しかしその偈文を毎月の護摩供の際に、参詣され御祈願する皆さんが護摩の火を前に長く般若心経や諸真言を唱えた後、護摩供の終了時に護摩供導師ともどもに唱えられる。いつの間にか皆さん写したものなどを持ち寄って唱えるようになってしまった。そこで、少しはその意味も知っておらねばと思い、昨年何度かに分けて、護摩供の後、解説したことがある。出来るだけ平易に簡単に述べようとするのだが、難しい専門用語の解説が必要になったりで、十分に意を伝えられなかったようだ。そこで、少しでも分かりやすく文字にして簡単簡潔に解説してみたいと思う。
まず、その全容は以下のような文言である。
(廻向総説)
懺悔随喜勧請福 さんがいずいきげんせいふく
願我不失菩提心 げんがふしほていしん
(常随仏学)
諸仏菩薩妙衆中 しょふほさびょうしょうちゅう
常為善友不厭捨 しょういせんにゅうふえんしゃ
離於八難生無難 りよはつなんせいぶなん
宿命住智荘厳身 しゅくべいちゅうちそうげんしん
(恒順衆生)
遠離愚迷具悲智 えんりくべいくひち
悉能満足波羅蜜 しつのうまんそくはらび
富楽豊饒生勝族 ふらくほうじょうせいししょ
眷属広多恒熾盛 けんしょこうたこうしせい
(普皆廻向)
四無礙弁十自在 しぶかいへんしゅうしさい
六通諸禅悉円満 りくとうしょせんしってんまん
如金剛幢及普賢 じょきんこうとうきゅうほけん
願讃回向亦如是 げんざんかいきょうえきじょし
(礼仏帰敬)
帰命頂礼大悲 きべいていれいたいひ
毘慮遮那仏 ひろしゃだふ
(金剛界礼讃文 五悔・第五段)
(廻向総説)
懺悔随喜勧請福 懺悔し随喜し勧請したてまつる福をもって
願我不失菩提心 願わくはわれ菩提を失わず
まず、この偈文は金剛界礼讃という金剛界曼荼羅を拝む礼讃文の中の五悔(ごかい)の最後の文にあたる。だから冒頭の懺悔と随喜と勧請というのはその前の三つの偈文を意味している。が、それらを解釈していると煩瑣なものになるのでなるべく簡単に述べてみよう。
懺悔(さんげ)とは、罪を悔いて告白することではあるが単に今生のことだけではなく、無始よりずっと私たちは三界六道という迷いの世界で何回も輪廻して来たる間に様々な身と口と心に作ってきた無量無数の罪過があるのだということにまで思いを馳せ、そのすべてを、仏菩薩がさとりを求めてなされたように、自分も今こうして懺悔いたしますということを意味している。
次に随喜(ずいき)とは、心からありがたく思うことではあるが、何にありがたく思うかということが大切なことで、仏道に精進する者にとって、すべての衆生、さとりに向かって精進努力する人々、それにすべての仏菩薩が行った良き功徳、他者に対してなされた善行、救済の善根功徳を心から喜び、自らもそうあらんと願うこと。
そして勧請(かんじょう)とは、神仏の来臨を願うことをいうが、ここでは十方のあらゆる世間の迷暗を照らす灯りであり、一切衆生の生と死と中有にわたる迷界をも照破する諸仏をお招きいたします、どうか、一切衆生のために無上の妙法をお説き下さいと願うこと。これら懺悔・随喜・勧請という三つの功徳の福、つまり福業による功徳を、さとりと衆生と一切に廻向す。願わくばこの功徳力によって、われ菩提心、つまりさとりを求める心を失うことのないことをと申し述べるのがはじめの二句、廻向総説である。
(常随仏学)
諸仏菩薩妙衆中 諸仏と菩薩との妙衆中にあって
常為善友不厭捨 常に善友のために厭捨せられず
離於八難生無難 八難を離れて無難に生じ
宿命住智荘厳身 宿命住智あって身を荘厳し
先に述べた菩提心には、自らさとりを求める上求菩提(じょうぐぼだい)と他の衆生を教え導く下化衆生(げけしゅじょう)の二つの意味合いがあると言われる。上求菩提がここ常随仏学での四句の内容となっている。この上下の分け方については古来このように説かれるのであって、かつて高野山にいた頃ある先生から、これは内外と分けられたものと考えたらよろしいと教えられた。自らの内にさとりを求め、外にはその教えを説き導くべしと解釈すべきであろう。
