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2016 道徳から修身へ 育鵬社版『道徳教科書』を採用させないために

2025年09月22日 | 教育、憲法、報道
2016 道徳から修身へ
    育鵬社版『道徳教科書』を採用させないために

目次
(1)はじめに
(2)明治初期の教育政策と修身
(3)修身と教育勅語
(4)「道徳」復活までの経過
(5)育鵬社版『道徳教科書』
(6)「学習指導要領」と『私たちの道徳』
(7)まとめ

(1)はじめに
 昨年(2015年)秋、全国の教育委員会で中学生用教科書の採択がおこなわれ、今年度から公立中学校で使われる教科書がきまった。日本教育再生機構(八木秀次理事長)などは育鵬社版歴史、公民教科書の採択の目標を10%に設定していたが、各地のたたかいで歴史は6%(前回3・9%)、公民が6%(同4・2%)にとどまった。
(注:育鵬社2021年度歴史1.1%、公民0.4%)
 広島県呉市や大阪市で、不正な手続きによって、強引に育鵬社版が採択されたことが明らかになり、採択やり直しのたたかいが巻き起こっている。
一方道徳教科書についても、事態は急速に進んでいる。2014年度には『心のノート』を全面改訂した『私たちの道徳』が全児童生徒に無償配布され、2017年には小学生用『道徳教科書』の採択が予定されており、育鵬社も参入しようとしている。
 本稿は修身教育の形成、確立、中断、復活の過程を見通すためのレポートであるが、執筆過程でいくつもの宿題が提起された。とくに、「道徳とは何か」については今後の考究課題にしたい。

(2)明治初期の教育政策と修身の登場
 「修身書」登場までの経過を尾崎耕典「明治の道徳教育=教育政策を中心に=」(帝京短大紀要1966年)を参考にしてたどる。
①孝行も忠義もない修身
 1868年明治維新、1871年廃藩置県によって中央集権の明治政府が確立した。直ちに文部省が設置され、教育の中央支配が始まった。1872年の「学制」(太政官第214号)によって学校が発足し、フランスの「学制」に倣って、近代的な個人主義、功利主義を根幹とする合理主義教育、科学尊重教育、実利主義教育をめざした。
 小学教科中に「修身」、中学教科中に「修身学」を置いたが、学習時間も少なく、あまり重視されていなかった。しかも修身教科書は欧米の道徳に関する書物から採用されていて、自由主義的、個人主義的内容で、親に孝行とか天皇を尊び忠義をつくせという内容はなかった。
②教育への国家干渉
 1879年、「学制」が廃止され、「第1次教育令」が公布された。これは自由主義を基調としており、修学強制が緩められたことにより、教育に混乱が生じ、その混乱を奇貨として教育への国家干渉が強まった。
 1880年4月、文部省は儒教道徳に偏重する『小学修身訓』(西村茂樹編)を発行し、同年12月、「改正教育令」が施行され、修身科を諸教科の筆頭に置き、授業時間を大幅に増やした。
 同年12月の文部省令で「国安を害し風俗を紊乱する如き事項を記載せる書籍」の使用を禁止した。禁止された書籍の中には福沢諭吉『通俗国憲論』『通俗民権論』、加藤弘之『国体新論』『立憲政体略』など民権思想に関する著作が含まれていた。
③教育勅語の発布
 このような教育内容の統制は教員への統制に波及し、保守反動の国家主義が教育を支配していった。1882年12月、「孝行・忠節・和順・友愛・信義・勤学・立志・誠実・仁慈・礼譲・倹素・忍耐・貞操・廉潔・敏智・剛勇・公平・度量・識断・勉職」の20徳目からなる『幼学綱要』が出された。1883年文部省がはじめて作った道徳教科書『小学修身書』では、西洋の書名や人名、格言が姿を消して、『孝経』や『論語』などが取り入れられ、前近代的な報恩献身の儒教倫理に後退した。
