著者らは,死後8時間以内に摘出された54歳男性の右大脳半球の約2cm厚の冠状断スライスを−80℃で保存し,これをコンピュータ制御の加工機械で3mm立方体のボクセル,計703個の脳領域に切り分けました!(図上).この方法で,人の手では不可能な均一・高精度・再現性のある切り出しが可能になったそうです.またこの空間分解能はMRIのボクセルサイズと一致しており,解剖学的構造とミトコンドリア機能を対応づけることが可能です.そして各ボクセルの試料から,クエン酸シンターゼ活性やミトコンドリアDNA量,およびOXPHOS酵素(複合体I,II,IV)活性が測定され,それらの結果から組織全体としての呼吸能力(TRC;Tissue Respiratory Capacity),ミトコンドリア密度(MitoD;Mitochondrial Density),ミトコンドリア1個あたりの効率(MRC;Mitochondrial Respiratory Capacity)を算出しました.最終的にMRI空間にマッピングして,脳全体の「ミトコンドリア地図」を完成させました.本当に力仕事です.

この結果,脳の部位によってミトコンドリアの密度と性能に顕著な違いがあることが示されました.まず,灰白質は白質よりも50%以上もミトコンドリア密度が高く(図下.MitoD),呼吸能力も高いことが分かりました(図下.TRC).さらに,TRCをMitoDで割ったMRCを算出すると,ミトコンドリア1個当たりの「性能」も評価できますが,灰白質の中でも前頭葉や側頭葉といった進化的に新しい領域では,とくに「性能」が高いことが分かりました.後頭葉は進化的にやや古い皮質領域であるためか,前頭葉皮質ほど高性能ではありませんでしたが,それでも比較的高い領域でした(MitoDやTRCは高いことが分かりました).一方,白質はミトコンドリア密度が低く,1個あたりの効率も低いことから,エネルギー代謝の面ではあまり活発ではないことが分かりました.被殻はMitoD,TRC,MRCとも高いのに対し,淡蒼球では低い(非代謝的)ことも分かりました.
また単一核のRNAシーケンス(snRNA-seq)を用いた解析では,ミトコンドリア関連遺伝子の発現が細胞種ごとに異なっており,血管内皮細胞ではOXPHOS遺伝子の発現が最も高く,抑制性ニューロンでは最も低いことが示されました.
上記の結果は,臨床的にも示唆に富んでいます.血管構造とは独立したこのエネルギー分布の特徴は,神経疾患で観察される脆弱性パターンと一致する可能性があります.たとえばミトコンドリア脳筋症は,後頭葉・頭頂葉・側頭葉などの皮質の脳卒中様エピソードを呈しますが(MELAS),これらの部位はミトコンドリア密度や性能が高く,その「代謝的脆弱性」がMELASの病変好発部位を説明しうると考えられます.今回の研究によって得られた「ミトコンドリア地図」は,このような疾患特異的病変の背景を理解するうえでも重要な基盤となるものと考えられます.
Mosharov EV, et al. A human brain map of mitochondrial respiratory capacity and diversity. Nature. 2025. https://doi.org/10.1038/s41586-025-08740-6






