大事なことなので

☆固定画像☆

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19921. 匿名 2020/01/05(日) 23:45:24 

>>19909
先輩がる民さんの書き込みで知ったのだけど美智子さんは毎年夏は2ヵ月軽井沢で過ごされてたとか。やりたい放題か!2ヵ月も東京を留守にして支障なかったなんてどうなってたの?

画像はどなたかのTwitterから。

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20444. 匿名 2020/01/06(月) 12:16:33 

>>19921
軽井沢大好きなら軽井沢に永住すれば良いのに。

 

19932. 匿名 2020/01/05(日) 23:53:22 

>>19921
ミチコさんは一生懸命「アタクシは既に庶民としての戸籍のない女。実家には帰りませんの」アピールしてたけど
しょっちゅう帰ってる事は昭和の時代でもバレてたよw
うちの親も言ってたもん「またミチコさん里帰りだってよ!!」と

ミチコさん、弟いたよね
弟との話題もよくニュースになってたから余計に実家によく行ってることがバレてしまった

19988. 匿名 2020/01/06(月) 00:35:57 

>>19921
そうそう、だから上皇の姉・成子様がお亡くなりになった時
毎年恒例のバカンスの方が大事な美智子様は、喪が明けるのをイライラしながら待っていたのでしょう
それが清々したとでも言いたげな白ワンピと紅白テニスウェアの
開放感あふれる軽井沢バカンス写真に繋がったのだと思っています

多分この人は、喪に服すどころか、「なんで今の時期○ぬのよー」

くらいにしか思っていなかったと思います

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20085. 匿名 2020/01/06(月) 02:38:44 

>>19921
初めて知ったわ。大昔のことは知らないので。雅子さまが病気になられた時、小和田家も軽井沢に別荘があるので、8月だけ静養に行かれたのよ。そうしたら、週刊誌がご静養するなら那須の御用邸とか、色々あるじゃない。自分の家の別荘に行くなんてと批判したのよね。うるさいなあ。心の病だから、気兼ねない実母の所で静養するのが一番いいじゃない。私の唯一見た正田家の写真は皇太子時代、日清製粉の工場に行って社長である父親から説明を受けてる写真。母親が隅に着物に割烹着を着てうつ向いて立っていた。記事には娘が嫁いでから簡単に会うことも出来ないと書いてあった。それを見て、自分の会社に来ても話しかけることも出来ないんだと思ったのよ。なあーに💢この写真、隣同士で座ってるじゃない!

 

20090. 匿名 2020/01/06(月) 03:03:58 

>>20085
美智子さんは正田家の別荘に滞在してたのではなく千ヶ滝プリンスホテルまるごと貸し切って滞在だそうです。それでいて雅子さま叩かれてても知らんぷりってこの方一体どうなってんの!?

20135. 匿名 2020/01/06(月) 08:04:57 

>>20085
ヘタクソな画像でゴメンだけど、結婚直後からこれだけ帰ってる

下の画像は、母親をコンサートに呼んでる
こんなの小和田家は無かった

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20151. 匿名 2020/01/06(月) 08:27:43 

>>20135
赤ちゃんを抱っこするのに毛皮のマフラーにバッグかぁ、それに抱き方が危なっかしいよね。ご成婚以来お里帰りは六度目だってさ~😥

20154. 匿名 2020/01/06(月) 08:34:30 

>>20151
赤ちゃんを抱っこしてるアテクシ、素敵な母親でしょ?

20188. 匿名 2020/01/06(月) 09:08:43 

>>20151
虐められてたどころかやりたい放題。
これでよく皇后陛下と実家がーって叩けたよね。
この人キッチリ国民にこのことを明らかにして罰されて欲しい。

 

21782. 匿名 2020/01/07(火) 17:15:58 

>>20085
ミテコ実家とのつながり証拠は沢山ありすぎて

まとめきれないよ~

ワガママ美智子は結婚前から正田家族とべったりだった!

主な資料は

「母・富美子さんと密会のとき」文藝春秋2009年五月特別号

(成婚前から正田家に仕えて来た澤田氏(仮名)談)

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▶【お妃教育は母親同伴】

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【直通電話】
婚約発表の直後、正田家に引かれた東宮仮御所との直通電話が、ご成婚後は富美子さんの部屋に移され、その後も使われていたという。
「お部屋にお茶を運んでいくと、お母さまがよく電話されていました。美智子様とお話されているときはすぐわかるんです。にこにこされていますから」 (お手伝いさん)

◆1959年(昭和34年)4月10日成婚(「仮御所」は渋谷の常盤松御用邸)


【里帰り】
1959年(昭和34年)4月27日(成婚から17日目)
テロップで(結婚から17日目に実家に帰られた皇后さま)

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おじぎ

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牧野女官長お迎え

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【軽井沢】1959年(昭和34年)8月(成婚から3か月)
「ご夫妻は千ヶ滝プリンスホテルにいましたから、南が丘の正田家の別荘には簡単に来れます。来るときの警備員は五、六人ですが、お2人が別荘に入ると、一人か二人が残って、あとはどこかに行きましたね。千ヶ滝から、殿下が車を運転して来られたこともありました。・・・」 「母・富美子さんと密会のとき」