 このような教育政策の後退にたいして、さまざまな議論が起きたが、1890年10月、「小学校令」が改正され、「小学校は児童身体の発達に留意して、道徳教育及び国民教育の基礎並びに必須なる知識技能を授くるを以て本旨とす」と、小学校を道徳教育、国民教育を授けるところと規定し、さらに「教育に関する勅語」(1890年)が発布され、開明的意見が一掃された。
④国定修身教科書
 教科書の検定制度は1886年の「小学校令」で定められていたが、修身教育は教科書ではなく口授資料書でおこなわれていた。しかし「教育勅語」の発布を契機にして、口授から教科書に変更され、修身教科書の検定が始まった。1891年11月「小学校教則大綱」では「尋常小学校に於ては、孝悌、友愛、仁慈、礼敬、義勇、恭倹等実践の方法を授け、殊に尊王愛国の志気を養はんことを努め、又国家に対する責務の大要を指示」することが方針化された。
 1900年文部省に修身教科書調査委員会、1903年国定教科書編纂委員会が設置され、翌1904年4月から全国の小学校で国定教科書が使われた。

(3)教育勅語と修身はセット
 つぎに、修身とはどんな教科だったのかについて確認しておこう。『尋常小学校修身書』の1ページ目に「教育勅語」(一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ=天皇のために命を差し出せ)が配置され、その内容をわかりやすくするためにさまざまな逸話(資料2-1)を盛りこんで、解説しているのが『修身書』である。
 『修身書』は日常生活にかかわる規範(私分野)と天皇・国のための行為規範(公分野)で構成されている。低学年ほど「私」分野が多く、高学年になるにしたがって「公」分野の比重が高くなり、修身教育の目的=「天皇・国のために生きる」へと導いたのである。さらに、『修身書』だけではなく、『国史』、『地理』、『国語』の教科書も修身教育を補強していた。
 それは日本人だけではなく、琉球、アイヌモシリ、台湾、朝鮮の子どもをも皇国臣民化するための仕掛けとして機能した。日本文部省、台湾総督府、朝鮮総督府がそれぞれ発行した『修身書』の目次一覧表(資料2-1)と朝鮮総督府版『修身書』の概略(資料2-2)を見ていただきたい。
▽朝鮮でも
 鶴彬が1936年に詠んだ川柳に、「母国掠め盗った国の歴史を復習する大声」があり、教室で、『修身書』を読まされている朝鮮の子どもたちを描写している。
 1910年韓国併合の翌年には、「朕さきに教育に関し宣諭するところ今茲に朝鮮総督に下付す」と、教育勅語を朝鮮人民にまで及ぼしている。朝鮮総督府版『修身書』の第11、12課には「朝鮮の施政」という項があり、「我が国は何とかして之(朝鮮)を復興せしめたいと思ひ、種々力をそへましたが、たうてい自ら復興することができませんでした。…併合は、疲弊した韓国の民衆を帝国の善政の下に置き、民衆の康福を増進し、ひいて東洋の平和を固くする」と書かれている。
 この『修身書』で教えている韓国併合の歴史は100%ウソである。1875年江華島事件、1876年日韓修好条規、1905年独島(竹島)略奪、1910年韓国併合へと、力ずくで植民地にしたのである。
 1919年独立運動がたたかわれ、死者7509人、負傷者1万5849人、被逮捕者4万6303人、焼かれた家屋・教会・学校764戸にのぼった。また、1万2668人が送検され、6417人が起訴され、3967人が有罪判決を受けている(朴殷植『韓国独立運動之血史』)。加えて、「土地調査事業」によって農民から農地を強奪し、強制連行・強制労働、「慰安婦(性奴隷)」を強制しておいて、「善政」などと、よくも言えたものだ。
 このような教育勅語と『修身書』による皇民化教育の結果、朝鮮の児童は日本人(皇国臣民)化を余儀なくされ、家族の反対を押し切ってまで、不二越や名古屋三菱の軍需工場への「募集」に応じていったのである(詐欺、欺罔による強制連行)。
▽台湾でも
