「帰りたい」公園で保護された認知症男性が死去 名乗った「京都市中京区生まれの田中清」は戸籍なく
約10年前に京都市内の公園で保護され、滋賀県高島市の施設に入所していた認知症の男性が、昨年9月に亡くなった。保護された当時に名乗った名前は戸籍になく、家族の有無や知人は分からないままだった。男性は亡くなる半年前まで京都新聞などの取材に応じ、自らの手がかりを探ったが、「京都に帰りたい」との願いはかなわなかった。 【グラフ】認知症の人の将来推計と行方不明者の推移 男性は「田中清」さん。京都市によると、2013年12月、公園で衰弱していた田中さんは警察に保護され、搬送先の医療機関で脳血管性認知症と分かった。本人が名乗った「中京区生まれ」の「田中清」は、該当する戸籍がなく、家庭裁判所で「田中清」名で就籍手続きが行われた。 記者は昨年2月、田中さんが暮らす高島市の施設を訪ねた。前年秋に取材を申し込み、本人も承諾していたが、体調を崩して入退院を繰り返していたため面会が遅くなった。 田中さんは車いすで、柔和な笑顔で迎えてくれた。右手などにまひがあり、会話も難しかったが、たどたどしくも絞り出すかのように、「天神川」「紙屋川」といった京都を思い起こさせる単語を口にした。 京都市は身元不明者として田中さんの情報提供を呼びかけていた。記事によって、親族でも知人でも田中さんを知る誰かにつながれば、と願ったがかなわず、半年後に亡くなった。 ◇ 田中さんが京都にどれほど強い望郷の念を持っていたかは、死後に知った。野宿者の生活・医療相談支援を行うNPO法人「ゆい」(京都市南区)の主任相談員で、田中さんの支援に当たっていた谷本千里さんは「出自を知り、京都に帰りたい気持ちを持っていた」と語る。 谷本さんは田中さんが衰弱して保護される以前、アルミ缶回収で路上生活していた10年ごろに知り合い、巡回でたびたび顔を合わせていた。当時から右半身にまひがあり、台車で体を支えながら二条城前や五条大橋近くの自販機を回っていたという。 断片的な話をつなぎ合わせると、田中さんは中京区の円町出身で、型友禅の職人だったが、仕事中のけがで染めや絵付けができなくなった、という。ただ、谷本さんは家族や知人の有無までは踏み込んで聞けなかった。