【参内】1959年(昭和34年)(成婚直後から両親が動けなくなるまで?)
「電話だけですまないときは、その足で東宮仮御所に向かった。お忍びでも。皇太子夫妻が正田家を訪れるとなれば警察官を動員しなければならないが、富美子さんなら警護も必要ないから東宮も気が楽だったのだろう。」
「仮御所には正田家の車で行っていました。あの頃はBMWだったかな。その前はオペルでした。仮御所へはお一人で行かれることが多いのですが、ときどき英三郎さんと一緒のときもありました」
「仮御所へはよく手作りのスープを持参したという。時間が無いと「銀座の資生堂パーラーに電話して、魔法瓶に入れてもらうんです。美智子さまの好きなコーンスープでした」(お手伝いさん)
「冨美子さんは、子供四人それぞれに育児日誌を付けていたが、浩宮が誕生する直前、美智子妃を育てた時の育児日誌を東宮に持参している。」
とくに頻繁に訪れるようになるのは、浩宮を出産した頃だったという。
「赤ちゃんができると、いろいろ相談したいことがあったんじゃないでしょうか。 女官には頼めないものもあったようで、たとえば『これ、買っておいてね』と、頼まれたこともあったようです」 「母・富美子さんと密会のとき」 

「ご出産の予定日は三月二日。美智子さまのお母さん正田富美さんは、そのニ、三日前から宮内庁病院へ詰めることができる段取りが決まり、このごろは一週間に一ぺんぐらい、東宮仮御所を訪れ、あれこれと美智子さまの健康に注意されている。」週刊現代(1960年1月 2(1)号)「皇室と“男女平等”美智子妃のご出産を迎える宮内庁」

 

21783. 匿名 2020/01/07(火) 17:18:12 

>>21782
◆1960年〈昭和35年〉2月23日浩宮さま誕生
1960年2月23日宮内庁病院に入る正田英三郎・富美夫妻の動画と写真

youtu.be

 

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◆1960年(昭和35年)4月東宮御所竣工(仮御所から引越)

▶【里帰り】1960年5月(1961年1月19日の報道写真に記載あり)
▶【軽井沢】1960年8月
「お忍びでよくいらしてました。・・・浩宮さまが生まれたあとですが、ミルクを作るのでお湯を沸かしてくださいと言われたことがあります。藤のベッドをご持参されて、そこで寝かされていました。」 「母・富美子さんと密会のとき」 
1960年8月11日?軽井沢(生後5カ月で胸ない!)

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右写真だっこされて不安そうな浩宮さま

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【準皇族?】最初の訪米時には、富美さんが羽田空港で花束を渡してました。
1960年昭和35年10月7日米国旅行から帰国で、羽田空港には、天皇皇后両陛下のお使いとして三谷侍従長が出向くほか、各皇族、ご親戚や正田英三郎夫妻、池田相以下閣僚、外交団代表など約100人がお出迎えされた。

【参内】ガルちゃんコメ
>美智子ファンだった母の話だと、浩宮さまの赤ちゃん時代に美智子さん夫婦が海外公務で留守の間、実家の正田家の両親が浩宮さまのお世話をしにしょっちゅう東宮御所に来てたそうよ。
帰国後、浩宮さまが甘やかされたから、もう実家の親には世話を頼まないと美智子さんが怒ったこともあったとか。

【里帰り】
1961年(昭和36年)1月19日成婚から1年9か月で「正田邸への里帰り」は6回目

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アップ

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【里帰り】
「両殿下は御忍びでよく正田家にお見えになりました。皆さんが思っている以上に来られています。そのたびに私は 『手伝いに来てくれ 』 と呼ばれるのです。私の役目は、侍従とか女官の相手をすることでした。お母さまは、お二人が見えられるとほんとにうれしそうなお顔をされていましたね。夕食はわりと中華料理が多かったと思います。就寝時間があるのか、食事をすませると、お子様だけ先にお帰しになり、そのあと、両殿下はゆっくりとすごされました」 「母・富美子さんと密会のとき」

21795. 匿名 2020/01/07(火) 17:31:29 

>>21783
【葉山御用邸で父親と静養】
1963年昭和38年3月22日流産
4月17日から3か月間流産を理由に静養して7月2日帰京
「附属邸は海ぎわながら細長い庭にはスロープがある。その木立に三脚を立て、キャンパスに絵筆を揮ったり(時には父英三郎と並んで画策を立て)、」「美智子妃」 河原敏明 著  講談社 刊(昭和62年10月12日 第一刷発行)120 p

浩宮さまは5月11日まで約1月会えず、それ以降もほとんど会えなかったのに、自分の父親は呼び寄せた

1963年昭和38年7月8日には軽井沢へ出発1か月避暑(白地に黒水玉ワンピ上野駅)

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旧天を探せ

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【里帰り】
「英三郎氏の古希の祝いや、夫妻の結婚記念日には、やはりご一家揃って正田邸を訪問なさっている。」学習院高等科で2・3年と浩宮の主管(クラス担任)だった小坂部元秀「浩宮の感情教育」
古希は1972年(昭和47年)?9月21日?

