豪雨で流された「命より大事な孫」 ボランティアが見つけたDVD、届いた“生きた証”に涙
テレビ金沢
2024年元日に発生した能登半島地震のわずか9カ月後、地震で傷ついたままの被災地を再び襲った奥能登豪雨。この豪雨災害では多くの町が濁流にのみこまれ19人の犠牲者を出した。 輪島市に住む当時中学3年生だった喜三翼音(きそ はのん)さんも犠牲者のひとり。氾濫した川に家ごと流され帰らぬ人となった。残された遺族は住む家さえも失い、今は地元を離れ暮らしている。 「あの日から時間が止まったような感じですよね」 全てを失いわずかな遺品に翼音さんの面影を重ねる日々の中、ある連絡が届く。 「翼音さんの生前のDVDが見つかったかもしれない」 がれきに埋もれていた砂だらけのDVD。そこに映っていたのは翼音さんの「生きた証」だった。 【写真】奥能登豪雨で犠牲となった喜三翼音さん
【町をのみ込む濁流 能登襲う2度目の災害】
去年9月の奥能登豪雨では、約1900棟の住宅が被害を受け、19人が犠牲となった。大量の土砂や流木を含んだ水が町に押し寄せ、一部地域では人の背丈を優に超える高さまで濁流が流れ込んだ場所もあった。元日の地震で傷ついた被災地に追い打ちをかけたこの豪雨災害。中でも輪島市の被害は甚大だった。12時間に降った雨量は300ミリを超え、濁流に流され土砂に巻き込まれるなどして行方不明となった人が相次ぎ、住民は再び避難所生活を余儀なくされた。 「なぜ能登ばかりこんな目に遭うのか」 住民はそう口々にこぼし度重なる災害に肩を落とした。
【自宅ごと流された中学生 捜索むなしく】
当時中学 3 年生だった喜三翼音さんはあの日、輪島市の自宅にひとりでいた。家族はそれぞれ仕事で家を離れており、押し寄せる濁流を前に翼音さんのもとにたどり着くことはできなかった。家族のLINEには、翼音さんが撮影した自宅2階近くに押し寄せる濁流の写真が送られた。危機迫る状況のなか、家族は電話で話すのが精いっぱいだった。「ケガしないように長袖長ズボンを履いてくれ」そう伝えたのを最後に電話が切れた。 その後、翼音さんは自宅ごと濁流に流され行方不明となった。 自衛隊や警察、消防による捜索活動は連日行われたが、1日また1日と過ぎても翼音さんの発見には至らない。 川辺では翼音さんの家族や同級生らも捜索に加わり、無事に帰ってくることを信じて手がかりを探し続けていた。ぬいぐるみやスニーカー、翼音さんが身に着けていたものが泥の中から少しずつ見つかっていく。 祖父の喜三誠志さんはやり切れない思いをかかえていた。 誠志さん「1日たって、3日たって、1週間たっても心境は変わらない。見つかってほしいというそれだけなんです」 最愛の孫娘にもう一度会いたい。その一心で朝から晩まで翼音さんを思い続けた。 しかし、その思いが届くことはなかった。発災から10日後遠く離れた福井県の沖合で女性の遺体が見つかった。身に着けていたジャージには手書きで「喜三」の文字。鑑定の結果、翼音さんだと判明した。「ケガをしないように長袖を着て」という家族の最後の言葉を、翼音さんはしっかりと守っていた。 「命より大事な孫でした」祖父・誠志さんは言葉を絞り出した。
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