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【コラム】「気候正義」という名の不正義: 強者の論理に過ぎない「飛び恥」への強烈な違和感

はじめに

数年前から「飛び恥」との言葉を耳にする機会が増えました。もともとはスウェーデンで始まった運動で、flygskam(英: flight shame)とも呼ばれています。
温室効果ガス排出量の多い飛行機の利用をやめ、なるべく鉄道やバスといった交通手段の利用を呼び掛ける運動です。

新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の流行により航空需要が大幅に低下したため、運動は一時的に下火になりました。しかし、ワクチンの普及によって航空需要が復活しつつあるいま、この「飛び恥」は欧州を中心に再び活発になりつつあります。

そんななか、気候変動を起こしてきた人たちと、気候変動の影響を受ける人たちが異なることに着目して、国家間や世代間の格差の是正を求める「気候正義」(climate justice)との概念も生まれています。

確かに、気候変動対策は急務です。また、気候正義が問題提起する「国家間や世代間の格差」にも一理あると感じます。
しかし、それ以上に、この「飛び恥」や「気候正義」の議論、とりわけこれを称揚する「キラキラ意識高い系」の人たちには強烈な違和感を拭いきれません。

「飛び恥」の抱える構造的な限界

結局は「高い運賃を払える」お金持ちの論理

まず、「飛び恥」が「強者の論理」である点を指摘します。

経路や時期、また乗客の年齢といった条件によって「鉄道・バスよりも飛行機が安い」ケースは多く存在します。
たとえば東京駅から梅田駅までの移動を比べると、東海道新幹線の自由席で東京駅から新大阪駅まで移動する場合は14,100円です。ANAだと28,010円で、JALだと29,360円。一見すると新幹線が安いように見えるものの、これはあくまで正規運賃です。

計算が煩雑になるため詳細な金額は割愛するものの、早期購入割引を活用すれば、ANAもJALも1万円前後まで下がります。また、当日に買える若者向けの割引(ANA: スマートU25、JAL: スカイメイト)や高齢者向けの割引(ANA: スマートシニア空割、JAL: 当日シニア割引)でも、11,000-12,000円前後です。
何の割引も活用せずに航空券を買う人は多くないと考えられますから、往々にして「新幹線よりも飛行機が安い」状況は容易に成立します。

また、「飛び恥」が盛んな欧州は日本よりもLCC(格安航空会社)の競争が活発ですから、やはり移動する区間によっては「鉄道・バスよりも飛行機が安い」場合は多いと考えられます。GoogleフライトやSkyscannerを眺めていても「この区間で、こんなに安いの!?」と驚かされるときは多々あります。

たとえば、これらの地域とは違うものの、東京からロサンゼルスの運賃が100円(燃油サーチャージおよび諸税を除く)のときもありました。燃油サーチャージおよび諸税を含めても4万円未満。しかも、東京からロサンゼルスには、言うまでもなく競合する鉄道路線は存在しません。日本国内や欧州域内のように、鉄道と価格競争が発生する区間なら、もっと安くなるのは容易に想像できますね。

それでも「飛行機よりも鉄道・バスを選ばなければならない」なら、旅行は「高い運賃を払えるお金持ちの特権」になってしまいます。

さらに、このように「脱炭素化のために飛行機と新幹線の競争をやめるべき」と主張する署名運動もあるものの、これも「価格競争によって運賃が下がり、より多くの人が旅行しやすくなる」点を見落としています。運賃が下がらなくても困らない人たちによる「強者の論理」との印象を、どうしても拭えません。

それでも「運賃が高くても鉄道やバスを選べ」とか「価格競争がなくなっても構わない」と無責任に言い放つなら、その傲慢な姿勢は「特権に無自覚」との指摘は免れません。
たとえば私の所属するNO YOUTH NO JAPANのメンバーの興味関心や、頻繁に取り扱っているトピックがそうであるように、気候変動対策に熱心な人たちにはジェンダー平等にも熱心な人が多く見受けられます。男女間の格差やLGBTQへの差別を巡ってはマジョリティに向けた「特権を自覚せよ」とのフレーズが頻出するのに、どうして気候変動対策では自分たちの特権を自覚なさらないのでしょうか。