諸仏と菩薩との妙なる聖衆の中にあって、さとりへの導き手となる善なる修行者たちによって修行に邁進して厭い捨てられることなく、心からさとりを求める。そのさとりを求めるために、仏を見ず説法を聞くことのできない境遇、例えば地獄や餓鬼、蓄生、視力や聴力がないなど八難の世界に生まれることなく、無難に生まれ、自他の過去世を知る智慧を身につけて行いを正し徳を積み、ますます堅くさとりを求め精進することを誓願するということである。
(恒順衆生)
遠離愚迷具悲智 愚迷を遠離して悲智を具し
悉能満足波羅蜜 悉くよく波羅蜜を満足し
富楽豊饒生勝族 富樂豊饒にして勝族に生じ
眷属広多恒熾盛 眷属広多にして恒に熾盛ならん
菩提心のもう一つの願いである下化衆生、つまり他者を教え導くという内容に触れた部分がこの恒順衆生である。常に衆生にしたがって、教化しようとすることであるが、そのためには自己の修養を積み愚迷を廃して大悲の智慧を具足していなくてはならない。そして、布施(恵み施し分かち合う)・持戒(規律ある生活)・忍辱(苦難に耐え忍ぶ)・精進(善きことに努力する)・禅定(心の落ち着き)・智慧(世間の知識を越えた智慧)・方便(人々を救い導く手立て)・願(人々を救う誓願)・力(修行を実践継続する力)・智(あるがままに知る智)の十波羅蜜行を悉くよく修し、その徳ゆたかに富み栄えて善きところに生まれ、多くの衆生を共に従えて、精進努力怠ることのないようにということであろう。
(普皆廻向)
四無礙弁十自在 四無礙弁と十自在と
六通諸禅悉円満 六通と諸禅とを悉く円満せん
如金剛幢及普賢 金剛幢と及び普賢との如く
願讃回向亦如是 願讃し廻向することもまた是の如し
ここまで述べてきた一切の功徳によって、法(仏法と論理に精通)・義(義、意味内容に精通)・辞(語句、言語に精通)・弁説(頭の回転早く弁舌に精通)の四つの無碍自在なる智、そして寿命・心・荘厳・業・受生・解脱・願・神力・法・智の十自在によって心の欲するままに何事も自由になし得る力を得て、また神足(自在に欲するところに現れ得る能力)・天眼(通常見えない物を見る能力)・天耳(通常聞き得ない音を聞く能力)・他心(他人の心を知る)・宿命(過去世の記憶をも思い出す)・漏尽(一切の煩悩を断つ智)の六つの神通力と、世間禅・出世間禅・秘密禅などの諸禅を悉く円満し、この円満せるすべての功徳をあまねく一切衆生に廻向せん。これはあたかも、金剛幢菩薩が十廻向の法門を説くがごとく、普賢菩薩が普皆廻向の行願を説くがごとくに、われもまた今ここにあまねく一切に廻向しますと申し述べるのである。
(礼仏帰敬)
帰命頂礼大悲 大悲毘盧遮那仏を帰命し、頂礼したてまつる
毘慮遮那仏
最後に、正しく廻向の文を誦持するにあたり、帰依する諸仏の総体である大日如来に帰命頂礼して、願わくばそのご加護をたれたまえと祈り願うのである。
以上で懺悔随喜を解説し終わったのであるが、誠に沢山の難解な仏教語がちりばめられている。それらを平易に解説するだけでも本来なれば多くの紙数を必要とするだろう。煩瑣を極める詳細な解説は専門の先生にお任せするとして、その大意をかいつまんで懺悔随喜の本来の意味を逸脱することなく、ごくごく簡単にこの豊富な内容を一口に述べるならば以下のようになるであろうか。
「自らを省みて、仏の存在に喜びを感じ、そこに至りたいという心を起こしたならば、常に仏に従って一心にさとりを得んがために学び行じ、そして一切の生きとし生けるものたちと共にそのよくあらんがために精進努力し、それらすべての修行と善行によって様々な段階、過程を経て得た、あらん限りの功徳を一切衆生に廻向します。そしてここに改めて、すべての仏を生み出す大日如来に帰依礼拝いたします。」
いかがであろうか。取り敢えずのところ、毎月護摩供に様々な思い、願いを放下し、心浄めんとするご参詣の善男善女の皆様におかれては、このような意味合いとして理解し読誦していただけたらありがたいと思うのである。
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