松阪・飯高町赤桶 水屋神社 春日大社お水送り、伊勢と大和の国分伝説 | まーりんのまりんエッセンス

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水谷神社

三重県松阪市飯高町赤桶2507

 

 

 

 

 

そのまえに・・・

いかにして この神社に辿りついたのか

わらしべ長者並の

行き当たりばっちりぶりも書いておきたい。

 

 

 

 

*****

 

新米を玄米でゲットすべく

道の駅美杉(三重県津市美杉町上多気)まで。

 

御杖をすぎて美杉までくると「奥伊勢」という表示がでてくる。地図をよくみると、通ってきた道は「伊勢本街道」となってる。

あと少しがんばったら伊勢湾、伊勢神宮にとどきそうだというところ。

 

でもきょうはね、

ガソリン残量が微妙で、あまり自由きままに走れない。残念。

 

せめて周りを偵察して帰ろうと、

道の駅づたいに、美杉~茶倉~飯高まで回ってみた。

 

 

 

伊勢奥津

美杉町上多気・下多気

粥見

粥見井尻遺跡

飯南

飯高

有間野

 

 

 

 

んんん!

茶倉で気づいたんだけど、

「櫛田川」がそばを流れてるじゃんよ

 

 

 

 

おお~これがあの櫛田川か~~~

 

 

神崎・櫛田宮(櫛田三神=須佐之男・櫛稲田姫・日本武命)

博多・櫛田神社(大幡主(櫛田大神)・天照皇大神・素盞嗚(祇園大神))

松阪・櫛田神社(大若子命・櫛玉姫命・須佐之男・天忍穂耳・市杵島姫)

 

 

櫛田、の地名

 

 

飯高に行こう!と思ったのは、櫛田川を遡上する道沿いだから。

 

 

櫛田川ってどんな感じだろう

 

櫛田川に沿ってのぼってみよう!

そのまま宇陀・室生→都祁・針・水間ルートで帰宅ぞな。

 

 

 

で、ついたぞよ 道の駅 飯高(いいたか)

 

 

 

この辺ってなんか、、、信州、みたいな感じがする

空気感が。

 

建物の感じもなんとなくだし

飯高で飯縄を連想するというのもあるかも

 

でも理屈じゃなくて空気が「あれ?これ知ってる」どこだろう、と思ったら諏訪周辺の感じ

自分でも意外だったんだけど。

 

 

 

長野 戸隠のとなり飯縄山の飯縄権現

東大寺二月堂の鎮守のひとつ、飯道神社の飯道権現、こちらは甲賀の飯道山

いずれも山岳信仰で、飯縄権現がダキニとも烏天狗ともいわれ(本地は地蔵菩薩)、飯道権現は飯道神や宇迦御魂、のち熊野本宮から分霊して伊弉冊尊・速玉男・事解男。

 

なーんか 関係あったりしないかな

 

 

周辺地名に、飯南、飯高、粥見

 

 

 

ん?何て読むの?

 

 

ちんぷ?

 

いや、「めずらしとうげ」って

 

珍布 めずらし

 

珍しっていえば、

浮羽の珍敷塚(めずらしづか)古墳しか知らん。

 

 

 

 

 

 

 

 

地図ありますやん

道の駅なら必ず?ある、近隣の観光案内、大判のやつ。

 

 

その一点に眼が引き寄せられ…

 

 

 

 

飯高をさらに西に、櫛田川を遡上すると

 

川が蛇行して きゅ、と曲がったとこに

水谷神社。

 

(川系の神社、きゅ、と曲がったとこによくある)

 

 

説明のあたまに「春日大社」ってある。

あ~春日大社にあるわな、水谷神社。あの水谷神社?

 

春日さまの原点ともいえる重要なお社。

若草山の山焼きを観にいって、水谷さんの前を通る際にごあいさつしたら。参拝が終わった次の瞬間、ドーン!と雷が落ちたような音が響き、水谷さんの社殿越しに大輪の花火がみえた。一発口火を切ると、次々と打ち上がる花火。水谷さんがみせてくれた。驚きと感動で身動きできなかった・・・という、あの水谷さんね。

 

 

※春日大社摂社は「水谷」、こちらは「水屋」

おっちょこちょいのわたしはこの時点で気づいてない

 

 

それが櫛田川沿いにあんの?

こら行っとかないかんやろ。

 

 

 

 

・・・片側一車線の道路をすすむと

 

うおっ!鳥居じゃ~

 

 

 

 

鳥居の前は空いてるけど

車を止めちゃだめって看板が。

 

 

車を停めれる場所を探して

駐車して戻ってきて

冷静に神社前をみると・・・

 

 

車道をはさんだ反対側に

 

これドラム缶4~5本の大きさなんだよ

 

これは?赤桶

 

あかおけ、じゃないんだよ

 

これでAko(あこう)と読むんだよ~!