 韓国併合より15年早く、1895年に台湾を併合し、翌年には日本語教育を開始した。1898年には、「台湾公立公学校規則」「台湾公立公学校官制」「公学校令」を発布し、日本人に同化させることを目的にして、修身教育をおこなった。低学年には「修身は初めは近易適切なる事項に付、人倫道徳の要旨を授け」と、主として礼儀作法を教えた。高学年になると「漸く進みては国家及社会に対する責務の一斑に及ぼし…国法に遵(したが)ひ、公徳を尚(とうと)び、公益に尽くすの気風を養う」ように指導した(1922年「第2次台湾教育令」)。
 台湾総督府による『修身書』の1ページ目には「教育勅語」があり、4大綱領(国民精神の涵養、従順、誠実、勤労)が例話、作話、寓話、童話、実話などで教え込まれた。1931年の満州事変後になると、国家主義思想が強化され、「良い日本人」=忠君愛国の理念を注入した(申育誠「日本統治時代の台湾における修身教科書の同化教育的要素の一考察」2012年)。
 1942年戦局が悪化し、労働力不足に陥った本土に青少年を送り込むために、台湾でも大規模な「募集」をおこなった。神奈川県高座海軍工廠には、5345人が志願し、3053人(うち小学校卒業予定者1558人)が採用され、三菱重工(名古屋)、中島飛行機(群馬)などを含めて8000人以上の台湾人青少年が本土に派遣された(詐欺、欺罔による強制連行)。(HP「台湾少年工の歴史を平和と友好につなぐ会」)
小括
 このように「教育勅語」=修身は日本国内だけではなく植民地朝鮮や台湾でも、天皇の臣民として、天皇に忠誠を尽くし、侵略戦争に動員するための教育の要にあった。

(4)「道徳」復活までの経過
 1945年に連合国軍司令部(GHQ)によって、侵略戦争のイデオロギーを醸成していた『修身書』『国史』『地理』教科書の使用中止が命じられ、修身教育の授業がなくなった。
 しかし、敗戦後の民主化はアメリカによる日帝解体政策としての「民主化」であったが故に、戦前の支配階級、官僚はそのまま温存され、旧体制復活の機を窺っていた。道徳=修身の復活も数年を経ずして頭をもたげており、その経過を時系列的に確認しておこう(資料3)。
①天野貞祐「国民実践要領」(1951年)
 1951年には早くも天野貞祐文部大臣らが「国民実践要領」を作成して道徳教育の必要性を唱えた。国民実践要領は個人、家、社会、国家の4章で構成され、愛国心、天皇への尊崇が謳われており、「修身教育の復活」を憂える人々の反対に遭い、白紙撤回された。
②「道徳の時間」復活(1958年)
 1958年には「教科外の活動」として、「道徳の時間」を復活させ、小中学校で週1時間、年35時間が設けられた。また、同年の小中学校の学習指導要領の改訂で、「日の丸」「君が代」を義務教育として教えることが明記されたが、現場の抵抗に遭ってほとんど実行させることはできなかった。
③「期待される人間像」(1966年)
 1966年高度経済成長期に、中央教育審議会は「期待される人間像」を発表した。それは戦前の誤りを「錯覚」とし、日本民族の特色を「継承」すべきとしている。「忠君愛国(兵隊)」を「愛社精神(企業戦士)」にすり替えて継承しようとした。「寛容と忍耐」「法秩序の遵守」「自発的な奉仕」「自由より責任」「権利より義務」「批判・反抗の否定」を志向する人間像こそ「皇国臣民像」である。
 学生、青年労働者、とりわけ教育労働者が「期待される人間像」に戦前回帰を感じ取らないはずはなく、1967年「10・8羽田闘争」から始まる安保・沖縄闘争の高揚で、その意図を打ち砕いた。
④「1971年中央教育審議会」「1984~87年臨時教育審議会」
 1971年中教審は「今後における学校教育の総合的な拡充整備のための基本政策について」を答申し、1984年中曽根は内閣直属の臨教審を設置し、教育内容に「生きる力」「ゆとり」「新学力観」「心の教育」などを盛りこんだ。それは90年代半ば以降に具体化されはじめ、戦後民主教育からのターニングポイントとなった。
⑤「国旗及び国歌に関する法律」成立(1999年)