「貧乏暇なし」を踏まえても「強者の論理」を抜け出せない

それに、飛行機の移動を鉄道に置き換えると、区間によっては余計に時間が掛かります。たとえば東京から福岡や函館に移動する場合、数十分ほど飛行機の方が早く着きます(搭乗・降機に要する時間により前後します)。

また、北海道新幹線が完成していないため、東京から札幌への移動は移動時間が段違い。飛行機から新幹線・特急にすると、移動時間はほぼ倍増(飛行機: 4時間弱、新幹線+特急: 8時間弱)。
もちろん運賃は飛行機の割引制度がお得です。

つまり、わざわざ飛行機ではなく新幹線で移動する場合、「片道の移動だけで1日を要する」ケースも考えられます。
たとえば東京から札幌への移動は新幹線と特急で約8時間ですから、9時頃に東京駅を出発しても、札幌駅に到着するのは17時頃です。夕方から観光するとなると、やはり選択肢は限られますよね。もちろん東京駅の近くに住んでいる人は少ないでしょうから、実際にはもっと移動時間が掛かります。また、旭川や帯広に行くとしたら、もしくは大阪や福岡から出発するとしたら、さらに時間が掛かります。
でも、飛行機だと、同じ時間に東京駅を出発しても、札幌駅に到着するのは13時頃です。少し遅い昼食を摂ってから、午後に観光できますね。帯広や旭川も、羽田空港から直行便でひとっ飛び。飛行機なら東京から札幌までの所要時間と大きな差はありません。大阪や福岡からの移動だと、もっと移動時間の短縮効果は大きい。

言うまでもなく、この時間差は帰路も同様です。新幹線で東京駅に早く着くには早起きしないといけないし、どんなに頑張っても東京駅に到着する時間を早くするには限界があります。つまり、新幹線だと「往復の移動だけで2日を要する」ことになりかねません。
でも、飛行機なら「金曜日の夜に発って、日曜日の夜に帰ってくる」週末旅行も簡単です。

よって、飛行機ではなく鉄道での移動を選ぶと、たとえば「仕事を多く休まなければならない」とか、出張だとしても「移動しながら仕事をしなければならない」といったケースが発生します。
前者の場合、「有給休暇を余計に取得しなければならない」だけならまだ良いものの、非正規労働者やアルバイトで生活費を稼がなければならない学生だと「得られたはずの賃金を失う」ことになります。
また、後者の場合も、移動しながらの仕事は生産性が落ちます。体力のある大企業ならまだしも、中小零細企業や個人事業主・フリーランスだと短期の業績にも影響を及ぼしかねません。

つまり、「移動に時間が掛かる」ということは、その時間の差分による機会損失・機会費用が発生するのです。
非正規労働者やアルバイトで生活費を稼ぐ学生の「貧乏暇なし」の切実な事情に鑑ても、もし早く到着できる飛行機ではなく時間の掛かる鉄道を使わなければならないなら、お金のない人ほど旅行しにくくなる構図です。
よって、お金の観点から「飛び恥」は「強者の論理」と言えます。

付言すると、先ほどの署名運動に寄せられたコメントのように、「鉄道の旅も良いものだ」との暢気な主張も見掛けます。しかし、それは単なる「個人の趣味」であって、たとえば政策には反映できません。また、短時間で手軽に移動できなければ客足も遠のくし、また出張にも支障を来します。それでも、お金や時間を掛けずに旅行したい人たちに「鉄道の旅も良いものだ」と暢気述べるなら、もはや差分の機会損失・機会費用を補填するべきです。

移動コストの増加が拡大する所得と地域の格差

それでも「気候正義」を重視する人たちは、もしかすると「お金のない人が旅行できなくなるのは仕方ない」と主張なさるかもしれません。しかし、もしそんな主張をするなら、私は真っ向から批判します。

なぜなら、もし旅行が「お金持ちだけの特権」になるなら、富裕層と貧困層の文化資本や社会資本の格差は拡大します。たとえば地方から東京にやってきてイベントに参加するとか、欧州の田舎からパリにやってきて美術品を自分の目で見るといった経験は庶民に手が届かなくなってしまいます。
これでは旅行のみならず、たとえば地方から東京に出てくることで得られる経験や人脈も「お金持ちの特権」になってしまいます。