 

赤穂との関係は?

 

 

そんで 

 

水屋の「閼伽桶」(あかおけ)なんだよ~!

 

 

赤と閼伽の相関。

 

 

 

 

 

いや雄弁だね

 

赤=閼伽

 

 

 

 

 

赤桶の位置から撮った、水屋神社。

 

 

 

 

 

 

 

 

鳥居の向かって右手に並んだ掲示板を

全部掲載しておきますね!!!

 

 

 

 

 

お水祭りの水屋神社

 

閼伽桶の井

赤桶区内北垣戸に鎮座

毎年七月三十一日夜、水神輿渡御

 

水屋神社縁起

創建

千余年前、大和の春日大社の安在所として天児屋根命を奉斎す。

その後大化四年(648)奈良の御笠山から素戔嗚尊、龍神姫尊及び櫛名田姫尊を勧請す。

和銅三年(710)興福寺東門領「閼伽桶の庄」となり慶長五年(1600)関ヶ原合戦以後伊勢領となる。

当社に遺る南北朝時代文中二年(1373)の棟札にも大和州閼伽桶庄宮と記されており三殿並立の朱塗の春日造も明治二十五年現在の神明造に改められた。

 

閼伽桶の井とお水送り

清和天皇貞観元年(859)十一月九日、春日大社に水送りし正月暦を刷ったと伝う。諸病平癒、諸願成就、水商売繁盛の霊水なり。現在は七月三十一日祇園宵宮に水みこしが本社に渡御する。

 

水屋の大楠

神木にして天然記念物、樹齢千年以上、根廻り二十九メートル樹高三十五メートル春日さま、お稲荷さまを祀る。

 

礫石の伝説

当社裏の香肌峡(※かはだ)六百メートル下流に石灰岩の巨石があり礫石と呼ぶ。左岸の上の古道に歌碑あり、弘化四年(1847)大庄屋、滝野知雄が、「流れてはむかしに帰る川俣川礫岩うつ水の白浪」と刻み、往古和歌山街道を往来する旅人はこの石に礫を投げ、一度で当たれば男児出産するとて旅情を慰めた。

伝説は昔お伊勢さまが白馬に乗って珍らし峠にさしかかられ水屋の森の奥から鹿にまたがった春日さまが出迎えた。二神は伊勢と大和の国境を決めるため笹舟を浮かばせ、巨石を投げ笹舟の留まる処を境とした。これ以後高見山が両国の境になったという。

 

宮家の御信仰

一品京極宮家仁親王の胡佐の宮誕生報恩の令旨が奉納されている。

 

本居宣長の歌碑

当社の西方二百メートル赤桶橋たもとに建つ

いにしへにたがおこなひしなごりとて名にはおひへん閼伽桶の里

 

 

 

※「千余年前、大和の春日大社の安在所として天児屋根命を奉斎す。その後大化四年(648)奈良の御笠山から素戔嗚尊、龍神姫尊及び櫛名田姫尊を勧請す。」

 

⇒ この縁起では、春日大社ができる100年以上前に春日大社から勧請したことになっている。

(春日大社公式では創建768年、実際の祭祀は奈良時代初期に遡るとするが、それでも大化4年(648)には及ばない)

 

水屋神社は春日との結びつきを明確化するために春日大社、天児屋根命の名を出しているが、

春日大社って本来は素戔嗚、龍神姫・櫛名田姫の社(水谷神社)だった? そして春日大社ご神体山の御笠山(若草山)の神は、武甕槌以前に素戔嗚、龍神姫だったのでは。

 

 

※和銅三年(710)興福寺東門領「閼伽桶の庄」→慶長五年(1600)関ヶ原合戦以後伊勢領

710年は平城京遷都の年。このタイミングで興福寺領。その名も「閼伽桶の庄」。

最初から春日大社との関係、この地の役割=閼伽の供給が暗示される。

 


 

 
 
 
 
 
 
 
2枚目の板。
 

 

 

伊勢と大和の国分伝説と礫石のいわれ

むかしむかし、白馬に乗ったお伊勢さまが赤桶の里の峠にお越しになりました。

そして「誰か国ざかいを知る者なきや」とおっしゃいました。

すると水屋の森から鹿に乗った白髪の翁が出迎えました。

お伊勢さまは「あら珍しや 春日の神ではないか」と喜ばれ 伊勢と大和の国境を決めようと笹舟を作り、そばにあった大石を川中に投げ入れ、舟の止まったところを境にしようと約束されました。

大石は礫のように投げられました。波は逆まき笹舟は川上へと押しやられやっと舟戸の里で止まりました。波はさらに高見山を越え杉谷村で消えました。

お伊勢さまは「おっと過ぎたにおっと過ぎたに」と手を打って喜ばれました。両国の境は高見山と決まりました。

 