 1977年、学習指導要領の改訂の際に、君が代を国歌として位置づけ、1999年、「国旗及び国歌に関する法律」が成立した。法律によって国歌斉唱、国旗掲揚が強制されたが、現場の教育労働者は抵抗し、今日までたたかいぬいている。
 2011年橋下維新は「大阪府の施設における国旗の掲揚及び教職員による国歌の斉唱に関する条例」を成立させ、教育現場だけではなく、すべての公共施設での国旗掲揚・国歌斉唱を義務づけた。
 この攻撃に抵抗して、2011年以降戒告や減給になった大阪府の教職員が延べ60人に達している。その中の一人奥野泰孝さんは「(君が代斉唱時の起立拒否にたいし)『間違っている』と声を出さないなら、この先戦争に向かっていくときも声が出せなくなる」と話している。東京では、2003年「10・23通達」から12年間で474人が処分され、裁判では65件(55人)の処分が取り消された。(『週刊金曜日』1080号)
⑥「新しい歴史教科書をつくる会」結成(1996年)から2007年分裂
 1996年6月、教科書会社7社の中学社会科歴史教科書に「慰安婦」に関して記述されることが判明した。12月、藤岡信勝や西尾幹二らは「自由主義史観」に基づく教科書作成と普及を目的として、「新しい歴史教科書をつくる会」(つくる会)を結成した。
 『新しい歴史教科書』は、2001年に初版が出され、『新しい公民教科書』とともに教科用図書検定に合格した。
 その後2007年「つくる会」が分裂し、「改正教育基本法に基づく教科書改善を進める有識者の会」(教科書改善の会)が発足し、育鵬社から中学校歴史・公民教科書を発行している。
⑦『心のノート』(2002年)
 2002年、文科省は「教科書でも副読本でもない、補助教材」として『心のノート』を無償配布した。『心のノート』は教科書検定制度さえ踏み外した事実上の国定教科書であり、道徳教育強化への布石となり、12年後の2014年には、『私たちの道徳』に衣替えした。
⑧新教育基本法を制定(2006年)
 2006年、第1次安倍内閣は教育基本法の第2条(教育の方針)を大幅に書き替え、第2条(教育の目標)に「情操と道徳心」「我が国と郷土を愛する」「伝統と文化を尊重」「正義と責任」「公共の精神」などを書き加えた新教育基本法を制定し、教育勅語に一歩近づけた。同年、道徳を「特別の教科」に格上げしようとしたが、反対の声が強くて見送られた。
⑨『私たちの道徳』(2014年)
 2014年度には、『心のノート』を全面改訂し、『私たちの道徳』(小学1、2年生:文溪堂、3、4年生:教育出版、5、6年生:廣済堂あかつき、中学生:廣済堂あかつき)が無償配布された(後述)。
⑩「道徳教科書」の検定基準を告示(2015年)
 2013年、教育再生実行会議(第2次安倍内閣の私的諮問機関)が道徳の教科化を提言し、2014年、中央教育審議会が「特別の教科道徳」(小中学生用)を答申し、2015年9月に、文部科学省は『道徳教科書』の検定基準を告示した。
 小学校用『道徳教科書』は2017年検定→2018年導入、中学校用『道徳教科書』は2018年検定→2019年導入を決めた。
小括
 このように、文部科学省は敗戦で解体された修身教育(『修身書』)の復活をめざして、2018年に道徳教育(『道徳教科書』)として復活させようとしている。つぎに、2012、3年に育鵬社が発行した中学生版、小学生高学年版の『道徳教科書』(ともに市販本)を見ておこう。それは2014年度に配布された『私たちの道徳』の準備版の位置を持っていた。

(5)育鵬社版『道徳教科書』について
①軍人による戦争美化
 道徳の教科化が進められるなかで、育鵬社から2012年に中学生向けの『13歳からの道徳教科書』、2013年に小学生高学年向けの『はじめての道徳教科書』が発行(市販本)された。
 この2冊をざっと見ると、まず目につくことは軍人を多数登場させていることである。乃木希典は日露戦争時の大将、栗林忠道中将は硫黄島の総指揮官、山本幡男はハルピン特務機関、佐久間勉は海軍第6潜水艇の艇長、工藤俊作は駆逐艦「雷(いかづち)」の艦長である。これらは戦争の悲惨を伝えるためではなく、美化し、軍国少年・少女を生み出すための教材である。