都会と地方には文化資本や社会資本の絶望的な格差があります。
たとえば大学等進学率を東京都と他の道府県で比較すると、大きな開きがあります。どの都道府県でも男女差は最大で10ポイント程度なのに、地域差は最大で30ポイント程度にも及びます。
地方だと、高校を卒業するまでに出会う「大学を卒業して働いている大人」は下手したら医師や教師くらい。たとえば「コンサルティングファームや総合商社に勤めている」とか「霞が関の官公庁で働いている」近所の住人や同級生の親は地方だとあり得ません。また、日々の生活で得られる情報の量や、自分の進路やキャリアにヒントやインスピレーションを与えてくれる機会も、都会と地方では圧倒的な差があります。すると、必然的に都会と地方では「キャリアの解像度」とか「大学進学の意義への理解」に地域格差が生じるし、進学や教育へのモチベーションすら都会と段違いにならざるを得ません。

この是正には、地方の人たちが都会の文化資本や社会資本に触れる機会や経験を増やさなければなりません。そのためには地方間の移動に必要な費用や時間を減らす必要があります。
もちろん本来なら地方の文化施設や教育資源を充実させるのがベストながら、コストに鑑みると、その現実性は高いと言えません。そこで、せめて機会や経験だけでも分配して、地方の人たちが都会の文化資本や社会資本にアクセスしやすくする必要があります。

しかし、気候正義のために「お金のない人が旅行しにくい社会」を許容するなら、地方の若者(特に、お金に恵まれない家庭に生まれた場合)は、たとえば「大学に進学する意義」を認識できません。もし安く都会に移動できていたら、刺激を受けて一念発起して、奨学金を獲得して進学できたかもしれないのに。
いったい、この格差の拡大を許容する「気候正義」のどこが「正義」なのでしょうか。どう考えても「不正義」です。

付言すると、たとえば北海道のように、鉄道の採算が取れず廃線や廃駅が相次いでいる地域もあります。そんななか、「気候変動対策として飛行機を使わない」としたら、駅のある街までバスで移動して、そこから特急や新幹線を乗り継がないと遠出できません。心身ともに疲れるし、お金も時間も掛かります。
また、沖縄ほか南西諸島や伊豆・小笠原諸島だと、どう考えても飛行機に頼らざるを得ません。用事があるたびに本州まで何日も掛かるフェリーに乗るのは無理があります。
このように飛行機が「遠出できる唯一の現実的な交通手段」の地域もあるなか、もし「飛行機を使わない」としたら、その地方の人たちは気軽に遠出できず、都会の文化資本や社会資本を微塵も得られません。また、この点は後述するものの、その地域は観光客も呼び込めません。

もっと言えば、飛行機で行けば早く簡単に移動できるなか、わざわざ鉄道やバスを選ばなくちゃいけないなら、たとえば大学受験や就職活動でも地方出身者はいまよりも大きく不利になります。
大学や企業が都会に偏在している構図を考えると、地方出身者は入試や面接のため、地元からの移動を余儀なくされます。鉄道やバスの長距離・長時間移動で疲れたまま入試や面接に挑まなければならないなら、自宅から簡単に通える受験生・就活生に比べて地方出身者が不利なのは自明ですよね。疲れを取るために予め早く上京するなら、宿泊費も余計に発生します。
質の高い中高一貫校や塾・予備校は都心に偏在しており、ただでさえ大学入試は「都会出身者に有利な構図」です。また、就職活動も「地方出身者は不利」とされています。
わざわざ時間も体力も浪費する交通手段を選ばなくてはならないなら、大学受験や就職活動で「地方出身者が不利な構図」は強化されてしまいます。

「飛び恥」は地域格差の観点からも「強者の論理」であり、また「気候正義」は地方の若者たちの芽を摘む意味でも「不正義」です。

「会って話す」ことで生む平和と「足を運んだ経験」で得られる共感

それでも、もしかすると気候変動が唯一絶対の正義であると勘違いしている人たちからは「たとえ地域間の格差を拡大するとしても、長距離移動を控えるべきだ」と主張されるかもしれません。しかし、「簡単に長距離を移動できる」ことは相互理解や国際協調の観点からも意義があり、「世界の平和と安定に貢献する」とも言えます。

