【長文投稿】『ぼっち・ざ・ろっく!』吉田恵里香氏の記事について、下に引用した朱夏論氏のnoteへの反論として、長文をしたためました。この議論に興味のある一人でも多くの方にお読み頂ければ幸いです!!
残念ながら朱夏論さんは「本文を丁寧に読み解いたうえ」と銘打ちながらも、恣意的にか、無意識にか、大変ミスリードな解説を書かれてしまったようです。以下、指摘させて頂きます。
まず前提として。「性的搾取というのは重たい言葉だ」と宣言し、言葉に傾注する姿勢を示した朱夏論さんご自身が、相手の言葉を粗略に扱ってしまってはいないでしょうか? ライター氏による「前述の姿勢は崩さない」の一言を梃子として。
「ノイズという表現も(中略)問題視すべきものとは思われない」とご自身が書かれた以上、朱夏論さんの中では「性的搾取=問題あり」「ノイズ=問題なし」の表現であるという区分が、明確に線引きされているはずです。ならばその対象も、明確に区分されるべきです。
記事を読む限り、脚本家の吉田恵里香氏は「前橋ウィッチーズ(以下MBW)」にのみ「搾取」という言葉を用い、「ぼざろ」には終始「ノイズ」しか使っていません。ライター氏の言う様に、確かにどちらの作品でも(一貫した)「姿勢は崩してない」ようですが、充てがう言葉は対象によって使い分けています。
これを朱夏論さんは混同されている訳ですから、この一点を持ってして僕の指摘は終了──としても良いのですが、流石にこれだけでは納得されないでしょう。さらに詳述していきます。
朱夏論さんは搾取の構造までをも分析されようとなさり、「その主体はおそらく作品のファンであろう」と推測されていますが、それだけでは浅過ぎます。
まず「ぼざろ」において「ノイズ」に邪魔される主体は誰か? 原作時からのファンではありません。元からのファンにとって、氷風呂のシーンは「搾取」でもなければ、「ノイズ」でもありません。ノイズがあったなら、ファンにもならなかったはずです。
ですから吉田氏は、その点をはっきりと意識して発言しています。「自分で選んで買う小説や演劇などと違って、より手軽に見れる媒体の場合は」という明確な区分。つまり子どもや、そういった表現を嫌う人々です。
氏の表現に沿うならば、万人に受け入れられ「覇権を取る」ためには、自分の「幼い息子」も含めた広い視聴者層を主体としなければならない。そのためには「ノイズ」が邪魔となるということです。
いえ、それだけに留まりません。朱夏論さんの指摘する通り、確かに「ノイズ」は「やや穏当さに欠けるきらいはある」表現です。しかしそれもそのはず。本当にノイズを除去しなくてはならない敵は、1%にあるからです。
吉田氏「99%の人が大丈夫でも、1%の過激な人が何かをしてしまうことで、アニメ文化が途絶える恐怖を感じています。」
お分かりですね。SNS、まさしくここXで、数々の作品を炎上させてきた主体、先鋭化したフェミたちです。たった一つのポストが何倍にもなって燃え上がり、作品を危機に陥れます。
覇権を取るためには、作品にそのような弱点は許されません。「ぼざろ」が完全勝利をおさめるため、そしてアニメ文化が途絶える事態を防ぐため、敢えて「ノイズ」という言葉でアラートを発したのでしょう。
クリエイターだけあって、相当に深い作品愛と文化への愛、そして危機意識が感じられる(一貫した)姿勢です。
次に「搾取」──この主体も朱夏論さんは読み違えられているようです。搾取の主体は「ぼざろ」のファンたちではありません。原作をお金を出して買っているファンは、何も搾取などしていません。
そもそも吉田氏の「搾取」とはMBWにおいて以下の様に発せられた言葉です。
「キャラクターをどう捉えてもらっても構わないし、個人で何を描いても、何を想像(創造かも?)しても自由。ただ公式側が『さぁ搾取してください!』と言わんばかりにばら撒くのは抵抗がある」
