第四幕 八艘飛び

 麹町から西へいくと、御神域を守護するための濠がある。

 大通りを軍人が隊伍を組んでかけていく。各地の鐘楼がガンガン打ち鳴らされ、異常な空気が張り詰めていた。

 避難する住民を先導するのは警官たち、あるいは火消し衆である。

 ここに来ても警察は、庶民にすぎない火消しと同じ仕事。これもまた、彼らに不満となり溜まっていくだろう。


「討幕の戦以来の、悪い空気だ」秋唯はそう言って、舌打ち。「化獣ばけものが……昼日中から襲撃を仕掛けるとは思えんが」

 ちらと狐春を見る。

「違うと言いたいが、この匂いは化獣ばけものだね。だけど……香の匂いがするな。……追い立てられている、いや、興奮させられているのか?」

「ふん……面妖な真似を。獣使いがいるとすれば、そいつを潰せば良いだけ」


 そういうなり、秋唯は一枚の木札を抜いて、パッと宙に振った。直後、上空から十文字槍が降ってきて、彼女はそれを掴む。


「警察を辞めさせられたことには恨み言を言い足りんが、感謝もしている。またこいつを振るえるのだ」

「『突けば槍 薙げば薙刀 引けば鎌 とにもかくにも外れあらまし』……大胤栄が創出なさった胤栄神槍流か」

「生まれ自体は私の方が早いが……時に人は、短い生涯の中で我らにはない発想、成長をする」


 駆けながら、狐春は微笑んだ。

 秋唯は変わっていない。驚くほど何も。


「お前こそ化獣相手にその毛玉棒で戦う気か?」

「もふもふ棒ね。間違えないで」

「同じだろうが」

「それに関しては大丈夫、俺も同じく、獣用の刃物は持っている」


 狐春は木札を振り、手の内に二尺四寸ばかりの刀と、脇差を握った。それを腰の帯に捩じ込むと、さらに疾く、駆け出す。


はやめてくれ。お前に吐かれるなんてごめんだ」

「時と場合による」


 濠を越えるための橋が軍人で埋め尽くされていた。

 が、戦時とあらば大結界が張られているそこも、いまはまだ張られていない。本来ならば橋の部分だけ穴を開けている結界であり、有事ともなれば橋を上げて結界で閉ざすというものである。

 今は、濠全域の結界自体が、作動していない。故に。


「飛ぶぞ!」狐春は言って、五十間(九〇メートル)はある濠を飛び越えたのだ。

 驚くべき脚力。いくら狐の跳躍力とて、無理がある。しかし狐春は平然と対岸に着地し、一部始終を見ていた町民から絶賛の声を浴びている。


「衰えを知らんな、あいつは」

 言いつつ、秋唯も十文字槍を握り、跳んだ。空中で身を捻りつつ弾丸のように跳び、宙で目にあった軍人の千疋狼に「ええ?」という顔をされつつ、平然と着地。


「お前より跳んだぞ」

 秋唯は絶賛を浴びながら言う。

「お腹タプタプでさ、俺」

「女々しい野郎だ。いくぞ。どっちだ」

「市ヶ谷の方だ。入ってきたってより、湧いたって感じだなぁ」


 駆けつつ、言う。


「おい、虫じゃないんだぞ。湧くってなんだ」

「研究施設からの脱走、とか。上野には化獣園を設置するって話もあるし」

「なんだそれは……施設なら軍が警備しているだろうが。……まあいい、制圧してから考えよう」


 現場に駆けつけると、そこはもはや地獄絵図。

 警官らは抵抗虚しいと察しており、軍が来るまでの時間稼ぎに徹していた。市ヶ谷陸軍士官学校の生徒も出て、銃撃を浴びせるが、化獣ばけもの相手に鉄砲玉なんてほぼ意味をなさない。