私がロンドンに留学して得た最も大きなものの1つは「外国人留学生の友人」です。国籍や人種・民族はもちろん、言語や文化も異なる相手と一緒に食事や議論をする経験は相互理解や信頼醸成に繋がります。歴史認識や内政・外交といった話題も、お互いを知っているからこそ本音や実情を話し合えるし、これはオンラインでは不可能もしくはハードルが高いと感じます。よって、TeamsやZoomを活用してオンラインでコミュニケーションを取れる現代でも、やはり「実際に会って話す」重要性は揺らぎません。
たとえば私が防衛・安全保障政策を考える上でも、もしくは中国の軍拡や海洋進出を批判するときでも、ロンドンで仲良くしてくれた中国人留学生の存在は良い意味で「ブレーキ」と「スタビライザー」になっています。

言うまでもなく、国の政策や方針は批判するとしても、一般市民に責任を負わせたり、ましてや差別したりしてはいけないのは当然です。しかし、その「当然」を理解できない人たちが大勢いるのも、残念ながら確かです。Webでは依然として中国人や韓国人を差別する投稿も散見されます。
でも、その攻撃的な人たちに、もし中国人や韓国人の友人がいたらどうでしょうか。もう少し相手を理解しようと努めたり、中国や韓国の政策や政治家の言動に思うところがあっても、もう少し丁寧に腑分け・要素分解して捉える努力をしていたりするはずです。
つまり、お互いに顔の見えるコミュニケーションを重ねたからこそ、過度に攻撃的にならずに済んだり、不要な暴発や衝突を防げたりするのは間違いありません。特に、民主主義国家の日本では、政治家や外交官のみならず、一般市民も視野を広げ、良識を培う意義は大いにあります。

それでも「国家間の関係を前に、個人の友好や信頼なんて吹けば飛ぶようなものだ」と仰る方もいるかもしれません。確かに、残念ながら一理あります。しかし、その一方で「凍てついた国家間の関係を温め直し、少しずつ再構築していく」のは個人的な関係や民間交流です。たとえば、いま盛り上がっている日本と台湾の友好関係も、地道な民間交流の結実ですよね。

また、遠くで事件や戦災・テロが起きたとき、その土地に足を運んだ経験があるほど「共感」を生みやすいのも、間違いありません。観光にせよ出張にせよ、その場所に赴いたからこそ感情移入しやすいし、心配にもなります。
たとえば昨年のハロウィンにソウルの梨泰院で起きた雑踏事故に日本で注目が集まったのは、単に「あの事故が悲惨だから」というだけでなく、「若者や、韓国ドラマ・韓国アイドル・K-POPのファンといった多くの日本人観光客がソウルに足を運んだ経験があるから」という側面もあるでしょう。実際に、あの事故では日本人の若者2名も巻き込まれており、たとえ新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の流行の影響が残るなかでも、ソウルや梨泰院が日本人にとって身近な場所だったことが伺えます。

さらに、「自宅からは想像しがたい、遠方の光景を実際に自分の目で見つめる」経験が視野を広げてくれるのも、間違いありません。
たとえば、おととしに北海道旭川市を訪れたとき、市内の繁華街は新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の流行のため、金曜日の夜(いわゆる「華金」)にも関わらず、人っ子一人いいませんでした。旭川空港は中国や韓国からの国際線が運休、東京や大阪からの国内線も減便。主に旭山動物園への観光客で成り立っていたであろう現地の観光産業は明らかに苦境を迎えていました。

その実情を自分の目で見たからこそ、私は「都会で立案される政策・都会で盛り上がる議論」と「地方の実情」の乖離をもっと真剣に考えるようになりました。
裾野が広い観光産業の実態に鑑みるに「直接給付」もおよそ実効的とは言い難いなか、地方の窮状への想像力を欠いたままの議論をしても、およそ「地に足が着いている」とは言い難い政策が生まれるだけです。これでは誰のためにもなりませんよね。
先述のとおり、日本は民主主義国家ですから、政策を議論し、社会について考えるべきなのは政治家や行政官だけではありません。彼(女)らの手綱を握る一般市民こそ視野を広げて、見識を高める意義があります。

どんなに画像や映像のクオリティが上がったとしても、「その土地の空気を吸った」経験は何事にも代えがたいものです。まさに「百聞は一見にしかず」。
だから、多くの人がどんどん遠出をして、見知らぬ世界に足を踏み入れていくことには相互理解や国際協調といった観点で大きな意義があります。気候変動対策も重要ながら、そればかりを優先してしまえば、本来なら得られたはずの共感や連帯、もっと言えば国際社会の平和や安定すら結果になりかねません。
いくら気候変動対策が重要でも、失うものが大きすぎます。もはや「正義」を自称するのが烏滸がましすぎます。