今も礫石と呼ばれて巨石が珍らし峠の麓の川中に、でんと据わっています。

往古、和歌山街道を往き来する旅人は、この礫石に小石を投げ当たれば男子が授かるとて旅情を慰めました。

礫石の上の小道にひっそりと歌碑が建っています。

 

ながれては

むかしに帰る 川俣川

礫いはうつ水のしら浪

 

弘化四年春 滝野知雄(ともかつ)

 

と刻まれております。

 

 

 
 
 
※礫石や展望所、荒滝不動、閼伽桶の井など
みるべきものはあったはずだが
ガス欠のおそれ、藪蚊の襲撃のため、神社周辺をゆっくりみることはできなかった
(次回があるか?)
 
 
 
 
 
さ、三枚目の板。
 
 
 
 
 
 
3つ目の国分伝説。
 
 
神代の昔、伊勢の神様である天照大神(あまてらすおおみかみ)が白馬に乗って旅をなされ、現在の飯高町宮前と赤桶の境にある峠(*1)にさしかかられた大神は「伊勢と大和の国境がどこにあるか知る者はいないか」とお尋ねになられた。すると水屋の森から白髪の翁が大神の前に現われた。
「おや、お珍しい。天児屋根命(あまのこやねのみこと)ではないか」
春日の神である天児屋根命は峠の下を指して、「この下の境ヶ瀬が伊勢と大和の国境でございます」と申し上げた。
この国境に疑問を持たれた大神は、石を川に投げ入れて波のとどまったところを国境にしようと天児屋根命に持ちかけられた。
大神は、そばにあった大石(*2)を軽々と持ち上げられ眼下の櫛田川に投げ入れられたところ、大量のしぶきが上がり滝のように落下した。
その様から、このあたり一帯を”滝野” と名付けられ、
その波が打ち寄せた場所を”加波(かば)”、”波瀬(はぜ)”、”舟戸(ふなと)” などと呼ぶようになった。
結局、大神は「今日のこの日より高見山を国境としよう」とおっしゃり、伊勢と大和の国境は高見山を境に分けられることになった。
 
 
*1 珍布峠
*2 礫石
 
 
 
 
 
 
国境となった高見山は、櫛田川が発する地。
その先は、北は宇陀、南は東吉野川上村。
 
宇陀は、宇陀川→名張川→木津川
吉野は、熊野に流れ込む水系と、紀の川に流れ込む水系をもつ
 
つまり、国境とは川の境界だったのではないか。
 
川は、水運、山から海側へ物を運ぶ幹線道路
これを 春日大社ができるより以前から司っていたものたちがいるはず
高見山のふもとの「舟戸」 
その意味は、船着き場。ここまで船を上げていたのではないか。
筑後川沿いの「船越」、矢部川沿いの「船子屋」のように。
 
 
 
鹿に乗った白髪の老人
春日大神=志賀大神=櫛田大神=塩土老翁
 
 
 
 

 

 

 
乳峯、黒滝、柿野、花岡、八柱、栗野八柱、波瀬、有間野、水屋、粥見
 
 
 
あれ、意外なことに
この辺りも八柱をお祀りしている。
八柱、八王子は奈良ではかなりしぼられた地域だけにみられるのに
  ↓↓↓
 
 
 

 
 
 
んん? お水送り6月11日?
 
さっき最初の看板で
「現在は七月三十一日祇園宵宮に水みこしが本社に渡御する」って書いてたじゃん?
 
それが7月27日のお水祭りなのかな?
 
 
そして
東大寺二月堂のお水取り・若狭神宮寺のお水送りに呼応するように
春日大社にも水屋神社からお水送りがなされていた。
 
 
 
一説には
大仏建立で有名な鍍金等による水銀などのために奈良の水は汚染され、清らかな水を必要とした
 
しかしもしそうなら、お水送りは年一では済まないはず。
うーん、でも時間がたつにつれて汚染問題は沈静化し、お水送りも儀式化したのかもしれんし。
 
伊勢の丹生鉱山は、有名で昭和48年まで採掘された。
赤桶は 多気丹生の丹生鉱山の産地→奈良の経由地といえるのではないか
 
 
※追記
丹生で採掘された水銀は、近くを流れる櫛田川を下り、射和に運ばれました。水銀の精錬・加工をする一方、それを原料に化粧品や医薬品として珍重された射和軽粉(伊勢おしろい)を製造し、これにより射和の商人は莫大な財をなしたと云われています。
赤桶は、櫛田川という輸送ルートの上流側という位置づけ?
 
