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難民認定が「賭け」である理由 ダニエル・カーネマン他『NOISE』解説・友野典男

好評発売中のダニエル・カーネマン最新刊、『NOISE――組織はなぜ判断を誤るのか?』(ダニエル・カーネマン、オリヴィエ・シボニー、キャス・R・サンスティーン:著、村井章子:訳/早川書房)。医師の診断や裁判、または難民認定など、均一な判断が前提とされる場面において、判断のばらつき(=ノイズ)はなぜ起きてしまうのか。
この記事では『行動経済学――経済は「感情」で動いている』などの著作がある友野典男氏による『NOISE』収録の解説を特別公開します。

NOISE――組織はなぜ判断を誤るのか?

『NOISE』解説(元明治大学教授 友野 典男)

難民認定の許可は審査官によって大きく違い、アメリカでの調査によると、ある審査官は申請の5%しか許可しないが別の審査官は88%許可するという例があった。難民に認定されるかどうかは賭けをするようなものなので、この調査のタイトルは「難民ルーレット」である。

経験豊富な精神科医10人が参加した調査では、百人近い患者の診断を行なったところ、2人の医師の意見が一致したケースは57%にすぎなかった。別の調査では、二人の精神科医が患者数百人を別々に診断したところ、結果が一致したのは54%だった。しかも医師によって特定の診断を下す傾向があり、ある医師は鬱病、別の医師は不安神経症の診断を下す確率が目立って高かったという。

前科のない2人が偽造小切手を現金化したため有罪になった。詐取した金額は、一人は58ドル40セント、もう一人は35ドル20セントであった。ところが量刑は前者は懲役15年、後者は30日だった。別のよく似た着服事件では、一方が懲役117日、他方は20年だった。

この種の判断は、専門家が下したのだからほぼ一致するのが当たり前のように思えるし、一致して欲しい。しかし、実際にはそうはいかないようだ。専門家の判断に対する信頼が揺らぎかねない衝撃的な事実である。これらは、本書の著者たちが挙げている、アメリカでの実際のあるいは実験によって明らかになった事例であるが、著者たちはこのような判断のばらつきを「ノイズ」と呼び、本書のメインテーマに据える。

 ダニエル・カーネマン、オリヴィエ・シボニー、キャス・R・サンスティーンの共著である本書『NOISE──組織はなぜ判断を誤るのか?』は、ノイズを見い出し、原因を探り、組織や社会への悪影響を明らかにし、解消策を提案する大著である。

著者の一人ダニエル・カーネマンは2002年度のノーベル経済学賞を受賞しており、行動経済学の創始者の一人として名高い。前著『ファスト&スロー あなたの意思はどのように決まるか?』(早川書房)でカーネマンは、直感的判断の間違いや、多様なバイアス、それらが意思決定に及ぼす悪影響について、多くの説得的な事例をもって私たちに知らしめてくれた。そのおかげで、適切な意思決定の障害となる直感やバイアスについてよく知ることができたが、驚きも多かった。バイアスがいかにたくさんの種類があり、いかに意思決定を歪めているか、そして直感がいかにあてにならないかということである。

バイアスというとジェンダー・バイアスや人種バイアスといった差別を生みかねない偏見(バイアス)が話題になることが多いが、それらに限らず直感的思考にはさまざまな偏り(バイアス)が存在することを、カーネマンは明らかにし、私たちに教えてくれた。本書『NOISE』は、『ファスト&スロー』の続篇であり、補完的な役割を果たす。ノイズもまたバイアスと同様に「直感がもたらすエラーの一種」であるので、両書を合わせて読むことで、判断や意思決定におけるエラーや不確実性についての理解が深まるであろう。『ファスト&スロー』は行動科学・行動経済学の必読書としてベストセラーとなっており、本書『NOISE』もまたこの分野で不可欠の文献という地位を獲得するに違いない。

ノイズとは何か、ノイズとバイアスはどうちがうのかという点について著者たちは、射撃のたとえを用いて説明する。的に向かって射撃し、標的から同じ方向に外れているときにはバイアスが存在し、標的からばらばらの方向に外れていればそれはノイズなのである。冒頭で紹介したように、プロフェッショナルたちが一生懸命に真面目に取り組んだとしても、どうしても出てしまうのがノイズである。意識して起こしているわけではないし、生じていても気づかないのだ。本書中の次の言葉がよく物語っている。「判断のあるところノイズあり」(上巻22頁)。

判事などのプロフェッショナルたちの判断は常に同一であるべきであろう。しかし上で見たように、このような判断にはばらつきが生じる。複数の専門家を抱える組織では、このようなノイズ(システムノイズ)はなかなか避けられない。著者らは、システムノイズは「不可避的に入り込む好ましくないばらつき」であるとしている(上巻33~34頁)。

さらに、同一の人が同一のケースを判断するのに、いつどんな状況で判断するかによって結論にばらつきが出ることがある。著者らはこのばらつきを「機会ノイズ」と呼び、会議では驚くほど機会ノイズが大きく、誰が最初に発言したかのような本質的でない要因によって結論が大きくちがってくると指摘する。

