第三幕 吼えるもの

 暁霞シャオ・シアは迫る木剣を半身になりつつ躱し、右足で相手の剣を踏みつけると、迫る左の突き──木剣の鎬を裏拳で打ってへし折る。

 素早く左足を跳ね上げて、相手の首を狙った。受けるための木剣は、折っている。右の剣は踏みつけて封じていた。

 鋭い蹴撃しゅうげきが師範代の首を打ち据え、昏倒せしめる。


 二刀流──恵戸三大道場に名を連ねる鏡神冥智流もこの程度か。


「つまんね……もっとバケモンみたいなやつとやりたいんだよなあ」

「く、くそ……相手は、素手だというのに」

「なんてやつ、仙龍にはこんな武芸者がおるのか」


 筋骨隆々の連中が唸る。

 その時だった。外に、びりつく気配を感じたのは。


「……怪兽グァイショウ?」


     〓


 四月五日である、金曜日。

 巳の中刻(午前十時ごろ)。

 外では町民が行き交い、俥夫が車を引いて、裕福そうな成金男女があれこれと喚いている。貧富の拡大をまざまざと見せつけられているようで、狐春としてはいい気分はしない。

 御一新からこっち、座卓による支配体制が出来てから東条地域は変わりつつある──良い方にも悪い方にも。


 蘭学──得戸蘭土エルドランドを通じ、西洋の学術が入ってきて、それに対し庶民への理解が深まったのは良いことである。

 多くの学士らのおかげで医学、天文学、地理学、舎密セイミ(化学のこと)、窮理きゅうり(物理のこと)などの学問が大きく発達した。


 一方で、技は上がって肉体が劣るものが増え、さらにいえば、心を蔑ろにするものが多すぎるというのが、狐春の正直な感想だった。

 いずれ、効率だけを突き詰めた、精神的に不衛生で、肉体的に不摂生な社会が来るのは明白である。

 神仏はそれについて、どうお考えか。

 己にできることはなにか。姑息なその場しのぎなやり方ではいけない気がする。


 けれど、剣で変えるというのは間違っているように思えた。

 命を摘み取り、言論を奪ってまで世間を変えるというのは、それは違うと。力で黙らせ、圧し、屈服して得られるものなど高が知れている。

 支配による力を十とするなら、協力によって得られる力は千、万に及ぶと、狐春は思っていた。


「警視局は敵の手に落ちている」

 狐春は粘土にヘラですっと切り込んだような糸目をこれっぽっちも開くことなく、そしてつい今し方の思考を感じさせるほどに深刻そうでもなく、さらりとそう言った。


 二人の足卓テーブルには牛乳が置かれていた。

 ここには逆川さかがわ牛乳搾取場がある。数年前、牛乳搾取事業組合が発足された。

 とはいえ、しかとした業者を選ばねば、水増しされた薄っぺらい、シャビシャビなものが送りつけられるという椿事も起きるという。


 狐春は、苺牛乳を一口飲んだ。濃口の牛乳に、潰した苺の果実が踊る。

 牛乳は薬効があるとも言われており、また、料理にも使えることを西洋人が伝えてくれた。時に、山岳郷では山羊の乳を使っていたというが、それとはまた違う味わいであるというのは、もう有名な話。


 ここは麹町区。

 狐春は芳醇堂という西洋建築の茶館カフェで、果実を絞った果汁飲料を一口飲んだ。苺を潰して牛乳と混ぜた「苺牛乳いちごみるく」なる舶来の飲み物である。

 苺の甘味と酸味が、牛乳の柔らかな滑らかさに包まれ、粒々とした苺の噛み心地が愉快な一杯だ。


 秋唯は南条地域から仕入れている甘蕉かんしょう(バナナのこと)を潰し牛乳と混ぜた「甘蕉牛乳ばななみるく」を一口飲んで、顔をしかめた。飲み物のせいではない。狐春が言ったことに対し、得心がいかなかったと思われる。


「信じられるか? お前のせいで辞めさせられたが、警官だったんだぞ、私は」

「造反と言ってもいい。昨今あちこちで起きている穢れの氾濫に、外天の増加……これを可能とするには、組織力が必須。それともまさか、偶然でこれだけのことが起きていると思うほど、天下の尾張秋唯は堕ちたのかい?」


 狐春はずい、と顔を近づけた。秋唯は一瞬、こいつの鼻っ柱を潰してやろうかと思ったが、衆目の手前やめておく。


「そういう悪い奴らをとっ捕まえた警察が、それぞれの場で逃しているから起きてるんじゃない? あるいは押収した穢れの濃いものを捨てているとかさ」

「な……それは、……」


 ありうる、と思えた。

 警察は元武士や術師、その子息から発足された、元々は現在より独立した組織──坂東警視庁だった。だが相次ぐ反乱──現状に耐えかねた元士族や術師が起こしているのである──によって警察はその忠義を疑われた。

