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アジアと小松

アジアの人々との友好関係を築くために、日本の戦争責任と小松基地の問題について発信します。
小松基地問題研究会

「偉人教育冊子」についての要望書

2012年04月27日 | 台湾・八田与一
金沢ふるさと偉人館様
2012年4月26日

 今年度中に「偉人教育冊子」を作成し、金沢市内の小学4~6年生に配布するとのことですが、この件に関していくつか要望がありますのでよろしくお願いします。

 偉人館は金沢市にゆかりのある85人の人物を「偉人」と評価しています。過日、偉人館(野村信)から「偉人」の選定について次のような回答をいただきました。

 「偉人」の選定については、金沢ふるさと偉人館が各分野において活躍した金沢市にゆかりがある先人(1800年頃から1900年頃の生まれで、我が国や世界の学術、文化、産業等、様々な分野においてその発展に尽くし、国内又は国際的にもその業績や評価が定まっている人物)を調査研究し、金沢市と協議を行った上で選定したものです。

 偉人館は85人の人物について、「国内又は国際的にもその業績や評価が定まっている人物」としていますが、はたしてそうでしょうか。
 たとえば、清水澄は日本国憲法(平和主義、民主主義、平等主義)に絶望して自殺した憲法学者です。林銑十郎は朝鮮軍司令官として、阿部信行は朝鮮総督として朝鮮人民にたいする軍事支配の頂点に立っていました。八田与一は台湾総督府の官僚であり、台湾植民地経済・統治のために嘉南大圳(灌漑ダム)を造った責任者です。飯盛里安は理化学研究所(仁科芳雄)で、原爆材料班の責任者として原爆開発に携わっていました。
 このような、歴史的に治安弾圧と侵略戦争・植民地支配のために働いた人々を「偉人」としながら、一方では戦前の侵略戦争に反対し、弾圧で獄中死した鶴彬をはじめとして反戦平和のためにたたかった多くの人々は「偉人」と評価されていません。
 しかも、「(「偉人」)決定にあたって第三者委員会のような機関はありません。」と回答しているように、偉人館には客観的な評価体制も評価基準もなく、恣意的に85人を決定しています。
 しかも、偉人館設立当初、偉人館と命名することに、「歴史学から逸脱している」として、異議があったと聞いております。歴史的な足跡をのこした人物を、「偉人」としてではなく、プラス・マイナス両面から評価することによって、歴史から真摯に学ぶという姿勢こそが必要なのではないでしょうか。
 このように恣意的に選んだ人物を「偉人」としてデフォルメし、子供たちのお手本として「教育」することを教育ということができるでしょうか。

 現在「偉人教育冊子」作成委員からの諾否の回答待ちの段階だとお聞きしましたが、以下要望し、文書での回答をお願いします。
(1)作成委員候補5人への要請文
(2)各候補者を選定した理由
(3)作成・編集会議のタイムスケジュール
(4)冊子に取り上げる「偉人」と執筆担当者
(5)これまでにおこなわれた「偉人教育冊子」にかんする会議の会議録
(6)冊子作成・編集会議を公開し、傍聴を認めること(日程の通知)    以上
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