスが発生し始めた2020年初めの頃です。

それまではヨーロッパに残ることを考えていましたが、コロナ禍もあり日本に完全帰国することにしました。帰国後、いくつか海外のめぼしい映像人類学の教員ポストに応募してみましたがどれも受からず、せっかく博士号取得のために必死に作った『カナルタ 螺旋状の夢』という映像作品も世界中にある映像人類学映画祭ではほとんど上映の機会を得られませんでした。

このままではなんのために頑張ってきたのかわからないと思った僕は、大学教員として映像人類学のポストを目指すことをやめ、「映画監督」として勝負することにしました。

それまで人類学者や映像人類学者にしか見せていなかった作品をあらゆる立場の人たちに見せて回ると、だんだんと興味を持ってくれる人たちが現れ、東京ドキュメンタリー映画祭2020で評判を呼び、クラウドファンディングを通して多くの方々のご支援もいただき、2021年の全国劇場公開に繋げることができました。

2021年〜2022年の間、日本全国を飛び回りながら『カナルタ 螺旋状の夢』を届けました。その過程でトークや文章執筆の機会をいただいたり、テレビやラジオ、新聞、雑誌の取材なども受けさせていただきました。また、映像インスタレーション作品や写真作品の制作などを通して、映画監督としてだけでなく、アーティストとしても活動を開始しました。

その過程で、2023年にはポーラ美術振興財団から若手芸術家として助成金をいただき、ブラジルで1年間の研修滞在をする機会を得ることができました。今、ブラジル・バイーア州のサルヴァドールという街に滞在しています。

アーティストとしてブラジルで研修を行う傍ら、現在は恋人であるアーティスト・コムアイさんの妊娠期を撮影した新作映画『La Vie Cinématique 映画的人生』の編集作業(クラウドファンディングのご支援者の皆様に深く感謝します)と、アマゾン熱帯雨林で過ごした1年間のフィールドワークを描く民族誌的ノンフィクション『リキッド・アマゾニア』の執筆にも励んでいます。どちらも今年か来年中には形にすることを目指しています。

ここまでが、ものすごくかいつまんだ僕のこれまでの経歴です。ところで、今まで僕が住んだ国々を見てもらえばわかるかもしれませんが、日本語に加えて英語、フランス語、スペイン語、オランダ語、ポルトガル語、そして流暢とは言えませんがアマゾンの先住民言語シュアール語を話せます。バラツキはありますが、少なくとも英語、フランス語、スペイン語の3つは学会発表や論文執筆ができるレベルです。

どんな活動をしているのか

もう少し僕の活動について知りたいという方に向けて、内容を細分化して僕が何をしているのかを書きたいと思います。

映画

映画監督として、僕は長編ドキュメンタリー作品『カナルタ 螺旋状の夢』(2020)と、短編ドキュメンタリー『Soil of Mirror』(2024)をこれまで制作しました。

『カナルタ 螺旋状の夢』は先ほども書いた通りマンチェスター大学で映像人類学の研究に取り組んだ成果として制作したものです。あらすじは下のような感じです。

セバスティアンとパストーラは、エクアドル南部アマゾン熱帯雨林に住むシュアール族。かつて首狩り族として恐れられたシュアール族は、スペインによる植民地化後も武力征服されたことがない民族として知られる。口噛み酒を飲み交わしながら日々森に分け入り、生活の糧を得る一方で、彼らはアヤワスカをはじめとする覚醒植物がもたらす「ヴィジョン」や、自ら発見した薬草によって、柔軟に世界を把握していく。変化し続ける森との関係の中で、自己の存在を新たに紡ぎだしながら。しかし、ある日彼らに試練が訪れる...。

