・台風だし外に出れないだしで、何をトチ狂ったのかしなきゃいけないことを全部ほっぽりだしてひたすらけしからんエッチな小説を一日書いてたぞ。お、俺は一体何をやってるんだ……。
でもエッチな小説を書くのが楽し過ぎるんだ。いや、分かってる、これは結局やらなきゃいけないことから逃げたいだけなんだ。試験勉強が嫌だから漫画や部屋掃除にハマってしまうのと一緒なんだ……。そんなこと分かってる。でも、嫌っ、ダメっ、悔しいでもエロ妄想が止まらないよぅ……っ!

・今はそれ程急いでやらなきゃいけないことがあるわけでもないので、うむ自分のやりたいようにやらせてやろっと。

・夜ご飯は常備してる鮭のマリネを焼いて、あとトマトと酢の物ともやしナムルなど、色々した。おお、健康的っぽい食事っぽい。

CKHDgOdUcAEVIW1


・ところで涼宮ハルヒの憂鬱がアニメ化されたのは2006年だったはずだけど、ハルヒ以降特にツンデレブームが起こり、同時にオタクカルチャーの女性キャラクター達の中には「暴力ヒロイン」とでもいうべき系譜が生まれたように思う。
横暴だったり、粗野だったりして、兎に角暴力的で、ムカつくことがあると男キャラの主人公を何かと殴ろうとするようなヒロインのことだ。この系譜は現在まで続いているし、例えば今深夜枠でやってる「WORKING!!!」というアニメでは男性恐怖症で、男にしゃべりかけられると思わず殴っちゃう伊波まひるというキャラが登場する。
(歴史を遡るとうる星やつらのラムちゃんとかがこの系譜の元祖にあたるのかもしれない)。
で、こういうヒロインというのは大げさにいえば歴史の必然として生まれて来たのかなと思ったりして、フェミニズムの台頭と、恋愛とかセックスとかしたいけど女性とどう関わればいいのか分からない男たちの姿が背後に見え隠れする気がするのだ。
かつては性差によって選挙権が与えられなかったり、今よりもっと女性の社会的地位が低かった時代が長く続いていたわけだけど、その時代の女性が何をどう感じていたのかは僕には良く分からない。ただ古い漫画(例えば「巨人の星」とか)を読むと、うーむこの時代の女性の扱いは酷いなあと思わなくもない。明子ねえちゃんは理不尽に父一徹に殴られるし(一徹は飛雄馬も殴るけどな)、何というか明子ねえちゃんには生き方に主体性がない。「一徹を支える」とか「飛雄馬を支える」とか「花形を支える」とか誰かを支えてばかりで、明子姉ちゃんの自分自体の人生はどこに行ってしまったのだろうかと思わなくもない。
でもまあ時代が進むにつれ、こういう差別の構造は少しずつ是正されていこうとしている(勿論今も性差別は男女問わず根強く残っているが)。女性運動家が頑張って来たからというのもあるんだけど、社会が成熟期に入って消費主義が到来したのが大きかったように思う。
で、そういう時代の進歩によってこれまで女性の人格を蔑ろにしてきた男たちは、急にこれから女性の人格を尊重しなくてはならなくなったわけだよ。女性にも選挙権が与えられ、雇用機会均等法が施行され、女性は男に追従する時代から、自分の人生を生きる時代になった。
なるほど、女性にも人格があるからそれを尊重しなければならない。けど、急にいわれても、相手の人格を尊重するってどうしたらいいんだろう?
男性文化の中では、ここら辺で凄く混乱が起きたんじゃないだろうか。
いうなれば自分の行動の中で、どれが相手に対する暴力なのは自分では判断できないみたいな感覚だ。まあ過渡期という奴で、まだモデルケースが確立してなかったんだろうなあ。
少なくとも僕は思春期以降「女の人と仲良くなりたい。でもどうやって仲良くなったらいいのか分からない……」みたいなジレンマに随分頭を悩ませてきたものだけれど、つまるところ僕の悩みの正体の核心はこの辺にあったのだと今なら分かる。
なんというか、「人格を尊重していない関わり方をすると、女性からキモいっていわれる時代になった」という感じの感覚かな。いや、僕はまさにこの「キモいっていわれる時代」を生きてきたわけだけど。
女性と遊んだり、付き合ったりしたいという欲求がある。けど間違った行動を取れば「キモい」っていわれるし、キモイといわれると凄く痛いし傷付く。キモいっていわれないためには相手の人格を尊重すればいいんだけど、でも人格を尊重するって一体どういうことなの?
そういうこじれたジレンマが、オタクカルチャーの中で結実し「暴力を振るうヒロイン」を誕生させたのではないだろうか。かつては「男が女に暴力を振るう時代(男には女に暴力を振るっている自覚は多分あまりなかっただろうけど)」であったわけだけど、社会の進歩と共に「暴力を振るうとキモイっていわれる時代」になった。でも「暴力を振るわずに、女の人とどうやって仲良くなったらいいのか分からない」というジレンマが無意識に男性文化の中で共有されていって、ある種逆説的に「女に暴力を振るわれることで、コミュニケーションを図ろう」みたいな図式が成立したのではないか。
女の人に暴力を振るって貰っている間は、少なくとも男の側は「自分でも分からない内に女の人を傷付けているのかも……」とかいう不安に怯えなくてもいいわけだよ。不安に怯えずに異性とコミュニケーションが出来る。そういう複雑にこじれまくったところから「暴力ヒロイン」は生まれて来たんじゃないかなあ。

・まあでも、ハルヒからここ十年くらいでそんなジレンマも少しずつ解消されてきているのかなという気もする。一人一人の人格は当然違うのだから、相手にとって何が暴力にあたり、何が暴力にあたらないのかも結局のところ一人一人違う。僕らは時と場合によって目の前の相手のことを尊重出来たり出来なかったりして、時には相手に暴力を振るってしまうかもしれない。それでも世界は回っていくし、だからそれでいいのだ。

・だからやっぱり今はまだまだ過渡期で、試行錯誤の段階なんじゃないかなー。
とかそんなことを考えて一日過ごした。