「飛び恥」はアジア各国や島国の事情にマッチしない

この「飛び恥」はアジア各国や島国の事情にマッチしにくい点も考えなければなりません。

この「飛び恥」は欧州で始まり、欧州で活発になった運動です。確かに、欧州はアイルランドとアイスランドを除けば、大半の主要都市間は空路を使わずに移動できます。Googleマップによると、ヘルシンキ(フィンランド)からリスボン(ポルトガル)であっても、約3日を要するものの、ヘルシンキからタリン(エストニア)までの短距離フェリーと、そこからの鉄道・バスを乗り継げば、陸路と僅かな海路で移動できるようです。
ここまで極端な例でなくとも、たとえばパリからフランクフルトやベルリンまではケルンで乗り継げば、半日くらいで到着できるようです。また、ロンドンからパリやブリュッセルも、ユーロスターで繋がっています。さらに、シェンゲン圏内の移動なら原則として出入国審査はないため、国境を楽に超えられます。
それに、国家間や都市間を結ぶ路線はスペインやポルトガルを除いて標準軌(1,435mm)が主流であり、欧州には国境を超えた鉄道網を整備しやすい土壌が存在します。
だから、お金と時間が余っているなら、確かに欧州では「飛び恥」が一応は成立します。

しかし、アジアにおいて、各国間や主要都市間の移動は飛行機に頼らざるを得ません。もし飛行機を廃止できるとしても、せいぜいシンガポールとクアラルンプールの移動くらいでしょう。この区間は既に長距離バスや不便な鉄道があるし、さらに高速鉄道を建設する計画もあります。

確かに、日本にも、一応は大阪や博多・下関から釜山、もしくは大阪・神戸から上海までの国際フェリーが存在します。でも、毎日運航されるわけでもないし、移動時間も掛かります。しかも、東京からだと、大阪・神戸や福岡・下関まで足を運ばなければなりません。とても現実的ではありませんよね。やはり日本から国外に移動するには現実的に飛行機が不可欠です。

日本のほかにも、たとえば離島で構成されているフィリピンやインドネシアも、空路なしには国外はもちろん、国内の移動すらもハードルが高い。また、ベトナムやタイを始め、インドシナ半島の国々は国境を超える鉄道網が発達していないし、山に囲まれた狭隘な地形が多いことから今後の建設も容易ではないでしょう。さらに、東南アジアにはシェンゲン協定のような取り組みがないため、陸路で国境を超えるたびに出入国審査があります。
それに、タイではメーターゲージ(1,000mm)が、インドネシアでは狭軌(1,067mm)が一般的ですから、欧州のような国境を超えて乗り入れる鉄道の建設には物理的に大きな課題があります。

今後、国家間を超えた鉄道網がアジアでも発達すれば検討の余地があるにせよ、いま「飛び恥」をアジアで普及させるには明らかに限界があります。また、もし中国や東南アジアで新幹線のような高速鉄道網が発達しても、日本ほか島国や、外交的な理由から北朝鮮と往来できない韓国は依然として飛行機に頼らざるを得ません。

「鉄道で移動できる範囲」と「鉄道網を発達させられる限界」が欧州とアジアで大きく異なる実情を認識しないまま、「飛び恥」を無邪気に輸入するのは「愚の骨頂」です。
飛行機に乗るのを恥じるのではなく、自らの不見識こそ恥じるべきでしょう。

「飛び恥」を無邪気に輸入する「キラキラ意識高い系」への違和感

飛行機なしで、どうやって地方のサービス産業は都会や外国から客を呼び込むの?