(イ)栗林忠道の場合
 硫黄島で戦死した栗林中将から家族への手紙を紹介したあと、「硫黄島に上陸したアメリカ軍は、はじめは5日間でこの戦いを終えてみせると言っていました。しかし5週間も島に釘付けにされ、日本側の損害を上回る2万9000人に近い死傷者を出しました」と、強くて立派な日本軍として描いている。
 だが、ここにはごまかしがある。日本軍の硫黄島守備兵力は約2万1000人で、96%の2万129人が戦死あるいは行方不明になり、1033人が戦傷した(厚生労働省)。他方アメリカ軍は戦死6821人・戦傷2万1865人で合計2万8686人の損害だった(『海兵隊戦史』)。日本軍の戦死者がアメリカ軍の3倍にものぼっていることを隠している。
 しかも、このように多くの兵士を殺した作戦指導の責任も問わずに、天皇、皇后の和歌までつけて栗林中将を賛美美化しているのだ。
(ロ)佐久間勉の場合
 1910年岩国沖で第6潜水艇が水没事故を起こした時、佐久間勉艇長と乗組員全員が持ち場を離れず、亡くなったことを賛美している。この事件は『修身書(職分)』や軍歌で、「潜水艦乗組員かくあるべし」「沈勇(落ち着いていて勇気のあること)」などと取り上げられ、子どもたちの「軍人への憧れ」を引き出す教材として利用された。
 だが、ここにもウソがある。佐久間艇長は母艦歴山丸の艦長から「安全面の不安からガソリン潜航を禁止」されていたにもかかわらず、これを無視してガソリン潜行を強行した。佐久間艇長による「禁令無視」が事故を招き、艇長によって13人の兵士が殺されたことを百も承知で、海軍拡張のための宣伝材料にしたのである。美談でも何でもない(『防衛研究所紀要第七巻第2・3合併号』山本政雄「第6潜水艇沈没事故と海軍の対応」)。
②神話教育から天皇賛美
 つぎに、天皇(制)賛美のための教材がいくつも配置されている。天岩戸や伊勢神宮で、神話教育をおこない、中村久子(「日本のヘレン・ケラー」)や西岡常一(宮大工)の口を借りて天皇を賛美させ、渡邉允(元宮内庁侍従長)には宮中祭祀について詳述させている。仁徳天皇、光明皇后、聖徳太子を登場させ、現天皇アキヒト、皇后美智子まで動員している。
③体制順応型人物を総動員
 その他、明治以前の歴史的人物として、大石良雄(忠臣蔵)、中江藤樹(陽明学者)、賀茂真淵(国学者)、本居宣長(国学者)、熊沢蕃山(陽明学者)、橋本左内(幕末の志士、思想家)、小林虎三郎(米百俵)、上杉鷹山(出羽国米沢藩主)、吉田兼好(徒然草)、二宮尊徳(農政家・思想家)、鳥居強右衛門(戦国時代の足軽)、長円(僧)が繰り出されている。
 明治期から敗戦までの人物では、夏目漱石(文学者)、八田與一(台湾総督府技術官僚)、新渡戸稲造(教育者・思想家)、高村光太郎(詩人・彫刻家)、吉田松陰(一君万民論)、牧野富太郎(植物学者)、西郷隆盛(明治政府軍人)、菊池寛(小説家)、濱口梧陵(稲むらの火)、福沢諭吉(蘭学者、教育者)、内村鑑三(キリスト者)の名が上がっている。
(イ)二宮尊徳の場合
 二宮尊徳がはじめて「修身教科書」に登場したのは1904年の国定「修身書」であった。井上哲次郎(東京帝大教授1856~1944)の「学説上に於ける二宮翁の地位」では、二宮尊徳が国定教科書に導入されたいきさつについて、次のように述べている。
 「国定教科書に二宮翁を加えたるは、最も選の宜しきを得たるものと謂う可し。我国史中模範人物として中江藤樹、貝原益軒、上杉鷹山あり。水戸の義公(光圀)・烈公(斉昭)あり。共に是大和民族の精粋にして、後世の模範となすに足りるべきものに相違なきも、鷹山、義公、烈公の如きは大名なるが故に、一般平民にその縁すこぶる遠く、感化また及び難しきものあり。独り二宮翁は平民にして、而も農夫の子として成長せり。故に、農家の子女には境遇近く、境涯相似(あいに)たり。境遇等(ひとし)が故に、教師は学びて怠らず。農家の子女もまた能く、二宮翁の如くなり得べしとの希望を抱かしむるに足る」と述べ、二宮尊徳を重んじる最大の理由は「現実を肯定し、黙々と生きる少年金次郎」にあった。