ではノイズがあるかどうか、またあるとすればどの程度あるのかは、どうすればわかるのだろうか。著者たちは「ノイズ検査」という方法を提案する。ノイズ検査は、同一のケースを大勢に評価してもらい、結果にばらつきが出ればノイズの存在がわかるという検査方法である。検査法自体は本文を参照して頂くほかないが、興味深いのは次のことである。それは、ある保険会社で2人の専門職に個別に見積もりを依頼し、2人の金額の差がどれくらいあるかを経営陣に予想してもらったときの予想内容である。予想でもっとも多かったのは「10%以下」であり、次は「15%以下」であった。しかし検査の結果は、なんと55%もの差が出たのだ。これがノイズの実態なのである。「ノイズは、あなたが思うよりずっと多い」(上巻22頁)。

本書で著者たちがもっとも力を入れている部分は、第5部「よりよい判断のために」ではないだろうか。ノイズは重大だ、でも減らせる、という信念と熱意が第5部の8つの章および「まとめと結論 ノイズを真剣に受け止める」にこめられている。

著者たちは、ノイズ削減手順を「判断ハイジーン」と呼ぶ。ハイジーンとは、予防的衛生管理といった意味であり、手洗いと似ていると言う。手洗いがどんな菌やウィルスを防いでいるのか、事前にはよくわからないのと同様に、判断ハイジーンもどんなノイズを防いでいるのかはわからない。しかし、確実にノイズを防止する効果を持つと著者らは主張する。

下巻の「まとめと結論 ノイズを真剣に受け止める」では、判断ハイジーンの理念とも言える原則が全部で六つ挙げられている。それらの中で著者たちが特に強調していると思われる原則が三つある。

一つ目は、「判断を構造化し、独立したタスクに分解」せよである。課題をいくつかの要素に分けて、個別の独立したタスクに分解して判断することである。面接試験にはバイアスやノイズがつきものであるが、それらをなるべく排除するために、一回にひとつの項目だけを採点する「構造化」という方法がある。それを判断にも適用せよというのがこの原則である。カーネマンは選択肢を「候補者」のように扱うべきと述べる。

二つ目は、「独立した判断を統合する」ということである。一つの事案に対して独立した多くの人が判断をして、その結果を集約すればノイズのない判断ができるというのが、この原則の主旨である。この原則で大事なのは、多くの人の判断がそれぞれ「独立」していることである。偉い人が最初に発言して全体の空気を支配してしまい、自由な発言も自由な判断もできないような会議を行なってはならないのである。

三つ目は、「直感を遅らせる」という原則である。このスローガンは判断ハイジーン全体を貫く思想であり、直感を使って判断するのは最後の最後でよく、それまではできるだけ多くの正確な情報を集め、論理的にきちんと分析すべきということである。直感にかなりの疑念を抱いているカーネマンにとって、前著『ファスト&スロー』で展開した、直感に対する懐疑と軌を一にしているように思われる。

ではどうすればよいのか? 計算式に当てはめれば答えの得られる方法をアルゴリズムという。人が判断するからエラーが生じるのであって、アルゴリズムに頼ってしまえばよいのではないか。アルゴリズムにはノイズはないからである。「ノイズを完全に排除できる唯一の方法はアルゴリズムである」(下巻253頁)。

簡単なアルゴリズムであっても、人間の判断より優れていることを示す好例が第22章で取り上げられているアプガースコアである。アプガースコアとは、一九五二年に医師のヴァージニア・アプガーが確立した新生児の健康状態を医師や看護師が判断するときの指標となるアルゴリズムであり、出生直後の新生児の状態を、心拍数・皮膚色・呼吸状態など五項目だけについて各二点満点で採点し、合計が七点以上であれば正常とみなすという判定法である。それまでは医師や助産婦の自分なりの判断で行なっていたため判断にはノイズがあり、新生児の死亡は多かったのだが、この簡単な判定法の導入により、新生児死亡の減少につながり、現在でも世界中で使われている(アプガースコア導入の経緯は『ファスト&スロー』第21章に詳しく紹介されている)。

この一見単純なアプガースコアが有効であることは、アルゴリズムやガイドラインがよく機能してノイズ削減に役立つことを示している。簡単でいいのだ。アプガースコアは、前述の判断ハイジーンの原則の一つである「構造化し、小さなタスクに分解する」を、みごとに満たしている。

判断におけるノイズ(およびバイアス)の重要性を強調すると、では人が判断しないでアルゴリズムやAIにすべて任せたらいいではないかという意見が当然出るだろう。これに対して著者たちは、アルゴリズムやガイドラインは人の価値観や好みに左右されないという点で優れているので、導入を図るべきだとするが、それらに100%任せるべきだとは主張しない。「アルゴリズムが重要な意思決定の最終段階で人間に取って代わるとは思えない」(下巻253頁)。

最後に著者らは、政府機関から、民間企業、病院、大学、法律事務所に至るまでのすべての組織がノイズ削減に真剣に取り組むようになった社会を夢想する。

そこでは、ノイズ検査が定期的に行なわれ、判断ハイジーン手順は習慣化されており、アルゴリズムや統計的視点が大幅に取り入れられている。

それによって、意見の対立が多くなったとしても建設的に解消される。その結果生まれるのは、コスト削減や効率性向上ばかりでなく、公共の安全や健康が改善され、回避可能なエラーが防止され、公平性という社会正義が実現する社会なのである。

 (『NOISE――組織はなぜ判断を誤るのか?』解説より)

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