地方の観光産業ほかサービス産業の実情を鑑みても、無邪気に「飛び恥」を輸入しようとする「キラキラ意識高い系」への強烈な違和感は拭えません。

たとえば、先述のとおり、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)が流行する以前は旭山動物園への観光客で旭川市の観光産業が賑わっていました。また、旭川市が全国各地や外国から観光客を呼び込むには地元の空港と国内線の空路が不可欠です。さもないと、観光客は東京から何時間も掛けて移動を強いられます。
移動時間が掛かるほど観光客の足が遠のくのは言うまでもありません。せっかくの土日や3連休で出掛けようにも、わざわざ片道の移動で1日が潰れる場所にはなかなか行きませんよね。また、たとえば日本への1週間や10日間の旅行のため羽田空港や成田空港に降り立った外国人観光客のうち、いったい何割が1日を片道の移動で潰してまで遠方に足を運ぶでしょうか。

つまり、「飛び恥」が浸透して空路や空港が衰退するほど、首都圏や阪神圏といった人口密集地、もしくは主要空港から近いサービス産業だけが儲かり、移動時間や交通費で不利な北海道や九州といった都会から遠い地域はどんなに頑張っても観光客を呼び込めず、いま以上に寂れてしまいます。確かに旭山動物園は魅力的な施設ながら、いくらなんでも東京や大阪、ましてや外国から何時間も掛けて足を運ぶのは「かなりの物好き」に限られるでしょう。

付言すると、「飛び恥」によって移動時間や交通費が上昇するほど、人口密集地や主要空港に所在していない(=地方に所在している)企業は競争力を失います。東京や大阪はお金のみならず、優秀な人材や最新の情報も集まりやすく、これらの大都市からアクセスが悪くなればなるほどビジネスでは不利になりがちです。
すると、企業は地方に拠点を置くべき理由が失われます。よって、「飛び恥」に伴う移動時間や交通費によって、サービス産業に限らずあらゆる業種で「地方の空洞化」が起き得ます。

地方の魅力や特色を守るためにも、また地方のサービス産業や雇用を維持するためにも、都会と地方を短時間で、かつ可能な限り安く繋ぐ「空路」の存在は不可欠です。結局、「飛び恥」は「都会の論理」なのです。

飛行機にあって新幹線にない「乗り継ぎ需要」

また、「都会から地方」だけでなく、「地方から都会」への移動も考えなければなりません。飛行機にあって新幹線にない要素が「国際線への乗り継ぎ」です。
地方に暮らす人たちが観光や出張、もしくは留学で羽田空港や成田空港まで鉄道で向かえば、否応なく「乗り換え」が発生します。これから外国に行くための重い荷物を持っているのに、えっちらおっちら新幹線から在来線やモノレールを乗り継いで空港に向かうのは大変ですよね。
でも、地元の空港から空路で向かうことができたら、出発する空港で荷物を預けるだけで、簡単に羽田空港や成田空港で飛行機を乗り継げます。これは新幹線には絶対にできません。

もっとも、東アジアや東南アジアといった国々の航空会社が全国各地の主要空港(新千歳、中部国際、関西国際、福岡ほか)に乗り入れているように、乗り継ぎの利便性だけ考えたら、確かに「乗り継ぎ地は羽田・成田空港でなくても良い」と言えるかもしれません。しかし、結局はソウルや台北、香港やシンガポールといった都市で目的地まで乗り継ぐわけで、「どうせ乗り継ぐなら羽田・成田空港でも良い」と言えます。ソウルやシンガポールで乗り継ぐのは良くて、羽田・成田空港で乗り継いではいけない理由はありませんよね。
また、内需拡大の観点からは「どうせお金を払うなら国内に航空会社にして、なるべく国内でお金を循環させよう」とも言えます。どうせ燃料代は最終的に産油国に行き着くとしても、たとえばパイロットや客室乗務員の給与は国内での消費に結びつきます。さらに、日本の航空会社が取引する企業は当然、国内企業が多いと考えられるため、日本の航空会社を利用すれば国内企業の利益にも繋がります。なるべく国内の航空会社を利用すれば、巡り巡って私たちの懐に入ってくるお金になるかもしれません。
政策として航空自由化は進めるべきとしても、どうせ乗り継ぐならわざわざ外国の航空会社を儲けさせてサービス収支の輸出額を増やす意義はありませんよね。

それに、もし外国の航空会社を利用して乗り継げるとしても、それらの航空会社が乗り入れていない地方の空港は多くあります。また、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)が流行する以前は国際線が就航していた空港で、いまは国際線が運休しているケースも多くあります。
よって、乗り継ぎ需要に鑑みると、これらの地方空港から羽田空港や成田空港に向かう空路の重要性は揺らぎません。