 柴田道子さん(1934~75)は『世界』(1973年6月)で、「尊徳という経験主義者は天下国家の大勢も運命も考えなかった」「彼には政治批判がまったくありません」「尊徳のいう勤勉と従順は奴隷の思想であり…権力を持つ者には都合がよい」「(尊徳は)農民一揆は農民の方に責任があると考え」「尊徳の『知足安分』は…百姓は百姓、工人は工人として分に応じた生活をせよと…身分制度という階級制度を擁護している」と、二宮尊徳を批評している。
 21世紀の現代に至っても、二宮尊徳が道徳教育のなかでしきりに取り上げられるのは、体制順応型人物だからである。
(ロ)吉田松陰の場合
 教科書では、「吉田松陰が叔父から譲り受けた松下村塾は…身分・性別・年齢の別がなく、徹底した平等主義に貫かれていました」と書いているが、松陰は天皇主権論者(「天下は万民の天下にあらず、天下は一人の天下なり」)であり、せいぜい天皇の下での「平等主義者」でしかなかった。
 しかも松陰は北海道(アイヌモシリ)、琉球、朝鮮、満洲、台湾、フィリピンの領有を主張し、明治期日本の対外侵略思想を形成した第一人者であった。
(ハ)八田與一の場合
 台湾植民地支配を美化・合理化するために八田與一を引っ張り出している。技術官僚の八田與一は台湾の貧しい農民のために嘉南大圳(ダム)を作り、水利開発をおこなったとされている。
 だが、ここにもウソが含まれている。台湾に進出した製糖資本の甘蔗(サトウキビ)耕作と日本への移出米のための大規模潅漑だったのである。嘉南大圳ができたが故に、水租(水税)を納入できない農民は家財道具や不動産を差し押さえられ、農地は競売に付され、わが子を売らなければならないほどに追いつめられていたのである。(蔡愁洞著『新興地の悲哀』、頼懶雲著『秤』)
④革新的人物を抹殺
 育鵬社版の2冊には100人近くの人物が登場するが、体制順応型の人物ばかりで、明治から昭和にかけての天皇政治と対決した人々、人民の側でたたかった人々はだれひとり取り上げられていない。ここに育鵬社版「道徳教科書」の性格が表れている。
 封建的幕藩体制の崩壊から天皇制(中央集権)確立の過程で、民権を掲げて命をかけた人々がおり、侵略戦争と治安弾圧のただ中でも、節を曲げず、民権主義の灯りを掲げていた人々がいたのである。
 自由民権運動の中江兆民、植木枝盛、足尾鉱毒事件を告発した田中正造、社会主義者の幸徳秋水、片山潜、小林多喜二(小説家)、鶴彬(川柳作家)、不屈のジャーナリスト桐生悠々、女性解放運動家の福田英子、平塚らいてう、「地図の上朝鮮国に黒々と墨をぬりつつ秋風を聞く」と詠んだ石川啄木、羽仁五郎(歴史学者)など近代日本の革新的思想の担い手は、育鵬社版道徳には決して登場しない。
小括
 安倍極右政権は「北朝鮮の脅威」を声高に叫んで、人びとを恐怖の虜(とりこ)にし、戦争の準備をすすめている。ふたたび戦争の幕が切って降ろされようとしているときにあって、近代日本の人物像から学ぶとすれば、人民の権利と生活を守り、差別とたたかった人々の「苦悩と知性」ではないだろうか。
 育鵬社によってめざすべき『道徳教科書』の姿が提示され、これを受けて、2014年文部科学省は『私たちの道徳』を全児童・生徒に無償配布した。これは2017年『道徳教科書』候補の最低ラインを示すものであり、より反動的・復古的内容が予想される。

(6)2014年度配布の『私たちの道徳』について
①「中学校学習指導要領道徳」
 道徳教科書の内容に入る前に、2009年「中学校学習指導要領道徳」(文部科学省HP)についてみておこう。学習指導要領の「集団や社会とのかかわり」には、①法律の遵守、②公徳心、③正義と公平、④役割と責任、⑤労働と奉仕の精神、⑥父母に敬愛、⑦教師に敬愛、⑧郷土愛、⑨愛国心、⑩日本人としての自覚という徳目が並んでいる。