この迂遠な言い回しに対しても、「1%」の時と同様に具体的な状況を想定すれば、まず最初に「薄い本」が思い浮かぶことでしょう。オタクならば。
長年アニメのキャラたちは、未成年も含め、二次創作の中で全裸にされたり、姦されたり、陵辱されたりしてきました。
朱夏論さんは「ただの絵であり、搾取されるものなどない」という趣旨の事を仰りますが、同じオタクだとするなら、キャラへの愛情も相当におありなのではありませんか? 吉田氏も記事の中で触れていますが、公式側は相当な会議を重ね、愛情を込めながら、悩み、努力し、成長していくキャラを創造しているのです。
未成年について言えば、ファンはジブリ以前の作品にまでも容赦ありません。高畑勲氏が時間をかけて丁寧に造形し、多くのファンに愛されてきた「赤毛のアン」が陵辱される同人誌を見かけたことまであります。まさに「絵だけど、未成年だぞ」です。
それでも「自由」だと断言する吉田氏の、どこに表現の自由の敵となる資質があると言うのでしょうか? 僕も吉田氏と同意見ですが、少なくとも公式側が「さあ、裸にして姦してください」とバラ撒くことに抵抗を感じるぐらいは許されると思います。朱夏論さんの仰る通り、「性的搾取」とはそれぐらい重い言葉です。
最後に「文化」について。この点も朱夏論さんのご理解は不十分に思われます。引用された「胸の大きさについて言及しあう描写」「胸が不自然に揺れ続ける描写」というテンプレートですね。
そのテンプレート自体を吉田氏も僕も否定するものではない──とお断りした上で言わせて頂くなら、それを持ってして「文化に対する敬意の欠如だ」「文化への冒涜だ」と糾弾するのは言い過ぎであるどころか、お門違いです。
まずその2つの「胸にまつわる描写」は確かによく見かけ、テンプレート化してはいますが、それほど高尚なものなのかというと首を捻ざるを得ません。
文化の伝承といって思い浮かべるのは、研鑽の上に師匠から弟子へと引き継がれる匠の技。大袈裟に言うならば工芸や芸能であっても、国宝級の名人から代々受け継がれていくテクネー、アリストテレスが「卑しいもの」と定義づけた「追従」とは異なるものです。
そう捉えれば「胸の描写」のテンプレも、単なるコピペであり、真似であるといっても過言ではないでしょう。繰り返しますが、僕も吉田氏もそれを非難などはしていません。シミュラークル化し、メタ化することで新たな趣向を生み出すことも多々ありますし。
しかし今回の記事において、朱夏論さんが言及されてもいない吉田氏の文化への態度は、次の様な発言に顕出しています。MBWにおいて──「“病んでる!”みたいなのを売りにしたくはない」、ぼざろにおいて──「バンドを通じて社会性を獲得していくことが軸になっていない部分です」。
ただ「追従」するのではなく、相当な腐心を重ね、新たな付加価値を創出しようとする、クリエイターとしてのあるべき姿でしょう。先達や原作者への敬意と配慮、そして自分の仕事、果たすべき役割への決意が滲み出ている良記事でした。
SNS時代における1%の危険を避けるために作品を守り、さらにアニメ文化の隆盛と自身の野望を語る氏の姿に、外連味は否めないかもしれませんが、僕はアニメへの強い愛情と、責任感を感じました。
Quote
朱夏論(しゅかろん)
@ura_account55
吉田恵里香氏の件、「ノイズ」などの言葉の使い方に矮小化する向きがあるので、本文を丁寧に読み解いたうえで、何が問題なのかキッチリ解説しておいた。
「ぼっち・ざ・ろっく」脚本家・吉田恵里香氏が炎上している理由解説|朱夏論(しゅかろん) @ura_account55 note.com/shukaron/n/nf9