 余計に興奮した猪のような化獣ばけものがうなり、小山のような巨体で突進していく。

 悲鳴が上がり、雄叫びがかぶさる。


 警官は避難誘導と救出活動に全力を注ぎ、現場に居合わせた武芸者たちが化獣ばけものを仕留めていく。


 本来化獣は人里には滅多に入らない。ひとと獣では互いに住まう世界が、根底から違うからだ。迷い込むことはあれど、明瞭な進撃の意思を持って迫ることはない。

 だがこれはどうだ。


化獣ばけものの軍勢、だな」秋唯は苦々しく言った。「人里に対する進撃だ」

「獣使いがいるね。風上、高いところ……あの一段高い丘、そこに立つ屋敷が怪しい」

「……誰の屋敷だ、あの白い建物は。記憶にない」

「秋ちゃんが知らないなら俺はもっと知らない。……とにかく、まずは手勢を減らそうか」


 狐春は迫るオオトンボの顔面を、抜刀した鉄鞘で打ち据えて打撃。複眼を潰し、素早い刺突で口蓋を抉り捨てて、死骸を放る。

 頭上、大猩猩だいしょうじょう──異国の言葉で言うゴリラのような化獣ばけものが迫る。

 土を唾液で固めた鎧に、竹やら枝葉を貼り付けた天然の装甲。意外と、硬い。


「オオツチヨロイ……こんな個体までいるのか」


 狐春は迫る右の拳を外回りに避けた。相手の背中側に、左回りで迫る。こうすれば最低でも、両拳の猛攻は多少封じられるし、常に死角死角へ回っていける。

 オオツチヨロイは防御に特化しているとはいえ、全く攻撃してこないわけではない。

 縄張りを犯された際は無論、繁殖期などの興奮状態などは別。そして、香で興奮させられた今、奴は激しい攻撃性を示している。


「十を数え、これより発砲する! 一般人諸君は退避願う!」

「よせ! 鉄砲玉なんぞ効かない!」狐春は怒鳴ったが、無意味だった。


 十を数えた軍人らは、一斉にライフルを放った。

「撃ぇ!」


 雷が吠えるが如き銃声が、合計二十。

 豪、と吠え猛る銃弾。しかしその全てが、天然の鎧で防がれて、皮にも届かぬ。


「な──」

「逃げろ! 逃げるんだ!」


 狐春はオオツチヨロイに追従──だが、巨大な化獣はそれだけ歩幅も大きく、どんどん、距離を離される。

 陸軍兵は「撤退せよ!」という命令で下がりこそすれ、狐春より遥かに遅い彼らだ。どんどん距離を詰められていき、


「なんだ、面白そうなのいるじゃん!」


 そこへ、女が降り立つ。

 装い自体は簡素な仙龍服。しかし発する気風は明らかに普通ではない。

 加えて、素手、である。

 武芸者なのは確かなのだが、いくらなんでも素手はない。服装からしておそらくは仙龍の民だろう。

 あちらにだって化獣ばけものに類する生物はおり、危険性はわかっているはず。


「そこのお狐さん、手出し無用」


 気づかれた。狐春が素早くオオツチヨロイに切りかからんとするのを、察したのだ。それだけで只者でないと知れる。

 軍が「危ないぞ!」「下がるんだ!」というが、女は聞かず、


「破ッ」


 拳打を、オオツチヨロイの左腕に打ち込む。

 大砲めいた轟音が響き渡り、そして「何か」が炸裂したようにその土鎧が弾け飛ぶ。

「へえ、今ので骨を砕くつもりだったのに」


 女は反撃の右拳をくるりと宙に舞って回避し、オオツチヨロイの右手首に着地。そして振りかぶった右の掌底を、今度は右腕の土鎧に打ち付ける。

 バンッ、と乾いた炸裂音。弾け飛んだ土鎧が四方に散り、剛毛に覆われた腕があらわになる。


「あー、この毛が土を鎧うための、根っこみたいな役割果たしてんだね。なるほど」


 目もいい。素早くオオツチヨロイの生態的特徴を掴み取り、今度はしかし、飛び退く。

 オオツチヨロイは両腕を出鱈目に振るい、暴れ出したのだ。

 理屈も論理もない、剛腕に物言わせた嵐。とはいえ、不規則ゆえに見切ることは困難であり、確実なのは避けること。


「あと二発で終わらせてやるよ」


 女は言うや否や、振りぬかれた拳を掴んで跳躍。狙うは、鳩尾。そこへまず一撃目の──左打撃。手のひらで掬い上げるようにして加えられた一撃で土鎧が大きく弾け飛んだ。

 さらなる一撃。右の掌打で、何かを破裂させた。

 オオツチヨロイは派手に喀血、黒ずんだ血を吐いて、もんどりうってたおれた。


 女は無言で姿勢を正し、拱手をする。あれが、彼女にとっての命へのけじめの付け方であることは明白だった。


很愉快ああ、楽しかった!」


 狐春はあの武術について、知識では知っていた。

 ──発勁はっけい。勁を発し、内側で炸裂させる武術。

 これを使えば武具を砕くことも、骨や臓器を破壊することも意のまま。音で、その全てを理解した。

 腕を振り抜く音は一回、だが、打撃音は二回するのだ。


「お兄さん、すっごい気配だね」

「おかしいな、消してたんだけど」

「わかるって、背中から出てるもん……すごいね、それ」

「…………」


 みえている……。

 時々いるのだ。

 殺気というもの、闘気ともいうものを見ることができる、特異な者が。


「やる気はないよ。俺は殺し合いも喧嘩も嫌いだ。……本当は化獣ばけものとだってやり合いたくない。食べないものは狩らない主義だ」

「うん。私も無理にやる気ないならやらないよ。……今日はもう充分楽しかったし。……でもさ、ならなんでお兄さん、すっげ怒ってんの?」


 女は言う。


「君に対してじゃないけどね……悪い、俺は狐春だ」

「シア。……はー、そういうこと。あの館の、黒い氣か」

「放って置けない。また会えたら、いろいろ聞かせてよ」

「いいよ。いつか手合わせしてくれるなら。さすがに試合くらいならいいでしょ」

「……試合で済むならね」


 狐春は駆け出した。

 シアは「楽しみが増えた」とニコニコ笑い、そして、さらに迫り来る巨大な猪を睨む。


「最高の一日だ!」

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ミタマタケハヤ ─ 神ノ跫蹤 ─ 夢河蕾舟 @YRaisyu89

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