Filmarks

この作品は2021年秋から日本全国の劇場で上映され、文化庁から「文化記録映画部門優秀賞」をいただきました。

劇場公開は終了してしまいましたが、現在はAmazonプライムやU-NEXTなどで配信されています。ぜひ多くの人に観ていただきたいです。

また、『カナルタ 螺旋状の夢』をめぐって受けた取材記事やメディア出演をしたときのリンクをいくつか紹介します。

イタリアの新聞からも取材されました。

下の現代詩手帖では、映画作家の小田香さんとの対談が掲載されています。

『Soil of Mirror』(2024)は、オランダ人アーティストのエルモ・フェルマイス(Elmo Vermijs)さんと制作した作品です。彼が市原アートミックス2020+という芸術祭で発表した「Mirror of Soil」というインスタレーション作品をめぐって、里山である市原という土地に関わりを持つ3人へのインタビューや、彼らがそれぞれ作品をどのように体験したのかを記録することを通して、日本における里山文化の行方について想像することを目指しました。

まだ完成したばかりで上映機会を探しているところですが、下が予告編です。映画祭関係者の皆様、アートに絡めて里山の今後を考えたい企画者の皆様、お声がけをお待ちしています。

そして、2022年冬頃から企画・撮影を開始し、現在編集作業中の作品が、『La Vie Cinématique 映画的人生』です。

恋人であるアーティストで「水曜日のカンパネラ」の初代ボーカルでもあるコムアイさんの妊娠期に密着し、日本全国を旅して回り、そして最後はアマゾンの森で出産する決断をした彼女の姿を映像詩的に表現することで、世界の現状と命の居場所について思索をめぐらせる実験的ドキュメンタリー作品です。

作品の意図は、多くのご支援をいただいたクラウドファンディングのページに詳しく書きました。

予定よりも完成が遅れていて、自分の見込みの甘さを感じているところですが、間違いなく今までにない作品になる手応えを感じています。ご期待ください。

コムアイさんとの入籍しないで子供を持つという決断や、彼女がアマゾンの森で先住民の方々の知恵を借りて自然出産をするという選択については社会から賛否両論がありましたが、下の記事などで僕たちの考えや経験について述べています。

文筆

元々研究者として研鑽を積んできたこともあり、映画を作ることと同じくらい、文筆業も僕にとって重要です。上にも書いた通り、現在アマゾン熱帯雨林での1年間に及ぶ人類学的フィールドワークの経験をもとに『リキッド・アマゾニア』というノンフィクションを執筆中で、今年中の完成を目指しています。

『リキッド・アマゾニア』の下書き的な位置づけで、現在亜紀書房が運営するブログ「あき地」で連載を行っています。

また、これまで『現代思想』や『ユリイカ』、『美術手帖』といった雑誌や、様々な媒体に向けて寄稿しています。実は、人生で初めて僕の文章が世に出たのは25歳だった2015年3月のこと。パリでシャルリ・エブド襲撃事件が起きた直後に出た『現代思想』です。

当時、僕はフランスの移民史や郊外について研究していたので、ありがたくもお声がけいただきました。「永劫回帰する『郊外』、あるいは人種を巡るフランスの認識論的危機について」というタイトルで原稿を寄せました。

その後、アマゾン熱帯雨林に研究テーマが移り、映画監督としてデビューすると、2022年に『ユリイカ』から寄稿の依頼をいただきます。博士課程の研究で海外に籠りっぱなしだったので、久しぶりの日本語での執筆です。

「今立っているその場所に、すでにある多世界——抵抗者としてのアピチャッポン・ウィーラセタクン試論」というタイトルで書いています。

2023年1月には、『現代思想』で久しぶりに寄稿する機会をいただきます。今度の特集テーマは「知のフロンティア―今を読み解く23の知性」。創刊50周年を記念して、次の50年を考えるという主旨の企画にお声がけいただきました。

「身体の拡張を、麻酔の浸透にさせないために――惑星意識的逸脱、フリクション、映像人類学」というタイトルで寄稿しています。

劇作家・芥正彦さんが主催する雑誌『地下演劇』第7号にも寄稿しています。『「非時代」の態度、もしくは否定弁証法の必要性について』という文章を書きました。

他にも、美術手帖に展示レビューを寄稿したり、様々なジャンルの文章を書いています。

今年は『リキッド・アマゾニア』という初の単著に全精力を注ぎたいので単発的な論考発表は減るかもしれないですが、僕の全てをかけて歴史に残るような本にしたいと思っているので、ご期待ください。

