「清太はアホや」 火垂るの墓めぐる自己責任論、共感ひろがる理由は
昭和20年9月21日夜、ぼくは死んだ――。
スタジオジブリ制作のアニメ映画「火垂るの墓」は、14歳の主人公、清太が駅構内で息絶える場面から始まる。空襲禍で幼い妹と身を寄せた親戚宅を飛び出し、迎えた悲惨な最期。その結末に対して昨今、「自業自得」などと批判的な意見が目立つようになった。1988年の公開当時、観客の多くは同情的だったという。時代の流れとともに、見方が変わりつつある背景を探った。
《妹はクズな兄貴のせいで……》
火垂るの墓の世界配信がネットフリックスで始まった昨秋、そんな歌詞のラップ曲がティックトックに投稿され、約5万の「いいね」を集めた。
2000年初頭から目立つようになった「清太バッシング」。なぜ、人気を集めるのでしょうか。記者が、火垂るの墓を取り上げた大学の講義を見に行くと、「清太はアホやろ」「無計画さにイライラする」と語る学生もいました。
清太と妹の節子は第2次世界大戦末期、米軍の空襲で神戸の実家が焼失し、母親を亡くす。親戚のおばさん宅に住まわせてもらうことになるが、食事の量を少なくされたり、「疫病神」などと嫌みを言われたりすることに耐えられず、近くの防空壕(ごう)で暮らし始める。当初は自由な生活を楽しんでいたが、食料が尽き、困窮の果てに2人とも亡くなる。
この歌詞のような「清太責任論」は、SNSや匿名掲示板で以前から根強い。2004年以降の検索傾向がわかる公式ツール「グーグルトレンド」で調べると、06年に「清太」「自業自得」のセットでの検索が増えている。以降も質問投稿サイトで清太に批判的な書き込みがあったり、匿名掲示板で清太の非力さを物語る逸話を集めた投稿が注目を集めたり、折に触れて自己責任論が盛り上がりを見せていた。
国内初の配信解禁と、戦後80年にあわせる形で7年ぶりの地上波放送があった今年も、戦争の悲惨さをかみしめる投稿が相次ぐ一方で、「自ら家を出たのだから自業自得」「(勤労動員として)働かないなら冷遇されても当たり前」などと、清太を責める投稿が広がった。
自己責任論の到来、予見していた高畑監督
だが公開当時の見方は違ったようだ。18年に死去した高畑勲監督はかつてのインタビューで「清太について同情的な人が大多数だった」と回顧している。さらに、作品公開直前の雑誌インタビューではこんな言葉を残している。
「もし再び時代が逆転したとしたら、果して私たちは、いま清太に持てるような心情を保ち続けられるでしょうか。全体主義に押し流されないで済むのでしょうか。清太になるどころか、未亡人(親戚のおばさん)以上に清太を指弾することにはならないでしょうか、ぼくはおそろしい気がします」(徳間書店「アニメージュ」1988年5月号)
ネットの言説を目にすると、高畑監督の懸念は現実のものとなったようにも思える。それとも、ネット上で「悪目立ち」しているだけで、現実社会ではそこまでではないのだろうか。
「火垂るの墓」の講義を取材 大学生73人の意見は
記者は6月下旬、「火垂るの墓」を題材にした講義が毎年ある神戸市外国語大学を訪れた。メディア文化史に詳しい山本昭宏・准教授(41)が、「日本文化研究」の連続講義の一環として10年ほど続けている。
講義の冒頭、山本さんが「作品を見たことがある人は?」と学生約70人にたずねると、半分以上の手が挙がった。作品の一部を見た後、グループディスカッションが始まった。清太が親戚の家を出たことについてどう考えるか――。
「ぶっちゃけ、清太はアホやと思う。最低限の衣食住があったのに、先のことを考えずに出て行くなんて」
「妹もいるのに無責任すぎん? 同情も共感もできない」
手厳しい意見が相次いだ。
講義後、記者は学生たちに「清太自身の行動に責任があったと思うか」を尋ねるアンケートをお願いした(「あった」「少しあった」「あまりなかった」「なかった」の4択)。73人の回答者のうち9割を超す62人が「あった」「少しあった」のどちらかを選択した。
切り詰める学生ら「清太にイライラ」
ディスカッションで「清太はアホや」と言った2回生の女性(19)に批判した理由を聞くと、「たしかにおばさんは意地悪だったけど、最低限の食事は出していた。清太の判断の方が問題があったと感じる。自由を追い求めるにしても、もっと良い方法があったはずで、清太には同情できない」。
