10年前に三鷹の禅林寺に太宰治の墓参りにいったことがある。はす向かいには森林太郎こと鴎外の墓があった。境内には鴎外の遺言碑があり、お寺で彼の遺言書のコピーが売っていた。
森林太郎=鴎外が「東京方眼図」という地図を立案し春陽堂から発売したがその復刻版が我が家にあった。
とてもハンディでこれを手にして「東京を歩ける」ように工夫されている。

カバーをとるとかなり豪華な装丁になっている。表には「東国第弌之大鎮」とある。

「
東京方眼図」は東京の地図を縦は「いろは」から「ち」まで8分割、横は「一」から「十一」まで11分割の方眼で区分し、約2200項目の地名、有名地の索引を設け、それぞれの項目の所在地を地図上で特定できる工夫になっている。
例えば、夏目漱石の出身地馬場下町「ババシタチヤウ」は索引で牛込「と四」とある。

「と四」の方眼地図を見るとなるほど「馬場下町」が載っていて、場所がわかる仕組みになっている。早稲田大学の南だ。

そういえば「地球の歩き方」という海外旅行のガイドブックも同じ仕組みだったと思い出した。下の写真は「地球の歩き方ーースペイン」のあるページであるが「map P.178 / B1」で地図上でその場所を確認できる。鴎外の「いろは」が「ABC」に、「一二三」が「123」に変わっただけだ。

だから鴎外の「
東京方眼図」はいわば「
鴎外版 東京の歩き方」と言えそうだ。現代では地図の索引は「方眼」が当たり前になっているが。
ただ面白いのは「
東京方眼図」が明治42年に60銭で発行された翌年、

明治43年に雑誌「スバル」で鴎外は「青年」という小説を発表した。

その小説の書き出しは「
小泉純一は芝日蔭町の宿屋を出て、
東京方眼図を片手に人にうるさく問うて、新橋停車場から上野行の電車に載った」とある。ちゃっかり
東京方眼図の宣伝をしているのである。小説の主人公
小泉純一はーーーー純一郎ではない(純一郎だと郵政民営化だ)ーーー田舎から出てきて、
東京方眼図だけでは新橋停車場にたどり着けなかったのか「人にうるさく問うて」いる。その後も小説では「
東京方眼図を袂から出す」場面が出てくるが、便利に活用してるふうには思えない。
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