「おはなし」がハッピーを生むんだッピ!【アニメ『タコピーの原罪』最終回感想】
タコピー最終回を見た。ボロ泣きした!(漫画も当時読んだけど、その時泣いたかは思い出せない)
タコピーを踏みつける有名なカットの後、しずかちゃんがタコピーを石で殴りながら「じゃあどうすればよかったんだよ!」と問い詰めるシーンでボロボロ泣いた。
誰もが「じゃあどうすればよかったんだよ」という気持ちを持ったことがあるはずだ。その「どうすればよかったのか」という気持ちを爆発させている姿に、あの時の行き詰まった自分を重ねてしまうのだろう。きれいごとや後出しでは解決できないその苦しみを、本当は誰かにぶつけたかったし、誰かに助けてほしかった。その絶望と救いが、このシーンのカタルシスなのだろう。
タコピーは、自分がしずかちゃんの話を聞いていない(理解していない )ことを自認し、そしてどうしたかというと、ずっと一緒にいた。そしてきっとその間に、たくさん「おはなし」をした。その「おはなし」があったから、しずかちゃんはリセットがあってもタコピーのことをまりなちゃんより先に思い出せたんだろう。
そのしずかちゃんのかすかな記憶が書かせたタコピーの落書きで、まりなちゃんもタコピーの記憶を引き出される。しずかちゃんとまりなちゃんが、タコピーの記憶をなかよしリボンとしてつながる。そこにはやっぱり「おはなし」がある。タコピーのことを「おはなし」したから、ふたりはハッピーになれた。東くんも、お兄ちゃんと「おはなし」(ケンカ)したから、ハッピーになれた。
でも、そこにタコピーはもういない。
じゃあ「タコピー」がいなくならないために私ができることはなんなのか。
タコピーが、私には自分の子どもに見えた。バカでどうしようもなくてウザくてずっとついてきて、何かするし、ずっと話してる。私にとって「どうすればよかったのか」は子どものことなのだけれども、「タコピー」もやっぱり子どものことのようだ。
だから、私にできるのは、子どもに「ありがとう、バイバイ」と言われる前に、ちゃんと子どもと「おはなし」をすることなのだろう。
先日、子どものことで自治体に相談に行った。心理士さんは黙ってしばらく私達の親子のやり取りを観察した後、「摩擦がないですね」と言った。衝突を避けている、というようなニュアンスだと私は捉えた。確かに私は粘り強く説得したり話し合いをしたりを避けて、「じゃあいいや」とすぐ諦める癖がある。
「働きかけをすれば、摩擦は起こると思います。でも、多少摩擦があってもそれで状況はよくなると思いますよ」
そうか、私が避けているのは「おはなし」なのだ。そりゃ私は簡単に言えばコミュ障だし、うまく話せずに傷つくのが嫌でそれならばいっそ、と「おはなし」を避けてきた。
でも、今回の相手は自分の子どもだ。これからもっと、「おはなし」をしなければならない場面は増えてくるだろう。その時にしっかり「おはなし」ができるように、ずっと一緒にいて、たくさん「おはなし」をしておかなきゃいけないんだ。
タコピーが、つないだ手を離して消えてしまわないように。
コメント