 これらの徳目を一瞥すると、「法律の遵守」とは法の是非を問わずに従うことを要求し、「父母・教師に敬愛」は反抗を認めず、体制順応型の人格形成を狙っている。一見無害のように見える「郷土愛」は「愛国心」の土壌を形成し、「日本人としての自覚」は「愛国心」と一体となって、民族主義(天皇制)を形成し、侵略戦争の担い手へと動員していくための教材となっている。
 琉球・沖縄、アイヌ・北方少数民族の人びとをも日本人(民族)としてひとくくりにし、それぞれの伝統・文化を抹殺し、「日本人」としての「郷土愛」「愛国心」を要求している。
 かつて侵略戦争をしかけ、周辺諸国に多大の犠牲を強いた日本帝国主義の戦後的あり方(敗戦帝国主義)に対応した道徳教育を、新たな戦争の時代に対応した修身教育に転換しようとしている。しかも、そこには人権・平和・民主主義に関する項目はない。
②中学生用『私たちの道徳』
 2014年度には、学習指導要領にもとづいて執筆された『私たちの道徳』を小中学生全員に無償配布した。中学生用『私たちの道徳』(廣済堂あかつき)は文部科学省のホームページに掲載されている(資料4)。
 中学生用『私たちの道徳』には、五つのテーマがある。①自分を見つめ伸ばして(調和、目標、意志、責任、真理、真実、理想、個性、夢、希望)、②人と支え合って(礼儀、人間愛、思いやり、友、異性、認めあい、善意、支え合い)、③生命を輝かせて(生命、感動、畏敬、強さ、気高さ)、④社会に生きる一員として(法を守る、つながり、正義、公正、公平、役割、責任、勤労、奉仕、家族、故郷、国を愛する、伝統、日本人の自覚)、⑤いじめなど(いじめ、未来、違い)がある。
 いくつか気付いた点について感想を述べておこう。
(イ)現実から目をそらす
 「自分を見つめ伸ばして」(8~45)には、理想(9回)、希望・夢(16回)のキーワードがくりかえし語られるが、「批判」「抗議」「怒り」など、現実生活の中から生み出される葛藤に関するキーワードは見あたらない。現実を直視せずに、体制に順応していくように子どもたちをミスリードしているのが読み取れる。
(ロ)「私」より「公」
 「社会に生きる一員」(132~225)は最も重視され、多くの紙幅を費やしている。「法やきまり」を守れと書いているが、法(憲法)の遵守義務が為政者にあることについては一切触れていない。
 役割・責任の自覚から、日本人として国を愛することを求めている。つまり、「私」よりも「公」を優先させたいという意図が見え隠れしていて、最終的には、『修身書』(巻6「職分」)に書かれている佐久間勉艇長の逸話のように、「私」をなげうって「公=天皇」のために死ぬことを求めてくるだろう。
(ハ)国家主義・民族主義へ
 「正義」が頻出しているが、教科書が教える「正義」は支配階級の正義であり、国家主義・民族主義へとスライドしていく。「愛する国=日本」が絶対に過ちを犯さないことを前提にして、国家にたいする批判的視点を提供せず、明治以降の歴史的過ちや抵抗者から学ぶ姿勢がない。
(ニ)労働者の権利の後景化
 「勤労と奉仕」は義務として書かれており、そこには労働者の人権(団結権も争議権も)はない。労働者が生きる権利、平和を求める権利が後景に押しやられている。
子どもたちの保護者が日々の労働のなかで、もがき苦しんでいるにもかかわらず、『私たちの道徳』教科書にはその姿はなく、やがて自身も労働者として、荒波の中に漕ぎ出していく時に必要な権利さえ提起されていない。
(ホ)歴史的反省に背を向ける
 ナチスによるユダヤ人迫害について、杉原千畝とアンネ・フランクが取り上げられているが、同じ過ちを犯した日本(軍)の加害責任を問おうとしていない。多大のアジア人民を死地に追いやったこと、強制連行・強制労働、戦時性奴隷(日本軍「慰安婦」)についても一切口をつぐんでいる。歴史的反省を欠落させた自己(自民族)賛美に陥っている。