アート

僕は元々写真が好きで15年近く取り組んでいますが、特に写真家として作品を発表したりはしていませんでした。映画監督としてデビューしてから出会ったアーティストの仲間たちから受けたインスピレーションや誘いもあり、自分もアートとしての作品を作ってみようという気持ちになったのが、アーティストとしての僕の出発点です。

主にビデオアート、写真、サウンドを使った作品を発表しています。例えば、下は「Wakan / Soul Is Film」というビデオアート作品で、映画とは全く異なるアプローチで作った映像です。

また、下は同名の展示で発表した写真作品です。

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©Akimi Ota
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©Akimi Ota

これらの作品は、2021年に熱海で開催された「Atami Art Grant」や東京都台東区のキュラトリアル・スペース「The 5th Floor」、京都の宿泊型ミュージアム「BnA」などで個展またはグループ展の中で展示されました。下が当時の情報です。

アーティストとしての作品制作は今後もっと学びながら続けていきたいと考えています。現在ポーラ美術振興財団の助成を受けて行っている研修をもとに、ブラジルをテーマにした作品も今年から来年にかけて制作・発表していきます。

教育活動

去年から本格的に始めたのが、教育活動です。まずは、東京大学からお声がけいただき、「民族誌映画」というテーマで1ターム分にあたる全7回の講義を受け持つ機会をいただきました。下がそのシラバスです。

また、東京大学で行った講義をもとにして、一般受講者の方向けに自主的にオンライン講義を企画し、行いました。70名ほどの方が集まり、様々な関心を持つ年齢もバラバラな参加者の皆さんにどう伝えるか試行錯誤しましたが、反響をいただけてよかったです。

東京大学とは何かと縁が深く、例えば下のような講演会を行う機会もいただきました。

下のシラバスは哲学者・國分功一郎氏とアーティスト・村山悟郎氏の受け持つ講座ですが、彼らの講座にゲスト講師としてお呼びいただきました。

大学以外でも、例えば金沢21世紀美術館で単独トークをさせていただく機会をもらいました。

このように、大学など教育現場で講義を持ったりゲストとしてトークを行ったりする活動も、自分にとっては非常に重要です。まだまだ日本で(もちろん海外でも行いたいです)伝えるべき知識やアップデートが必要なことはたくさんあり、僕自身が悩みつつ研究している課題もあるので、それをシェアしつつ共に思考する場として、教育活動は大きな意味を持っています。

ポッドキャスト

最後に、僕は超ズボラなポッドキャスターでもあります。「アヤキミ!」というチャンネルをやっています。

元プロサッカー選手で藍染師の品田彩来という妹がいるのですが、彼女とただただ兄妹のノリで近況を話すだけという、ノープラン、ノー編集のポッドキャスト。言葉遣いも、本当に博士号持ってるのか?とツッコミが飛んでくる感じです。僕の素が一番出ている場かもしれません。

お互いヨーロッパから帰国したばかりのコロナ禍に暇すぎて始めたのですが、意外にファンが多く映画の舞台挨拶のときなどに「アヤキミ!」聴いてますと言われることがありビックリしています。

一時期頑張ってみたりもしたけど、結局忙しくなるとやれなくなってしまうので、月1回くらいの定期でやれれば良いかなと思っています。

何を目指しているのか

これまで僕の経歴や代表的活動について紹介してきましたが、結局僕は人として何を目指しているのか。はじめて僕のことを知る人たちが目の前にいるとしたら、どう答えるだろうか。

一言で言うなら、破壊と調和でしょうか。

「破壊」というのは、物を壊したり人を傷つけたりすることではありません。ただ、現状の世界に対して僕は満足していない。呑まれてたまるか、という反骨心が強いというのは、事実だと思います。

だから僕は、高校時代から留学したり、海外の大学院で学位を取ったり、アマゾンの森にまで行き、今も新作を制作しながらブラジルに滞在していたり、常に新しい世界に飛び込んで自分の固定観念や身体性をぶっ壊すことを繰り返しています。

その経験を作品にしたり、言葉にしたりする過程で、元々の性格もあり既存の常識を疑い、崩す方向性に傾くことが多いです。ただ、それは闇雲にやっていることではなく、考えて考えて、研究して研究して、自分なりにあらゆるものを汲み尽くした上で確信犯的に行っていることなので、必ず根拠と意図があります。まあ、全然そんなつもりないのにいつの間にかそうなってることもありますが。

逆にそうではない人類学者やアーティストって、存在する意味がどこにあるのかな?

