第7回私は堕胎失敗で生まれた 生まれる前から差別受けた子どもたちがいた

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雨宮徹
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 私は1950年代、沖縄で生まれた。その少し前、母は堕胎の処置を受けていた。

 母は何も語らなかった。だが母と同様の手術を受けた人たちの証言から、どういう状況かをのちに知った。

 「注射針は5寸(約15センチ)ぐらいの長さで太かったよ。大きな針をへその下からぐーっと通して」

 「お腹(なか)の子がもうひっくり返って暴れて死んでいくわけさ」

高張食塩水を子宮に注入

 高張食塩水を子宮に注入されていた。かなりの痛みを伴ったらしい。

 父母にとって私は初めての子だった。出産を望んだが、周囲は反対した。

 父母が暮らす施設では「身ごもったら堕胎しなければならない」というルールがあった。

 母は人工妊娠中絶を迫られ…

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この記事を書いた人
雨宮徹
姫路支局
専門・関心分野
地方政治、ハンセン病、歴史、戦争・被爆者

連載ハンセン病 残された記憶 埋もれた記録(全15回)

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