(ヘ)日本民族の優秀さを誇示
 日本の伝統を美化することによって、「優秀な日本民族」を演出している。明治以来大和民族の優越性を根拠にして、対外侵略・植民地支配を合理化してきたことを忘れてはならない。
小括
 『私たちの道徳』では、「私」よりも「公」に関する分野に、多くの紙幅を費やしている。憲法13条「すべて国民は、個人として尊重される」の「個人」を解体し、「公」に集約したい自民党改憲案と同じ問題意識上にある。

(7)まとめ 道徳の本質は
 エンゲルスは『反デューリング論』の「道徳と法永遠の諸真理」のなかで、「従来のあらゆる道徳理論はその終局においては、その当時の経済的社会的状態の所産である」「道徳はいつも階級道徳であった。支配階級の支配と利益を正当化するか、それとも…この支配にたいする反抗と抑圧された人たちの将来の利益を代表するか、そのどちらかであった」と述べている。
 戸坂潤は『道徳の観念』(1936年)の第3章「道徳に関する社会科学的観念」で、「我が国の封建的武士階級の権力を反映する社会規範が忠義であり、武士道であり、また孝行であった。社会的権威をもっている一切の道徳、道徳律、徳目・善悪の標準が社会的権力を、社会的身分関係を、社会的秩序を、つまり社会的生産関係を反映している社会的規範」「道徳が一つのイデオロギーとして、社会規範として説明されるとき、道徳の発生、変遷、消滅等々の歴史的変化が結論される」「社会が階級社会である限り、道徳とは階級規範に他ならない。これが階級道徳乃至道徳の階級性ということである」と述べている。
 道徳や倫理は人間(社会・国家)にはじめから備わっているものではなく、人間社会の発展にしたがって生成・変化してきた。縄文時代以前には原始共同体としての道徳・倫理があり、階級形成後の弥生時代、古代天皇制(古墳時代)、封建制(戦国時代)、再建封建制(江戸時代)、資本主義社会(明治天皇制、敗戦後)にはそれぞれの時代=生産関係に応じた道徳があり、被支配階級を圧伏するためのイデオロギーとして機能してきた。
 したがって、生産関係に手もつけずに、別の「道徳」を対置するのではなく、道徳(修身)が依って立つ日本資本主義そのものを土台から変えること(革命)を対象化し、道徳(教育)問題に取り組まねばならない。
育鵬社版の採用阻止を
 2011年3・11福島原発のメルトダウンと2015年戦争法強行を契機として、高校生、学生、青年労働者、女性のたたかいが始まった。いま、この時点で道徳の教科化を押し進める意図は「期待される人間像」(1966年)を押しつけた時と同様、支配の危機(政治的、経済的)に直面する安倍政権による「国家改造」にある。
 安倍晋三は「集団的自衛権の行使容認」(2014年7月)、「戦争法の強行採決」(2015年9月)によって「戦争をする国」へと大転換をはかった。その「国家改造」の一環として、「教育改革」が進められている。「教育基本法改正(改悪)」(2006年)によって愛国心教育重視の方向に進み、「教育委員会制度改正(改悪)」(2014年)によって教育長と教育委員長を兼務させ、教育委員会の独立性を脅かし、教科書選定の中立性・公平性が阻却される。「軍学共同推進」(2013年)、「大学への国旗掲揚・国歌斉唱の強請」(2015年)によって大学(学問)が国と資本の下僕にされようとしている。そして本レポートのテーマである道徳教科書の修身化である。
 いま、私たちに課された責任は、2017年教科書検定時に、教科書各社が出す『道徳教科書』を厳しくチェックし、批判を強め、道徳から修身への転換を阻止することである。とくに、育鵬社版『道徳教科書』は天皇(制)と戦争(軍人)を賛美する教科書として準備されており、次なる世代のために、育鵬社版を採用させないための準備を始めよう。
        2016年執筆
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