「さとけい」の私への誹謗中傷とその背景について

アカウント名「さとけい」なる人物(以下Sと記す)が、ツイッターで私をブロックしながら時々私についての誹謗中傷を書いており、その度に私は、そこにデマが入っている旨をツイートして固定ツイにしてきた。先日もそうしたツイートをしたので、フォロワーの人々は「またか」と思っているだろう。
検索してわかったことだが、2021年以降のSの「大野」についての言及の多さは、この人はなぜこんなに「大野」という人にネガティブに執着しているのか?と思われるレベルに達している(ツイッターのQを開き、大野 from:satokeisaと入れるとずらずら出てくる)。
以下、ここに至る背景を書いておく。

 

6〜7歳年下のSとは90年代半ばに友人Nを介して知り合い、以降Nと三人でアート作品の共同制作をしたり、アート(+自主制作映画)系同人誌を一緒に作ったりしてきた。これだけでSが誰だかわかる人はいるだろうが、以上の情報はS自身がツイッターに断片的に書いていることである。
2003年に私が美術家を廃業した時、それに反発したSと仲違いし、その後、自主制作映画作家として頭角を現していたSは上京した。商業作品も一本撮ったようだ。
仲違いしたままだったので連絡は取ってなかったが、ある時Sからずっと以前に送ってもらったジャズについての手解き的なテキストを、「友人のもの」としてブログに紹介したのがツイッターで広まり、Sから2015年にメールが来た。友好的な以前のままのSだった。
その後はまたずっと音信がなかった。そして今年5月頃に私は「さとけい」なる人物のツイッターを偶然見つけ、記述からそれがSであるとわかり、私が実名で誹謗中傷の対象になっていることを知ったのである。
私にしてみれば、2015年以降にSの精神に重大な何かが起こり、私に対するSの心象がネガティブ方向に大きく変わってしまったとしか思えない。

先日、5月以降三回目の誹謗中傷スレッドが立っていたので、Xに通報したがデマだと立証できる内容ではなく却下となった。
Sにやめてほしい旨のメールを送ろうかとも思ったが、今はそれをためらっている。その理由は、S自身も時々「冬期うつ」になるとツイートしている通り、不安定な部分があるらしいということで、それ以上の情報は2015年のメールで知らされていたがここでは書くのを控える。とにかく刺激すると逆効果になることを懸念しているため、Sには直接メールで抗議していない。

しかし、私についての事実に嘘を巧妙に混ぜたネガティブな情報が何度も出回る(おそらく今後も何度でも同じことを書くだろう)のを、黙って放置しておくわけにもいかないので、以下にSの書いている事実誤認を上げる。

 

・大野がSの文章を盗んでメルマガに掲載した
→私はメルマガをやったことがない。昔、Sから送られてきたジャズについての文章を掲載したのは、ブログ(はてなダイアリー、現はてなブログ)のみだ。
https://ohnosakiko.hatenablog.com/entry/20150215/p1
他にも「盗用」したものがあるかのように書いているが、Sは一切証拠を出していない。

・上記について「盗用」だと抗議したが謝らない
→抗議のメールはもらっていない。2015年にもらったメールでは、勝手に載せるなとも言われず、そこで仲直りもできたので、嬉しく思いながら返信した(一番下に私の返信のスクショを貼っておく)。

・昔、佐藤をネットリンチにかけた
→ネットで悪口を言ったことは、メールの返信で謝罪している。

・大野は名芸非常勤時代に未成年の学生を次々愛人にしていた
→未成年ではなく、A君は二十歳、B君は二十一歳だった。Sのこのツイートを最初に発見した時、自分のツイッターで、学生とつきあったのは事実であり夫や当時の周囲の人々も知っていると書いた上で、「未成年」ではないと訂正を入れている。

・映画について無知なのに映画批評などをやっている
→Sに比べれば無知だろうが、Sは四半世紀前の私の印象で書いていると思われる。美術作家を廃業したあとの2004年くらいから10年くらいの間は毎日のように映画を見、以降はネットのポータブルサイトなどで200本近い映画について書いてきた。「無知のくせに偉そうに書きやがって」と思っているのだろうが、やって来た依頼に応じているだけで、無論、批評家でも評論家でもない「文筆(活動)家」という立ち位置で書いている。