 
そしてまた、丹後赤坂など『赤』の付く地名は辰砂(朱砂)の産地を暗示しているという話がある。すると、赤桶は、閼伽桶という音通で水を指すと思ったが、水ではなく水銀の可能性もあるだろうか。
 
 
いっぽうの若狭
中央構造線上にない若狭湾周辺にも、丹生地名、丹生神社があり、水銀鉱床がある。
遠敷明神が遅参のお詫びにと若狭から送った水は、白と黒の鵜となって二月堂の若狭井から溢れ出た。白と黒の二羽の鵜、二鵜=丹生。
 
 
 
ほんとうは、伊勢も若狭も、奈良に水銀を送ってきたのだろうか
 
しかし水銀(みずがね)を水だというのは、
それほど水銀の集団中毒の災禍の記憶が抜き難いからだろうか
 
 
 
 
 
 
 

 
 

 

 

 

 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
この石は通称”さざれ石”と言われ、岐阜県揖斐郡春日村産である。
学名 石灰質角礫岩。古今集に天皇の大御代の弥栄を寿ぎ祈り此の石の如くましませと詠まれ、後に一部が改作され我が国の国家となった。
永年のうちに小石が集結するという誠に目出度い石である。原歌作者藤原石位左衛門の後裔四十八代目が春日村小宮神に定住され、歌人小林宗一翁により発見されたものである。

 

 

 
なるほど
わしなんかは
志賀海神社の山誉め祭の祝詞が君が代になった、
と思ってきたけど
 
揖斐郡春日村というのもまた
縁がありそうな地名
 
 
 
 
ようやく境内

 

 

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
右、右!ご神木の圧迫感が
 
 
 
 
 
 
拝殿からでて右手にまわる
 
 
 
 
神宮遥拝所
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
!!!写真だとスケール感伝わりにくいけど、さっきまでの巨木の倍の太さ!!!
でたよ、がらがらどんの三番目の兄貴、ラスボス。
 
 
 
 
 
 
うへえ~大魔神!すごい御神氣
 
 
 
あら 大魔神は本殿の真裏になるのね
本殿鰹木5本じゃない?鎮霊社は6本だったよ
どうしてかしら
 
 
この状態↑から振り向くと↓
 
 
キャーッ
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
手をつないでるみたいだよね
どうみてもニョロニョロのお化け
肌感で樹種が違うとわかる
 
 
 
 
 
 
 
あの・・・
 
左手に大きな矢と◎がみえててね
 
遠目でそれみた瞬間に、「あ、ヤマト」ってきたんだよ
 
矢・的→や・まと→ヤマト
 
「かまわぬ」的な でも頭で判じたんじゃない、見た瞬間にきたから
近くでよくみて写真も撮ろうと思ってたけど、忘れてた
でも神社さんは これでヤマトだとは言ってないんじゃないかな
 
大和か倭か
なにかここはヤマトの大事なところだったみたい
伊勢と大和の国分け伝説あるし
 
 
 
 
 
 
社務所前の立て札
 
赤桶の先祖たちは清和天皇の貞観元年(859)十一月九日より
この閼伽水を汲み取り ひとまず水屋のお社に捧げ 龍神姫に奉告し春日大社に奉って
正月暦を刷ったと伝えられています。
 
七百有余年続いたこのお水送りは天正五年(1557)の兵乱で途絶しましたが 平成十四年四月春日大社神事用の閼伽水奉納が四百二十五年ぶりに復活し 現在では請願成就商売繁盛等の霊水として毎年七月三十一日の祇園宵宮に二振りの赤桶を乗せた水御輿が閼伽桶の井より本社へ渡御されています。
 
 
 
んーごめん 繰り返すけど
お水送り 令和七年は六月十一日になっとるやん?
式次第というか、御神事の流れとか詳細がいまいち、わからん。
 
 
道の駅 茶倉でゲットした伊勢茶のペットボトルに
さきほどの「水屋の波動水」もろた。
 
道の駅 飯高から水屋神社に向かう段階で、なんかお水採ることになる気がしてて、ペットボトルもう一本買っとくか?と思ったけど、ま、伊勢茶のだけでいいっしょ、て思ったんだよね
 
 
 
 
 
あら。車進入禁止の裏側
 
 
 
 
 
○ 春日さまへのお水送り 赤桶、閼伽桶の井
○ 伊勢と大和の国分け伝説
○ 大魔神大楠 春日と伏見稲荷を祀る
 
 
 
トピックあり過ぎだよ
なかなか濃い滞在でした。
 
 
 
 
 
 
ふっふっふ 美杉でゲット もうそろそろですよ♪
 
みんなまるまる太ってるなか、手前のが規格外のデカさ
こんな大きいの、生まれて初めて見たばい。
うーん何と比べたらよいの?マウスの半分くらい。キングオブキングス
 
 
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