「外国に行ける機会」の地域格差は教育機会やキャリア形成にも影響

それでも「乗り継ぎの利便性が損なわれるのは仕方ない」と主張する人がいるかもしれません。しかし、これも「地域格差」を見落としている稚拙な主張です。

「飛び恥」のために乗り継ぎの利便性が損なわれるということは、地方から外国へ赴くハードルは上がります。地方ほど「外国に行ける機会」は減少します。
一方で、どんなに「飛び恥」が進んでも、羽田・成田空港や各地の主要空港と外国の主要都市を結ぶ国際線は残るでしょう。都会では「外国に行ける機会」が依然として残ります。

いまでも「外国に行ける機会の地域格差」は歴然として存在します。
たとえば私の生まれ育った群馬県は羽田空港や成田空港から遠く、実際に「最も空港から遠い都道府県」だそうです。実際に、小中学校や高校の同級生を見ると、外国に行った経験や、そもそも飛行機に乗る機会が乏しい人たちが大勢います。一方で、東京に来てから出会った友人知人と話すと、外国への観光や出張、もしくは留学が地元よりも遙かに一般的だと感じさせられます。空港へのアクセスの利便性や優位性による恩恵は非常に大きいと言わざるを得ません。
(確かに、地元の公立小中学校の同級生と、都内の大学や諸コミュニティで出会った人たちの出自や社会階層が違う可能性も考慮するべきながら、それを踏まえても、「苦労せずに空港に行ける」地理的な優位性のインパクトを感じさせられます。)

もし国内線を衰退させれば、もっと「空港から遠い場所」が増えるでしょう。つまり、「飛び恥」を進めて国内線の路線を衰退させるほど、「外国に行ける機会」の地域格差が拡大します。「気軽に外国に行ける都会」「羽田・成田空港に辿り着くまでが大変な地方」の格差です。

これは単に「移動が大変」というだけに留まりません。たとえば地方ほど観光や出張の機会が減るわけで、やはり都会と地方では得られる知見の格差も生じます。たとえば地方の企業は外国のマーケットを知らないまま製品を作ったり売り込んだりする羽目になりかねません。

また、この「外国に行ける機会」の地域格差は教育機会やキャリア形成にも影響します。たとえば「外国に行ける機会」は留学の機会にも直結します。つまり、中学生や高校生が外国に足を運んで語学力を実地で培ったり、留学経験をAO入試や就職活動でアピールしたりする機会にも地域格差が生じます。もちろん、語学力を培える機会の格差は資格取得や就職・転職活動といったキャリア形成にも影響します。

つまり、無邪気な「飛び恥」は教育機会やキャリア形成でも地方出身者を不利にします。
たとえばジェンダー平等の議論において、「女性が不利になる格差」は是正が強く求められます。でも、なぜ「地方が不利」になるような施策が「正義」を名乗るのでしょうか。まったく理解できません。

飛行機なしで、どうやって地方の農業・漁業や製造産業を維持するの?

いままでは「旅客輸送」の観点から「飛び恥」を批判してきたものの、「貨物輸送」の観点からも「飛び恥」を検証する必要もあります。

まず、先述の署名活動が主張する「国内で運賃の競争が発生しない状態」が成立すれば、旅客のみならず貨物でも余計な輸送コストが発生します。つまり、たとえば北海道や九州の事業者が生産品を都会で売ろうにも、輸送コストのため都市近郊の同業他社に太刀打ちできなくなってしまいます。もちろん、羽田・成田空港や主要空港から生産品を輸出して外国で販売するときも、コスト面で不利になります。

また、国内の輸送コストが下がらないと地域間の競争が発生しにくいため、都会では農作物や工業製品の値段も下がりにくくなります。これらの生産物を活用するサービス産業(たとえば飲食店)の価格も同様です。この観点からも、「飛び恥」は「消費者物価が高くても構わない人たちの論理」と言わざるを得ません。
それに、これでは空輸する口実を得やすい海外の生産品が、もはや国内の生産品よりコスト面で有利になりかねません。

さらに、「飛び恥」によって国内の速達性が損なわれると、生鮮食品の輸送もハードルが上がります。すると、地方の生産者は都会まで早く運べたら付加価値を付けて高く売れたはずの農作物や海産物を、近所で安くを売らざるを得ません。もちろん、羽田・成田空港や主要空港まで陸路で運ぶ時間によって、輸出も難しくなります。
また、この構造は輸出のみならず輸入でも同じです。都会では外国から空路で輸入した生鮮食品を素早く入手できる一方で、そこから先は陸路で運ばざるを得ないなら、地方では外国産の生鮮食品の入手が困難になります。これでは地方で国内産と外国産の競争が発生しないため、地方でも農作物や消費財の値段も下がりにくくなります。