浩宮と3人で里帰り(旧天を探せ)

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【里帰り】
1967年6月19日美智子2年ぶり(両親の結婚記念日は海外だった?)

浩宮さまアーヤと一緒

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【軽井沢】
「毎夏、軽井沢にある正田家の別荘で、明仁皇太子一家と正田夫妻は過ごすことができた。」「天皇家のお茶の間」河原敏明著   イースト・プレス 刊1993年2月20日 第1刷発刊152p.
【軽井沢】
「年に1回正田家の別荘に、東宮ご一家が来られる。警察や侍従、女官たちがいるから完全な団欒とはいえないが、この日ばかりはジジ、ババとしてお孫さんたちを抱きしめ、用意の玩具で遊んだり絵本を読んであげられた。孫が長じては話相手になり、スポーツに興じることもできた。」「美智子皇后」 河原敏明著、講談社平成4年11月5日 発行第十三刷267p
【日清製粉のテニスコート(玉川用賀)】
「社員のための施設ですが、あのテニスコートは、生垣がびっしり茂っていて、外から見えないんです。お忍びでテニスをするにはちょうどいいんですね。殿下はテニスをしたあと、お風呂にはいって帰られました。五、六人ほど入れる湯船でしたね」
「それから正田家は鎌倉にも別荘があったので、両殿下は葉山に行かれたら、帰りには鎌倉の別荘に立ち寄られたそうです。お母さまは週末から行っておられたとか。 」「母・富美子さんと密会のとき」

 

21853. 匿名 2020/01/07(火) 18:38:40 

>>21795
この水玉ワンピの手つなぎ写真もヒドイね
全然子どもの手を握ってないじゃない
子どもに握らせてる
いつもそう
こいつ、母親の仮面をかぶってるだけね

 

21797. 匿名 2020/01/07(火) 17:34:50 

>>21795
【参内】
「浩宮さまのお誕生日には、招かれて東宮御所を訪問し、幼いころは冨美さんは鉄腕アトムの人形などをプレゼントして、皇太子を大喜びさせた。」「天皇家のお茶の間」河原敏明著イースト・プレス 刊1993年2月20日 第1刷発刊152p.

【準皇族?】
1968(昭和43)年2月1日美智子と冨美「桑島すみれハープコンサート」 (結婚後9年)

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「ときどき東宮のご招待で音楽会に行かれましたが、妃殿下のそばに座ることは絶対にありませんでした。たいてい、ずっとうしろのほうにそっと座ってました。写真を撮られるのをご遠慮してましたね。だから、ご成婚後はお母様と妃殿下が並んで撮った写真は、あまりないと思います」(澤田氏)「母・富美子さんと密会のとき」 

ときどき東宮の招待で音楽会に行って、写真に写らないように後ろに座ってたからわからなかっただけ!

【お見舞い】
1970年(昭和45年)3月正田英三郎入院(長期療養)マレーシア、シンガポール訪問から2月28日帰国直後にお見舞い(ヤングレディ1970年3月16日号)表紙目次

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【軽井沢】
1972年8月軽井沢駅手を繋いで歩く美智子と紀宮

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滞在期間が長いのでサーヤ(1969年〈昭和44年〉4月18日誕生)は軽井沢の保育園に通わされた。
「今月末で閉園する北佐久郡軽井沢町長倉大日向の聖ヨゼフ保育園で18日、最後の卒園式があった。・・・計938人が巣立った保育園・・・同園には紀宮さま(黒田清子さん)も通われたことがある。松本文恵園長(70)はあいさつで、皇后美智子さまからねぎらいの電話があったと紹介。」2011年3月19日 信濃毎日新聞
【準皇族?】サーヤの(柿の木坂?)幼稚園の授業参観に出席する美智子と富美

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【軽井沢】
1973年8月24日テニス見物中母の膝にもたれて苦しそうな体勢で眠る紀宮。狆

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同日眠っている紀宮、隣に兄浩宮

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1973年8月 軽井沢テニス場クラブハウス、

娘夫妻と同席し、孫のプレーと審判を観戦する英三郎・冨美夫妻

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【参内】「正田氏側も、浩宮様の誕生日などで、東宮に招かれることが、ままあるようだ。」学習院高等科で2・3年と浩宮の主管(クラス担任)だった小坂部元秀「浩宮の感情教育」
【参内】「学習院の先生たちを東宮御所に招待する時にもこの夫婦が来ていて「孫がお世話になりまして」と頭を下げるところから始まる。」「浩宮の感情教育」

【準皇族?】
1973年(昭和48年)11月14日母と一緒に東京・自由学園を視察、白帽子と大きな白襟

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【正田夫妻の墓所】(英三郎氏と富美子さんの墓が、正田本家の多磨霊園ではなく鎌倉霊園にある理由)
「ここに墓を建てることは、正田夫妻が生前に相談して決めました。鎌倉を選んだのは、美智子さまが葉山御用邸のお帰りに寄れるようにと考えたからでしょう」

「母・富美子さんと密会のとき」

 

~~THE END~~

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