女性は四国地方出身で、3人きょうだいの末っ子。英語とスペイン語を学ぶため、地元を離れて一人暮らしを始めた。「きょうだいで私ひとりだけ、無理を言って地元を離れた。生活は楽ではないけど、ぜいたくは言いたくない」。奨学金を借りて年50万円の学費を支払う。母親からの月数万円の仕送りに加え、アルバイト代で家賃や食費をまかなう。貯金もするべく、昼の1食だけで済ませて夜勤に向かう日もある。
中学生で初めて見た際は「親戚にいじめられるかわいそうな兄妹」と思った。ただ今回見直して、「清太の破滅的な無計画さ」にイラだったという。「昔も今も命を守ることが何より大事だったはず。戦時中ほどの生活苦ではないけど、自分がふだんの生活を切り詰めているだけに、清太は自由すぎるし、自分勝手すぎん?って」
同じく清太に責任があったと考える1回生の男性(18)は「清太が精神的につらい部分もあったのは理解できる。それでも、安定した衣食住がある場所を捨てるのは、見通しが甘かった」と話した。
今春の入学後に一人暮らしを始め、衣食住のありがたみを知った。友人たちが学費や生活費の工面に苦労する様子も目の当たりにしてきた。先が見えない不安を身近に感じているからこそ、清太の後先を考えない行動には首をかしげざるを得なかったという。
山本准教授は「限られたお金でどうすれば生きていけるのか。物価高が追い打ちをかける中で厳しさに直面する学生は少なくない。清太に反発を覚える状況は理解できる面がある」と話す。
80年経て「良くも悪くも俯瞰的な視点に」
こうした見方に戦後80年という歳月の流れを感じるのは、新潮社のコンテンツ事業室長、矢代新一郎さん(61)だ。同社は野坂昭如の原作「火垂るの墓」文庫版の版元で、映画の著作権も持つ。
1988年の公開当時をこう振り返る。「映画館でのアンケートでは『清太は妹思いで優しい』『兄妹が可哀想』『好物を食べさせてあげたい』などと同情する観客が多かった」
映画館に足を運んだ若者の多くは、戦争体験がある親らに育てられた世代。当時入社3年目だった矢代さんも、祖父母から東京大空襲の惨禍を、母親からも旧満州からの引き揚げ時の経験を聞いて育った。「戦争体験が自分たちと地続き。私の場合は、清太たちを『親戚のあの子』『近所のあの子』として見ていた。だから、批判する気持ちにはなれなかった」
清太への自己責任論が出る今について、こう推し量る。
「戦争体験を直接聞く機会がぐっと減っている今、『戦争』を身近に感じられることが少ない。良くも悪くも、俯瞰(ふかん)的な視点で見るなかで、『清太の行動はおかしい』という感想も出るのでしょう」
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- 【視点】
清太がアホかどうかと言われたらそりゃアホですよ。結果的に最悪の事態になるのは確かですし、あのおばさんだって当時の時代状況からすれば別に悪い人ではない。 だけど、そういう「清太アホ論」を見るたびに、「アホかどうかをジャッジするような作品なの?」と冷めた気持ちになってしまいます。 最終的に死に至る結果が分かってるから、そこから逆算して彼の行動の不合理さを考えてしまうけど、我々だって常日頃から合理的な行動ばかり取ってるわけではないですよね?人間って不合理な行動をしてしまう存在ですよ。 ましてや子どもにはアホでいられる権利すらあると思います。子どもなんだから。 その点から言うと当時の戦争だって、大日本帝国がやったことはめちゃくちゃ不合理で理不尽で凄惨で陰惨で、「アホ」どころで済むような話ではないじゃないですか。 たかが一人の少年がアホかどうかより、むしろ子どもたちのアホさすら許されずに死んでしまう、その時代の理不尽のほうを考える必要があるのでは?
…続きを読む - 【視点】
歴史は常に現在からの解釈ですから、今日の自己責任論を過去にあてはめる読み方も一応あり得ます。しかし、清太は今で言えば中学生です。子どもは大人からみれば「アホ」であるゆえに保護されるべき存在で、自己責任論を適用するのは無理があります。これは歴史や戦後80年云々以前の問題ではないでしょうか。
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