 端的に言えば「奴らと同類であるお前たちに自由を許せば、今後どのような反乱を起こすかわからない」というわけだ。無論、警官らにしてみればこの上ない侮辱である。

 しかし大警視・川路利徳かわじとしのりは我が子と言える警官をおもわばこそ、内務省管理下の警視局という立場に甘んじることにした。


 故に彼らは現在、内務省が管理する一局、警視局として預かられているのである。


 これと前後する形として、幕臣を要する組織がとして発足されたのち、警察と統合されてもいる。

 故にやはり、新政府──座卓に対し、よからぬ悪感情を抱くものは多いとし、警戒を見せる動きは多い。


 時に、軍隊はさておき、駅逓局えきていきょくですら拳銃の所持が認められているのに、警察が銃の携帯を許されず、警杖(要するに棒切れである)か、よくて一部がサーベルか刀の所持という有様であるのも、警官の不満を煽っていた。

 よく、秋唯の周りの連中も「ちっ、飛脚風情がピストルかよ」と悔しそうに吐き捨てていたことを覚えている。

「悪党はバンバン撃つのに、俺らは刀と棒だぞ。術すら使うなって有様だ!」と愚痴っていた者も、少なくない。そして決まっていうのだ。

「お国のために、誰よりも戦ってるのに!」と。


 駅逓とは要するに郵便屋。手紙──の中には、政府の公文書から機密文書も含まれ、現金輸送も行う。

 ゆえに、身を守る手段として拳銃を隠し持つことが許されている。

 それが警察にはたまらなく許せないのだ。


 かつて武士は天下に近い越権者だった。それが落ちぶれに落ちぶれて警察である。

 一方で駅逓は所詮飛脚。庶民だ。それがなぜか取り立てられて、成り上がってきた。


 互いに、互いを嫌っている。駅逓は「天下りの遺物ども」と、警察は「成り上がりの糞餓鬼ども」と──。


 しかし秋唯にはそのような感情などなかった。

 己はあくまで「おまわりさん」であり、悪者をたたき伏せ縛り上げることが役目だ。自分が悪党になったら、自分を打たねばならない。そんな、気のおかしな趣味は持っていない。

 だから自分は善良であろうと思っていた。幼い頃から曲がったことを許せぬ女だった。それだけだ。


 それに秋唯は自分の仕事に誇りを持っていたし、幸い、剣撃大会では頂点の座を取り抜刀警官に任命された。

 いつか狐春と決着をつけるために──そう思って剣を振るってきた。その時が来たと思えば、この男は泥酔しているではないか。


 ──いや、今はそれではない。

 秋唯は、「警察の反乱動機があるとしたら駅逓、もしくは内務省への待遇改善ってところだろうな」と淡々と言った。


「よかった、秋ちゃんは秋ちゃんのままだ」

「私は常に私だ。それ以上でも以下でもない」甘蕉牛乳を呷る。

 秋唯は口に合わないものは一口以上食べないが、この様子から察するに、甘蕉牛乳は気に入ったらしい。


「……光希君とは?」

「……追手は払っている」


 秋唯がこの坂東で警官をやっていることを、彼女の弟はおそらく知っている。お互い同じ土地にいると知った上で行動している。

 そもそもだが、坂東府はこの天海郷の中心都市。当然だが広い。顔を合わせる方が困難だ。

 けれど「追手」は確実に迫っていた。参河郷から──より正確には、父重右衛門の息のかかった連中が迫っている。


 彼らは手形もなく迫ってくるゆえ、とっ捕まえれば「違法な武具の所持、越境行為、之による厳罰としての罰金刑もしくは強制送還」の名目で牢にぶち込める。秋唯はそのようにして、弟・光希に迫る毒牙をへし折っていた。


「あいつは甘すぎる。私に勝る才を持ちながら、妖怪として必須の闘争本能がかけらもない」

「好ましいと思うよ。我が身さえかえりみないひとをみてると心配になる」


 狐春はそう言って、苺牛乳を最後まで飲み切った。


「俺はしばらくここに逗留する予定だ」

「まて、警察が危ないことを知らせるためだけに来たのか」

「嫁探しに来て、見つけた。秋ちゃんの心の準備ができるまで待つつもりだよ」

「なに!?」


 周囲の客が、こちらを見た。

「あ……いや。申し訳ない、知人に似た人が……すまないなんでもない。……おい、さっきのは冗談じゃ」

「冗談なものか。秋ちゃんは俺を幾度となく追い詰め、時に首を飛ばしかけた女だろう? そんな強い妖怪を嫁にできる機会はないよ。幸い俺はこれまで稼いだものがたんまりあるし、本当に、屋敷の一つなら……」


 その時である。

 遠く、遠雷めいた音が響いてきた。

 雄叫びである。ひとでは──ない。


化獣ばけものだねえ。これさ、危なくない?」

「そんなことわかっている。いくぞ」

「ええ冗談だろう、ここには軍隊だって詰めてるじゃないか。俺はまだライスカレーを食べてない」

「いいから、来い!」


 秋唯はそう言って狐春の襟を掴むと駆け出し、懐から取り出した札を、給仕に押し付けた。

「釣りはいらん!」

 給仕はその札を見てあっと声を上げた。

 一円札(一万日本円)だったのだ。


「ちょっと、お客様!」

 多すぎます、と言おうとした時には、もう二人は出ていってしまっていた。

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