・いつのまにか「引退した大芸術家」という設定になっている
→アーティスト「廃業」について著作他で書いたことは何度もあるが、「引退」とは言っていない。当然(元)「大芸術家」などと思っていないし、そういう扱いもされていない。

・昔、もう一人の美術家と大野と三人で作品を作った時、自分が主なアイデアを出したのに1円もらっていない
→S、N、大野の三人の共同制作において、そういう金銭のやりとりをする前提はなかった。経費などもできる限り三人で折半にしていた。

・共同制作者の一人なのに、自分だけ美術家でないということで疎外された
→2001年頃、名古屋の中学を会場にした『学校が美術館』展の話。展示計画に際して三人の名前を出しているのに、展覧会企画者でのちに『学校が美術館』という本を出した四宮敏之氏が、Sの名前だけそこに入れなかった。我々は四宮氏に厳重に抗議し、内容証明付き郵便を送付した覚えがある。非常に冷淡な反応だったので今でも腹が立っている。

・岸政彦に叱られた
→私のツイートを岸氏が批判と受け取り、直接「叱る」こともなく私をブロックしただけ。そのあとで、怒っていたことは知ったが的外れな怒りだとは感じた。

外山恒一に叱られた(大野はいつも誰かに叱られているのを議論と勘違いしている)
→外山氏が最近の私のツイートに異論を述べたのを見たのだろうが、あれを「叱られた」と取るのは人を上下関係で見ているからだろう。外山氏のここ一連の”騒ぎ”について、私は外山氏とは別の見方をしている。ただ、外山氏が私の意見を一部評価していることも、彼のここ数日のツイートを見ればわかるはずだ。

 

映画オタクで幅広い知識を持ち自主制作映画で海外の映画祭で賞を獲り、東京に出て行ったSのその後が、当初思い描いたようにはまったくいかず、その悔しさを今もひきずっているとしたら、「映画について無知」なはずだった私が、今、映画コラムなどを書いていることに対してどうしようもなく癪に障るという感情も、理解できないことはない。
Sの私に関するツイートには、名古屋で活動している人々を一段下に見る東京中心主義、権威主義が強く見られる。自分が一度は海外や東京でプロとして認められたという実感があるからだろう。もちろん私の映画コラム内容への批判はいくらでも書いていい。しかし、あそこまで嘲笑的で人を愚弄するような文言と一緒にしか書けないという状態は、相手はズブの素人だが自分はプロであり中央で認められていたのに、というルサンチマンが拗れてしまっているのではないか?と思われても仕方ないだろう。
私は、自主制作時代のSの作品を高く評価していたし、その後に期待もしていた。しかし、いろいろなことが積み重なって思うようにいかないことは、誰の人生にもある。自分の人生のうまく行かなさは結局自分で引き受けるしかないのであって、鬱屈したその苛立ちを気に入らない相手への誹謗中傷にして書いていいということには決してならない。

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さて、Sが9月20にツイートした私に関する発言をRTしているアカウントのうちで、21日現在確認しただけで4つは、私が読書会を通じて参加している名古屋弁法研究会と以前から敵対的な、名古屋のQueer+s(クイアーズ)界隈によるものである。クイアーズのマスター、通称エサマンがいかに問題のある人物か、彼と名古屋弁法研究会所属の人々がどのように対立していったか、またそこに外山恒一氏が仲介役として入った経緯などは、冊子『自称・救援ノート』に詳しくまとめられている。
https://x.com/anatatachi_ohno/status/1926120867685114148
その後、外山氏はエサマン及びクイアーズ界隈と決裂している。
https://x.com/toyamakoichi/status/1518833199807311873

またRTの少なくとも2つは、外山恒一氏の目下の”騒動”において、強いアンチ外山的発言をしていたアカウントのものである。私を外山氏側だと単純に見做したゆえに、私に関する真偽不明の誹謗ツイをRTしたのは明らかだ。いずれもクズとしか言いようがない。

 

 

2015年にSから来たメールへの返信。Sは実名を公開していないため、名前の箇所は消してある。