さて、いきなり破壊について話したのは、次の「調和」について、誤解されたくないからです。

僕はこの世界が差別なく、弱い立場の人や非人間的存在が踏みにじられることがないようにしたい。動植物や河川、森など自然環境全体も含めて、豊かに力強く命を全うできる世界になってほしい。自分も含めて、人がただその人であるという存在が認められる世界であってほしい。それだけを子供の頃からずっと願ってきました。そういう意味で、僕は調和を目指しています。

ただ、調和というのは、「波風を立てない」「まわりとうまくやるために大人しくしている」「誰も不快にしないためにちょうど良い落とし所を探す」という意味ではありません。

調和を実現するためには、ときに現状の世界に対して抗わないといけない。なぜなら今の世界は差別まみれで、力を持った少数の人間たちがそれ以外を暴力的に支配しているからです。動植物や自然を踏みにじり、絶滅に追い込み、壊滅させているからです。核兵器や原発、有害な鉱物採掘、性搾取、過剰労働、戦争経済、新植民地主義……。色々と抗わないといけないことが今の世界には多いです。

僕はそういう世界に対して、表現の場で、言論の場で、価値観の面で、大部分は共感を通して、たまには挑発的に、変化を与えたいのだと思います。あるいは、こういう世界の中で、傷つきながらも、それでも生きていくためのパワーを分かち合いたいのだと思います。

究極的には、やることは映画や人類学でなくてもいいのかもしれない。映画や人類学で頂点に立ちたいという気持ちよりは、世界を変えたい気持ちの方が強いので。ただ、語学や写真や異文化への興味など、自分の特性や好きなことを道なき道を進みながら組み合わせていった結果、今のような人間になったのだと思います。

今は英語、フランス語、スペイン語、オランダ語、ポルトガル語を話せますが、いずれは先住民言語のシュアール語ももっと上手くなりたいし、新しく中国語、アラビア語(レヴァント方言)、ヒンディー語は身につけたいです。存在しているだけで僕を通して世界が交流できる場になりたい。

人類学者としても、今はアカデミックな世界からは少し距離を置いていますが、もっと研究を深めて、この分野が抱える課題に対して光を差せるような存在になりたい。映画監督としても、「シネマ」というアートが本来持っているポテンシャルを切り開くような表現を続けていきたいし、もっと大きな国際舞台で世界中の作家たちと切磋琢磨する存在になりたい。

教育・社会活動も今後広げていきたい。植林のための団体や薬草について考える団体をいずれ立ち上げたいと思っています。オンライン講義では、映像人類学以外でも様々なテーマを用意して異なる立場の方々に知識を届け、一緒に考えられるような場をもっと作っていきたい。フィジカルな実習の場も、いずれ作りたいですね。

論文とはほど遠いまとまりのない文章ですが、noteという場だからこそ、こういうジャンル化できない文体を出せるし、あえて少し自分を緩めて実験するような文章を書いていきたいと思います。思考のタネのようなもので、いずれ大きく実るかもしれないし、実らないかもしれない。でも一つ確かなのは、その時点での僕の最前線であるということ。

以上、はじめましての人に太田光海とは何者なのか、簡単に説明しました。これからもよろしくお願いします。

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『カナルタ 螺旋状の夢』監督。マンチェスター大学で映像人類学の博士号取得。新作映画『La Vie Cinématique 映画的人生』制作と初の著書『リキッド・アマゾニア』執筆の日々。現在、ブラジルに拠点。noteでは僕の最前線を綴ります。
はじめまして。太田光海です。|太田光海 映像作家/人類学者
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