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アジアと小松

アジアの人々との友好関係を築くために、日本の戦争責任と小松基地の問題について発信します。
小松基地問題研究会

20210304 小松基地騒音の人口・世帯に与える影響

2021年03月05日 | 小松基地関係資料
20210304 小松基地騒音の人口・世帯に与える影響

 今から28年前に、1970年から1993年(23年間)にかけての小松基地騒音と小松市人口との関係を調査した。その結果は75W以上の地域では12.6%減少し、75W未満の地域(山間地を除外)では30.5%増加した(『今こそ不戦を誓う―小松からアジアの友へ』に再掲)。
 今回、1970年から2018年にかけて、48年間の小松市各校下の人口の増減を、『小松市統計書』、『小松市人口動態白書』、『基地と小松』などで調査した。

(1)前提的確認事項
 航空機騒音と人口の増減についての調査なので、75Wライン(図①のA~B)を境にして、ⓐ75W以上とⓑⓒ75W未満に分けて比較した。騒音よりも山間部なるが故の過疎・衰退の要素が大きく影響しているⓒ(金野、西尾、波佐谷、那谷、大杉)は除外し、平野部のⓐ、ⓑ間の違いを検証することにした。
 1970年校下別人口には、ⓑ群の東陵校下、能美校下はないが、同じ?群の第一校下、中海校下から編入しているので、ⓑ群全体の比較には差し障りがない。
 <C>75Wラインにまたがっている校下がいくつかあり(表2-❷、図①)、能美校下の場合は159戸中の153戸(96.2%)、串校下の場合は777戸中の571戸(73.5%)が75W外にあり、それぞれⓑ群に入れた。今江校下(64.0%)、向本折校下(67.2%)とも過半数が75Wコンター内にあるので、ⓐ群に入れたが、一定の齟齬は免れない。
 <D>『基地と小松』(1984、2018)には、「住宅防音実施状況」の一覧表があり、各町の騒音コンター(80W以上、70W、区域外)が記載されており、それに基づいて各校下のコンターを特定した(表2)。

(2)集計の結果
 1961年に自衛隊小松基地が開設され(F86F配備)、1965年にF104Jが配備され、1976年F4ファントム、1882年日米共同演習が始まり、1996年F15イーグル、2007年米軍移転訓練が始まり、2016年アグレッサー部隊が配備され、航空機騒音被害が年ごとに増大してきた。
75W地域は人口減少
 小松市全域の人口は、1970年=95072人、2018年=108827人であり、14.5%の増加を示している(1965年=91163人→19.4%増)。
 旧市街地(小松基地から約2㎞の人口密集地)以西は小松基地を取り囲むように、ⓐ75Wコンターにすっぽりと含まれ(図①)、居住環境はジェット機騒音で悪化し、人口は10.6%も減少している(表①ⓐ小計)。
 他方、小松基地から3㎞以上離れたJR北陸線以東の田園地帯はⓑ75W未満であり、高度成長下で住宅地として開発され、商業施設も集中して、56.7%の人口増加(表①ⓑ小計)をもたらし、両者の増減差は73.1ポイントに上る。

集団移転
 基地直近や離着陸コース直下の激甚騒音地域では、1964年から集団移転が始まり(鶴ヶ島)、浮柳、浜佐美(1965年)、佐美(1972年)、丸の内(1975年)、浮城、鹿小屋、桜木、城南、安宅新(1976年)、下牧(1977年)が続き、2019年までに676世帯が移転を余儀なくされた(表3)。
 特に、浜佐美町、鹿小屋町、安宅新町、鶴ヶ島町などの旧町は、戦時期の要塞地帯(注1)のように扱われ、人々は排除され、廃村と化してしまった。これが平和と民主主義を謳う国の姿なのだろうか。

(注1)要塞地帯法に基づき、要塞を中心に一定距離内を要塞地帯と指定され、この地域においては、立入り、撮影、模写、測量、築造物の変更、地形の改造、樹木の伐採などが禁止もしくは制限され、罰則をもうけて厳重に管理された。

(3)資料
(表1)75Wコンター内外の人口増減の比較一覧表

  【原資料:小松市『人口動態白書』(2018年版など)】


 (注2) ⓐ75W以上/ⓑ75W未満/ⓒ山間部(75W未満)
 (注3)小松市は1955、6年に9町村と合併して、現在の市域となった。合併後の1960年の小松市の総人口は89085人、1965年は91163人。まだ現在のような校区は成立しておらず、橋北(稚小)、橋南(芦城)、安宅、牧、板津、白江、苗代、今江、御幸、粟津、矢田野、月津、那谷、中海、金野、西尾、国府、大杉、新丸の19校区に分けられていた。1970年代に28校区、1993年代以降は26校区となっている。
   現在の中海校区は荒木田町と西軽海町を東陵校区に移動し、山間部の原校区を加えて今日に至っている。東陵校区は1974年に第一校区の希望ヶ丘、中海校区の荒木田町、西軽海で発足した。能美校区は第一校区の川辺、千代、能美、一針、平面が独立して発足した。西尾校区には尾小屋、西俣、新丸が合流した。
 (注4※)ⓑ75W未満の<❶~❹比較(%)>は1970年の小計に<原校区=1056人>を加えた<39438人>を使って計算した。
   小松基地開設(1961年)後の、少なくとも1965年からの人口推移を調べたかったのだが、現在の校区とは隔たりがあり、やむを得ず、1970年の人口統計から始めることにした。

(表2)75W以上の世帯(戸)数の比較一覧表
  【原資料:「住宅防音工事町別集計表」(『基地と小松』1984、2018)】


 (注5) ⓐ75Wコンター以上 ⓑ75Wコンター未満。

(表3)騒音被害による家屋移転
  【原資料:「小松飛行場周辺移転補償処理実績表」(『基地と小松』1984、1997、2006、2020)】


(注6)浜佐美町、安宅新町、鹿小屋町は集団移転で、廃村となった。
(注7)草野町、向本折町、日末町では家屋移転は0戸。
(注8)各年の数値は単年度の移転数ではなく、累積数である。

(図①)小松市の小学校・校区地図



<参考資料>
 「小松市校下別人口と世帯数の変遷」(2018年版『人口動態白書』)/「住宅防音工事町別集計表」(『基地と小松』2020、1984、1997、2006年版)/「小松飛行場周辺移転補償処理実績表」(『基地と小松』1984、1997、2006、2020年版)/1970年校下別・町別人口統計(小松市提供)/「校下、男女、年齢別人口」(小松市HP)/「小松市の小学校区」(『学区マップ』)/小松市立小・中学校通学区域町別編成表(2018年)/『小松市統計要覧』1966年版/『小松市統計書』1973年版/「校下、男女、年齢階級別人口」(2005年、2018年)
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