しかも、国内の輸送コストが上がれば、都内の大手企業が地方で工場を維持するインセンティブも減ります。地方から都市近郊や外国に工場が移転すれば、その工場で働いていた人たち向けのサービス産業も衰退してしまいます。よって、「飛び恥」を追及すると、地方の空洞化や失業者の増加は必至です。やっぱり、この観点からも無邪気な「飛び恥」は「強者の論理」ですよね。

つまり、国内線の飛行機を減らせば、旅客輸送のみならず貨物輸送の時間やコストも増え、地方の産業は大きく不利になります。また、地域間や国家間の競争が発生しにくくなるため、都会でも地方でも、農作物や消費財の物価は上がらざるを得ないでしょう。地方の産業は衰退を余儀なくされ、しかし物価は輸送コストのため高止まり。これでは、特に地方経済はスタグフレーションに陥りかねません。
よって、貨物輸送の観点からも、無邪気な「飛び恥」は明らかに物価や地方経済を気にしない「強者の論理」です。もしそうでないなら、単に「考えが足りないだけ」と言わざるを得ません。

おわりに

確かに、気候変動対策は急務です。そこで、環境への負荷を抑えるため「できる限り飛行機の利用を控えよう」というのは理解できます。
たとえば航空会社が環境性能の高い機材を導入するとか、SAF(Sustainable Aviation Fuel: 持続可能な航空燃料)を活用するといった施策は必要でしょう。また、ユーザーが環境への意識が高い航空会社を優先して選ぶとか、東京と大阪の移動をなるべく新幹線にするといった取り組みも考えられます。
さらに、交通政策として、地方から飛行機に頼らず羽田・成田空港を利用しやすくする(新幹線と羽田・成田空港の接続性を高める)とか、たとえばシンガポールとクアラルンプールの高速鉄道を整備するというのも、議論としてはあり得ます。

しかし、飛行機の利用を一律に「恥」と位置づけて、あたかも航空会社や空路が悪者であるかのようにレッテルを貼る雑な議論には賛同できません。目的地に安く、早く辿り着ける飛行機によって生じる恩恵は、決して気候変動対策のため無視・軽視できるものではありません。
お金や時間の観点から、飛行機が移動のハードルのみならず、国家間・地域間の垣根を下げているのは明らかです。また、飛行機と鉄道・バスのコスト競争が地域間の公平性に貢献していたり、地方の繁栄や産業維持に繋がっていたりする構図も、決して無視できません。さらに、安易な「飛び恥」ムーブメントは「地方と外国の接続性」を軽視している点からも、やはり「地方への解像度が低すぎる」と言わざるを得ません。しかも、アジアや島国の事情を考えると、もともとの「飛び恥」自体が「欧州中心主義である」との指摘を免れません。

そして、実際に遠方や外国を訪れてみるとか、現地の人たちに会うとか、外国人と仲良くなるといった経験が国家間や地域間の障壁を取り除き、相互理解や国際協調に繋がっている面も重要です。実際に足を運んでみないと分からないことや、会って話して初めて気づくことも多々あります。だから、多くの人たちが旅をして、どんどん見識を高めたり、視野や見聞を広めたりする意義は大いにあります。「各地を安く旅行できる」というのは、それだけで世界の平和や安定に繋がっていると言っても、過言ではありません。

しかし、気候正義を掲げながら無邪気に「飛び恥」を広めれば、お金に恵まれない人たちや、地方に住む人たちは物心ともに貧しくなります。アジアや島国の人たちは国内を移動するだけで「悪者」になりかねません。また、国際社会の平和と安定からも遠のきかねません。
いったい誰のための「正義」なのでしょうか?
むしろ、様々な格差を拡大しかねない時点で、どう考えても「不正義」です。「気候正義」との単語に自己陶酔している場合ではありません。
これらの観点から、無邪気な「飛び恥」と「気候正義」は根底にある問題意識は重要だとしても、結局は「強者の論理」に過ぎません。

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【コラム】「気候正義」という名の不正義: 強者の論理に過ぎない「飛び恥」への強烈な違和感|堀口 英利 | Horiguchi, Hidetoshi
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